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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Episode 6 祈祷背反 -Faith in Ruin- Part 1

 戦況を逐次監視するための通信端末は、絶え間ない作動音と共に命令と報告を吐き出し続ける。指令ホールには、将校たちの低く抑えた声が波紋のように広がっていた。

 壁に設置された複数のモニターは、戦場の俯瞰図を無感情に映し出す。そこに描かれるのは、部隊の現在位置、敵影の捕捉データ、補給線の稼働状況──

 それらは、どれほど死と隣り合わせの情報であろうとも、ただ“情報”という形に変換され、この空間に無機的に並べられる。


 ここは司令部。戦争の中枢。

 あらゆる死が、数字に変換される場所。

 それゆえに、この空間には戦場よりも深い“死”が漂っていた。


 ヴィクトル・シュナイダーは、リカルド・メンデスと肩を並べてその司令室の重い扉をくぐった。

 幾度もの戦闘を越えたその足取りには疲労が滲んでいたが、それでもその動きに乱れはなかった。

 ──あらゆる死を乗り越えてきた兵士たちは、心をすり減らしながらも、前へ進むことを止めはしない。


 ふたりの足音が、床に落ちた照明の反射とともに、静かにその場の空気を切り裂いていった。


「第二十二独立戦闘群、《レイヴンズ・コール》隊長、ヴィクトル・シュナイダー、帰還しました」


 司令室の中央に置かれた分厚い執務机の向こうには、アウグスト・ヴァレンシュタイン大佐が座っていた。


 司令室の中央に鎮座する、黒檀を思わせる分厚い執務机──

 その奥に、アウグスト・ヴァレンシュタイン大佐は座していた。


 壮年の軍人。

 頬の肉は削げ、顎の線は刃のように鋭い。

 額と口元に刻まれた深い皺が、沈黙の中で一層の威圧を放っていた。

 眼下のくぼみに浮かぶ疲労の影が、むしろ彼の歴戦を物語っているかのようだったが──

 その灰色の双眸は未だ鋭く、まるで戦場の地平線を見据えるように濁りがなかった。


 戦いを秩序として捉え、損耗を数字として受け入れ、合理性を最優先とする鉄面の指揮官。

 兵士たちの間では、彼を「墓標の番人」と囁く者もいる。

 その名は、死を前にしてなお冷静であれという無言の命令を孕んでいた。


 感傷は許されない。

 生死は記録され、命令は履行される。

 それがこの男の前ではすべてであり、それ以外は不要だった。


 ヴィクトルの姿を一瞥した大佐は、卓上の書類を片手に、簡潔に言葉を投げる。


「……報告を」


 低く、重く、否応なしに従属を求める声。

 その声音には、感情という余白すら存在しない。

 ただ命令だけが、そこにあった。


 大佐は短く言い、書類に目を通しながらヴィクトルに視線を向けた。


「サバイバル訓練区域にて、新兵四名と接触。対象の保護および帰還を完了しました」


 ヴィクトルの声は淡々としていた。だが、その奥にわずかな異質が混じっている。


「帰還過程において敵性体と交戦。確認されたのは小型種マローダー、および中型種グリムリーパー……」


 報告は一瞬だけ途切れ、わずかな間のあと続けられた。


「そのうち一体が、通常の個体とは明らかに異なる挙動を示しました」


 机越しに視線を送っていたアウグスト大佐の目がわずかに細まる。


「……異常な行動とは?」


 言葉は短く、しかし重かった。

 尋ねるというより、詰問に近い響きだ。

 ヴァレンシュタイン大佐が眉をひそめた。


「詳細を」

「……その個体は、かつての味方の姿を模していました」


 一瞬、司令室の空気が張り詰めた。

 ヴィクトルの言葉を受け、リカルドが続ける。


「新兵のうち二名と深い関係のあった兵士です。おそらく、《スプロウト》が死体を再構築したものと思われます」


 ヴァレンシュタイン大佐は目を閉じ、机に肘をついてしばし沈黙した。


「それで、貴様らはそれをどう処理した?」

「爆破しました。完全な焼却を確認しています」

「そうか……」


 ヴァレンシュタイン大佐は、感情のない瞳で副官の動きを確認すると、執務机の上で指を組み、無駄のない動作で椅子に深く腰を預けた。


「記録を封印しろ。今回の件は公式報告には記載しない」


 低く、冷ややかな命令だった。


「……理解しました」


 副官が静かに頷き、すぐに端末に指示を打ち込む。軍の情報網に登録されるはずだった今回の戦闘記録は、あっさりと削除され、改ざんされたデータだけが残される。まるで最初から何もなかったかのように、全てが歴史の裏へと消えていく。

