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クリスタルデイズ  作者: 翌桧 寿叶
ACT.Ⅰ 虚炎
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Prologue 晶日幻郷 -Crystal Days, Illusory Haven- Part 1

正統派SFを書きたいです。

 陽光がすべてを覆っていた。


 濁りなき光が、街そのものを純白の幻に変えてゆく。白亜の石造りの建築群は、規則正しく並び立ち、幾何学的な美を誇示するかのように、影すら寄せつけない直線と曲線を描いていた。漆喰の壁は昼の光を鏡のように弾き返し、どの窓硝子にも欠けのない輝きが宿っていた。


 清掃用ドローンがわずかな塵芥さえも許さずに走査を繰り返し、石畳の路面はまるで磨かれた大理石のような滑らかさで、人々の足音さえも吸い込んでいた。


 路地を行き交う市民たちは、淡色の制服に似た装いで揃えられ、装飾の過剰さを禁じられた調和と端正の美を身にまとっていた。挨拶の言葉は穏やかで、会話の音量は制度により制御されたかのように一定を保ち、乱れを見せる者はいない。


 広場では、噴水が虹を纏って舞い上がり、無邪気に笑う子供たちの声と溶け合っていた。人工の青空は完璧に澄み渡り、プラズマ照射された雲ひとつ存在しない。その下では老若男女が穏やかな微笑みを浮かべて散策し、正午を告げる鐘の音が空気を割くことなく、静かに耳の奥に届いていた。


 すべてが、あまりにも整いすぎていた。まるで世界そのものが、ひとつの巨大な舞台装置であるかのように。


 ──戦争という言葉が、この街のどこにも存在しないかのように。


 ここはノイエ・アークの心臓、《中央市域クラスタ》第07区。政治と文化と精神の中心、そして独裁国家が自らの正義を体現するために創り上げた、最も“純粋な”区画である。


 広場の中心には、白金の柱で構成された記念碑《栄光の塔》が天を衝き、その頂では金属製の白い鳩が翼を広げていた。常時循環する人工風がその翼を揺らし、まるで永遠の平和がこの地に吹き続けるかのような演出が施されている。


 通りに並ぶ商店は無音で開閉し、商品は一糸乱れぬ配列で陳列されていた。果実、精密機器、衣料品──すべてが過剰なまでに豊富で、まるで“欠乏”という概念自体が存在しないかのようだった。棚の一つ一つに小型センサーが取り付けられ、商品が一つ動くだけでバックヤードでは無音の補充が始まる。


 空中には監視ドローンが目立たぬ高度で周回し、顔認証によりすべての市民の動線が解析されていた。だが、それを不快に思う者はいない。そもそも、この都市に生きる者にとって、「監視」は生活の一部であり、「安全」と同義にすらなっていた。


 学校の校門には、純白の制服に身を包んだ生徒たちの列。成績優秀者の顔写真が掲示板に並び、その下には金箔で縁取られた「栄誉」の文字が踊る。軍属志願者の数は年々増加しており、子供たちは兵士のフィギュアや戦闘機の模型を誇らしげに抱えていた。


 この街において「軍」は崇拝対象であり、「戦うこと」は義務である以前に美徳であった。


 ──正義はこの国にしかない。民はそう信じていた。

 それが正しく思えるように、世界はそう“設計”されていた。


 整然と輝く街の景色の裏側に、ひとつの冷徹な現実が忍び寄る。広場の一角、風格ある石壁に張り出された掲示板の前に、ユリウス・ハルトマンは立っていた。彼の眼差しは、まるで一枚の絵巻を辿るかのように、刻まれた文字たちを読み解こうとしていた。


 掲示板に掲げられた《徴兵名簿》は、無機質な漆黒のインクで厳かに記され、その中に自らの名前が躍っていることを告げていた。紙面の隅々にまで、国家の秩序と命令が刻み込まれている様は、冷徹な理想の具現そのものであった。


 ユリウスの心は、幼き頃に夢見た未来と、今まさに迫る運命の狭間で、静かに、しかし確実に震えていた。彼が受け継いできたのは、機械と共に育まれた冷静さ。しかしその瞳の奥には、疑問と微かな恐れが宿っていた。


「これが…俺の未来か」


 その呟きは、空気の中に溶け込み、まるで過ぎ去りし時の記憶のように、ただ静かに消えていく。


 鋭い筆致で記された名簿の中、彼の名前は一際重く、避けられぬ運命を象徴しているかのように映る。すべてが整然と統制されたこの都市――完璧な秩序の裏に潜む、冷たい必然。その一端を、ユリウスは痛感せずにはいられなかった。


