婚約破棄を言い渡したら、なぜか飴くれたんだが
リハビリで思いついたことを書きました。
お読みいただけると嬉しいです。
「ご注文のキャンディをお届けに参りました」
「は?」
俺は甘いものなど好きではない。
「届け先を間違えてるのではないか?」
「いいえ。たしかにアルフォンソ・タヴァレス様へのお届けするよう申しつかりました」
「ええと、誰からだ? まあ俺の好みも知らないような奴からの贈り物など不要だがな」
「はい。イレーネ・コスタ様でございます」
「はっ、あんな女からか。いらんいらん」
「いえ、当方はきちんと依頼されて作成し、貴方様に間違いなくお届けするまでを請け負いました。ご不要なら受け取ってお捨てになられては?」
面倒くさい。俺の顔にはそう書いてあったのだろう。だが、キャンディ屋の配達人の男はニコニコとしながらも押しが強く、面倒を終わらせるためにも受け取って下さいよ、などとのたまう。
「ねえ、受け取って差し上げたらいいじゃないの。仮にも貴方の元婚約者様でしょう? 私甘いものは好きだわ。ねえ、最後に何を贈って来たのかしら。興味あるじゃないの」
俺の様子を見に来たカミラが、クスクスと笑いながら重たい胸を押し付けてきた。
「悪趣味だな。まあ君が食べるなら構わんさ」
肩をすくめた俺に、流れが変わったとみて配達人がペンを差し出してきた。
「ではではこちらに受け取りのサインをお願いします。それから、こちらのお品について一言ご説明差し上げますね」
「面倒くさいな。ただの飴玉なのだろう?」
「いえ、違います。こちらはイレーネ・コスタ様の恋の一部でございます」
◇ ◇ ◇
タヴァレス伯爵邸の別館。ここは最近俺が自由に使っている屋敷だ。我が家の嫡男は20歳を迎える年に結婚をする習わしがある。俺はその準備のために移ってきたばかりなのだが、この別館はまだまだ使用人の数も教育も足りていない。こんな配達ごときで主人である忙しい俺に取り次ぐとは。
こちらのお品についてきちんとしたご説明をつけることが料金に含まれていますから、と繰り返す配達人と、すっかり興味津々になってしまったカミラに押され、仕方なく中に通すことになった。
元婚約者の話をエントランスで大っぴらにするわけにもいかないからな。
飾りの少ない応接室に腰を下ろす。あの壁に絵でも飾ろうか。そう口にしかけて、一月ほど前の婚約破棄の場でも同じ席に座って同じことをもうカミラに言ったな、と唐突に思い出した。
奥の上座に俺と新たに婚約者となった愛しいカミラ。その向かいの席に配達人の男。ちょうどその位置に、あの日の彼女――イレーネも座っていた。
「――お前はいつも冷たく、俺はともに居て寛げたことがない。愛情あふれる家庭を築きたい俺とは合わないのだろう。ここで互いに別れるのが吉だ。そう思わないか?」
足を組みながら沙汰を伝える俺の前で、イレーネは榛色の瞳をことさら濃く染めながら、声を上げていた。
「そのようなこと! たしかにわたくし達は政略で結ばれた婚約者ではございますが、愛は互いに慈しみ育むものであるかと······」
「ああ言えばこう言う。お前はいつも口ごたえばかりだ。とにかくお前から恋情も愛情も感じられたことがない。俺との婚姻で得られる金銭や身分といったものへの薄汚い執着だろう? そんな相手と結婚など、墓場で暮らすようなもの。俺は苦痛しかない人生はいらん」
イレーネの淡い茶色の髪は今日も緩みなく整えられ、隣のカミラの華やかな金の巻き髪に比べて一段と見劣りする。
そう、彼女は見劣りするのだ。
「そうよぉ。それにもうアルは私に決めたのよ! イレーネ様はアルの輝かしい未来からご退場なさって?」
両家の合同事業である大規模河川工事は極めて順調で、お互いの領地に流れるガルデーニア川の護岸補強は佳境を迎えている。今さら婚姻で結び合う必要はないほど、お互いの役人も職人も交流を深めているのだ。
イレーネは嫁入りする身としてうちの両親と友好的にやっていたが、他に代えはきく。それだけだ。
「そんな······アルフォンソ様、わたくしの気持ちは伝わらなかったのですか?」
