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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅱ 赫焔
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Episode 5 余燼残響 -Echoes of Dying Embers- Part 2

 司令部の空気は、戦闘が終わったあとも少しも静まらなかった。


 むしろ、銃声が遠のいたぶんだけ、別のざわめきが露わになっていた。

 報告。修正。確認。再送。怒声。短く切られる命令。途切れた回線の復旧要求。損耗一覧の更新。戦況図の差し替え。誰かの苛立った舌打ちと、別の誰かの疲れ切った返答。それらすべてが重なり合い、薄暗いオペレーションルームの天井へ、出口のない雑音として滞留していた。


 リリィは管制卓の前に立ったまま、モニターの光に青白く照らされた自分の指先を見ていた。


 震えている。


 それを止める暇もなく、次の報告が上がってくる。

 彼女は息を整え、震えを見なかったことにして、目の前の画面へ視線を戻した。


 戦闘詳報。

 暫定記録。

 フォート・グラーデン司令部中枢区画、内部侵入戦。

 味方被害多数。敵機撃破数、なお集計中。

 その記録群の中に、ひときわ異様な波形があった。


 第十二独立戦闘群所属、新兵、クラリス・フォーゲル。

 搭乗機体、ORD-4.1。

 整備未了機。

 強制起動。

 火器系統、使用不能。

 神経リンク率――異常上昇。


 その数値を見ただけで、喉の奥がきゅっと縮む。


 五十。

 六十。

 七十。

 それでも止まらず、記録上のピークは、訓練課程の許容値を明らかに踏み越えていた。


 あり得ない。

 何度見返しても、その感想しか出てこない。


 新兵に出る数値じゃない。

 未調整機に出ていい応答じゃない。

 しかもそれが、補助制御も武装支援もろくに働かない状態で、あれだけの近接機動を成立させている。


 主画面の端では、簡易再生された戦闘ログが無音で流れていた。

 赤い警報灯の下、火器を持たないオルドが、敵を叩き伏せ、掴み、床へ叩きつけ、投げる。重い、鈍いはずの鋼鉄の巨体が、まるで相手の動きの先を読んでいるみたいに間合いへ入り込み、最小限の動作で急所だけを潰していく。


 見れば見るほど、背筋が冷える。


「戦闘記録、第三ブロックを拡大」


 低い声が飛んだ。

 司令卓の奥、上級参謀の一人が手元の表示板を叩く。すぐに画面が切り替わり、クラリス機の接近戦ログがさらに細かく分割表示された。姿勢制御の乱れ。片脚の応答遅延。補助出力不足。どれも機体側の不利を示している。なのに結果だけが、それに反していた。


「……説明しろ」


 その一言は、リリィに向けられていた。


 胸の奥がひやりと冷える。

 彼女は一度だけ唾を飲み込み、表示を確認してから答えた。


「当該機は、整備途中の予備機でした。主駆動系の同調未完了、火器リンク不全、左脚アクチュエータに応答遅延があります。通常の出撃は想定されていません」

「そんなことは見れば分かる」


 別の声が遮る。

 冷たく、苛立ちを隠そうともしない声だった。


「聞いているのは、なぜこれで動いたのかだ」


 リリィは息を詰めた。

 分からない。

 そんなことは、彼女自身が一番聞きたかった。


 なぜ動いたのか。

 なぜあれだけのリンク率が出たのか。

 なぜ、火器もない機体で、あんな戦い方ができたのか。


 だが「分かりません」と返して済む場ではなかった。

 ここは司令部で、彼女はただの後方オペレーターに過ぎない。発言権は小さい。小さいが、記録を直接見ていた人間として、答えを求められる立場にはいる。


「現時点では……断定できません」


 慎重に言葉を選びながら、リリィは続ける。


「ただ、神経リンクが通常の手順を飛び越えて、機体側の応答層へ深く接続した可能性があります。操縦補助を介するというより、機体感覚そのものを強引に引き寄せた形です」

「強引に?」

「はい。正常な同期とは言えません。むしろ、制御失敗とほぼ同義」


 その言葉を待っていたかのように、ひとりの将校が前へ出た。


「ならば話は簡単だ。危険だということだ」


 その声音には、すでに結論があった。


「再現性不明。制御不能の恐れあり。未調整機を強制起動し、しかも規定外の深度で神経リンクを成立させた。兵士として評価する以前に、これは明白な異常事例だ。本人は即時保護、監視下へ移すべきだろう。再搭乗は禁止。外部接触も制限した方がいい」


 保護。

 監視。

 禁止。

 制限。


 やわらかい言葉を使っていても、その実態が何かくらい、リリィにも分かった。

 軟禁。

 隔離。

 精査対象。


 胸の奥が鈍く痛む。

 けれど、異論はすぐ別の場所から飛んだ。


「待て。それは余りにも非、合理的だ」


 今度の声は、もっと露骨だった。


「戦況を見ろ。前線は消耗している。ファントムドーン参加部隊はまだ交戦中、フォート・グラーデンの奪還も完全にはしていない。そんな中で、明確な戦果を出した適合事例を寝かせておく余裕がどこにある?」


