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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
13/54

Episode 3 宿業抗拒 -The fire that drives me- Part 1

 基礎訓練を終えた新兵たちは、次なる“試練”へと送り込まれた。

 それは訓練という名を与えられてはいたが、もはや訓練と呼ぶにはあまりに現実に近すぎる。


 ──サバイバル訓練。


 基地を離れ、限定された物資だけを手に、生き延びることを強いられる課程。

 場所は、基地から約五百キロ離れた湿地帯。かつて激戦の舞台となった旧戦場。

 今では廃墟と化した集落、崩れかけた防壁、放棄された陣地が不気味な沈黙の中に点在している。

 濃霧が視界を奪い、腐った水気と泥のぬかるみが進軍を阻む。

 生きることすら困難な地に、彼らは放り込まれる。


 静寂の中、上官の声が冷ややかに響いた。


「お前たちはこれから、指定された地点へ移動し、そこで三日間、生き延びてもらう」


 淡々と、感情のない口調だった。まるで「任務」と「生存」が、等価の事務作業であるかのように。


「チームは、同室の同期を基準に編成されている。お前たちの命は──自分自身と、隣にいる者に預けられると思え」


 数人の新兵が、隣を見る。互いの視線が交差し、すぐに逸らされた。


「だが、生きるだけでは足りない」


 指揮官は続けた。


「今回の訓練には、各チームごとに“任務”が課される。物資回収、情報偵察、暗号送信。内容はチームごとに異なる。生存と任務達成──両方だ。片方でも失敗すれば、評価は“死亡”と同義だ」


 誰かが息を呑む音がした。

 あるいは、それすら、もう押し殺されていたかもしれない。


 それは“訓練”と呼ばれた。

 だがその実、それは模擬戦場であり──戦場に出る前の、最後の選別だった。


 ヴィクトルがそう告げた時、新兵たちの間には戸惑いの表情が広がった。

 そんな中、一組の新兵が静かに立っていた。


「……訓練の本質は、任務の遂行だ」

「生存は最低条件だ。その上で、与えられた任務を完遂する」


 話していたのは、二人組の新兵だった。一人は金髪の長身で無表情な男――ライナー・ヴォルフ。もう一人は浅黒い肌の寡黙な男――エーリヒ・シュタイン。彼らは訓練開始時から常に行動を共にし、無駄のない動きと冷静な判断力で上位の成績を維持していた。二人は訓練開始時から常に行動を共にし、実技評価も上位に位置する実力者だった。

 ライナーがユリウスとクラリスに視線を向け、淡々とした口調で言う。


「この訓練で重要なのは、個人の生存能力ではない。任務を遂行し、帰還することだ」

「……そんなに自信があるの?」


 クラリスが肩をすくめると、エーリヒが静かに言った。


「責任感の問題だ」


 その静かな言葉に、場の空気がわずかに引き締まる。基礎射撃や戦術行動は学んだものの、実際に野外で生活する訓練は初めてのことだった。


「食料、水、装備は最低限だ。補給は一切ない。自分たちで確保しろ。敵と遭遇する可能性も考慮し、慎重に行動すること。さらに、各チームには異なるミッションが与えられる。例えば、指定地点への偵察、救難信号の発信、戦場での物資回収などだ。失敗すれば減点、達成すれば評価が上がる。戦場では、ただ生き残るだけでは意味がない。どんな状況でも任務を完遂することが求められる」


 クラリスが眉をひそめた。


「まさか……敵が出る可能性があるんですか?」

「……」


「それ、本当に訓練なの?」クラリスは冗談めかして笑おうとしたが、ヴィクトルの表情は変わらない。


「笑えないわね……」クラリスはため息をついた。

「ゼロではない。実際の戦場では、環境そのものが敵になることもある。お前たちに必要なのは、戦闘技術だけじゃない。生き抜く力だ」


 ユリウスは無言で装備を確認し始めた。支給された小銃は標準的な制式モデルで、弾薬は三日分のみ。無駄遣いは許されない。ナイフ、携帯用の簡易濾過装置、非常食のレーション、マッチ一本とロープ。どれも極限状態を想定した最低限の道具だった。


「三日間とはいえ、これは厳しいな……武器を支給されたのはいいが、弾が限られているのが気になる。しかも任務までこなさなきゃならないとはな」


 クラリスも支給品を確認しながら、ため息をつく。


「寝袋すらないなんて、本当にやるの? それに、ミッションまであるなんて、最初の訓練にしては随分と厳しいじゃない」

「当然だ。小銃があっても油断するな。弾は貴重だし、戦場では物資が尽きれば終わりだ」


 ヴィクトルは腕を組み、厳しい視線を向けた。


「お前たちは兵士だ。これは命を守るための訓練だと思え。戦場に出れば、こんな状況は日常茶飯事だ」


 ヴィクトルは一拍置き、言葉を続けた。


「ちなみに、お前たちはすでに《レイヴンズ・コール》に配属されている。ただし、訓練を終えたのち正式な辞令が下される。お前たちがここでふるい落とされれば、そのまま戦力外として扱われるだけだ」


