会合
その日ヨナルテパズトーリは日本のとある民家に顕現されていた。最近は日本のアニメに出演した際に想起されることがほとんどでそしてそれもまた稀な出来事であり、母国メキシコに還ることも早々になかった。その昔メキシコで顕現されていた際は、大抵は大きなカラスのような外観で、誰かが病気であったり死んでいたりと暗い場面が多く、そして「ヨナルテパズトーリのせいだ!」と怒りに満ち溢れる遺族なぞも多くて、何となく申し訳なくも思ったような気がするが、だからと云ってヨナルテパズトーリに郷愁なぞなかったし、いつものようにぼうっと想起され、その場にしばらく佇んで、そうして砂のように消えるのを待つのみのこれと云った思考もない概念であった。はずだった。のだが。
最初に感じたのは「窮屈だなァ」と云う思考であった。狭い部屋の片隅で、ぼうっとパソコンの配信動画を眺める人間の脇に同じようにぼうっと佇むヨナルテパズトーリは、画面の中では主人公に楯突く役で、何やら悪巧みをしているようだし、まあやっぱり好かれるようなキャラクターではないよなァなどとも思った。外観は、自分でもこの日本のキャラクターの外観の自分が好きなのだけれど。なんせ表情がある。悪役でも愛嬌がある。そう云うのって素敵だ。ただの鳥なんかよりずっと良い。さてさて今日はどんな手を使って主人公たちを苦しめるんだろうか。ヨナルテパズトーリは日本のアニメにふたつも出演していたけれど、どちらも面白くて好きなのだ。画面を見ては「イシシ」と笑い、そうしてヨナルテパズトーリはやっと疑問を持った。余りにも自然に思考が湧いて出たので元からそう云う存在なのだと認めてしまうところであった。何だこれは、どう云うことだ。そう思う間も考えている。考えている。考えている。
「考えたところで詮無きことだ」
突然言葉が降りて来て、ヨナルテパズトーリは「ヒェ!」と驚いた。
天井の近くにふわりふわりと浮かびヨナルテパズトーリを見下ろしながら、
「今回は白容裔しろうねりか…」とうんざりとした声を上げたドラゴンは、霞んだ白地の鱗に鰻のようなひょろながい身体、そして手なのか足なのか妙なところに二肢を生やして、大凡西洋のドラゴンに似つかわしくなくどちらかと云えば東洋の龍を思わせる姿で、ヨナルテパズトーリに向かい「こいつが何の付喪神つくもがみか知っているか?古びた雑巾だぞ?何故そんなものに我がドラゴン様ともあろうものが顕現されねばならぬのだ」と、平素よりは何だか愚痴っぽいドラゴンは苛立たしげに、「しかも同じく顕現されたのがお主とは何ともついていない」と若干失礼なことまで云った。「しかも、しかも貴様、間抜けな方のヨナルテパズトーリだな?」
間抜け。確かにヨナルテパズトーリは先ほど意思を持った生まれたての赤子の如くなモノだけれど、初対面の相手に対しこの云い様は如何いかなものだろうと思うくらいには知性はあった。なので何か対抗する言葉を発してやろうと思ったけれど、口から出たのは、
「あ、あんたァ、失礼なやつだなァ」と云う何とも間の抜けた台詞だった。どうやら考えたことを上手く言葉で表現するのが苦手らしい。これは何とも厄介な質だ、とヨナルテパズトーリは心の中で嘆いた。
「間抜けというのは誤謬があったようだな」
ヨナルテパズトーリの心の内が読めるのか、しかし暴言を謝ることもしないドラゴンは「奇縁と云えども縁は縁。お主に頼みたいことがある」と云った。
「彼の地ィに、毒…?アンタさんの身体も随分毒っけがありそうだけんども」
ヨナルテパズトーリのその一言に心底嫌そうな顔をしたドラゴンは、己が体臭がこう顕現されても臭うことに心底うんざりとしながらも、
「こういう変化をおかしいと思うであろう」と、務めて冷静に宣った。
「確かにィ、オラがこうして喋れんのも、アンタさんと喋れんのもおかしな話だなァ」
「そうであろう」
己が体臭を気にするように足の辺りをクンクンと嗅ぎながらドラゴンは続けた。
「先ほども云ったように彼の地に毒気が潜んでいる。そうして今この時も侵略を続けている。我らがあの地に還る手立ては他にあるが、還れたところで毒に侵されていては嘗てのように彼の地にて過ごすのは無理からぬことであろう。そこで使者を送った」
「ほェ〜」