 国民は、誇り高き戦士としての道を歩むために、この名簿に名を連ねる。それは、幼き理想の崩壊であり、同時に新たなる試練の始まりであった。彼の心に、既にある種の覚悟と、言葉にできぬ内省の声が静かに鳴り響いていた。


 ──この名簿は、希望と絶望が交錯する、未来への扉である。


 街は、美しすぎた。異常なまでに均整を保ち、完璧な清潔さを維持し、すべてが「統制されている」。人々は疑わず、迷わず、疑問を抱かず。誇らしげに掲げられた兵士たちの肖像画。称賛の言葉、栄光の象徴。教育課程のあらゆる場面で、「戦うこと」は美徳であり、「死ぬこと」は義務とされていた。


 ユリウスは、空を仰ぐ。


 ──青い。


 底の見えぬほど澄み切った青は、まるで何もかもを覆い隠すための“帳”であるかのようだった。彼の胸にあったのは、震えでも興奮でもない。ただ、ひとつの感情。


「……不可避だ」


 そう呟いたとき、軍の兵士たちが広場へと姿を現した。金属の擦れる音、規律を刻む歩調。すでに彼らの眼差しは、ユリウスたち新兵候補を“兵器”として見ていた。


 ユリウス・ハルトマン、十五歳。

 本来ならば、今日という日は教室で過ごすはずだった。試験問題と向き合い、整備士資格の模擬実技を控え、研磨油の香りと金属片の感触に包まれながら、機構図と格闘していたはずだった。


 だが、国家は彼に別の役割を課した。

 整備士ではない。兵士として。


 それは一方的な宣告であり、選択肢はどこにも存在しなかった。彼の指先に刻まれてきた技術も、機械に向けて捧げてきた日々も、すべては軍靴の音にかき消された。


 街の喧騒が遠ざかる。

 人々の笑顔は、皮膜一枚のように薄く、彼には虚飾の仮面にしか見えなかった。


 ──この都市は、完璧だ。あまりにも、完璧すぎる。

 均整、清潔、静謐、秩序。だがその背後にあるのは、問いを許さぬ恐怖。整えられすぎた“善”は、しばしば“悪”より残酷である。


 そのとき、規律正しい歩調が石畳を打ち鳴らした。

 制服に身を包んだ徴集部隊が広場に現れたのだ。光を受けた胸章が硬質に光る。白と黒の配色、無駄のないデザイン、その全身が「国家の意志」を象徴していた。


 彼らの目は冷ややかだった。視線の中にあるのは、感情ではない。

 命令に従うもの──あるいは、死ぬまで働く部品に向けられるそれだった。


「これより徴兵指定者は、集合地点へ向かえ」


 淡々と響く声が、広場の空気を変えた。

 周囲の市民が道を空け、拍手と称賛の言葉を送る。

「立派になって戻れよ」

「ノイエ・アークの誇りだ」

 ──その声のすべてが、奇妙なほど似通っていた。まるで同じ台本を読んでいるかのように。


 子どもが差し出した小さな花束を受け取り、笑顔を見せる新兵もいる。

 手を振る母親、まっすぐに見つめる父親。

 誇らしげなその眼差しの中に、疑念はない。誰もが信じていた。

 この戦争は正しい。兵士となることは誉れ高い。勝利こそが、未来を守る手段だと。


 ──だが、ユリウスは違っていた。


 この静寂、この整然とした歓声の中に、彼は一つの“異音”を感じていた。

 誰もが称賛するこの旅立ちが、果たして本当に“帰還”へと続くものなのか。


 ふと、彼は最後に空を見上げた。

 青い。どこまでも果てしなく。雲ひとつない清らかな空だった。


 けれど、彼の胸には確かな“終わり”の気配があった。

 この景色を、もう二度と見ることはないかもしれない。

 そう思ったとき、ほんのわずかに、指先が震えた。


 ──その震えを隠すように、彼は一歩、足を踏み出した。


 列に加わり、兵士たちに導かれるまま、広場を後にする。

 都市の中心から、戦場の入り口へ。

 整備され尽くした街並みの外れには、巨大な鋼鉄の門が待ち受けていた。

 その門を越えた先にあるのは、市民が立ち入ることを許されぬ領域。

 そこは「命令」がすべてを支配する世界だった。


 ──この戦争に、希望はあるのか。


 その答えを知るために、少年は歩き出した。


 すべてを失うと知らずに。

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