Episode 1 血煙洗礼 -Baptism of Welcome- Part 3
フォート・グラーデン――それは前線の航空基地の中でも特に重要な拠点として機能する巨大な要塞だ。
荒涼とした大地にそびえ立つその姿は、まるで地表から隆起した巨大な岩山のように無骨で威圧的だった。コンクリートと鋼鉄で築かれた分厚い防壁が、周囲を完全に囲い込んでいる。その高さは20メートルを超え、表面には無数の銃眼や砲座が設けられていた。壁の頂部には有刺鉄線が張り巡らされ、監視塔が一定間隔で立ち並んでいる。塔の上では対空機関砲が鎮座し、空を見張る兵士たちが常に警戒態勢を維持していた。
正門は巨大な鋼鉄製のスライドゲートで、片側だけで数十トンもの重量がある。ゲートの左右には厳重なバンカーが設置され、そこには戦闘用の自走砲と重火器を備えた兵士たちが配置されていた。正門へと続く道路はバリケードと検問所で何重にも封鎖され、通過するすべての車両と兵士が厳格なチェックを受ける。
基地の内部は、まるで一つの独立した軍事都市のようだった。広大な敷地の中には、戦闘機や戦術輸送機が並ぶ滑走路、航空機の格納庫、兵士たちの兵舎、指揮所、弾薬庫、整備施設、そして野戦病院が整然と配置されていた。コンクリート製の建造物はどれも質実剛健で、戦場の砲撃や爆撃に耐えうるように作られている。
特に目を引くのは、基地の中心部にそびえる巨大な管制塔だった。高さ50メートルを超える塔は、周囲のどの建造物よりも高く、まるで戦場の監視者のように睥睨していた。塔の最上階には司令部があり、前線全体の戦況をリアルタイムで把握するための巨大なスクリーンが並ぶオペレーションルームが設置されている。そこから戦闘機の出撃指示や補給計画が練られ、すべての戦況が統括されていた。
フォート・グラーデンの滑走路は三本あり、それぞれが2,000メートル以上の長さを持つ。そこには昼夜を問わず航空機が離着陸し、整備兵たちが忙しなく機体の点検や弾薬の補充を行っていた。駐機場には、多目的戦術機動郭《オルド(ORD-4.1)》が並び、整備クルーたちが機体のメンテナンスに追われている。その光景は、まるで戦場の鉄の墓場と化したかのようだった。
基地の外周には、さらに防衛ラインが築かれていた。第一防衛ラインは対戦車壕と地雷原で構成され、歩兵や車両の進行を困難にする設計になっている。第二防衛ラインには自動砲塔や対空ミサイルシステムが配備され、敵の航空戦力に対して絶えず警戒を続けていた。そして最終防衛ラインは、要塞そのものが戦闘に耐えうるように作られた地下施設へと続いていた。そこには弾薬庫や司令部があり、万が一地上の施設が陥落しても戦いを継続できる構造になっていた。
フォート・グラーデンは、ただの航空基地ではない。それは戦場の最前線にそびえ立つ巨大な要塞であり、兵士たちにとっては生存の砦であり、敵にとっては攻略不能な壁だった。戦争が続く限り、この要塞は崩れず、戦場の中心としてその役割を果たし続けるのだ。
フォート・グラーデンの一角には、他の部隊とは一線を画す異質な空気を纏った戦闘集団が駐屯している。《レイヴンズ・コール》──第十二独立戦闘群は四機の多目的戦術機動郭『オルド(ORD-4.1)』と操縦士四名、整備兵八名、二名の後方支援兵、そして一名の後方オペレーターで構成されている。
「レーダーに異常反応! 座標N-17、敵影を確認!」
オペレーターの叫びが司令室に響いた。モニターに映し出されるのは、砂塵を巻き上げながら進軍する複数の金属の巨影。人型ロボット兵──ヴェスペリオンの襲撃だった。
「新兵輸送部隊が巻き込まれるぞ! 迎撃部隊を出せ!」
「第十二独立戦闘群、スクランブル発令! すぐに出撃準備を整えろ!」
警報が鳴り響く。兵士たちが駆け出し、格納庫では多目的戦術機動郭『オルド(ORD-4.1)』が次々と起動されていく。メンテナンス中の機体が優先的に送り出され、パイロットたちは慌ただしくコックピットに乗り込んだ。
「敵は何機だ!」
「確認できているのは十二機。しかし、砂嵐の影でさらに増える可能性あり!」
司令官が拳を握りしめる。彼らは知っているのだ。ヴェスペリオンの攻撃は常に先手を取られる。しかも、敵は明らかにこのタイミングを狙ってきている。新兵輸送部隊の到着を見計らった奇襲だった。
