Episode 3 先泣後火 -Preceding Sorrow, Following Flame- Part 1
ノイエ・アーク軍司令部・作戦会議室──。
鋼鉄の壁に囲まれた長方形の空間には、戦術スクリーンが複数並列し、断続的に更新される光の波紋が室内を照らしていた。中央指令台にはホログラフマップが立体投影され、都市部の瓦礫、森林の迷路、地下施設の輪郭までもが正確に描写されている。
スクリーンに映し出された戦場図では、青の光点が味方部隊を、赤の軌跡が敵勢の侵攻ルートを示し、交錯する矢印が次なる激戦の予兆を告げていた。
情報処理用AIの低周波ノイズが、耳の奥にかすかに振動として残る。
──「戦術データ更新、第七戦区、敵戦力再編成中」──
合成音声のアナウンスが無感情に空気を切り裂き、戦況の移ろいを告げるたびに、参謀たちは僅かに視線を動かし、端末へと指示を送った。
天井のスピーカーからは、ごく遠くで鳴る警報の断片が漏れ聞こえていた。おそらくは発進区画か、通信制御棟。
それは直接の脅威ではなかったが、会議室という閉ざされた空間にあって、戦場がすぐそこにある現実を否応なく思い出させた。
各部隊の指揮官たちは壁際に整列し、無言でスクリーンを見つめている。
その表情には動揺も緊張もなかった。だが、沈黙の中に宿るのは、次に死地へ部下を送り出す覚悟だった。
この部屋はもはや単なる作戦会議室ではない──決断の一つひとつが、生と死の境界を塗り替える、静かな前線だった。
「これより、《オペレーション・ファントムドーン》の作戦概要を説明する」
沈着な声で進行を開始したのは、作戦司令官エーリヒ・クラウゼ少将。
彼が指先で地図をなぞると、敵拠点と味方戦線を示す赤と青の光点が、戦域全体を浮かび上がらせた。
「作戦目的は三つ。第一に、敵が占拠する戦略拠点の奪還。第二に、新兵器開発に関する敵の技術データの確保。第三に、敵戦力の徹底削減による戦局の優位確保だ」
会議室の空気は張り詰めていた。
参謀たちは無言のまま戦術図を凝視し、各指揮官は脳裏に配下の動きを描いていた。
「作戦は三段階に分かれる。第一段階──戦術機動郭部隊と機動歩兵隊が前線を突破、敵拠点周辺へ圧力を集中する。第二段階──《レイヴンズ・コール》が敵陣深部に先行し、要点を制圧。第三段階──全戦力を展開し、防衛線を一気に崩壊させる」
「敵の戦力構成は?」
ヴィクトル・シュナイダー中佐が視線を向ける。
「敵主力は《マローダー》。柔軟な外骨格と触手を備えた二メートル級の人型生物兵器だ。加えて《スプロウト》──寄生機構を持ち、人間の神経を乗っ取る小型自爆型機。戦線崩壊の要因となる」
クラウゼ少将が戦術マップを拡大する。
「中型種として、《グリムリーパー》および《バンシー》の存在が確認されている。《グリムリーパー》は五メートル級で触手による広範囲制圧、《バンシー》は高速機動と射撃支援に優れる」
「両極の戦術に対応できる戦力が必要だな」
第35機動歩兵隊連隊長、イレーネ・フォルスターが低く呟いた。
「その通りだ」クラウゼが頷く。
「さらに《ベヒモス》は独立火器を持たず、体内から《マローダー》を一斉放出する。そして、要塞級兵器が投入された場合、広域の火力制圧が予測される」
「航空種の《レヴナント》も確認されている」参謀の一人が口を挟む。
「長距離狙撃による後方破壊が目的と見られる。従来の対空防衛では迎撃は困難」
「となれば、短期決戦が必須……持久戦になれば、こちらが消耗する」
イレーネは苦々しげに吐息を漏らした。
「以上を踏まえ、作戦の流れを再確認する」
クラウゼは視線を戻す。
「第一段階──戦術機動郭部隊が正面から突入、機動歩兵隊が都市および森林地帯を包囲。砲撃・航空支援を並行投入。
第二段階──《レイヴンズ・コール》が要点制圧。機動歩兵の一部がこれに合流し、拠点の確保および持続防衛を行う。
第三段階──全軍による総攻撃で防衛線を崩壊させ、新兵器の奪取と情報収集を実行する」
「敵増援が確認された場合は?」
ヴィクトルが確認を挟む。
