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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅱ 赫焔
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Episode 4 斃地再起 -To Rise Anew Where I Was Broken- Part 4

『もう……嫌なの。でもなんでなの。……なんで動かないの』


 動かない鉄の塊の中で、少女の声だけが繰り返していた。


 司令部のオペレーションルームで、その音声は微かなノイズをまとったまま、リリィの耳へ届いていた。


 薄暗い管制卓の上では、非常電源へ切り替わった補助モニターが不安定に明滅し、戦術マップの一部はすでに欠けている。敵の妨害と内部損傷のせいで、情報は途切れ途切れだった。格納庫内部の映像も、固定カメラの一台が死んでいるせいで角度が悪い。映るのは、半ばまで閉じたハッチ、赤い警報灯、そして起動不全を示すオルドの識別枠だけ。


 それでも、分かることは分かってしまう。


 ――駄目だ。


 リリィは、それを知っていた。


 未調整機。

 不完全な主駆動。

 再検査前の神経リンク。

 識別未完了の緊急起動。


 どれか一つだけでも十分に危険なのに、今の機体はその全部を抱えたまま、無理やり立たされようとしている。こんなものは操縦ではない。正規手順から外れた、ほとんど事故と紙一重の接続だ。普通ならリンクが弾かれる。仮に通っても、駆動側が追いつかない。たとえ奇跡的に立ち上がれたとしても、まともに歩ける保証すらない。


 ヴィクトルがあれほど即座に止めたのも、当然だった。

 隊長としてではなく、戦場を知る者として。

 そしてリリィ自身もまた、オペレーターとして、何よりそれが分かっていた。


 分かっている。

 分かっているからこそ、もう止める言葉の方が空虚に思えた。


「神経リンク安定率、依然30以下……駆動同期、回復なし……」


 誰に言うでもなく、リリィは数値を読み上げる。

 それは確認というより、ほとんど諦めの作業だった。数字にすれば、期待しなくて済むからだ。感情ではなく、数値だけを見ていれば、この先に起こる失敗も受け入れられる気がした。


 けれど、その一方で。


 その一方で、リリィの胸のどこかは、まだ愚かしいほどに祈っていた。


 動いて。

 お願いだから。

 たった一歩でいいから。


 そんな願いは、オペレーターとしては失格だ。

 機械は願いでは動かない。理屈と整備と手順でしか動かない。そんなこと、訓練で何度も叩き込まれてきた。オルドは祈りに応える神話の巨人ではない。ただの兵器だ。鋼鉄と回路と燃料と神経接続で成立している、冷たい戦闘機械にすぎない。


 ――なのに。


 リリィは画面の向こうで、小さく項垂れるクラリスの背中から目を離せなかった。


 震えていた。

 肩も、指先も、声も。

 たぶん今すぐにでも泣き出してしまいそうなほど、あの子は追い詰められている。それでも逃げない。リンクを切らない。壊れたみたいに「なんで」と繰り返しながら、それでもなお操縦桿から手を離さない。


 その姿は、どうしようもなく痛々しくて、どうしようもなく愚かで――そして、ほんの少しだけ、美しかった。


 リリィは唇を噛む。

 オペレーションルームの空気は冷えているのに、指先だけが熱かった。


『……クラリス』


 通信を開く。

 言葉を選ぶ余裕はなかった。


『聞こえる……? たぶん、その子……まだ完全には寝てない』


 返事はない。

 けれど、リリィは続けた。


『オルドは、ただの操縦桿じゃ動かない。神経リンクは、機体の感覚と操縦者の感覚を噛み合わせるためのもの。今のあなたは、まだ“動かそう”としてるだけ。でも、あの子が欲しがってるのは、たぶんそれじゃない』


 自分でも、何を言っているのか半分しか分からなかった。

 理屈で説明できる話ではない。

 こんなのは、整備教本にも操縦マニュアルにも載っていない。


 それでもリリィは、画面の向こうの少女へ向けて、ほとんど独り言みたいに囁いた。


『感じて。どこが死んでて、どこがまだ生きてるのか。脚が駄目なら、駄目なままいい。全部動かそうとしなくていい。その子が、今どこまでなら応えられるのか……ちゃんと見てあげて』


