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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Episode 2 死中求活 -They called it training- Part 1

 まだ薄暗い室内で、クラリスが静かに着替えていた。

 制服の布が滑るように肌を離れ、わずかに露わになった白い腕が微かに光を反射する。柔らかな布地が揺れ、肌着の薄い生地越しにかすかな体温が滲んだ。冷えた空気が室内を満たし、それが彼女の動作の一つひとつを際立たせる。


 ユリウスはぼんやりと天井を見つめながら、その動きを音だけで感じ取っていた。目は閉じたまま、しかし意識の奥で、寝静まったはずの感覚がじわりと覚醒していく。

 カサリ――布が擦れる音が耳に触れた。


 ふと、クラリスの動きが止まる。

 何かを感じ取ったのか、それとも、ただ偶然だったのか。数秒の沈黙が流れ、室内の空気が少しだけ張り詰めた。その静けさの中、彼女の呼吸がかすかに揺れる。


「……起きてる?」


 囁くような声が落ちる。

 ユリウスは目を開け、ゆっくりと寝返りを打った。薄暗がりの中で視線が絡む。クラリスは新しい制服の上衣を半分羽織ったまま、戸惑いと警戒を滲ませた瞳でこちらを見ていた。

 僅かに開いた襟元から、ほのかに温まった素肌が覗く。


「いや、今起きた」


 そう答えながら、ユリウスは上体を起こした。


「そう……」


 クラリスは目を逸らし、残りの服を急いで着込む。動きにわずかなぎこちなさが混じる。昨夜の戦場の残響とは違う、微妙な戸惑いが彼女の仕草の端々に滲んでいた。

 戦場では性差は不要と教え込まれていた。しかし、こうして同じ部屋で夜を過ごし、互いの存在を意識すると、それでもやはりどこか気まずさが残る。


「出撃の時間?」


 ユリウスはまだ寝ぼけた声で訊ねる。


「まだ。でも、すぐに点呼があると思う」


 クラリスは襟を正しながら、少し気を取り直したようだった。

 その瞬間、基地全体に甲高いラッパの音が響き渡った。

 ユリウスは深く息を吸い込み、ゆっくりと体を起こす。


「行くぞ」


 クラリスはすでに準備を終え、ブーツの紐を締めていた。ユリウスも素早く制服を整え、腰のベルトを締める。


 二人は部屋を出て、点呼の集合場所へ向かった。基地内の廊下は無機質な金属の壁に囲まれ、朝の冷気が肌を刺すようだった。周囲では他の兵士たちも次々と部屋から出てきており、みな無言のまま指定された場所へと向かっていた。

 点呼場は無機質な会議室で、冷たい蛍光灯が頭上で淡々と光を放っていた。灰色のコンクリートの壁には不要な装飾は一切なく、机と椅子すらない。唯一目を引くのは、壁にかかった軍の標章と、規律を記したプレートのみだった。すでに多くの兵士が整列しており、空気には張り詰めた緊張感が漂っている。武骨なコンクリートの地面には霜が薄く張り、吐く息が白く濁る。


「お前ら、のんびりしてる暇はないぞ」


 低く響く声が背後から聞こえた。

 振り向くと、ヴィクトル・シュナイダーが腕を組んで立っていた。鋭い眼光を持つ男で、短く刈り込まれた黒髪は無駄のない整え方がされている。無骨な顔立ちには戦場で刻まれた傷が一本走り、彼の経験を物語っていた。無駄な動きの一切ない立ち姿は、彼が長年戦場に身を置いてきたことを容易に想像させる。いつもの冷静な表情を崩さぬまま、ユリウスとクラリスをじっと見つめている。


「昨夜はよく眠れたか?」


 ユリウスは一瞬答えに詰まった。クラリスも口を開きかけたが、ヴィクトルの目を見て、ただ小さく肩をすくめる。


「……まあ、普通に」


 ユリウスが小さくため息をつきながら答えた。


「“普通”って何よ。ここに来てからまともに経っていないのよ」

「昨日は比較的静かだった。それだけだ」


 ヴィクトルが補足と言わんばかりに答えた。


「寝言でも言ってたら、殴ってやろうかと思ったけどね」


 クラリスが冗談めかして言うと、ユリウスは肩をすくめた。


「そうか」


 ヴィクトルはそれ以上何も言わず、前を向いた。


「他の隊員はどうしたんです?」


 ユリウスが問いかけると、ヴィクトルは短く息を吐いた。


「今は機体のメンテナンス中だ。昨日の戦闘で損傷したオルドの修理が優先されている。特にフレーム部分の調整が必要な機体が多い」


 彼は腕を組みながら説明を続けた。


「それに、メンテナンスは整備兵だけの仕事じゃない。操縦士も可能な限り点検に立ち会い、自分の機体の状態を把握しておくのが基本だ。お前たちも、今日からそれを学ぶことになる」


 そのすぐ近くには、コンラート・ヴェルナーとエミール・フォルクナーの姿もあった。


 コンラート・ヴェルナーは、鋭い目つきで周囲を睨むように見渡していた。短く刈り込まれた焦げ茶色の髪は、長年の戦場生活で無造作に荒れ、無精ひげが顎のラインをうっすらと覆っている。顔には古い傷跡が一本走り、彼の厳格な表情をさらに険しく見せていた。軍服の襟元は少し開いており、戦闘服の下から覗く筋肉質な首筋が、彼の屈強な体躯を物語っている。腕を組んだまま足を肩幅に開き、その立ち姿には迷いのない自信と、戦場を知り尽くした男特有の冷徹さが滲んでいた。


