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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Episode 4 冥哭冥濁 -Voices from Beyond- Part 2

 朝靄の中、黒い影がゆらりと動いた。

 ユリウスは息を殺し、小銃を構える。霧が視界を遮る中、湿った足音が不規則に響く。足音だけではない。粘つくような、異様な音。肉が擦れ、触手が地面を這う不快な音が、彼の鼓膜を叩いた。


「来るぞ……」


 ライナーが低く囁く。

 エーリヒは無言のままスコープを覗き、銃口をわずかに下げた。標的の動きを慎重に見極めている。


 丘陵地帯の向こう側から、ゆっくりと《マローダー》が姿を現した。

 朽ち果てた外骨格はすでに何かに腐食され、皮膚のように剥がれかけている。節くれだった触手がのたうち、黒い体液を滴らせながら地面を這う。まるでその動きだけで、世界そのものを汚染していくかのようだった。

 頭部に当たる部分が、こちらをじっと見つめているような錯覚を覚える。

 冷たい視線はない。知性もないはずだ。それなのに、底知れぬ悪意が、じわじわと霧の中から押し寄せてくる。


「数は……四体か」


 クラリスが息を呑む。


「バラけるな。静かに仕留める」


 ライナーが手を挙げ、指でサインを出す。

 エーリヒが頷き、ライフルのボルトを静かに引く。標準仕様の小銃では、《マローダー》の外骨格を正面から貫くのは難しい。だが、関節や頭部を狙えば即座に無力化できる。

 ライナーはゆっくりと身を低くし、地面を這うように《マローダー》へと接近する。

 風が枝葉を揺らし、湿った空気が肌にまとわりつく。彼の足音は、まったく響かない。


 ──今だ。


 ライナーの手が閃く。

 振り下ろされたナイフが、滑るように《マローダー》の関節部へと突き立てられた。刃が肉を裂き、異形の生体機械が低く呻く。触手が痙攣し、わずかに反応を見せるが、それより早くライナーは体勢を崩し、片膝をついた。


 直後、パァンという乾いた銃声が響く。

 エーリヒの弾丸が、別の《マローダー》の頭部を正確に貫いていた。

 硝煙の匂いが鼻を突く。倒れた個体の体がビクビクと痙攣しながら、地面に崩れ落ちた。


「次」


 ライナーの冷静な声が響く。

 ユリウスはごくりと唾を飲み込んだ。

 彼らは、まるで影のように敵を葬っていく。


 最後の一体がこちらに気づき、警戒の声を発しようとした瞬間、クラリスが素早く銃を構え、無駄なく引き金を引いた。


「ッ……!」


 閃光。

 短い反動がクラリスの肩に伝わる。

 弾丸は《マローダー》の頭部を撃ち抜き、内部で炸裂する。

 異形は一瞬硬直したあと、触手をぶつけるように地面へと崩れ落ちた。

 戦闘終了。


 静寂が戻る。

 硝煙が漂い、湿地の空気に重く溶けていく。

 ユリウスは息を整えながら、周囲を見回した。


「片付いたな」


 ライナーが短く言う。


 戦闘はわずか十秒ほどの出来事だった。

 だが、その十秒の間に、確かに生と死が交錯している。

 ライナーがナイフに付着した黒紫の液体を拭いながら、周囲を見渡す。


「よし、行こう」


 エーリヒが頷き、全員が再び移動を開始した。


 戦わずに進む。それがこの戦場で最も重要な戦術なのだから。

 彼らは息を潜めながら丘陵地帯を抜け、合流地点へ向かうために慎重に歩を進める。遠くで微かに金属が擦れるような音が響き、ユリウスは反射的に動きを止めた。


「……待て」


 ライナーも手を挙げて合図を送り、全員がその場に静止する。エーリヒが低い声で囁いた。


「また敵か?」

「わからない。だが、動きが不自然だ」


 霧の向こうに、不気味な影が揺れている。四肢を持たない、這うような姿。それは《スプロウト》だった。


「厄介だな……あれに寄生されたら終わりだ」


 クラリスが息を詰める。小さな生物のように見えるが、人間に取り付けば神経を支配し、意識を奪い去る。


「やり過ごせるか?」


 ユリウスが尋ねると、ライナーは一瞬考えた後、低く答えた。


「可能なら戦闘は避けたいが……確実に見つかる距離だ。最小限で仕留めるしかない」


 全員が静かに頷き、それぞれの武器を握り直した。風が止み、静寂が彼らを包む。


「いくぞ——迅速に片付ける」


 ライナーの指示と共に、影が素早く動いた。


 エーリヒが瞬時に狙撃態勢に入り、標的を冷静に定める。残弾数、五発。彼の指が引き金を絞ると、消音された銃声とともに《スプロウト》の小さな身体が弾け飛んだ。

 しかし、それだけでは終わらない。草陰から這い出るように、別の《スプロウト》がじわりと接近していた。


「まだいるな……三体か?」


 ライナーがナイフを構えながら低く呟く。ユリウスは銃口を向けるが、狙いが定まる前に、ライナーが疾風のごとく駆け出した。

 刃が閃き、一体が沈む。続けて二体目が飛びかかるが、クラリスが即座にカバーに入り、至近距離で引き金を引いた。短い閃光の後、《スプロウト》が黒紫の液体を撒き散らしながら地面に崩れ落ちる。