「これっぽっちもな――」
訝しげな様子のメイドが扉を閉める音で、ふと我に返った。すでにカミラは身を乗り出し、テーブルの上に置かれた小箱を見ていたらしい。目の前の配達人は俺が顎をしゃくると、待ってましたとばかりにスラスラと話し出した。
「はい、私ども『金猫印本補』のキャンディにはですね、通常のものと特注のものがございまして、こちらは特注品になります。当店のキャンディ作りはですね、芯となるものの周りに砂糖蜜などを幾重にも重ねていって、大きく美しく仕上げるのでございます。通常のものには果汁と砂糖とで固め合わせたものや、ごまやケシの実などを芯として使用します。ですが、特注の場合にはですね、『思い』を結晶化したものを芯に使用するのです」
「うわあ! アル、これ『金猫印』のよ! しかも特注キャンディですって! お茶会で自慢できるわよお」
カミラによると、手帳などの文具で有名な『金猫印本舗』の新事業である菓子部門は、この頃女性達に大人気なのだという。しかし俺は配達人の説明に眉をひそめた。
「『思い』? なんだ、インチキの話か」
「いいえ。私どもはヴィーダの森の一族なのです」
「ヴィーダの森の? ということは······」
「ええ。ご存じの通り、あの地では魔術の力が強い者が多く生まれます。皆様にとっては『魔女の一族』と言った方が分かりやすいでしょうか?」
ヴィーダの森の一族。それはこの国の者にとってはおとぎ話のような逸話とともに認知されている。東の森の奥深いどこか。見たこともない不思議な木のそばに、人知を超えた力を持つ魔女の末裔が住んでいるという。
「貴方様は、イレーネ・コスタ様に対して自身への『思い』を証明せよ、とおっしゃったと伺いました。ええ、我々ヴィーダは今までにも何度かそのようなご要望を承ることがありましたものですから、その経験を活かして今回もご満足いただける品をご用意した次第です」
黙りこくった俺に、不思議な雰囲気を漂わせる配達人の男は、自信満々に胸を叩いて笑顔を見せてくる。たしかにそんな戯言を言ったな。そう自嘲していると、男は続けて懐から綺麗な色紙と封筒を取り出して、テーブルに置いた。
「当店のキャンディは、色によって『思い』を分類しております。こちらが各キャンディのお味の説明書きと、あとご依頼主様からのメッセージカードも併せてお渡しいたします。ではご利用ありがとうございました」
◇ ◇ ◇
配達人の男が帰った後の部屋で、カミラは慣れた手つきでメイドを呼び入れ、お茶を入れさせた。
「ねえねえ、早く開けてみてよ!」
はずんだ声が愛らしいカミラに釣られ、俺は早速小箱を開いた。
中に入っているのはシャボンのような珍しい色味のガラス瓶。そしてその小瓶の中に、子供の小指の先ほどしかない大きさの、色とりどりの星型の飴玉が詰まっている。
「可愛いキャンディだわぁ。いろんな色があるのね! どんな味かしら?」
「まあ待て。あいつがおかしなことを言っていたから、一応俺が先に食べてみるよ」
「『金猫印』のだから大丈夫よお。えーとね、最初はピンクからですって!」
色紙に書かれている説明書きの初めの部分を、カミラが赤い爪でチョンと突いた。
〈このキャンディの中で最も古い『思い』はピンクに閉じ込めました。ピーチ味とともにどうぞ〉
「まんまとイレーネの策にはまってるのがシャクなんだがな」
「いいじゃないの! ねえアル、残りはお友達に持っていってもいい?」
「急かすなよ」
ポイ、とピンク色の飴玉を口に放り込む。と、突然眼前に応接室ではない場所の映像が映し出された。流行に敏感な洒落者がこぞって買い求めている幻燈機――ランタンで絵を壁に拡大投影する機械――を使ったかのような世界が広がっているのだ。
なんだ、と声に出そうとして息を飲み込んだ。どこかで見たことがあると思ったこの庭は、我がタヴァレス伯爵家の本邸のものなのだ。それも昔の。
あの蔓薔薇のアーチは今の我が家にはないものだ。俺や弟がまだ小さかった頃に、男の子でも楽しめるようにと両親が迷路のようにアーチやトビアリーを並べて作ってくれたのだから。
