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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Prologue 晶日幻郷 -Crystal Days, Illusory Haven- Part 2

 鋼鉄の門が、沈黙を割いた。


 低く軋むその音は、まるでこの世界の“裏側”へと通じる裂け目のようだった。

 ユリウスの視界に広がったのは、秩序という名の冷たい監獄。軍の徴集センター。そこはもはや都市ではなく、国家が兵を造るために建てた“工場”だった。


 風すら整然と流れ、空気には機械油と金属粉の匂いが満ちていた。

 規則的に配置された建造物は無装飾の鋼とコンクリートで構成され、機能のために美を捨て去った無骨さが、むしろこの場所の“純粋性”を際立たせていた。


 滑走路の先では、輸送機がうなりを上げて待機し、整備ドローンが無言で機体を舐めるように巡回している。遠くでオルドのシルエットが格納庫に半ば飲まれたまま立ち尽くしており、その巨大な影が地面に落とす輪郭は、まるで戦場の亡霊のように静かだった。


 兵士たちは一列に整列し、足並みは誤差なく揃い、拳銃の携行位置さえ完全に一致していた。そこにあるのは意志ではなく、同調であり、均質化された忠誠であった。


「──静粛に」


 響いたその声は、空気の粒子を鋭利に切り裂いた。

 ひとりの将校が、征服の裾を揺らしながら歩み出た。


 髪は鋼糸のように灰色に染まり、眼光は冬の鏡面のごとく冷たく澄んでいる。

 その一歩ごとに、兵の列がわずかに緊張を強める。彼の存在自体が、「国家の声」そのものだった。

 

「──ノイエ・アークの兵士諸君」


 声音は抑制されていた。だが、確実に人の中枢へと届く構造をしていた。

 言葉は刃であり、祝詞であり、洗礼でもあった。


「今日、諸君は選ばれた。祖国の意志を受け、剣となり、盾となるために。我らが直面しているのは、ただの反乱者ではない。ヴェスペリオンは、秩序への冒涜であり、人類という概念そのものへの挑戦である。彼らは思想を毒とし、構造を崩壊させ、文明を根底から瓦解させようとする存在。故に、戦わねばならぬ。徹底的に、容赦なく。絶滅の果てまで」


 静寂が、広場を支配する。

 息を呑む音すら、許されなかった。


「諸君は知っているはずだ。兵士とは、単に銃を構える者ではない。命を投げ出すことを厭わず、疑念を心に抱かず、命令を神託とみなす者。その“精神”こそが兵士であり──国家の礎である」