 ヴィクトルは黙したまま、大佐の姿を見据えていた。

 眉間に刻まれる深い皺。沈黙の中で、その眼差しには確かな憤りと、言葉にならない虚しさが宿っていた。


「……司令、それではこの事実を……ただ、闇に葬るというのですか」


 声は静かだった。しかし、その裏には確かな抗いの意思があった。


 アウグスト・ヴァレンシュタイン大佐は、その問いかけに対して一拍の間を置き、微かに眉を動かした。

 そして、まるで無意味な反応を受けたかのように、口元にごく薄い笑みを浮かべる。


「当然だ」

 その声音には、揺らぎというものが存在しなかった。

 冷たく、機械のように定められた論理。疑いも、憐憫もない。


「本件は軍の最高機密に該当する。記録は全て密封され、報告の範囲も制限される。……広める必要など、どこにもない」


 その言葉に、ヴィクトルの唇がわずかに震えた。

 拳が、無意識に強く握り締められる。


「しかし──新兵たちは」

「……新兵など、いくらでも補充できる」


 その言葉が落とされた瞬間、空気が一気に冷えた気がした。


 それが──この軍の本質だった。

 兵士は、駒。使い捨て。

 傷つけば交換され、壊れれば棄てられる。

 そしてその死が何を意味していたかなど、誰も振り返らない。


 ユリウスたちが戦いの果てに得た苦悩も、

 ライナーとエーリヒの、魂をすり減らして選び取った決意も、

 フリーダが踏みにじられ、なお抗おうとしたその最後の叫びすら──

 ヴァレンシュタインの目には、単なる“戦力損耗”としてしか映らない。


「それとも貴様は、兵の動揺を招く情報を公開し、戦力を失いたいのか?」


 ヴィクトルは歯を食いしばったが、何も言えなかった。


「──それと、もう一つ、伝えておくことがある」


 アウグスト・ヴァレンシュタイン大佐は書類の束から視線を外さぬまま、静かに言葉を継いだ。


「今回のサバイバル訓練には……軍上層部の明確な意図があった」


 その一言に、執務室の空気が凍りつくようだった。

 ヴィクトルの眉がわずかに動く。


「……まさか、そのために……彼らを?」


「そうだ」

 遮るように返ってきた大佐の言葉は、冷淡そのものだった。

 まるで責任の重みを感じていないかのように、指先で机を一定のリズムで叩きながら続ける。


「我々は、敵性存在から回収された生体技術を応用し、“人造兵器”の開発を進めていた。だが……試みは失敗に終わった。制御は不可能だった」


 それは告白というよりも、単なる報告だった。

 機械的に紡がれる言葉には、命を代償にした試行の罪悪も、悔恨の影すら含まれていない。


 ヴィクトルの喉奥に、冷たいものがせり上がる。

 リカルドも隣で口を噤んだまま、顔を伏せた。


「……つまり、その制御不能な兵器が……今回、訓練区域に出現したと?」


 ヴィクトルの問いに、大佐は書類を伏せると、初めてまっすぐ視線を向けてきた。

 その灰色の瞳は、凍てついた湖のように感情を映さない。


「──そうだ」

 短く、静かに告げられる。


 それは、あまりにも簡潔で、

 そして、あまりにも絶望的な真実だった。


 「今回の件は、その暴走の影響の一端に過ぎん。そして、この失敗を繰り返さぬよう、我々はさらなる研究を進める必要がある」


 大佐の声には、罪悪感の欠片もなかった。それは、当然のことを言っているかのような冷静な響きだった。

 ヴィクトルの拳が、音を立てて握り締められる。


「……こんなことは許されない」


 低く搾り出されたその言葉には、怒りと憤りが滲んでいた。

 しかし、大佐はわずかに口元を歪めると、冷たく言い放った。


「貴様に許されるかどうかは問題ではない。これは軍の決定事項だ」


 その瞬間、室内の空気が凍りついた。

 ヴィクトルの眼光が鋭くなる。リカルドもまた、無言のまま奥歯を噛みしめる。

 だが、ヴァレンシュタイン大佐は意にも介さず、ただ軍の意思を代弁するように言葉を続けた。


「戦争において、最も重要なのは勝利だ。そのためならば、どのような手段も正当化される。それが、この軍の在り方だ」


 彼の言葉には、一切の迷いがなかった。それは、すでに決定された事実であり、覆す余地などないという断言だった。


「戦場で生き延びたからといって、全てを知れると思うな」


 アウグスト・ヴァレンシュタイン大佐の声音は静かだったが、その眼差しは鋼のように冷たく、ヴィクトルの心を鋭く突き刺す。


「軍は必要な判断を下す。そして兵士は、それに従えばいい。それが、この場にいる者たちの──役割だ」


 言葉の背後にあったのは、明確な線引きだった。

 従う者と、命じる者。

 理不尽を理解することと、それを背負うことは、同じではない。