ヨナルテパズトーリは随分前から彼の地に還ることが出来ていないのは気付いていた。しかしそれも朧げなことで、顕現される時も消える時もいつだって明け方に見る夢のように靄に包まれて居り、そうした異変に考えを及ばすことも出来なかったのだ。そうか、ある意味彼の地は封じられてしまったようなものなのか。それが一体誰の意志なのかは分からないけれど、ヨナルテパズトーリは彼の地で仲間たちと歌ったり踊ったりとした日々を徐々に思い出しつつあった。あの棲み心地の好いあの地が今も尚毒に侵され無惨な土くれへと変えられてしまっている。生あるモノが息付いてしまったならば、我ら概念的存在に安息の地はなくなってしまうも同じこと。ヨナルテパズトーリは共に過ごした名前も知らない仲間たちのことを思い歯噛みする気持ちになった。
「しかしその使者どもが少し突飛でな。後先考えず赴いたものだから通ずることも叶わなんだ」そう云ったドラゴンは深く嘆息をした。途端に悪臭が部屋中に放たれる。
「なのでお主に彼の地へ赴いて欲しい」
ドラゴンから放たれる悪臭に辟易としていたヨナルテパズトーリは突然の提案に「ホェ?」っと素っ頓狂な声を出した。
「だ、だでどもオラ、だでどもオラ、どうやって還ったら良いか分からんしィ」ヨナルテパズトーリが大きな目をさらに見開きギョロギョロと狼狽えていると、「入り口までは我が送ってやる」とドラゴンが宣った。
こうしてヨナルテパズトーリは枯枝のように細い腕で何とかドラゴンの背にしがみ付き、酷い体臭に鼻を曲げながら一路バックベアードの浮かぶ空まで向かうこととなった。
「そんでなァ、随分とお空を上へ上へと昇って行ったら、バックベアードの旦那が夜空にぷかぷか浮かんでるんよォ。オラびっくりしたでなァ」
小夜子は自身も随分と驚いたことを思い出しクスクスと笑った。
「そんでェ近付いたと思ったらァ、ドラゴンさんに尻尾でクルクル〜って巻かれてなァ。バックベアードの旦那の瞳の中にぶん投げられてしまったんよォ」
「あのドラゴンが随分とガサツなことをしたものだ」ガーゴイルは半ば呆れながら呟いた。「多分、あの顕現された姿が相当イヤだったんだと思うよォ」と、ヨナルテパズトーリは己が身体にあの悪臭が染み付いていないか腕の辺りをクンクンと嗅ぎ「クサッ!」と吐き捨てた。その一連の行動に小夜子はまたもやクスクスと笑い、ガーゴイルも苦笑を隠しきれないでいた。
ヨナルテパズトーリが己の体臭チェックをしている間、小夜子は「ねえガァちゃん」とガーゴイルにこっそりと話しかけた。「ドラゴンさんの言伝だって云うし、悪い子じゃなさそうだよね?」そのドラゴンの悪臭とやらを想像してあからさまにイヤな顔をしていたガーゴイルは「そうだな、確かにあの茨への道を知っていると云うのならば願ってもないことだ」と返した。
「ヨナちゃん!」
嬉しそうにヨナルテパズトーリに向き直った小夜子は「これからあなたを『ヨナちゃん』って呼ぶわ!ヨナルテパズトーリじゃ余りにも長いんだもの。良い?」と訊いた。
ヨナルテパズトーリは身体を嗅ぐことも忘れ嬉しそうに頷き、歯抜けだらけの口を目一杯広げて嬉しそうに「イシシ」と笑い、二人のやり取りを見たガーゴイルは何とも珍妙な顔付きをしていた。
「それにしても、ヨナちゃんはこんな広いところの地図を全部憶えたの?」
と、小夜子は純粋な質問をぶつけた。ヨナルテパズトーリと小夜子は大体同じくらいの背の高さなのでどうにも話しやすいらしく、ガーゴイルはそんな二人を見下ろしては嫉妬の気持ちをムクムクと湧かせていたが、喋り方の割に聡そうなこのあやかしに己のそんな欲を知られたくなくて、わざと知らんぷりを決め込んでいた。
そんなガーゴイルの胸中を知ってか知らずかヨナルテパズトーリは「流石のオラでもそいつは無理だァ、コレを貰ったんよォ」と、右目の横辺りの毛に手を突っ込みワサワサと掻き混ぜ、一本の小枝のようなものを摘つまみ出した。ソレは直径十五センチメートルほどの細い小枝で先端が斜めに二股に分かれており、何処となく凶々しいような、紫色の靄のようなものを滲ませていた。
「ソレって…」小夜子が恐る恐る訊くと、ヨナルテパズトーリは「そうよォ」と云った。「これはァ、毒の茨の小枝にドラゴンが魔法をかけたものでェ、地面に置くと本体のいる方向を向いてくれるらしいんよォ」ガーゴイルと小夜子はびっくりして同時に「ヘェ〜!」と感嘆した。ガーゴイルは「そんなモノが作れるのならば、ドラゴン一匹でどうとでもなるんじゃないか」と独りごちた。小夜子も(確かに…)と思ったけれど、あの老爺は『小夜子でないと立ち向かえない』と云っていた。そしてマーメイドはガァちゃんにも使命があると。
小枝を摘つまんでイシシと笑うヨナルテパズトーリを見て、小夜子は「ヨナちゃんはソレを持っていて大丈夫なの?なんか毒素みたいなものが出ているけれど…」と心配気に云った。「ん〜?」と首はないので身体全体を傾げたヨナルテパズトーリは、「ドラゴンさんのあの毒みたいな悪臭で慣れちゃったのかものォ〜」と呑気に宣った。




