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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Episode 1 血煙洗礼 -Baptism of Welcome- Part 5

 戦場は依然として混乱の只中にあった。しかし、新たに到着したレイヴンズ・コールの存在が、徐々にその流れを変えつつあった。

 ユリウスは肩で息をしながら、オルドの巨体を見上げた。漆黒の装甲が血と泥にまみれ、関節部から蒸気を吹き上げる。その姿はまるで死神の降臨のようだった。


『敵勢力の掃討を開始する。新兵は後方へ退避しろ』


 無線からヴィクトルの低い声が響いた。その言葉とは裏腹に、戦場ではまだ敵の残党が徘徊している。スプロウトが跳躍し、倒れた兵士の死体へと取り付くのが見えた。肉体を操る恐怖の兵器。ユリウスは手が震えるのを抑えながらライフルを構えた。


「ユリウス、行くわよ!」


 クラリスが叫ぶ。彼女の目は未だ戦意に満ちていた。ユリウスは短く息を吐くと、彼女に続いた。

 レイヴンズ・コールのオルドが前進し、次々とマローダーを殲滅していく。ライフルの弾丸が正確に敵の外骨格を撃ち抜き、ブレードが肉のような装甲を裂く。その動きには、これまでの新兵たちの戦いとは明確な違いがあった。


 これは――“本物の戦闘”だ。

 ユリウスはただ、圧倒されるしかなかった。


「お前ら、何を突っ立っている!動け!」


 怒声が飛ぶ。第七機動歩兵隊ヘルダイバーズが、レイヴンズ・コールと共に戦場へ急行してきたのだ。第七機動歩兵隊ヘルダイバーズ隊長、レオポルド・シュトラッサーが泥まみれの顔に焦燥の色を浮かべながら叫ぶ。


「負傷者の収容は禁止だ!自力で動けない者は……もう終わりだ!」


 その言葉にユリウスは息を呑んだ。生存者を見捨てろというのか。しかし、戦場を見渡せばスプロウトが這い回り、死体へと取り付いているのが分かる。負傷者を収容すれば、そのまま二次感染のリスクを負う。指揮官たちは、その現実を知っているのだ。


「……ッ!」


 ユリウスは奥歯を噛みしめた。ほんの数時間前まで共にいた新兵が、地面に倒れたままこちらを見ている。助けを求めるように手を伸ばしていた。


「動ける者だけ走れ!立てない者は……諦めろ!」


 レオの声が、戦場に響いた。

 それが、“戦争”だった。


 ユリウスはクラリスとともに後方へと走りながら、振り返った。レイヴンズ・コールのオルドとヘルダイバーズの歩兵たちが、未だ戦闘の渦中にあった。マローダーの群れは決して少なくはなく、スプロウトは戦場を跳ね回っている。

 レオの部隊は装甲歩兵を前面に配置し、慎重に前進していた。彼らは戦場での経験を積んでおり、無駄な動きをしない。隊員同士の連携は完璧で、必要な場面でのみ射撃を行い、確実に敵を仕留めていた。


「レイヴンズ、前進する!囲まれるな!」


 ヴィクトルのオルドが突撃し、鋭いブレードを振るう。マローダーの外骨格が裂け、黒い体液が飛び散る。その後ろでは、クラリスのオルドがカバーに入り、ライフルを精密に撃ち込んでいた。

 ユリウスは息を整えながら、退避地点へと駆け込んだ。そこには、すでに避難した新兵たちが息を切らしていた。彼らの目は恐怖と混乱に満ちていた。


「……これが、本当の戦争なのか……?」


 誰かが呟いた。

 しかし、誰も答えられなかった。

 戦場では、まだ戦いが続いていた。

 数時間後、戦闘はようやく終結した。


 戦場には静寂が広がっていた。だが、それは決して安堵の静けさではない。空気には焼け焦げた金属の匂いが漂い、そこかしこに転がる死体が無残に地面を赤黒く染めていた。

 ユリウスは呆然とその光景を眺めた。かつて仲間だった兵士の亡骸が、砕かれた装甲車の脇に積み上げられている。どれが誰なのか識別することすらできなかった。


 負傷者の呻き声もない。ただ、死の気配だけが重くのしかかる。


「……こんなものなのか……」


 声が震えていた。クラリスもまた無言で周囲を見渡し、唇を噛んでいる。


「どうにもならねえさ」


 レオが戦場の残骸を見下ろしながら、ぼそりと呟いた。


「俺たちは“運良く”生き残った。それだけだ」


 彼の言葉には、何の感情もこもっていなかった。ただ、それが戦場の現実であるかのように、淡々とした口調だった。


「戦死者は――報告書に記録され、次の補充兵が送られる。誰もがそうして死んでいくんだよ」


 ユリウスは唇を噛みしめた。歯を立てるほどに、乾いた鉄の味が滲む。

 彼の視界には、幾重にも折り重なった影があった。それは兵士たちの成れの果て。無造作に横たわる身体、泥に沈んだ手、見開かれたままの瞳。すでに意識を宿すことのないそれらは、まるで砂漠に打ち捨てられた彫像のようだった。

 戦いの終焉がもたらすものは、歓喜ではなく、ただ虚無だけ。銃声が消えた今、辺りを支配するのは、風が奏でる乾いた音と、低くうねる炎の残響のみだった。


 ふと、風が吹き抜けた。

 焼け焦げた兵士の装備の隙間に、さらさらと砂が舞い込む。壊れた義肢の隙間から、ひび割れたヘルメットの内側へと、細かな粒子が静かに忍び込む。大地に刻まれた無数の足跡は、そのままの形で凍りついていた。進んだ者、逃げた者、倒れ伏した者――それらはもはや誰にも踏み締められることなく、ただ風にさらされ、次第に輪郭を失っていく。


 そして、すべては、ゆっくりと、音もなく埋もれていくのだ。


「俺たちも行くぞ」


 レオが振り返る。

 吹き荒れる風が、彼の視界を砂で曇らせた。焦げた大地、引き裂かれた金属、泥に沈んだ影。すべてが、無言のままそこに転がっている。かつて意思を持ち、呼吸し、命令に従っていたはずのものが、今はただの残骸と化していた。


 ヴィクトルもまた、黙って頷いた。

 その瞳に映るのは、勝利ではない。敗北でもない。ただ、何も変わらぬ戦場の光景。誰かの叫びも、最後の願いも、吹きすさぶ砂とともに消えていく。彼は知っていた。この場所は、ほんの数時間後には忘れ去られ、次の戦いが始まることを。


 そして、彼らは歩き出した。

 何も語らず、何も振り返らず。

 足跡だけが、荒野に刻まれる。だが、それもやがて風にさらわれ、何もなかったかのように消えていく。戦争はそういうものだ。生き残る者に、余計な感傷を許さない。


 ただ、砂と灰だけが、いつまでも彼らの影を追い続ける。


     〇


「戦場に立ったその瞬間から、お前はもう昨日のお前ではない。

 硝煙に染まる空の下、誰もが初めて"歓迎の宣告"を受ける。

 それは、生者への試練であり、死者からの遺言だ。

 ——さあ、生き延びてみせろ。」


 誰かがそんな言葉を呟いた気がした。

 物語は始まる。


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