 リリィは視線を上げる。

 その男は、主に戦況管理と戦力再編を担当する部局の人間なはずだ。つまり、人員を数字として扱うことに慣れた目をしていた。


「結果が出ている以上、前線実証を優先すべきだ。少なくとも再度の搭乗試験は必要だろう。士気面でも価値がある。“新兵による基地防衛成功”は使える。今の状況で必要なのは恐慌の抑制だ」


 意味を理解し、それが合理的であると思っても、吐き気がした。


 使える。

 価値がある。

 士気面。


 そのどれにも、クラリス本人の心身は入っていない。

 彼女があの戦闘のあと、まともに立つことすらできなかったことも。ユリウスを見つけて駆け寄ろうとして、数歩でよろめいたことも。まだリンクの残滓に身体感覚を狂わされていることも。そういうものは、この場では最初から存在しないことになっていた。


「……再搭乗は危険です」


 気づけば、リリィは口を開いていた。


 しまった、と思った時には遅かった。

 複数の視線が一斉に自分へ向く。部屋の温度が一段下がったような気がした。


 けれど、もう引き返せなかった。


「記録上、あのリンクは安定ではありません。たまたま成立したようなものです。次も同じ反応が出る保証はありませんし、本人の神経系へどれだけ負荷がかかっているかも、まだ――」

「君は医務局の人間か?」


 鋭い声が遮る。


 リリィの言葉はそこで切られた。

 静まり返ったわけではない。むしろ逆だった。ざわめきが、一段細かく、険しくなる。


「意見具申は求めていない。事実だけを述べろ」


 喉がつまる。

 リリィはほんの一瞬だけ言葉を失い、それから視線を落とした。


「……失礼しました」


 自分でも驚くほど平坦な声だった。

 感情を押し込めることだけに意識を使ったからだ。


 事実だけ。

 記録だけ。

 数字だけ。


 それが、この場で自分に許されている役割だった。


 議論はそのまま続いた。


 危険視する者たちは、クラリスを軍医局と技術局の合同管理下に置くべきだと主張した。本人の意志は関係ない。今後の再発性、適合性、暴走性、敵との関連性――そういった言葉が次々と並び立てられ、彼女は一人の新兵ではなく、検体じみた語られ方をされていく。


 一方で再投入派は、損耗率、戦力不足、宣伝効果、士気維持、実戦投入の可能性を並べて、あの異常を“活用資源”として処理しようとした。危険性は理解したうえで、それでも使うべきだと。使い潰すことも計算に入れた口調で。


 どちらも、同じに見えた。


 檻に入れるか。

 旗にするか。

 違いはその程度でしかない。


 リリィは黙って立っていた。

 モニターの光が頬に当たる。手元の端末には、クラリス機のログがまだ開かれたままだ。異常なリンク波形。未調整機の再起動ログ。徒手戦闘時の過剰応答。全部が、まるで今も画面の中で燃え残っているみたいに、ちらちらと赤く明滅していた。


 発言権はない。

 それは最初から分かっていた。


 彼女がここで何かを言っても、結論を覆せるわけではない。

 ヴィクトルはまだ前線だ。レオポルドも前へ出ている。現場を知る者の声が届きにくいこの場所では、戦場で実際に何が起きたかより、その結果をどう利用するかの方が先に議題になる。


 だから、リリィは見守るしかなかった。


 見たくもない議論を。

 クラリスが“どうするか”ではなく、“どうされるか”を決められていく、その推移を。


 画面の隅で、前線状況の更新マーカーが点滅した。

 ファントムドーン参加部隊、なお交戦継続。

 ヘルダイバーズ、一部部隊が奪還作戦を維持。

 レイヴンズ・コール主力、依然前線。


 その文字列を見たとき、リリィはほんのわずかに呼吸を止めた。


 まだ戻ってきていない。

 まだ、こちらへ手を伸ばせる人間がいない。


 司令部の議論は続く。

 結論はまだ出ない。

 だがその宙吊りの時間そのものが、逆に嫌な予感を膨らませていた。


 決まってしまえば終わる。

 けれど今は、まだ決まっていない。

 だからこそ、誰の思惑でも、いくらでも入り込める。


 リリィは唇の裏を噛んだ。

 口の中に、かすかに鉄の味が広がる。


 クラリスは、今ごろどこで何を思っているのだろう。

 ユリウスの傷はどの程度なのか。

 あの二人は、自分たちがもう司令部の机の上へ載せられていることを、まだ知らないかもしれない。


 知らないままでいてほしい、と一瞬だけ思った。

 すぐに、その願いがあまりに幼稚だと分かって、胸の奥がひどく冷えた。


 そんな祈りで守れる場所は、もうどこにもない。

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