「戦術機動郭部隊が再突入し、速やかに火力優勢を確保する。追加命令は現地判断に委ねる」
会議室の空気が、音もなく沈んだ。
──それは単なる静寂ではなかった。
剣を鞘に収める瞬間の緊張。嵐の前に凪ぐ、海の呼吸。あるいは、発射を待つ砲身が最後に吐く、熱の残響。
命令は下された。議論は終わった。
残された沈黙は、どの言葉よりも重く、確かだった。
戦術スクリーンには、赤と青が幾重にも交錯する。
光の線は、もはや単なる指示ではない。
それはこれから命を落とす者たちの軌跡であり、砕け散る機体の輪郭であり、遺される者たちの嘆きの座標だった。
誰も口を開かない。
だがその胸中には、それぞれの戦場が既に始まっていた。
そして、誰かが小さく呟いた。
その声は掠れ、空気の中に溶けて消えた。
──「来るぞ」
その一言が、全員の脊髄に冷たい刃のように触れた。
《オペレーション・ファントムドーン》。
それは始まりであり、終わりでもある。
戦局の均衡は、もはや存在しない。選択肢は、前進か、死か。
会議室という閉ざされた空間は、今や戦場そのものだった。
ただ、まだ銃声が鳴っていないというだけの話に過ぎない。
〇
会議の終了後、ヴィクトル・シュナイダーは無言のままブリーフィングルームへと向かった。
部屋にはすでに部隊員たちが集合しており、戦術スクリーンには自部隊の配置図が映し出されている。
「これより、《レイヴンズ・コール》の作戦行動を伝える」
ヴィクトルは指揮卓の前に立ち、部下たちを見渡した。
「本部は《ヘルダイバーズ》の後詰部隊と合流。戦場支援にあたる。クラリス、ユリウス、リリィの三名は後方待機とする。クラリスはPTSDの兆候あり、戦闘参加は見送る。リリィの護衛として、後方戦域での任務に就かせる」
「整備班の任務は?」と、フリードリヒが問う。
「オルドの補給・修理に専念。前線には出さない」
「……つまり、実戦行動に出るのは俺たち三人だけか」
コンラートが腕を組んで呟いた。
「その通りだ。俺、コンラート、フリードリヒの三名が先行し、敵拠点の制圧を担う。支援が必要になれば、《ヘルダイバーズ》本隊と連携する」
ヴィクトルはスクリーンに映る配置図を指差した。
「今回の投入方法は、いつも通りだ。奇襲、侵入、確保。無理は承知だが、それが我々の役目だ」
コンラートが目を細め、唇の端で呟く。
「……無茶を言う」
ヴィクトルはわずかに笑みを浮かべただけだった。
「準備を整えろ。出撃は、すぐだ」
作戦行動の説明が終わり、部屋の空気が一時の沈黙に沈む。
その後方、壁際に控えていたクラリス・フォーゲルは、何も言わずに立ち尽くしていた。
名を呼ばれた瞬間、胸の奥がわずかに震えた気がした。それは安堵か、失望か──自分でも分からなかった。
視線の先では、ヴィクトルが冷静に戦況を説明している。
その背に、静かに問いかける声が聞こえたような気がした。
──あなたは、わたしを見限ったの?
それとも、守ろうとしたの?
拳を握った。
その手のひらに、あの日の感触がよみがえる。
──銃のトリガーにかけた指が、引けなかった。
照準に映ったものが敵ではなく、瓦礫に倒れた兵士の顔であったこと。
耳に焼きついた悲鳴。目に焼きついた、赤い飛沫。
「クラリス、リリィの護衛を頼む」
ヴィクトルの声が重く、やさしく響いた。
彼は責めていなかった。だが、それがかえって苦しかった。
“役割”を与えられたことで、救われたようにも、突き放されたようにも感じた。
──私は戦えなかった。
けれど、戦いたくないと思ったことは、一度もなかった。
脳裏に浮かんだのは、あの少年の姿。
銃を握る手を震わせながら、それでも前へ進もうとしたユリウスの背中。
あのとき、彼が振り返ってくれたから。
──今、ここにいる。
だから、彼がもし戦場で崩れることがあれば──
そのときは、今度はわたしが振り返る。
守られるだけの存在ではいたくない。
ただの“護衛”で終わる気は、毛頭なかった。
クラリスは静かに息を吸い、リリィのほうへと目を向けた。
その瞳には、かすかに熱を帯びた決意が宿っていた。




