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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅱ 赫焔
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Episode 3 先泣後火 -Preceding Sorrow, Following Flame- Part 7

 戦場は苛烈な炎に包まれていた。

 ヴェルナー率いる《レイヴンズ・コール》、そして《ヘルダイバーズ》の戦闘部隊が、前線で新型生体兵器との死闘を繰り広げている。咆哮、閃光、爆撃の連鎖。兵士たちは、それぞれの限界を越えてなお、陣地を死守すべく戦っていた。


 だがその裏で、見過ごされつつある“別の動き”が静かに進行していた。


 ヴィクトル・シュナイダーは、電子マップを前に、動きを止めていた。

 暗い室内に、無機質な光が戦場の変遷を浮かび上がらせる。

 赤く染まったマーカーが、規則正しく、前線一点へと収束していく。

 敵は、圧倒的な戦力をもって、正面突破を試みている──あくまで、表層に映る光景では。


 ヴィクトルの灰色の瞳が、僅かに細められた。

 戦場に偶然はない。

 秩序なき暴走などではありえない。

 この動きはあまりに整然としている。あまりに、“意図”を感じさせた。


「……妙だな」


 ヴィクトルの声が、重く、空気を震わせた。

 理論上、これは迎撃側にとって理想的な展開であるはずだった。

 敵が正面に集中するならば、火力も防衛も、一点に集約できる。包囲の恐れもない。

 だが、それは、あくまで──表層の理屈に過ぎなかった。


「奴ら……こちらの思考を、なぞっている」


 眉間に深い皺を刻み、ヴィクトルは無機質な数値の波を睨み続ける。

 レオポルドから送られるリアルタイムの戦況データ。敵の突撃、停止、揺動、側面圧力──

 それらの動きは、偶然の産物には見えなかった。

 綿密な意図すら感じさせる、冷たい規則性。


「……誘導だ」


 ヴィクトルは呟いた。

 目立つ攻勢の影で、何かが進行している。

 補給線か。指揮中枢か。それとも──戦場そのものへの浸食か。


 ──陽動。


 その二文字が、ヴィクトルの意識に鋭く焼きついた。


「──各位、後方警戒を強化せよ。正面の攻勢は囮だ。実際の標的は、別にある」


 指示は鋭く、即座に伝達された。

 『了解。戦術オーバーライド、再構築を開始する』

 通信越しのレオポルドの声は冷静だったが、その裏にかすかな緊張が滲んでいる。


 戦場は、すでに“第二の局面”に移行していた。

 表層の激戦の裏で、敵は次なる一手を進めている。


 ──陽動。

 ──攪乱。

 ──浸透。


 敵の動きは、単なる本能的な突撃ではない。

 むしろ、冷徹な意志に基づく統制すら感じられた。

 こちらの注意を正面に引きつけたまま、静かに、確実に、後方を蝕もうとしている。


「ヘルダイバーズ、後方の防衛状況を即時確認。索敵ドローンも全域に展開しろ」

『すでに監視班を配置中。……だが、今のところ、敵影は検出されていない』


 レオポルドの報告は迅速だった。

 だが、それはヴィクトルにとって、安心材料にはならなかった。

 逆に、より深い不安を呼び覚ますだけだった。


 ──気配がない、ということは。

 ──すでに、入り込まれている可能性もあるということだ。


 「敵はどこからでも現れる。“いない”ことを理由に、絶対に油断するな」


 ヴィクトルは低く言い放った。

 レオポルドの応答は即座だった。


『心得ている』


 だが、次の瞬間――


『──警告! 本部後方より敵影接近!』


 警報が戦慄と共に鳴り響いた。

 指揮所の空気が、一瞬にして張り詰める。


 爆発。

 爆煙が夜空を裂き、鋭い衝撃波が司令部の建物を軋ませる。


「なっ……!」


 ヴィクトルが即座に顔を上げた。

 指揮スクリーンには、すでに映像が切り替わっている。

 本部の背後――本来なら絶対の安全圏であるはずのその地点に、無数の黒い影が押し寄せていた。


 装甲門を引き裂き、警備ラインを無力化し、戦術核のような規模で突撃してくる異形たち。

 彼らはただ殺戮のために動いているのではない。

 明確な“目的”を持ち、司令部中枢を目指している。


「──やられたか」


 ヴィクトルは苦く呟き、即座に通信回線を開いた。


