Episode 2 死中求活 -They called it training- Part 4
座学が終わり、ユリウスとクラリスはしばしの休憩を与えられた。
二人は言葉を交わすことなく、無言のまま食堂へと足を運ぶ。室内には他の兵士たちのざわめきが微かに漂っていたが、戦場帰りの者たちはただ黙々と食事を摂るだけで、そこに活気というものはなかった。
配給窓口に並び、無機質な手つきで渡された食事を受け取る。硬質なパンと栄養スープ、そして乾燥肉。皿の上に置かれたそれらは、必要最低限のカロリーを摂取するためだけの代物だった。香りはほとんどなく、色合いも沈んでいる。
クラリスはパンを手に取った。その感触は石のように硬く、握る指先にわずかにざらついた感触が伝わる。指の腹で押しても形はまったく変わらない。軽く息をつきながら、彼女はパンを眺めた。
「……まるでレンガね」
ぽつりと呟いた声は、自嘲にも似ていた。
スープはとろみのない薄い液体で、栄養素を詰め込んだだけの淡泊な味が口の中に広がる。乾燥肉は噛み締めるたびに繊維がほぐれるが、塩気が強く、水なしでは喉を通りづらい。
食べることは戦うための義務。味を求めることは、ここでは贅沢とすら言えなかった。
ユリウスは静かにスプーンを手に取り、無言のままスープを口に運んだ。沈黙が、重く二人を包み込んでいた。
「……聞いてるだけで気が滅入るわね」
クラリスはスプーンでスープをかき混ぜながら、ユリウスの顔をちらりと見る。
「ねえ、あんたは怖くないの?」
「何がだ?」
「戦場よ。敵の機体の説明を聞いて、正直、私は震えたわ」
ユリウスは淡々とスープを飲み込んで答えた。
「怖いとか怖くないとか、考えても意味がない。俺たちは戦うしかないんだ」
「……つまんない男」
ユリウスはスプーンでスープをかき混ぜながら淡々と答えた。
「現実を知るのは悪いことじゃない。生き残るためには必要な情報だ」
「そうだけど……」
クラリスは言葉を濁し、食事を進める。ユリウスも黙ってそれに倣った。食堂には他の兵士たちもいたが、新兵である二人に興味を示す者は少なかった。
そこへ、軽やかな足音が近づいてきた。
「やっと終わったのですわね、座学」
リリィ・フォン・シュライフェンが姿を現した。相変わらずの自信たっぷりな態度で、彼女は二人の向かいに座る。
「あなた方、新兵の顔色がよろしくなくてよ? そんなに衝撃的なお話でしたの?」
クラリスは苦笑しながらパンをかじる。
「そりゃあね。敵の兵器のことも聞かされたけど……それ以上に、この戦争がどれだけ絶望的かを突きつけられた感じ」
リリィはくすっと笑う。
「戦争とはそういうものですわ。それでも、あなた方は戦わなくてはいけませんのよ」
ユリウスはリリィの言葉に微かに眉をひそめた。
「貴族の娘らしい発言だな」
「まあ、私の立場もありますもの。でも、私はただの軍の飾りではありませんわ。お二人が生き残れるよう、情報を整理し、指示を出すのが私の役目ですから」
リリィは茶目っ気たっぷりにウインクする。
その時、スピーカーが低い電子音を鳴らし、食堂にアナウンスが響いた。
『新兵は15分後に演習場へ集合せよ』
クラリスがスプーンを置く。
「……もう実戦訓練?」
「当然だろう」
ユリウスは食事を終え、立ち上がった。
「生き残るためには、訓練するしかない」
クラリスもため息をつきながら立ち上がる。
「はぁ……せめて食後くらい、もう少し休ませてくれればいいのに」
リリィはその様子を見て、笑みを浮かべながら手を振った。
「お二人とも頑張ってくださいませ。私も後方から見守っておりますわ」
〇
演習場へ向かう道すがら、ユリウスとクラリスは無言のまま歩いていた。
食堂を出た直後は、周囲にはまだ新兵たちのざわめきが残っていた。誰かが冗談を言い、誰かが乾燥肉の硬さに文句を漏らす。そんな他愛のないやり取りが、戦場の外ではまだ普通に交わされていた。
しかし、演習場に近づくにつれ、その喧騒は次第に薄れ、やがて空気は張り詰めていった。
道の先、演習場の入り口が視界に入る。そこには幾人もの影が並んでいた。