 ヴィクトルの内側で、何かが軋むような音を立てる。

 それは、信じていたものが微かにひび割れていく感覚だった。


 そのとき、執務室の扉が、まるで予告のない現実を運ぶように静かに開いた。

 入ってきたのは、一人の男だった。


 整った黒髪を撫でつけ、痩せた体に仕立ての良い黒の礼服を纏う。

 軍人ではない。彼の立ち姿には、力ではなく、言葉と理屈によって人を支配する者の空気があった。


「……ご機嫌麗しゅう、ヴァレンシュタイン大佐」


 柔らかな笑みと共に発せられたその言葉に、大佐は無言で立ち上がり、敬礼を返す。

 ヴィクトルとリカルドも、即座に背筋を伸ばした。


「ノイエ・アーク統治評議会代表、エーリッヒ・ヴァルトナー閣下……」


 名を呼んだその瞬間、室内の空気は確かに変わった。

 張りつめた沈黙が落ち、目に見えない重圧が周囲を包み込む。


 ヴァルトナーはゆっくりと椅子に腰を下ろした。

 その動作は無駄がなく、美しかった。まるで動作一つひとつが、政治的な演出の一部であるかのように。


 机の上に並べられた報告書に指を滑らせ、リズミカルに机を叩く。

 その音は一定の間隔を刻み、まるで心拍のように室内に響いた。


「軍の皆様には、常にご尽力いただき感謝しております」


 語調は柔らかく、物腰も丁寧だった。

 しかしその言葉は、どこか乾いていた。礼節という衣を纏いながらも、その奥にあるのは、感情ではなく、計算。


 ヴァルトナーは視線を上げると、やや微笑みながら続けた。


「──ただし、私はここで一つ、念を押しておきたい。軍は、政治に口を出してはならない。あくまで、国家の意志に従うシステムであるべきだ、とな」


 その口調はあまりにも芝居がかっていて、それゆえに恐ろしかった。

 まるで彼自身がこの国の正義を体現しているかのように、迷いなく、偽りなく。


 それは命令ではなかった。

 だが──否応なく従わせる、政治という名の支配だった。


     〇


 やがて、ヴィクトルたちが退室し、重厚な扉が静かに閉じられる。室内に沈黙が訪れると、エーリッヒは一瞬だけ目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。そして、まるで独り言のように、小さく呟く。


「……さて、これで駒は揃った。問題は、次の一手をどう打つか、か」


 彼は薄く微笑み、机の上に散らばった書類を拾い上げた。紙をめくる音が静かな室内に響く。その手つきは慎重でありながらも、まるでゲームの駒を配置するかのような冷徹さを帯びていた。


「軍は政治に従うもの……だ」


 呟くような声は、夜の空気に吸い込まれていくように低く、重かった。


 エーリッヒ・ヴァルトナーは静かにペンを手に取り、無駄のない筆致で書類の端にいくつかの指示を書き加える。その手つきは滑らかで、迷いがない。まるで未来の行く末すら、すでに掌握していると信じて疑わない者の動きだった。


 デスクの隅には、一枚の厚紙に挟まれた極秘文書が置かれていた。

 それは《プロメテウス計画》の系譜に連なるものではなかった。

 より新しく、より深く、そしてさらに倫理を踏み越えた、別の研究計画の概要だった。


 軍内部でも、ごく限られた者のみが閲覧を許された内容。

 名もなき死者たちの上に築かれた、冷徹な未来の断片。


 エーリッヒは無言のままその書類を指先でなぞる。ページの上を撫でる仕草は、まるで生物の皮膚に触れるような親密さすら帯びていた。


「……この駒が、どこまで動けるか──見ものだな」


 彼の瞳がわずかに細められる。

 その光には、もはや感情の影はなかった。ただ冷たい思考だけが、凍結した光として宿っていた。

 理想も、憐れみも、必要ない。あるのは結果と支配。そして、それを実現するための最短の道だけ。


 書類の下には、さらに一枚、別の封筒に包まれた作戦計画が伏せられていた。


 《オペレーション・ファントムドーン》。

 極秘裏に立案された新たな軍事行動案。

 その目的は、失地の奪還。

 そして、敵から得られるはずの“技術的利益”の確保。


「敵を討つ。技術を得る。そして、秩序を保つ……それが我々の“正義”だ」


 エーリッヒ・ヴァルトナーの口元がわずかに歪む。

 それは嘲笑とも、満足ともつかない、策謀家の笑みだった。


 彼にとって戦争とは、倫理や正義を語る場所ではない。

 無数の兵士が駒となり、国が盤となり、勝敗が秩序を定義する。

 血の価値を、ただの数字としてしか見ない者の、冷たく整った微笑。


 その夜、フォート・グラーデンの奥深くにて──

 新たな戦争の火種が、音もなく、確かに灯った。

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