「レオポルド、緊急展開! 司令部防衛を最優先せよ! 前線は持たせる、後方を死守しろ!!」

『了解、直ちに部隊を転進させる!』


 戦況は、決定的に動き始めた。

 これは、単なる戦闘ではない――敵は、軍としての継戦能力自体を奪いに来ているのだ。


『敵、後方より接近! 本部、襲撃を受けています!』


 レオポルドの声が、通信網を震わせた。その声音には、歴戦の指揮官すら抗えぬ焦燥が滲んでいた。

 即座に、ヴィクトルは決断を下す。


「本部防衛部隊、迎撃態勢を──後方支援班、即刻戦闘配置へ移行せよ」


 命令が拡声器を通じて基地に響く。警報音はそれに応じて一層高まり、兵士たちの動きが加速する。歩兵は通路を駆け、防衛線を築かんと配置についた。

 しかし、その意図を読み解いたかのように、影のごとく迫る生体兵器が次々と出現する。

 滑るような機動。壁面を這い、警戒網を嘲笑うかのように跳梁する異形。

 固定砲台が火を噴くが、その弾道を予測していたかのように躱し、次の瞬間には装甲ごと破壊されている。


 侵入──それは“突破”ではない。既に敵は、この陣を「内側」から見ていた。


 その動き、明らかに従来のマローダー種とは異なる。野性ではなく、意図。暴走ではなく、戦術。混沌ではなく、明確な“意思”。


「……これは、奇襲ではない。計画的な侵入作戦だ」


 ヴィクトルの呟きは、誰の耳に届くでもなく空気に溶けた。だがその言葉こそが、事態の本質を突いていた。

 ヴィクトルは歯を食いしばった。敵は最初からこの奇襲を狙っていたのだ。

 戦場の重心が前線に移った今、本部は最も脆弱な状態だった。そして、まさにその瞬間を狙って敵は襲いかかってきたのだ。


「リリィ、状況を把握しろ! 敵の侵入経路を特定、即座に迎撃部隊へ伝達しろ!」

「──了解!」


 リリィは跳ねるように端末へと向かい、指先で操作を叩き込んだ。その動きには普段の軽妙さはない。精緻な分析回路すら追いつかぬ速度で、警報とデータの奔流が彼女を飲み込んでいく。


 やがて、リリィの小さな声が震えた。


「……まずいわ、これ」


 その呟きに、ヴィクトルの眉が僅かに寄った。


「どういう意味だ?」

「敵の動き──整然としてる。突撃じゃない、闇雲でもない……完全に指揮されてる。統率された部隊行動よ」


 リリィは、かつてないほど真剣な顔で画面を見据えた。普段は冗談めかした言葉で誤魔化す彼女が、今は震える声すら押し殺している。


 ヴィクトルの胸裏を、冷たいものが這い上がった。


「……つまり、敵は──指揮官を擁しているということか」


 誰も答えなかった。  基地全体を満たすのは、警報の喧騒と、遠ざかる銃声の残響だけだった。


 ──そして、それは何よりの答えであった。


 リリィは沈黙した。だが、それが答えだった。

 新たな戦局が、ここに始まろうとしていた。

  その瞬間、廊下の先から銃撃音が響いた。


「接近戦か……!」


 ヴィクトルは素早く拳銃を抜き、扉の前へと移動する。リリィも端末を閉じ、後方の警備兵に指示を出した。


『敵、施設内に侵入!』

「歩兵隊、廊下で迎撃しろ! 司令部の設備を死守するんだ!」


 迎撃命令が飛び、次々と兵士たちが動く。しかし、侵入してきた生体兵器は恐ろしい速度で天井を這い、壁を蹴り、縦横無尽に施設内を駆け抜けていた。


「──まずい、対応が追いつかない……!」


 ヴィクトルの背筋を、冷ややかな汗が伝った。直感ではない。積み重ねた経験が、いま確実に“敗北”を予感させていた。


「リリィ、ユリウスを呼び出せ。クラリスもだ。……奴らに動いてもらうしかない」

「……了解」


 リリィは即座に端末へ向かい、通信チャンネルを開く。焦燥を押し殺した声で、彼女は叫んだ。


「クラリス、ユリウス、応答して! 本部が襲撃されてる! 急いで指令部へ!」


 ──警報音とともに、その声は基地全域に叩きつけられた。

 その頃。

 薄暗い医務室、ベッドに伏していたクラリスは、微睡みの底から跳ね起きた。  耳を打つ警報。リリィの悲鳴にも似た呼びかけ。すべてが彼女の脳を無理やり現実へと引き戻した。


「……何……?」


 呟きよりも先に、心臓が強く、無遠慮に脈打ち始める。

 覚醒する意識。  血管を駆け上がる冷たい戦慄。

 ──戦場は、もはや遠い場所ではない。  

 それは、確かに、いまこの手の届く場所にまで迫っていた。


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