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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Episode 1 血煙洗礼 -Baptism of Welcome- part 1

 軍の輸送機は、唸るような低音を腹の底に響かせながら、空を這うように上昇していく。


 その内部は、必要最小限の構造だけが許された空間だった。

 金属の骨格がむき出しの壁。簡素なフレームに合成樹脂を張っただけの座席。

 そのすべてが「兵士」という名の荷を、戦場まで確実に運ぶためだけに存在している。

 余計なものは削ぎ落とされ、ぬくもりも、装飾もない。誰のためでもなく、ただ、目的のために。


 焼けた油の匂いが鼻をつく。冷却剤の苦味と混ざり合って、むせかえるような空気を作っている。

 床下から伝わるかすかな振動は、エンジンの鼓動だろうか。それとも、死地へ向かう機体の“胎動”なのか。

 ──違いなど、もはやどうでもよかった。


 ユリウス・ハルトマンは、無言のまま指定された座席に腰を下ろす。

 背に触れる金属が冷たい。だが、それも次第に体温で馴染んでいく。まるで、この空間こそが「日常」なのだと身体に教え込むかのように。


 彼の周囲には、同じ年頃の新兵たちが並んでいる。

 皆、まだ少年の顔をしていた。軍服に身を包んではいても、その眼差しには恐れよりも好奇心が勝っていた。


「これが俺たちの新しい世界か!」


「ヴェスペリオンの反乱兵なんて、ただの田舎者だろ」


「俺たちが英雄になる番だ!」


 ──誰もが、まだ知らない。

 本物の戦争の温度を。

 本物の“死”の重さを。


 彼らは軽口を叩きながら、支給されたライフルを誇らしげに握りしめる。

 それは自分を守ってくれる魔法の杖であり、敵を倒す力の象徴のように思われている。

 その引き金が、実際にはどれだけ簡単に命を奪ってしまえるものなのか──想像すらしていない。


「おい、到着したら誰が一番最初に敵を倒すか競おうぜ!」

「負ける気がしねぇな。俺、シミュで百撃破超えてるし!」


 笑い声が弾ける。

 軽やかで、若さに満ちていて、残酷なほどに現実を知らない。


 一方で、口を開かず、黙々と銃を点検する者もいる。

 マニュアルを繰り返し読み返し、意味の一つひとつを確認するように目を走らせる者もいた。

 その慎重さは、本物の不安に裏打ちされているのかもしれない。だが、それでも──彼らもまだ知ってはいない。

 本当の戦場とは何かを。命が、いかに脆く失われるものかを。


 ユリウスは、無言のまま周囲を一瞥する。

 そして、再び目を閉じる。


 機体の震えが背骨を通じてじわじわと染み込んでくる。

 音も、匂いも、圧も、すべてが“戦場の予感”を孕んでいる。

 それでも彼は、何も言わない。ただ、それを受け入れるだけだ。


 


 新兵たちは、顔を紅潮させながら声を上げる。

 その語り口は、まるで遠足の途上にいるかのような軽さ。

 彼らの口に上るのは、戦場で武勲を立て、帰還し、称賛を浴びる未来。

 ──だが、その未来は、どこか「現実」から乖離していた。


 彼らの語る戦争は、ゲームの延長だった。

 死は、スクリーンの向こうにある抽象。苦しみは、物語の中にしか存在しない虚構。

 だからこそ、彼らは笑う。自分が撃たれるなどとは、想像すらしていない。


 


 支給されたライフルを握りしめる手が、わずかに震えている者もいた。だがそれは恐怖ではない。

 ただ、武器を持つ者としての「誇り」が、彼らを酔わせていた。

 戦うことは栄誉であり、敵を討つことは使命であり、死ぬことすら「英雄としてならば」と受け入れられる幻想。


 


「おい、最初に誰が敵を倒すか競争しようぜ!」

「負ける気がしねぇな。俺、シミュレーターで百勝以上だぞ!」


 


 笑い声が機内に広がる。

 それはあまりに明るく、無垢で、残酷だった。


 一方、機内の片隅では、声を上げることもなく黙々と銃を整備する者たちがいた。

 支給マニュアルを読み返す者。目を閉じて祈る者。

 その目には、微かに怯えと希望が混在する光があった。


 だが彼らもまた、「本当の戦場」を知らなかった。

 それゆえに、その希望が“残酷さを伴っている”ことには、まだ気づいていなかった。

 