「最後の一体!」


 エーリヒが低く叫びながら、再び狙撃する。弾丸は正確に標的を貫いたが、それでも《スプロウト》は完全には沈黙しなかった。もがきながら触手を広げ、這い寄る。


「近づかせるな!」


 ユリウスが素早く距離を詰め、軍用ナイフでとどめを刺す。彼の小銃の残弾は七発。粘性のある黒紫の液体が跳ね、彼のブーツを汚した。

 静寂。


「終わったか……」


 クラリスが息を整えながら銃を下ろす。残弾数、四発。ライナーはナイフを拭い、周囲を見渡す。


「今ので気づかれた可能性がある。すぐに移動するぞ」


 エーリヒが双眼鏡を取り出し、霧の向こうを確認する。


「……問題ない。今のところ、増援はなし」


 ユリウスは頷き、改めて周囲を確認した。


「なら急ぐぞ。ここに長く留まるのは危険だ」


 彼らは再び足を踏み出し、慎重に丘陵を越えていった。

 湿った土の感触がブーツ越しに伝わる。息を潜め、周囲の音に耳を澄ませながら歩を進める。どこかで風が木々を揺らし、不規則な影が霧の中に踊っていた。


「合流地点まで、あとどれくらいだ?」


 ユリウスがライナーに囁く。


「二キロほどだ。このまま慎重に進めば、問題なくたどり着ける」


「問題なく、ね……」


 クラリスが呟くように言った。その声には、これまでの経験からくる警戒心がにじんでいた。

 エーリヒが歩みを止め、手を挙げる。全員が瞬時に動きを止め、息を潜めた。


「……聞こえるか?」


 遠くから、微かな振動が足元に伝わる。規則的で、重い。誰もが知る音だった。


「《マローダー》じゃない。もっと大きい……」


 ライナーが低く唸る。

 霧の向こうに、不気味な影がぼんやりと浮かび上がる。


「中型種か、それとも……」


 エーリヒが無言で双眼鏡を構えた。

 霧の幕を透かし、遠くの異形を捉える。次の瞬間、彼の表情が僅かに強張った。


「……《グリムリーパー》だ。一体。こっちにはまだ気づいていない」


 ユリウスは拳を握りしめた。

 《グリムリーパー》――体高5メートル、異形の死神。

 重厚な外骨格は、まるで戦場の死者の残骸を纏った鎧のように見える。

 触手は地面を這い、腐食した泥をまき散らしながら、ゆっくりと蠢いていた。


「どうする? 避けて進むのは可能か?」


 ライナーは一瞬考え、低く答えた。


「無理だ。このまま進めば確実に接触する。だが、こちらから仕掛けるのは得策じゃない」


 クラリスが小さく息を呑む。

 《グリムリーパー》は小銃では倒せない。機関砲クラスの火力が必要だ。

 この場で交戦すれば、確実に被害が出る。


「逃げ道は?」

「丘陵の北側に少し傾斜がある。うまく潜り込めば、視界から外れるかもしれない」

「なら、そっちを使うしかないな……」


 ユリウスが決断し、全員が低姿勢のまま北側の斜面へ向かう。

 岩陰を伝い、一歩ずつ慎重に移動する。

 呼吸を抑え、足音すら殺して進んでいく。


 しかし、その時だった。


 《グリムリーパー》が立ち止まり、触手を僅かにうねらせた。

 空気が張り詰める。

 ユリウスは思わず息を止めた。


 重い沈黙の中、異形の感覚器官が周囲の気配を探るように蠢く。

 触手の先端が僅かに震え、泥の中をゆっくりと進んでいく。


 「……気づかれたか?」


 エーリヒが小声で囁く。

 誰も答えない。

 《グリムリーパー》の頭部が、ゆっくりとこちらを向いた。

 霧が揺れる。

 時間が止まったかのように感じられた。


 次の瞬間――。

 異形の触手が勢いよく伸びた。


 ライナーがわずかに身構える。

 エーリヒが静かに銃を構え、ユリウスも安全装置を外す。


 重い沈黙が続く。

 次の瞬間、咆哮のような金属音が響いた。


「動くぞ! 速やかに離脱だ!」


 ライナーの号令とともに、彼らは全力で斜面を駆け下りた。

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