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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
23/54

Episode 5 縛鎖断絶 -Freedom through Broken Chains- Part 1

 炎の残光が揺らめく。

 その赤のゆらぎの向こうで、工場の暗闇がざわめいた。


 崩れた鉄骨の隙間から、焼け焦げた白い肌が露わになる。

 熱に灼かれたはずの肉体が、静かに、確かに、再び立ち上がろうとしていた。


 異形のフリーダ。


 黒く粘つく体液が、裂けた皮膚の隙間から滲み出る。

 それは生き物のように這い、地面に染み込み、

 熱せられた鉄の上で悲鳴のような蒸気を立ち上らせた。


 本来なら痛みに呻くはずの肉体が、微動だにせず、

 むしろその身を火の中に晒すことで──さらなる闇を纏いはじめる。


 ──まだ、死んでいない。


 ユリウスは歯を食いしばった。

 視線の先で、それは、崩れることなく立ち上がる。


「くそ……再生してやがる……!」


 焼けても、壊れても、終わらない。

 それは“生きている”のではなかった。

 “終わらせる”ことができないという意味で、

 ただ、“存在し続けている”だけの怪物だった。


 異形のフリーダは、錆びついた鉄骨に手をつきながら、ゆっくりと立ち上がる。

 指の関節がギシリと鳴る。

 ぎこちないながらも、その姿勢には奇妙な優雅さすらあった。


 否――それはフリーダではない。


 フリーダの顔をしていながら、フリーダではない。

 その虚ろな瞳には、微かな光が宿っているが、そこに彼らの知る彼女の意志はなかった。

 ただ、淡々と――まるで死の先にある“何か”を見つめるように、無機質な視線を向けてくる。


 ライナーの拳が震えた。

 かつて自分たちを導いた姉貴分。

 どんなに厳しくても、最後には笑顔を見せてくれた彼女。

 その笑顔が、今――


 歪んだまま、固まっている。


「……笑っている?」


 エーリヒが息を呑む。


 そう、異形のフリーダは笑っていた。

 無理やり引き攣らせた口元が、醜悪な笑みを形作る。

 その表情は、人間の模倣にすぎない。

 だが、それが何よりも痛ましく、悪夢のような光景だった。


 クラリスの手が、わずかに震えた。


「こんなの……」


 言葉を紡ぐことができない。


 そして――


 異形のフリーダは、再び歩き出した。


 その動きは、ひどくぎこちない。

 関節が不自然な角度で曲がり、まるで壊れた人形が無理やり動かされているようだった。

 だが、一歩、また一歩と進むたび、その動きは徐々に滑らかになっていく。

 それはまるで、“戦い方”を思い出しているかのようだった。


「……ッ!」


 ライナーの瞳が揺れる。

 それは錯覚だ。

 もうフリーダではないとわかっている。


 しかし――


 焼け焦げた影が、燃え残る鉄骨の隙間から立ち上がる。

 それを見つめるライナーの脳裏に、あの日の光景が焼き戻されていた。


 ──訓練場。

 砂塵の舞う白い地面に、彼女の軍靴が確かな足跡を刻んでいた。


 剣を構え、振り返りざまに笑った。

 自信に満ちたまっすぐな視線で、

 まだ幼かった彼らの目を正面から見つめて。


 けれど、今、目の前にいるのは──


 あれはもう、“フリーダ”ではない。


「違う……あれは……」


 エーリヒの声が、掠れた吐息にかき消された。


 “偽物”だった。


 彼女の声ではない。

 彼女の心ではない。

 ただ、記憶を模倣し、皮だけを着込んだ──忌まわしき怪物。


 ──だが、それでも。


「……ライナー」


 エーリヒが、そっと名を呼ぶ。

 声は震えていた。だが、その奥にあるものは、確かだった。


 ライナーは静かに拳を握りしめる。

 まだ震えている指先に、ゆっくりと力が戻ってくる。


「……俺たちは……」


 呟くように、言葉が漏れた。


 ユリウスが、一歩前に出る。

 戦場の空気を纏いながら、低く息を吐き出した。


「俺たちは……亡霊に囚われてる場合じゃない!」


 鋼鉄のような声だった。

 その一言が、場の空気を切り裂いた。


 ライナーの瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

 過去を見るのではなく、“今”を見据える目に。


 銃が、再び彼の手の中で確かに形を取り戻す。

 震えを残したまま、けれど──引ける指だった。


「そうだ……俺たちは……」


 生きるために。

 明日を掴むために。

 過去に殉ずるのではなく、彼女の“言葉”に応えるために。


 ユリウスが叫ぶ。


「戦うぞ!」


 戦場が、再び動き始める。


 ライナーとエーリヒは、同時に頷いた。

 もう、迷う時間はない。


 異形のフリーダが、再び笑う。

 その笑みは、どこまでも空虚で、どこまでも無慈悲だった。


 そして――


 戦いは、終わらない。


「行くぞ、エーリヒ」

「了解」


 二人は銃を構え、再び戦列に加わった。


「作戦を立てる。奴には隙がある」


 ユリウスが鋭く言った。


「隙……?」

「さっきの爆発の後、一瞬動きが鈍った。おそらく、再生にはエネルギーが必要なんだ」


 クラリスが目を輝かせる。


「つまり、一気に畳みかければ……!」

「その通りだ。だが、そのためには奴の動きを封じる必要がある」