ユリウスの足がわずかに重くなる。
硬い地面に立ち並ぶのは、規律正しく整列した数名の兵士たち。制服の皺一つないその姿は、単なる訓練教官というよりも、実戦経験を積んだ戦士のそれだった。彼らは新兵たちを観察するかのように静かに佇み、その眼光は鋭く冷たい。
無機質な軍靴の音が響く中、ユリウスはその中の一人に目を留めた。
ヴィクトル・シュナイダー。
戦場の色に染まった男。
彼は腕を組み、険しい表情のまま演習場の奥へと視線を向けていた。燦々と照りつける太陽の下、その姿は黒い影のように沈み、そこだけ空気が異様に冷えているようにすら思えた。
クラリスが隣で小さく息を呑むのが聞こえた。
彼女の視線もまた、教官たちの厳格な態度と、そこに漂う圧倒的な戦場の重みに囚われていた。
ユリウスは一度だけ深く息を吐き、無言のまま演習場へと足を踏み入れた。
「遅れるな。訓練は時間通りに始める」
ヴィクトルが冷ややかに告げると、新兵たちは整列し、緊張した面持ちで彼の指示を待った。
「お前たちは今日から実戦を想定した訓練を行うと言っても、いきなり実弾で撃ち合うわけじゃない。最初は基礎だ。だが、甘く見るな」
ヴィクトルの言葉に、新兵たちの間に微かな安堵の空気が流れる。しかし、すぐに彼の鋭い声が続いた。
「戦場での失敗は即、死を意味する。ここで学べなければ、お前たちは無意味に死ぬだけだ」
その言葉に、一瞬の安堵は消え去った。
「言っておくが、ここでの訓練は単なる演習ではない。戦場で生き残るための最低限の技能を叩き込む場だ。失敗すれば死ぬ、それを忘れるな」
クラリスが小さく息をのむ。ユリウスは黙って前を見据えていた。
「まずは基礎から始める。武器の取り扱い、敵との交戦、そして戦術行動だ。教官の指示に従い、無駄な動きはするな」
そう言うと、ヴィクトルは背後の兵士に合図を送った。すると、一台の軍用車両が演習場の中央へと進み、荷台から小銃が次々と降ろされる。
「配れ」
教官が無造作に小銃を新兵たちに渡していく。ユリウスが手にしたのは、標準的な制式小銃だった。適度な重みがあり、手に馴染むように設計されている。
クラリスも自分の小銃を手に取り、試しに肩に構えてみせた。
「結構、しっかりしてるのね」
「当たり前だ。お前の命を預かる道具だからな」
ヴィクトルは冷徹な視線を向ける。
「だが、その道具の扱い方を知らなければ、単なる鉄の塊に過ぎない。今からそれを体に叩き込んでもらう」
ヴィクトルは一拍置いてから、さらに続けた。
「今から行うのは基礎射撃訓練だ。標的を正確に撃ち抜く技術を身につける。戦場では、一発のミスが命取りになる。慎重に、だが迅速に動け」
クラリスは小銃を下ろし、わずかに唇を噛んだ。
「私、射撃よりも早くオルドの訓練に参加したいわ。私の適性は操縦士なのよ。だったら、早く実機に慣れる方が合理的でしょう?」
「そうかもしれんが、戦場での生存率を上げるには基礎が重要だ」
「でも――」
「お前が操縦するオルドの外で、仲間が敵を撃ち落とし、お前を守るんだ。だからこそ、銃を扱う術を学べ」
クラリスはぐっと言葉を飲み込み、唇をかみしめながら、渋々小銃を握り直した。指先にわずかな力が入り、銃床が掌に食い込む。彼女の手のひらには、すでにじんわりと汗が滲んでいた。
ヴィクトルはクラリスの表情を一瞥したが、その目には何の感情も宿っていない。ほんの一瞬、彼の瞳が僅かに鋭さを増した気がしたが、それもすぐに消え、無表情へと戻る。
「焦るな」
低く、抑えた声だった。
「基礎がなければ、オルドの操縦席に座ることすら許可されん。お前の命を守るのは技術だけじゃない。戦場で生き延びるための判断力を鍛えるのが先だ」
その言葉は、叱責でも説教でもなかった。ただの事実だった。
クラリスは不満げに眉をひそめ、悔しさを噛み殺すように拳を握る。だが、反論の言葉はどこにも見つからなかった。
静かに息を吐くと、彼女はもう一度小銃を構えた。今度は力みすぎず、しかし決して手放さないという意志を込めて。
ヴィクトルは何も言わず、ただ静かにその様子を見守っていた。