 エミール・フォルクナーは、対照的に気だるげな雰囲気を漂わせていた。金色に近い淡いブロンドの髪は無造作に伸ばされ、前髪が時折視界を遮るのを鬱陶しげに払いながら、片手をポケットに突っ込んでいる。鋭利な印象のコンラートとは違い、エミールの顔立ちはどこか中性的で、軽薄そうな微笑みを湛えていることが多い。しかし、よく見るとその瞳は鋭く、長年の経験で培われた観察眼が光っていた。袖を無造作にまくり上げた作業服は所々油で汚れ、整備兵としての彼の役割を物語っている。ちらりとユリウスたちを見やる視線には、何かを測るような冷静さがあった。


 二人の対照的な姿が、そこにあった。


「お前たち、新入りだな?」


 エミールが先に口を開いた。低く落ち着いた声だった。


「ユリウス・ハルトマンです。昨日の戦闘で配属されました」


 ユリウスが名乗ると、クラリスも続いた。


「クラリス・フォーゲル。操縦士よ」


 エミールは軽く頷き、次にコンラートへ視線を向ける。コンラートは少し間を置いてから、渋々といった様子で口を開いた。


「コンラート・ヴェルナー。レイヴンズ・コールの操縦士だ」


 コンラートはユリウスを一瞥し、わずかに目を細める。


「お前、整備兵なのに妙に場馴れしてるな」

「そうですか?」

「他の新兵はもっと怯えてるもんだがな」

「生き残るためには、状況に適応するしかないでしょう」

「フン……余計なことを考えなきゃ、長生きできるかもな」


 コンラートの言葉に、クラリスが小さく眉をひそめたが、何も言わずに様子を見ていた。

 簡潔な自己紹介だったが、その目にはどこか探るような光があった。特にユリウスに向ける視線には、微妙な感情が滲んでいる。

 続いて、隣に立っていた二人の整備兵が一歩前に出た。


「エルンスト・バウアー。機体整備を担当してる。ま、壊すなよ、新入り」


 短く笑いながら、エルンストと名乗る男が肩をすくめた。


 彼の年齢は二十代半ばほど。軍服を着てはいるが、どこか砕けた雰囲気を纏い、規律に縛られることを嫌っているように見える。顔には無精ひげが伸び、日に焼けた肌には戦場の埃が薄くこびりついていた。頬骨がやや張った精悍な顔立ちだが、その表情はどこか気の抜けたものに見える。

 髪は灰色がかった茶色で、適当にかき上げたような無造作なスタイル。前髪が長めで、時折視界を遮るのを手で払いながら話す癖がある。切れ長の目は鋭さを感じさせるが、半分眠たげにも見え、緊張感のない笑みを浮かべると、その印象はさらに柔らかくなる。

 軍服の上衣は着崩し気味で、袖を適当にまくり上げ、襟元は開けられている。腰には規定通りの装備がぶら下がっているものの、ベルトの締め方はどこかルーズだ。ブーツには土埃がこびりつき、ズボンの膝には擦れた痕跡がある。

 全体的にどこか無頓着な印象を与えるが、彼の仕草には一種の余裕があり、戦場を渡り歩いてきた者特有の適応力と、場の空気を読む鋭さが滲んでいる。


 リカルド・メンデスは、一見してただ者ではない雰囲気を漂わせていた。

 日焼けした肌は褐色に近く、鋭い輪郭の顔立ちはどこか彫刻のような精悍さを持っている。額には深い皺が刻まれ、戦場の陽光と風砂に晒され続けてきたことを物語っていた。目は暗い琥珀色をしており、どんな状況でも冷静さを失わない氷のような光を宿している。まぶたの端にはわずかな傷跡がある。

 黒に近い濃い茶色の髪は短く刈られているが、軍規に従いすぎることなく、わずかに無造作に伸びている。顎には手入れされた短い髭が生え、無精なようでいて、その実、計算された粗野さを演出しているようにも見える。

 軍服の着こなしは乱れがなく、装備の配置も機能的で隙がない。胸元には弾痕の跡がわずかに残るが、それを気にする素振りもなく、ただの戦歴の一部として受け入れているようだった。ベルトには規定の装備のほか、使い込まれたナイフの鞘がぶら下がっている。それは磨かれてはいるが、刃の僅かな欠けや傷が実戦の回数を示していた。

 ブーツは埃を被りながらも磨かれており、歩くたびに硬質な音を立てる。姿勢は無駄がなく、常に臨戦態勢を崩さない。腕を組んだときに浮かぶ筋肉は、鍛え上げられた肉体の証明であり、それが彼の威圧感をさらに増していた。


「リカルド・メンデス。俺も整備だ。機体を扱う時は慎重にな、あんまり余計な負担かけられると困る」

「それってつまり、乗り手の腕次第ってこと?」


 クラリスが少し得意げに言うと、エルンストがニヤリと笑った。


「お嬢ちゃん、自信満々だな」

「当然でしょ。私は“壊さない”操縦士よ」

「だったら、俺たちの仕事も減るってもんだ。頼むぜ」


 リカルドは真面目そうな口調で言いながらも、どこか気さくな雰囲気を漂わせていた。


「了解しました」


 ユリウスが頷くと、ヴィクトルが軽く手を叩いた。


「さて、全員そろったな。今日からお前たちは正式にレイヴンズ・コールの一員だ。いいか、ここでは生き残ることが最優先だ。無駄なプライドも、余計な感傷も戦場じゃ足手まといになる」


 その言葉に、一同は静かに頷いた。

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