「こちらフォート・グラーデン司令部。新兵輸送部隊へ緊急連絡──至急、その場を離脱せよ!」
しかし、通信はノイズに阻まれた。
「妨害電波か……!」
司令官が歯噛みする。
「くそ……間に合え!」
《レイヴンズ・コール》戦術機動郭部隊の機影が、ひとつ、またひとつと、格納庫の陰から滑り出す。
鉄の塊に焼けた陽光が差し、熱気を纏った機体が駆ける。
轟音を残して次々と空へ、あるいは地表を疾駆して、荒野へと向かっていく。
彼らは、まだ知らない。
その先で、新兵たちが既に戦場の只中に投げ出され、希望という名の地図すら持たぬまま、戦火の洗礼を受けていることを。
格納庫の奥。
コンクリートの天井の下、騒がしく出撃準備の続く空間の片隅で、ひときわ静かな影が二つ、停止したオルドを前に並び立っていた。
戦闘隊長、ヴィクトル・シュナイダー。
その隣には、整備班長エミール・フォルクナーの姿がある。
どちらも言葉を交わさない。
今はただ、視線だけが、起動を待つ機体と、その先に広がるであろう戦場を捉えていた。
「まったく……こっちの準備も終わらねえうちに襲撃とはな」
フォルクナーが唾を吐きながら呟く。彼の視線の先では、まだ整備が終わっていない機体が一機残っていた。
「そんなことを言ってる暇はない。動ける機体を優先しろ」
ヴィクトルが冷静に指示を出す。その顔には焦りの色はなく、経験に裏打ちされた落ち着きがあった。
「言われなくたって分かってるよ……だがな、今回はあんたの無茶が過ぎるぜ、隊長」
フォルクナーは、手にしたレンチを一度止めて、肩をすくめながら視線も寄越さずに言った。
「俺たちの仕事は勝つことだ。無茶をしなきゃ勝てない。──もっとも、無茶しても勝てないときは勝てない。敵ってのは、そういう無茶苦茶な連中だ」
声色に感情はなく、ただ現実を告げるように淡々としていた。
「……チッ、お前さんの言うことはいつも理屈っぽくて嫌になる」
吐き捨てるように言いながらも、手の動きは止まらない。
オルドのハッチ下部に潜り込み、最終チェックを繰り返す。いつもの動作。いつもの段取り。けれど、明日もこれをやれる保証はない。
「まあな。だが、無理をさせすぎれば、先に悲鳴を上げるのはこっちの機体だ」
「機体が壊れる前に、俺たちがやられるさ」
「──冗談、だろ?」
フォルクナーは、あえて目を合わせなかった。
口調は軽いままだったが、その語尾には乾いた苛立ちと、どうにも拭いきれない疲労が滲んでいた。
二人のやり取りは、いつものことだった。彼らは幾度となく戦場を共にし、数え切れないほどの死線をくぐり抜けてきた。だからこそ、こうして軽口を叩けるのだ。
「とにかく、俺たちの新しい隊員たちが無事でいることを祈るしかないな」
ヴィクトルの低い声が響く。
フォルクナーは短く息を吐き、最後の整備を終えると、機体を見上げた。
「祈るのはお前の仕事だろ。俺の仕事は、こいつらを戦える状態にしてやることだ」
「頼むぞ、エミール」
「まったく……命知らずどもめ」
フォルクナーが工具を片付ける頃には、すでに多目的戦術機動郭部隊の最後の機体が出撃していた。
ヴィクトルは無言で自身のオルドへと向かい、コックピットに乗り込む。計器を素早く確認し、通信回線を開いた。
「こちらヴィクトル・アイゼンベルク。レイヴンズ・コール、出撃する」
エンジンが咆哮し、彼のオルドが格納庫を飛び出した。
視界の果て、地平線の彼方に広がるのは、どこまでも続く乾ききった大地だった。
不毛の荒野は、命を拒むような灰褐色に染まり、ところどころに砕けた岩が累々と転がっている。地面にはひび割れが走り、風が通り過ぎるたび、細かな砂塵が空へ舞い上がり、世界の輪郭をほんの少しずつ曇らせていた。
遥か遠く、陽炎の揺らめきの奥──熱に歪む視界の向こう、微かに黒煙が立ち上っているのが見えた。
幾筋もの煙がゆらりと空を裂きながら這い上がり、やがて灰色の雲へと溶けてゆく。
その様は、まるで天を呪うように這い昇る亡者の吐息だった。
風に乗って届くのは、焼けた金属の匂い。
遠く、何かが破裂するような鋭い音が、耳の奥を掠める。
はっきりとは聞こえない。けれど確かに、何かがそこで“終わった”音だった。