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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅱ 赫焔
51/54

Episode 4 斃地再起 -To Rise Anew Where I Was Broken- Part 5

 立った。


 その事実を、クラリスはすぐには理解できなかった。


 視界の中で警告表示がまだ赤く点滅している。左脚駆動異常、姿勢制御不安定、武装リンク未接続、神経リンク低安定域――どれも消えていない。正常とはほど遠い。今にも転倒して、そのまま機体ごと床へ叩きつけられるはずだった。


 なのに、オルドは立っていた。


 格納庫の床を踏みしめる感触が、自分の足裏に重なる。鋼鉄の指がわずかに開閉するたび、その重さが自分の手の骨へ返ってくる。首を巡らせれば、視界もまた人のものではなく、巨大な頭部センサーの旋回として動く。


 重い。

 なのに、遠くない。


 自分の身体ではない。

 それでも、もう“ただの機械”とも思えなかった。


『クラリス、聞こえる!?』


 リリィの声が飛ぶ。

 だが、その声はどこか遠かった。


 主モニターの隅で、リンク率の表示が跳ねる。


 ――NEURAL LINK RATE 41%

 ――47

 ――53


「え……」


 思わず、声が漏れた。


 上がっている。

 異常な速度で。


 さっきまで不安定な赤域を這っていた数値が、何かに引きずり上げられるように一気に上昇していく。理解が追いつかない。何もしていない。特別な操作もしていない。ただ、操縦桿を握り、前を見ているだけだ。


 なのに、オルドの輪郭が急に近くなる。


 膝関節のわずかな遊び。

 左脚の不調で荷重をかけすぎると軸が流れる感覚。

 右腕フレームの応答が、ほんのわずかに速いこと。

 装甲の重さ。

 背部ユニットの癖。

 それら全部が、一斉に“分かってしまう”。


 知識ではない。

 感覚だった。


 こう動けば崩れる。

 こう踏み込めば耐える。

 どこまでなら壊れずに持つのか。

 どこから先は無理なのか。


 まるで最初から、この身体を知っていたみたいに。


『火器系、全部死んでる!』


 リリィの声が、今度ははっきり聞こえた。


『右腕射撃制御オフライン、左腕マウント未接続、高周波ブレードも起動不能! クラリス、その機体まともな武装がない!』


 ない。


 その報告と同時に、主モニターに赤い表示が並ぶ。


 ――WEAPON SYSTEM : OFFLINE

 ――FIRE CONTROL : ERROR

 ――HARDPOINT LOCK : OPEN


 クラリスは息を呑んだ。


 敵は、もう目の前だった。


 マローダーが格納庫の床を滑るように散開し、こちらを包み込む角度で間合いを詰めてくる。火器のないオルド。損傷した機体。負傷した操縦者。状況は最悪だった。


 それでも、逃げるという選択肢はなかった。


 ユリウスがいる。


 モニターの隅、格納庫床面に小さく映るその姿が、まだ敵の近くにいる。脚を庇いながら、それでも立っている。その背中が見えた瞬間、クラリスの胸の奥で何かが一気に熱を帯びた。