 ユリウスとクラリスは、互いに視線を交わした。


「了解しました」


 ユリウスはクラリスと共に配属表を確認する。案の定、同じ部屋だった彼女とペアになっていた。


「つまり、あんたと二人で協力しろってことね」

「文句でもあるのか?」

「別に……ただ、あんたって無駄に冷静だから、面白みがないのよね」

「戦場で面白さを求めるのは間違ってる」

「……そういうところよ、つまんない男」

「そういうことだな」


 クラリスは肩をすくめながら、ため息混じりに呟いた。


「……ま、悪くはないわ。仕方ないわね……やるしかないか。どんなミッションが来るか分からないけど、ちゃんと協力しないと詰みそうね」


    〇


 初日の夜、二人は森の中に身を潜めながら、焚き火の小さな灯りを囲んでいた。

 辺りには木々が鬱蒼と生い茂り、夜風が枝葉を揺らすたびに、ざわざわと不気味な音が響く。頭上では雲が月を隠し、星の光さえほとんど届かない。闇の奥からは時折、小さな生き物の気配が感じられ、何かが枯葉を踏みしめる音が微かに聞こえていた。

 気温は急激に下がり、昼間の汗が冷えて身体を凍えさせる。軍服は薄く、風を防ぐには心許ない。冷えた指先を擦りながら、クラリスは焚き火の小さな炎をじっと見つめた。


「……思った以上に厳しいわね」


 ぽつりと漏れた言葉は、焚き火の弾ける音にかき消されそうなほど小さかった。


「もう疲れたのか?」

「は? あんたは疲れてないの?」


 ユリウスは火を見つめたまま、淡々とした口調で言った。

 クラリスは顔をしかめ、苛立ったようにユリウスを睨む。焚き火の灯りが彼の横顔をぼんやりと照らしていた。


「考えたって仕方ないことを考えすぎると、無駄に疲れるだけだ」


 ユリウスはそう言うと、膝を立てて腕を乗せ、ゆっくりと息を吐いた。その仕草には、余計な感情の揺らぎがほとんど感じられない。

 クラリスはしばらく彼を見つめたあと、小さく舌打ちし、肩をすくめた。


「……そういうとこが嫌いなのよ」


 ユリウスは何も言わず、炎の揺らめきを静かに見つめ続けていた。

「……やっぱり、つまんない男ね」クラリスは呆れたように肩をすくめた。

 クラリスは腕を抱きながらぼそりと呟いた。ユリウスは静かに薪をくべながら彼女を一瞥する。


「まだ初日だ。これからもっと厳しくなる」

「そう言われると余計に気が重いんだけど……」


 クラリスはため息をついた。ユリウスは何も言わずに自分の上着を脱ぎ、それをクラリスに差し出した。


「え?」

「寒いなら使え」

「……別に、いいわよ。あんたが寒くなるでしょ」

「俺は平気だ」


 クラリスは少し逡巡した後、遠慮がちに上着を受け取る。


「……ありがとう」


 クラリスがぽつりと呟く。焚き火の小さな炎が揺れ、その光が彼女の横顔を仄かに照らした。


「気にするな」


 ユリウスは炎を見つめたまま、淡々とした口調で応じた。まるで、感謝されることすら特別なことではないとでも言うように。


「ふーん……意外と優しいのね?」


 クラリスが興味深げに覗き込むが、ユリウスは顔を上げることなく静かに答えた。


「合理的な判断をしただけだ」

「はいはい、わかったわよ。素直じゃないんだから」


 クラリスはくすっと小さく笑い、肩をすくめた。だが、その瞳の奥にはわずかな温もりが宿っている。

 ユリウスは何も言わず、ただ焚き火をじっと見つめ続けた。その横顔は、普段よりもどこか頼もしく映る。光と影が入り混じる炎の明かりが、彼の表情を柔らかくも硬質に浮かび上がらせていた。

 クラリスはそんな彼を横目で捉えながら、自分の心が妙に落ち着かないことに気づいた。


「……ねえ、ユリウス」


 迷いを含んだ、掠れるような声。

 それは、焚き火の音よりもかすかに、彼の名を呼んだ。


「なんだ」


 ユリウスは顔を向けないまま、短く返す。

 それきり。

 クラリスは一瞬、何かを言いかけたが、口をつぐむ。

 薄く開いた唇が、そのまま沈黙に飲まれていく。


 小さく首を振って、かすかに笑うような、苦い仕草を見せた。


「……なんでもないよ」


 その声もまた、夜に溶けるように小さく。


 クラリスは肩をすくめるようにして上着の襟元を寄せた。

 軍服の生地は頼りなく、夜風は容赦なく肌を撫でていく。

 炎がぱちりと弾けた音がした。

 小さな赤が揺れ、闇の底へ消える。


 誰も何も言わない。

 けれど確かに、何かが始まっていた。


 ──こうして、新兵たちの“戦場の予習”が、幕を開けた。

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