懐かしい過去の庭に目を凝らしていると、『俺』が現れた。正確にはこの庭でよく隠れんぼをしていた頃の俺だ。幼い······あれは5歳かそこらか。
多くの同年代の子供たちもいる。ああそうだ。子供のためにこんな庭を作りたいという貴族家が数組、見学と称して遊びに来たことがあったっけ。
そう、そしてこの時俺はカミラと運命的な出会いをしたんだ。
光を集めたような金髪にブルーの瞳。ひときわ目立つその輝きの少女――カミラと俺は仲良くなり、弟と作っていた秘密の基地にまで連れて行ったのだ。
しかし飴玉の見せる映像はおかしなことに、笑顔の俺や、その俺と繋いだ手や、秘密基地でクッキーを食べたところなど、カミラとの初恋の思い出ばかりが映るのだ。カミラ目線で。
音が聞こえないのがもどかしい。サイレント映像の中の『俺』は、はっきりと相手に恋をし、相手の反応にときめいていた。そして『俺』の瞳の中に映っているであろう相手も、たしかにその恋に喜びを感じているようだった。
やがて映像の中の『俺』は、秘密基地に自分も宝物を隠したいという少女の願いを聞き、おさげに結わえてあったリボンをもらう。と、解かれた金髪が柔らかく風に舞って――
パリン。
飴玉が割れて、口の中で溶けてしまったようだ。あっという間に元の応接室の風景に戻っている。
しかし、あれはなんだ?
あの思い出は茶髪のイレーネではない、金髪にブルーアイの快活に笑う女の子とのものだった。
夜会で輝く金髪碧眼のカミラを見かけた時、あの初恋の相手だと思って声をかけた。彼女だって、おさげのリボンを男子にあげた記憶がある、と言っていたのに。
「カミラ、あの······」
「いやあ! なにこれ!!」
待ちきれなかったのか、知らぬ間にカミラも飴玉を食べていたらしい。そして俺と同じように映像を見て、パニックになっている。慌てて肩を揺すれば、口元でバリンと音がして目を見開く。飴玉がなくなり効果が切れたのだろう。
「見たか? 飴玉を食べたんだろう?」
「私、私······」
冷めたお茶を飲ませ、なんとか落ち着かせると、カミラは矢継ぎ早に捲し立ててくる。
「違うの! ええと、私あんな事してない!! 何よこれ、嘘よ! ペテン! 誤解だわ!」
「誤解? ······俺の初恋の話、したよな? その時たしかにそれは自分だって」
「え? あ、ああ、そんなのさあ、私だって同じような思い出があったもの! だからアルの初恋相手、私じゃないかなって!」
「カミラ落ち着いて。君は幼い頃にうちに遊びに来たことがあるって言ってたよな?」
「子供の時にどの家に呼ばれたかなんて覚えてないわよ! アルは赤ちゃんの頃から全部記憶があるって言うの?」
いつもはおっとりしているカミラの突然の剣幕に、俺は内心唖然としていた。そうかと思えば今度はしどろもどろの弁明をし始め、しまいには俺は常識が無いなどと詰め寄られてしまった。
カミラってこんな女だったのか? いや、元々奔放で可愛らしいところが魅力ではあったが、婚約者に対して食って掛かるように話すなんて······。
それから。
あの飴玉の効果を信じるのなら、秘密基地での相手はイレーネだったのか。確かめようにも映像にイレーネ自身が映らないので分からない。あの時は弟にも内緒にしてたからな。
考えを整理していると、取り乱したことで居づらくなったのか、カミラがソワソワし出した。
「大丈夫か? でもピンクを食べたんだろう? それならそんな······」
「何でもいいじゃない! それにこんな変なのもう食べるのやめたら? ······私、つまらないからお買い物でもして、今日はこのまま帰るわ」
カミラがあっという間に出て行ってしまったので、俺は自室に移動して他の飴玉を口にすることにした。
◇ ◇ ◇
〈ピンクの次はイエローをどうぞ! 2番目に古い『思い』にはレモン味をまとわせました〉
また眼前の景色が変わる。今度は婚約式の時だ。14歳。俺は儀礼的な笑みを浮かべて、イレーネをエスコートしている。
ただ、この思い出を持つイレーネには違って見えたのだろう。シャンパンの泡のような光が俺の周りで生まれては弾けて、俺は光の中で幸福そうに見えた。