 リンク率がさらに跳ねる。


 ――61%

 ――68%

 ――74%


『待って……何この上がり方……』


 リリィが息を呑む。


『クラリス、あなた今――』


 その続きは聞こえなかった。


 一体のマローダーが跳んだ。

 真っ直ぐ、オルドの胸部へ。


 クラリスは咄嗟に防ごうとした。

 腕を上げるつもりだった。


 だが、実際に起きたのは、それよりずっと速い動きだった。


 オルドの右腕が、彼女の思考より先に振り抜かれていた。


 重い鋼鉄の拳が、斜め下から敵の胴を打ち上げる。

 金属同士が激突する轟音。

 跳躍の勢いを完全に崩されたマローダーが宙で回転し、そのまま整備足場へ叩きつけられる。


「……え」


 クラリス自身が、一番驚いていた。


 今の動きは、偶然ではない。

 防御でもない。

 完全に、迎撃の打撃だった。


 しかも、最短で急所を潰すような軌道で。


 次の一体が側面から踏み込んでくる。

 クラリスは反射的に身を引こうとする。するとオルドは、左脚の不安定さを庇うように重心を右へ逃がし、肩を捻り、そのまま体当たりに近い形で敵を受け流した。


 受け流すだけでは終わらない。


 鋼鉄の左手が敵の腕を掴む。

 壊れかけたアクチュエータが悲鳴を上げる。

 それでもオルドは止まらず、そのまま捻り上げ、敵機を半身ごと床へ叩き落とした。


 床が揺れる。


 衝撃が、神経リンクを通してクラリスの背骨を打った。


 重い。

 痛い。

 怖い。

 なのに、自分の中の別の何かが、それを“できる”と理解していた。


 理解ではない。確信だった。


 まだ来る。


 気づいたときには、オルドはすでに前へ出ていた。


 火器はない。

 刃もない。

 あるのは、機体そのものの質量と、腕と脚と、鋼鉄の指だけだ。


 それだけで十分だと、今のオルドは知っているみたいだった。


 一体目へ踏み込み、胸部へ掌底のように右腕を打ち込む。

 怯んだところへ膝を叩き込み、姿勢を崩した敵の頸部を左手で掴む。

 そのまま持ち上げる。

 有り得ない、とクラリスは思った。こんな重量物を、こんな体勢から。しかも未調整機で。だがオルドはやってのける。


 掴んだ敵機を、背後から迫ってきた別個体へ叩きつける。


 激突。

 二体まとめて吹き飛ぶ。


『おい……』


 ヴィクトルの声だった。

 低く、押し殺された声。


『なんだ、あの動きは……』


 クラリスも同じことを思っていた。


 教本通りではない。

 演習とも違う。

 新兵の初陣どころの話ではなかった。


 そこにあったのは、もっと直感的で、もっと危うい、なのに異様なまでに洗練された近接戦闘だった。最適化されているのに、型がない。乱暴なのに、無駄がない。まるで敵の動きが見えているのではなく、敵が動く前に“そこへ来る”と身体のほうが知っているみたいだった。


 リンク率が、さらに上がる。


 ――81%

 ――86%


『嘘でしょ……』


 リリィの声が震える。


『こんなの、普通じゃない……』


 敵が三方向から同時に来る。


 普通なら詰みだった。

 火器なし。機体損傷。左脚異常。

 それでもクラリスの中には、不思議な静けさが生まれていた。


 怖い。

 それは消えていない。


 けれど、恐怖の中心にあったはずの“動けない”という感覚だけが、今はなかった。


 来る。

 左。上。正面。


 そう思った瞬間、オルドが動く。


 上から降る一体へ、踏み込まずに迎撃。最小限の頭部旋回で軌道を外し、肩でぶつけて回転を崩す。

 正面の一体には、半歩だけ前へ出て懐へ潜る。

 潜った時点で勝負はついていた。敵の重心が浮いたのを感じた瞬間、クラリスは自分でも驚くほど自然に操縦桿を引いていた。オルドの両腕が敵の胴を抱え込み、そのまま持ち上げる。


 重い。

 でも持てる。


 リンクの向こうで、機体の軋みが悲鳴を上げる。

 それでもクラリスは止めなかった。


「――っ、ぁああッ!」


 自分の喉から出たとは思えない声だった。


 オルドは敵を真横へ叩きつけた。

 吹き飛んだ金属の塊が、左から回り込んでいた個体を巻き込み、まとめて格納庫の支柱へ激突する。


 轟音。

 火花。

 赤い警報灯の中で、鋼鉄同士の衝突が閃く。


 クラリスは荒く息を吐いた。


 自分が戦っている。

 しかも、徒手で。

 まともな武器もない未調整機で、敵を押している。


 有り得ない。

 なのに、オルドの神経リンクは否応なしにそれを現実として突きつけてくる。敵機の重さ。床の反動。拳が装甲へめり込む鈍い手応え。全部が、彼女の身体感覚として流れ込んでくる。


 痛いほど生々しかった。

 そして、恐ろしいほど鮮明だった。


 次の瞬間、最後に残った一体が、低く姿勢を落として真正面から突っ込んでくる。真正面から受ければ、こちらもただでは済まない。左脚は持たない。崩れる。


 そう分かった。


 分かった上で、クラリスの手は迷わなかった。


 オルドは一歩も退かない。

 右脚だけで床を踏み抜くように踏ん張り、わずかに腰を沈める。

 真正面から突っ込んできた敵の頭部を、両手で受け止める。


 凄まじい衝撃がリンクを逆流し、クラリスの歯が鳴る。

 視界が跳ねる。

 左肩が悲鳴を上げる。


 それでも、離さない。


 敵の推力を受け止めたまま、オルドは半身を捻る。

 ほんのわずか、ほんとうに紙一枚分だけ軸をずらす。

 そのずれだけで、敵の突進はまっすぐな破壊ではなく、制御を失った滑走へ変わる。


 今だ、と理解した瞬間には、クラリスはもう動いていた。


 鋼鉄の腕を交差させ、敵の頸部と肩を押さえ込み、そのまま全重量をかけて床へ叩き伏せる。


 格納庫全体が揺れた。


 沈黙。


 赤い灯だけが、明滅していた。


 クラリスは、しばらく息をするのも忘れていた。

 主モニターの中央では、リンク率がなお高い数値を維持したまま、不気味なほど安定している。


 ――NEURAL LINK RATE 89%


 あり得ない。

 こんなの、絶対におかしい。


 自分は新兵だ。

 ついさっきまで、恐怖で引き金も引けなかった。

 そんな自分が、なぜこんな動きができるのか。

 なぜこの機体は、自分の迷いを置き去りにするみたいに戦えるのか。


 分からない。

 何ひとつ。


 けれど、ひとつだけ確かなことがあった。


 オルドは、まだ戦える。

 そして自分も、まだここで止まれない。


 モニターの端に、ユリウスの姿が映る。

 それを見た瞬間、クラリスは荒い呼吸のまま、操縦桿を握り直した。


 自分でも信じられないものに乗っている。

 自分でも信じられない動きをしている。

 それでも。


 それでも今、この鋼鉄の身体は、確かに自分の意志に応えている。


 クラリスは息を吸い、震えの消えない声で、それでもはっきりと呟いた。


「……まだ、終わってない」

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