 沈黙。


 モニターの中央で、神経リンク波形がゆっくりと揺れる。

 不規則で、乱れていて、とても安定とは言えない波形。

 けれど、さっきまでの完全な断絶ではなかった。


 リリィは息を止めた。


 オルドの起動シーケンスは、本来もっと無機質だ。

 電源投入。

 回路接続。

 同期確認。

 駆動試験。

 許可認証。

 順序よく、誤差なく、感情の入る余地などないまま、ただ機械的に進んでいく。


 でも今、格納庫の中で起きているそれは、そんな整然としたものではなかった。


 それはむしろ、凍えきった何かの心臓に、外側から無理やり熱を押し込んでいるみたいだった。


 最初は、ほんの微かな反応だった。


 メインフレームに残っていた待機電流が跳ねる。

 死んでいたはずの補助系統の一部が、ノイズ混じりに再点灯する。

 機体深部の駆動監視ラインに、一瞬だけ生体側の信号が噛む。


 ――LINK RESPONSE DETECTED

 ――MANUAL FEEDBACK ACCEPTED


 文字列が走る。


「うそ……」


 リリィの喉から、ほとんど無意識に声が漏れた。


 オルドの胸部ブロックで、重い再起動音が鳴る。

 一拍。

 次いで、もう一拍。


 それは規格通りの起動音ではなかった。リズムがずれている。同期率も低い。どこか噛み合っていない。それでも、確かに止まっていたはずの機体内部で、何かが“繋がり直そう”としている音だった。


 格納庫の床を這う振動が、管制卓の波形にも現れる。

 左脚アクチュエータ、異常のまま。

 姿勢制御、失敗のまま。

 武装認証、未完了。


 警告は消えない。

 正常にはほど遠い。

 それなのに、オルドは沈黙へ戻らなかった。


 まるで、少女の焦燥と痛みと意地、その全部をノイズごと抱き込んで、それでも前へ進もうとしているみたいに。


『クラリス……!』


 リリィは思わず身を乗り出す。

 祈るなと、自分で自分を戒める暇もなかった。


 主モニター上の機体姿勢図が、一度大きく傾ぐ。

 転倒しかけた。

 そう思った次の瞬間、別系統の微弱な補助出力が点き、胴体側のバランサーがわずかに追従する。


 立てる。

 まだ、立てる。


 オルドの脚部フレームが悲鳴みたいな金属音をあげる。

 膝関節のロックが半端なまま噛み、駆動液圧が危険域まで跳ね上がる。

 普通なら制御系が自動停止をかける場面だった。だが、今の機体は制御そのものが壊れかけている。だから停止できない。止まれないまま、立とうとしてしまう。


 その危うさが、逆に胸を掴んだ。


 冷たい鋼の塊が、ただの兵器ではなく、何かひどく不器用なものに見えた。

 起き上がり方すら忘れていた巨人が、身体のあちこちを軋ませながら、それでも誰かひとりの呼び声にだけ引っ張られて立とうとしている。


 リリィは、知らず知らずのうちに小さく呟いていた。


「……行って」


 オペレーター失格の言葉だった。

 許可ではない。

 命令でもない。

 ただの願いだ。


 でも、今この瞬間だけは、そんな言葉しか出てこなかった。


 そして。


 格納庫の監視映像の中で、オルドの巨体が、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと、片脚へ荷重を乗せた。


 ずん、と床が鳴る。

 警報灯が赤く揺れる。

 フレーム各部が軋み、未固定の装甲板が震え、格納架のロックがひとつ、またひとつと悲鳴のような解放音を立てる。


 立った。


 完全ではない。

 正常でもない。

 けれど、間違いなく、自分の意志で。


 少女の震える声と、まだ途切れきらない神経リンクの細い糸に、鋼鉄の巨体が引きずり起こされるようにして。


 オルドが、その場に立っていた。


 リリィはしばらく、息をすることすら忘れていた。

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