それから、音楽好きな両親の勧めで即興でダンスを踊った。招待客の前で母がピアノを弾き、我が家のダンスホールで踊る俺達。それを見つめる皆のあたたかい笑顔。面白がって手拍子を早く打つ者がいて、テンポが急に上がって大変だったんだっけ。
キラキラキラキラと、シャンデリアから降り注ぐ光は止むことがなく――
パリン。
口の中に残る甘酸っぱさを感じながらも、俺は呆然としていた。
イレーネにはこう見えていたんだ。可愛らしい顔立ちだが、地味な色目のイレーネに、俺はあの日ちょっと残念な思いでいた。冷やかされるのも大人扱いされるのも恥ずかしく、さっさと終わらせようと思って婚約式に挑んだことは覚えている。
同じ場で同じことを体験していても、感じ方は違うのだ。そんな当たり前のことに今さら気付いた俺は、頭をがつんと打ったような衝撃を受けた。
「そういえばあの時、イレーネが庭を見たいと言い出したな」
面倒くさかったので庭にまで出ずに、窓から外を見せた。イレーネが何かを言いかけた時、俺は入道雲に夕日が入り込み、赤く膨らんだ様に目を奪われたのだ。
――あそこだけ真っ赤だ。綺麗だなぁ。
――本当ね、綺麗ね。
そんな会話とも言えない言葉を交わした気がする。
飴玉が割れなければ、あの入道雲も見られたかもしれない。さっきまで大切な思い出というわけでもなかったのに、飴玉が割れた今は、あの雲を見た後に今度こそ庭に連れ出してやったのに、と悔やむ始末だ。
俺は取り憑かれたように次々と飴玉を口に放り込んだ。
3番目のグリーンが意味するのは『不安な思い』だろうか。マスカットの控えめな味から映像が広がる。
一歳上の俺がイレーネより先に学院に通うようになった頃から、俺に釣り合う女性になるべく、イレーネは俺の母から淑女教育を受け出した。家庭教師もつき、俺のいない我が家に通い、勉強、勉強、勉強。
それなのに。たまの婚約者同士の交流だというのに、俺と来たら突然カフェではち合わせした学友と合流し、そのまま学友と遊びに行ってしまう。
その学友のひとりだったカミラが、イレーネにだけ向ける嫌な笑み。学友しか分からない話をしてるのか、イレーネに何かを告げてにやりとするカミラ。立ち上がる時に、わざとイレーネにぶつかっているように映像が揺れ、離れていく俺の腕にカミラがはしゃいでしがみつく――
パリン。
4番目のパープルは『嫉妬する思い』か。ダークチェリーに包まれると、また違う映像が浮かぶ。
学院に通い出したイレーネは、中庭の噴水の影で俺とカミラが口づけを交わすのを見てしまっていたのだ。しかもカミラが、イレーネの方を向いて笑った。そしてカミラの腕が俺の首に巻きついて、······俺達の体は他を拒むように密着していた。
映像は噴水の水のせいか濡れて滲んで――
パリン。
5番目のスカイブルーは『失恋の思い』なのだろう。ブルーベリーの濃い味が口に広がると、あの応接室で、俺とカミラがイレーネに婚約破棄を言い渡したあの映像が映る。
傲慢でニヤけたような気持ちの悪い顔をした俺。カミラは涙を拭うふりをして舌を出している。
なんだこれは。なんなんだ。
イレーネの中で常に輝いていた俺の顔が、この時には暗く淀んで見える。
醜い俺達に酷いことを言われているイレーネの目線は、膝に置かれたハンカチを握りしめている手から動かない。
そしてイレーネ目線の映像はふらふらと廊下を歩き、家令に頭を下げて、薄曇りの戸外へとエントランスホールから出て行く――
パリン。
俺はこの時言ったのだ。
そんなに言うなら、俺への恋を証明してみせろと。
出来るわけないと、高を括って。
イレーネは恋を証明するために、ヴィーダの森の一族に会い、自身の思いを結晶化した。
馬鹿にしていた俺達の予想を遥かに超えて、イレーネはたしかにそれを実現させた。
「しかし、髪の色は······」
瞳の色なら、子供の頃ブルーだったのに大きくなったらヘーゼルに変わることはよくある。子猫の瞳しかり、虹彩のメラニン量が加齢によって減少して青が消えるのは分かるが、まさか髪にも同じ事が起こるのか?