 演説は続いた。それは激励ではなく、“施術”に近かった。

 魂を国家のフォーマットに合わせて切削し、思考を“信仰”へと鋳直す作業。

 それは血の通わぬ詩であり、理性という名の防壁を越えるウイルスだった。


「誇りを抱け、兵士たちよ。諸君の選択は尊く、諸君の犠牲は正義であり、諸君の死は栄光である。諸君は、ノイエ・アークの栄光そのものなのだ」


 それは、死を肯定するための祝詞だった。


 ユリウスは、黙して聴いていた。

 その眼差しはどこか遠くを見つめ、演説の言葉を言葉としてではなく、“構造”として受け止めていた。


 ──人間を兵器に変える手順。それがここにある。


 鼓動が静かに高まり、皮膚の下を何かが這うような感覚が生まれる。

 指先にじわりと汗が滲む。視線の先に映る光景は、夢ではない。現実だ。

 そして、それはもう後戻りできない地点を越えたという現実だった。


 ユリウスは、静かに拳を握った。

 指の骨がかすかに鳴る音が、鼓膜の奥にだけ響いた。


 ──逃げられないのなら、見届けるしかない。

 この国家の虚構を。

 この戦争の真実を。

 そして、この世界の“終わり”を。


 それがどれほど残酷なものであろうとも──


 少年は、その第一歩を踏み出した。


 “理想”という名のクリスタルに亀裂が走る音が、誰にも聞こえぬまま、確かに鳴っていた。


     〇


 訓練棟の奥。

 冷却剤の風が吹き抜けるその地下格納区画には、白く塗装された鋼鉄の鳥が、まるで息を殺すかのように静かに待ち構えていた。


 巨大な機体は、動く気配すら見せず、それでも確かに生きていた。

 機首には軍の制式番号が深く刻まれており、その墨のような黒が、義務と命令の重みを突きつけてくる。

 滑らかに研磨された装甲には、照明が無数の光斑を落とし、影を一切許さぬ完璧な白が、かえって異物めいた威圧感を放っていた。


 鼻をつくのは、焼けた油と冷えた金属の混ざり合う匂い。

 乾いた空気の奥に、燃料タンクから漏れた微かなガス臭さが漂っている。

 どこか焦げた匂いすら含んでいた。それは、機体の過去が“まだ何かを燃やしている”証だった。


 胴体側面には、開かれたハッチが階段のように伸びており、**昇るというより“呑み込まれる”**ように、内部へと人を誘っていた。

 その開口部は、闇と光の境界をなしており、明滅する警告灯の赤が、無言で「戻るな」と告げているかのようだった。 


 ──これは、ただの輸送機ではない。


 少年たちを、戦場という名の異界へと運ぶ“檻”である。

 かつて誰かがここから乗り込み、そして帰ってこなかった。

 その記憶が、機体の骨格に染みついているような錯覚さえあった。


「搭乗開始」


 無機質な合成音声が、格納庫全体に響き渡る。

 抑揚のない女性型音声。感情も温度も存在しない。まるで“命令”そのものが声になったような響き。


 その瞬間、兵士たちは一斉に動き出す。

 号令ではない。ただの音声。それでも反射的に、何の疑問も挟まず列を組み、歩き出す。

 無意識に。それが「正しいこと」だと、身体に刻み込まれているかのように。


 靴音が鋼板を叩く。

 硬質な金属の連打が、格納庫の高い天井に反響し、まるで出撃の太鼓のように場を支配していく。

 その音には期待も、不安も、痛みも乗っていない。

 ただ、規律と、従順だけが響いていた。


 列の中にいたユリウス・ハルトマンは、無言のまま歩を進めていた。

 まるで自分の足が、自分の意志とは別に動いているような、奇妙な感覚。

 感情は、喉の奥で凍りついたまま動かなかった。


 彼の視界に、ゆっくりと、輸送機の搭乗口が近づいてくる。

 光の向こうにあるその内部は、黒い穴のように口を開けていた。

 何かを、永久に飲み込むために──そこに存在しているのだった。


 そして、ユリウスの足が、その境界線を、静かに──越えた。


 ユリウスもまた、その列に加わる。


 光が一瞬だけ翳った。

 機内へと足を踏み入れた瞬間、彼は理解する。


 この空間こそが、もう都市ではない。


 閉ざされたハッチ、固定された座席、無数の安全ベルト。

 金属の床はわずかに震えており、遠くでエンジンの鼓動が胎動のように響いている。

 この振動が、やがて何百キロ先の「死地」へと彼らを運ぶのだ。

 

 座席に腰を沈めると、静かに呼吸が深くなる。


 周囲には少年兵たちの声──笑い声、希望、無邪気な野心が渦を巻いていた。

 だが、それらはどこか虚ろで、まるで戦争を“遊び”だと信じているような脆さを孕んでいた。


 ユリウスはそれを見つめていた。

 言葉にはせず、ただ、記憶の奥底に焼き付けるように。


 この瞬間すら、もしかすると──生涯忘れられぬ一幕になるのかもしれない、と。


 天井の灯りがゆらぎ、機体が動き出す。


 ──戦争が、始まる。

 その事実が、今ようやく、皮膚の下で静かに冷たく膨らんでいくのを、ユリウスは感じていた。

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