 ユリウスは周囲を見渡し、工場の構造を把握する。


「エーリヒ、上にある鉄骨を狙撃しろ。ライナーは俺と一緒に足止めする。クラリス、お前は最後の一撃を頼む」


 クラリスが頷く。


「了解!」


 異形のフリーダが、こちらへ向かってくる。


「行くぞ!」


 ユリウスの鋭い声が暗闇に響く。


 次の瞬間、銃口が閃光を放ち、鋭い破裂音が狭い工場内に反響した。

 ライナーとユリウスが左右から一斉射撃を開始する。

 弾丸が異形のフリーダを取り囲むように飛び交い、鉄骨の柱に火花を散らす。


「エーリヒ!」


 ユリウスが叫ぶと、エーリヒは無言で銃を構え、迷いなく引き金を引いた。

 鋭い銃声とともに、天井の支柱に風穴が開く。

 次弾、さらに次弾。狙撃が正確に打ち込まれ、錆びついた鋼鉄が悲鳴を上げた。


 鋼鉄の梁が揺れ、大きく傾ぐ。

 わずかに遅れて、巨大な鉄骨が崩落を始めた。

 重量に耐えきれなくなった床が軋み、粉塵が宙を舞う。


 異形のフリーダがわずかに動きを止めた。

 その刹那、クラリスが駆け出す。


「――今よ!」


 彼女は爆風をものともせず、鉄骨の隙間をすり抜けるように跳躍した。

 黒煙が渦を巻く中、まるで重力を断ち切るように、鋭く宙を舞う。


 乱流のように巻き上がる砂塵が視界を遮る。

 だが、クラリスの瞳は揺るがない。

 彼女は跳躍の頂点で体を回転させ、まっすぐに異形のフリーダの頭部を狙う。


 銃口が、標的を捉えた。


「終わりよ!!」


 クラリスの引き金が引かれる。

 銃口から弾丸が解き放たれ、空気を切り裂いた。


 その弾丸は、今度こそ確かに異形のフリーダの額へと向かう――。


 しかし。


 その瞬間、異形のフリーダの体が揺れた。


 ただの偶然とは思えなかった。

 それはまるで、攻撃を察知し、自ら動いたかのような――戦闘本能。


「――嘘……!?」


 銃弾は、わずかに軌道を逸れ、異形の表皮をかすめたにすぎなかった。

 しかし、その顔は――笑っていた。


 クラリスの胸を、氷の刃が突き刺す。

 これはただの“化け物”ではない。

 フリーダの姿を模した、ただの異形ではない。


「読まれてる……!?」


 クラリスが着地する前に、異形のフリーダが動いた。

 その目が、まっすぐに彼女を見据えている。


 人間の戦い方を知っている。

 彼女たちの戦い方を知っている。


「そんな……!」


 クラリスの目が見開かれる。異形は傷を負ってもなお微笑んでいた。

 その場にいた全員が理解した。これは、ただの再生する化け物ではない。


「反応が速すぎる……まるで、人間みたいだ」


 エーリヒが歯を食いしばる。


「まるで、フリーダ本人の戦闘感覚を持っているみたいだな……」


 ライナーが低く呟く。


「それじゃあ、私たちが知っているフリーダの動きも……再現してくるってこと?」


 クラリスが動揺を隠せない。


「つまり、俺たちが彼女を知っているように、向こうも俺たちの動きを先読みできるってことだ」


 ユリウスが分析する。冷や汗が頬を伝う。


「ならば……どうする?」


 ライナーが問いかける。


「それなら……予測できない動きをするしかない」


 ユリウスは銃を持ち直し、口元を引き締めた。


「つまり……?」

「俺たちの戦い方を変える。あえて無秩序に、読めない攻撃を仕掛けるんだ」

「そんなこと……可能なの?」


 クラリスが困惑するが、ユリウスは力強く頷いた。


「可能かどうかじゃない。やるしかないんだ!」


 彼の言葉に、全員が決意を固める。

 その時だった。

 エーリヒの視線が異形のフリーダの肩口に集中した。


「……待て、あれを見ろ」


 彼の指が震えながらある一点を示していた。そこには、肉の中に埋もれるようにして、脈動する黒い突起が絡みついていた。


「スプロウト……」


 ライナーが息を呑む。


「まさか……あいつ、スプロウトに寄生されて……?」


 ユリウスの声がかすれ、喉の奥で鋭く噛み潰される。


「違う。……それだけじゃない」


 クラリスの目が見開かれる。揺れる焔の中で、彼女の瞳が恐怖とも怒りともつかない色を映す。


「ただの再生じゃない……スプロウトが、彼女の神経網を模倣してる。記憶を読み取って、フリーダを“演じて”るんだ……!」

「……つまり」


 ユリウスが低く呟いた。


「フリーダはもう、あそこにはいない。けれど──完全に操られてるわけでもない。断片的な意識、あるいは残滓が、まだ……」


 クラリスの声がわずかに震える。


「もしかすると、スプロウトさえ破壊できれば……あの中から“彼女”を解放できるかもしれない……」


 ユリウスは黙って視線を向けた。

 焦げた工場の闇の中で、異形の“それ”がゆっくりと立ち上がる。


「……なら、狙うべきはただひとつだ」


 ライナーとエーリヒが、言葉なく応じる。

 銃を構え、その銃口を“かつての仲間”に向けた。

 その手には、震えも迷いも、もうなかった。


 ――これは戦いだ。

 亡霊に囚われて終わるのではなく、亡霊を超えて進むための。


 歪んだフリーダが再び動き出す。

 焦げた皮膚の奥から、赤黒い光が微かに点滅していた。


 スプロウト。

 それが、この“呪い”の鎖だった。


 戦いは、まだ終わらない。

 だが――今度こそ、決着をつける。

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