そういえば庭師の男が冗談みたいに言っていたっけ。いまは白髪交じりのダークブラウンだが、自分も昔は天使のような金髪だったって。
「······行かなきゃ」
俺は慌ててフロックコートを引っ掛け、ポケットに飴玉の入ったガラス瓶を突っ込み、立ち上がった。
◇ ◇ ◇
無我夢中で馬に乗り、俺はコスタ邸を訪れた。しかし、イレーネはもう屋敷を出て行った後だった。
俺を繋ぎ止めることすら出来ずに、まんまと他の女に持って行かれたと知った父コスタ子爵は激怒し、辺境の地に住まう初老の男の後妻に充てがったのだという。
「わざわざ何です? 貴方からの婚約破棄だ。うちは一銭も払いませんよ」
「いや、そうではなく······彼女と話したくて」
「貴方が娘と二度と会いたくないと言ったのでしょう? 家格が下の我々に出来ることをしたまでです。貴方の家に睨まれた娘を置いておけるわけないじゃないですか」
イレーネと話したい思いだけで馬を走らせた俺の感情は宙ぶらりんになってしまった。
空はそんな気持ちに同調するように、湿った雨を降らせた。
◇ ◇ ◇
コスタ邸を辞して再び自室に戻った俺は、コートのままドサリと腰を下ろし、苛立ちをぶつけるように髪をグシャグシャと掻き乱した。
「ああ!」
つい、感情の発露が口から吐き出されてしまった。もうすっかり甘さが消えた口内は、カラカラに乾いている。
熱いコーヒーを持ってこさせ、ソファに足を投げ出すと、カランと音がした。
そうだ、まだ飴玉が残っていた。
慌ててポケットからガラス瓶を出してみると、飴玉で食べていないのはホワイトだけになっていることに気が付いた。
ホワイトは何なんだろう?
そういえば説明書きもろくに読まずに食べていた。ただ、スカイブルーの飴玉で、もう婚約破棄の思い出が紡がれている。その後の『思い』ってなんだ?