 ふいに、隣の席に小さな気配が沈み込む。


 静かな着座音。軍靴が金属床を擦る音はほとんどなかった。

 ユリウスが視線を向けるより早く、その人物が声を発する。


「……あなたも、徴兵されたの?」


 少女だった。年の頃は彼とそう変わらない。おそらく十七か十八。

 だが、その雰囲気には同世代の新兵たちが纏う浮ついた熱気とは異なる、ひとつ芯の通った静けさがあった。


 髪は短く切り揃えられている。規則に従った軍用のスタイルでありながら、そこには無骨さではなく整然とした美しさが宿っていた。

 金糸のような髪が、機内灯の冷たい白光を受けて微かに揺れる。その光は柔らかく反射して、金属の質感にも似た淡い光沢を見せていた。


 肌は血の気が薄く、戦場を知らぬ兵士特有のまだ汚れていない色をしていたが、無防備な幼さは感じられなかった。

 首筋から肩にかけての線はすっきりとしていて、動きに無駄がない。身じろぎひとつ取っても、彼女の動作は鍛え抜かれた兵士としての規律を滲ませていた。


 何より目を引くのは、その瞳だった。


 淡い琥珀の光を湛えた瞳。

 ガラス玉のように澄んでいて、けれど芯の奥には、はっきりとした熱と光を宿している。

 燃えている、というよりは──灯っている。静かに、しかし消えることのない意志の焔。


 その視線は、まっすぐにこちらを見据えている。

 臆することもなく、傲ることもなく。ただ正面から、迷いもなく。

 まるで、「自分がここにいる理由」を既に知っている者だけが持つ目だった。


 ユリウスは、その目を一度だけ真正面から受け止め、何も言わずに視線を逸らす。

 彼女の中にあるもの──それは、自分にはまだ持ちえないものだったからだ。


 クラリス・フォーゲル。

 まだ名前は知らない。けれど、その姿勢、その声、その眼差しは──この場所にただ座らされているだけの他の少年兵たちとは、どこか違っていた。


 彼女は背筋をぴんと伸ばし、視線を逸らさず、話しかけることに迷いがなかった。

 不安も緊張も、ないわけではないのだろう。けれど、そこに宿っているのは確かに──覚悟だった。


「……そうらしい」


 ユリウスは短く返す。必要以上の感情を込めずに。

 声は平坦で、響きも淡い。


 その返答に、クラリスはほんのわずか、眉をひそめた。


「そうらしいって何? 自分のことなのに、なんでそんなに他人事みたいなの?」


 責めるような語気ではない。ただ、純粋な疑問としての問い。

 だが、それが逆にユリウスの内側をかすかに苛立たせる。

 肩をすくめるようにして、彼は言う。


「決まっていたことだ。俺が何を思っても変わらない」


 その言葉に、クラリスが小さくため息をつく。唇を少し尖らせながら。


「もっと誇りを持ったら? 国のために戦うのよ。あなた、ノイエ・アークの兵士なんでしょう?」


 ──誇り。

 あまりにも使い古された言葉。教育で、映像で、訓練で、繰り返し刷り込まれた理念。

 その響きに、ユリウスは答えず、ただ窓の外を見る。


 雲海が機体の外に広がっている。青と白の世界。

 その景色が、戦場の下に広がっているとはとても思えなかった。


「……お前は戦場がどんなものか、知っているのか?」

「当然よ。私は志願したんだから」


 言葉はまっすぐだった。

 語調に濁りはなく、瞳の奥に宿る意志は確かだった。


 それでもユリウスには、どうしても信じきれなかった。

 彼女が語るその「当然」が、どこまで現実を知っての言葉なのか──


「……なら、好きにすればいい」

「ちょっと、どういう意味?」


 クラリスの声が、わずかに尖る。

 けれど、ユリウスはもう何も返さなかった。

 言葉はいつだって余分だ。口にすればするほど、何かがこぼれていく。


「あなた、何も分かってないくせに偉そうね」

「……そうかもな」


 二人のあいだに沈黙が落ちる。

 機体の振動が、無言のやりとりのように足元から伝わってくる。

 外の世界では、風も音も届かない。ただ、この密閉された空間だけが静かに時を進めていた。


 周囲では、新兵たちがまだ無邪気に笑い合っている。

 「敵なんて逃げ出してる」「帰ったら勲章だ」──そんな言葉が、軽く、安く、響く。


 彼らの声に、クラリスは視線を向ける。

 そして何かを飲み込むように、わずかに目を細めた。


 ユリウスは彼女を見なかった。

 ただ、目を閉じ、深く息を吸う。

 焦げた油の匂いと、機体の震えと、誰にも言葉にされない恐怖の気配が、肺の奥に滲み込んでいく。


 ──まもなく、現実が、追いついてくる。

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