説明書きを読んでみようとするが、焦ってコートに突っ込んでいたために、ところどころが雨で滲んで判読出来ないようになっていた。
〈最後の『思い』はホワイトです。今までのキャンディとは······て······です。強烈に残った······を······します。食べると······で············〉
仕方がない。明日、金猫印本舗に出向いて、もう一度説明書きをもらってこよう。それから両親を説得して、イレーネとの再婚約を整えて、薔薇を持って辺境に迎えに行ってやろう。
◇ ◇ ◇
――パリン。パリン。パリン。パリン。
どこかであの飴玉の割れる音がする。
世界とともに深い眠りについていた俺は、なんだろうと夢現のままに窓際に置いたガラス瓶を見に行った。
そこでは――、月明かりの中で虹色に光るガラス瓶が音を立てて、今まさに割れ崩れているところだった。
「なんでだ! やめろ、止まってくれ! まだホワイトを食べていないんだ! 他のも取っておきたかったのに! やめろ、壊れるな!」
急いで駆け寄り、飴玉を取り出そうとするが、あっという間にすべて割れたかと思ったら、シャボンのように跡形もなく消えてしまった。
◇ ◇ ◇
憔悴したまま朝を迎えた俺は、金猫印本舗の菓子店へ足を運んだ。
そこで分かったのは、金猫印本舗の菓子店では、特注キャンディの受注販売などやっていないということだった。
あくまで推測ですけれど、と店員がいうには、ヴィーダの森の一族に本当に依頼出来た場合、そのような特別製のキャンディが作れるかもしれませんね。ということだ。
金猫印本舗の菓子店の商品は、実は委託販売の形態をとっているのだそうだ。品物はすべてヴィーダの森の一族の末裔と言われている人達が作っており、ほんのおまじない程度の『恋が叶うクッキー』だとかが販売されている。だが、売り子や経理など店舗経営は一族外の人間が行っているのだという。
オーナーだけがヴィーダの森の一族とやり取りをしており、ただの店長の自分はどの人が一族の人なのか知らないんだとか。
「じゃあオーナーを紹介してくれないか」
「申し訳ございませんが、そのようなご要望には応じられない決まりとなっております」
「なぜだ? 俺は昨日うちへ届け物をしに来た男と会いたいだけなのに、配達人にも会えない、オーナーにも会えないじゃ困る。昨日届けられた品が置いておいただけで粉々に砕けたのだぞ! 欠陥品を送ってきたのではないか?」
「お客様、失礼ですが受領証はお持ちですか? そこに但し書きがあったかと思うのですが」
ポケットを探ると、たしかに俺のサイン済みの受領証が入っていた。
そこには、〈特別なお品をお届けする際は、使用方法など事前にご理解いただいた上でお引渡しいたします。取扱い注意のお品については、くれぐれも規定の方法以外でのご使用はお避けください。お客様の不注意による破損等にはご対応いたしかねますので予めご了承ください〉とクドいくらいにご丁寧に書いてある。
俺は話半分に配達人の言葉を聞いていたし、説明書きも読めなくしてしまった。
「しかし」
「もしどうしてもということでしたら、ヴィーダの森に行ってみるのがよろしいかと思いますよ? 強い思いを持つものをあの一族は歓迎すると言いますからね」
◇ ◇ ◇
結局俺はカミラと別れた。
というより、カミラはあのまま帰ってこなくなってしまったのだ。
両親は元々カミラを気に入っていなかったらしく、婚約も正式に結んでいたものではなかったのだそうだ。
「あの娘、絶対何かやらかすと思っていたから、提出しないでおいて良かったわ。やらかさなければ、そう仕向けるところだったわよ」と母が笑顔で恐ろしいことを言っていた。
そして、そのまま親の決めた相手と結婚をした。
イレーネやカミラのことでは弟に散々馬鹿だ屑だと言われたが、子供も生まれ、穏やかに過ごしている俺達家族を見て、最近は態度を軟化させておもちゃを買って遊びに来てくれる。
もうすぐ弟も結婚の時なので、色々と参考にしたいのだそうだ。
俺は幸せに暮らしている。妻にも子供にも不満はない。
ただふとした時に飴玉を見ると、強烈にあの日の映像が脳裏に蘇るのだ。
キラキラと輝く俺とイレーネの初恋。それが今の息子の歳に起きたことなのだな、と振り返ると、無性に渇きを感じる。喉を潤しても消えない欲。
イレーネからのメッセージカードも、なぜか無くしてしまった。おそらくカミラが持って逃げたのだと思う。どうしてだかあの時のカミラはやけに怯えていたから。
一体カミラは何色の飴玉を食べて、何を見たのだろう?
妻の横で寝ていても、夢にもたまに見る。
白い飴玉だけが残った瓶。
失恋のあと、その後のイレーネの『思い』とはなんだったのだろう。
解けない謎を前に震える俺の指は、つまんだそれをいつも落としてしまうのだ。
――パリン。
また飴玉の割れる音で俺は目が覚める。
キャンディ(飴玉)の作り方は金平糖を参考にしています。
※誤字報告とても助かります! 適宜修正いたします。