8.憎しみの矛先
窓から朝陽が射し込み、その眩しさでタニアは目を覚ました。二人は街の宿に泊まっていた。キーファは隣のベッドでタニアに背を向けて静かに眠っている。タニアはコートを着て、朝食を買いに外に出た。街は活気づいていた。みんな生き生きしている。こんなにたくさんの人がいて賑やかな空間は初めてだった。ここに生きる人間全員、幸せそうに見えた。私が居た村は……。昨日、ナイフで切った左腕がズキズキと痛んだ。立ち止まり、その腕の包帯をじっと見つめていた。すると、突然、小さな男の子が前から走ってきて、タニアにぶつかった。タニアと男の子はその場に倒れ込んだが、男の子はすぐに立ち上がり、「ごめん!」と言って、走っていった。タニアを通り過ぎた際、タニアは男の子の左手首に彫られた刺青が目に入った。刺青はヴォルカのマーク。あれは、ヴォルカの奴隷である証だ。そして、タニアは男の子のことを知っていた。ヴォルカがダガーの村を襲った日の前日、村の入り口で彼を見かけた。気付かれたと分かった男の子はすぐ逃げようとしたが、タニアは彼を捕まえた。薄い色の茶髪で綺麗な顔をした男の子だった。
「ごめんなさい!殺さないで!誰にも言わないから!」
そう泣き叫ぶ彼をタニアは逃がしたのだ。そのときは手首の刺青に気付かなかった。そしてその翌日、ダガーの村は襲われた。タニアは地面に爪を立てていた。あの子のせいで、あのとき、あの子を殺していれば……。そう心の中で繰り返す。タニアは男の子の後を追った。
*
キーファは目を覚ました。横のベッドを見るとタニアが居ない。
「あれ?タニアどこ行ったんだ?」
キーファは大きな口を開けて欠伸をした。
「あー。お腹空いたー。」
そう言いながら、ベッドの上に座って着替えていると、突然、部屋のドアが開いた。
「あ、タニア、おかえ……り?」
ドアを開けたのはヨセフだった。キーファはヨセフに向かって微笑んだ。
「よくここが分かったね、ヨセフ。」
「フードを被った女の子を連れた黒髪の少年が泊まりに来なかったか聞いて回ったからな。」
「それで断りもなく客の部屋に人を通すなんて、この宿の主人は非常識にもほどがあるな。」
「金を貸して逃げられたってことも添えて聞いたら、快く通してくれたよ。」
「ちょっと待って、根も葉もない風評流すのやめてよ!宿のサービス悪くなったらどうするのさ?それに、金を借りて返さないのはヨセフの方だろ。その借金取りから君を助けたのは僕だ!」
「人殺しよりましだろ。」
「たっく……それで?何しに来たの?人殺しの僕を捕まえに来たの?」
「そうだ。お前を役所に引き渡す。でも殺す前に確認したいことがある。」
「確認したいこと?」
「ああ、祖父さんをどうやって殺した?」
「なんで、そんなこと聞くの?」
「祖父さんの身体には何の傷も無かった。本当に苦しまずに死んだのか確認したいんだ。」
「苦しまずに死んだのは本当だよ。嘘じゃない。言ったでしょ?幸せそうだったって。本当に眠るみたいに逝ったよ。」
キーファは思い出すように悲しい顔になった。
「どうやって殺した?」
「それは言えない。」
ヨセフはキーファを真っ直ぐ見て言った。
「ダガーか?」
「ダガー?ダガーって何だっけ?」
「とぼけるな!お前が知らないわけないだろう!」
「えー?」
「あの、女の子か?」
ヨセフは部屋の中を見渡す。
「タニアだったか?あの子はどこだ?」
キーファはもぬけの殻になったベッドを見て言う。
「ああ、朝起きたら居なかった」
「何も言わずにか?」
「?うん。そうだけど。」
「早く探したほうがいい。」
「え?」
「ヴォルカの本拠地が、この街にある。」
キーファはベッドから飛び出し、急いで部屋を出る。キーファは街の中を走り回った。しかし、どこにも見当たらない
「タニア、どこに行ったんだよ。」
「キーファ。」
ヨセフは声をかける。
「屋台のおやじがフードを被った女の子を見たらしい。小さい子供を追いかけて行ったそうだ。」
「子供?」
「ああ。多分、ヴォルカの奴隷だ。」
「どんな子供だって?」
「茶色い髪の小さい子供だってよ。」
それを聞くとキーファはすぐに走り出そうとした。
「待て。」
ヨセフはキーファを引き止める。
「何だよ!」
「奴らがよく取引で利用する場所を知ってる。」
「え?」
「奴らからも飛行機の修理の依頼があるからな。その依頼を受けたときに行ったことがある。」
「どこだ?教えてくれ‼」
「祖父さんを殺したお前の頼みを聞くとでも思ってるのか。」
「……っ。」
キーファは深く頭を下げた。
「僕が全部悪い。恨まれて当然のことをした。何も弁解する気はない。君にこんな頼みをするのはおこがましいって分かってる。だけど……タニアを助けたいんだ。タニアを連れ戻せた後は、僕はどうなろうと構わない。だから……」
「どうやって祖父さんを殺したのか言えば、教えてやる。」
「え?いや、でもそれは……」
キーファは言うべきか迷った。自分の勝手な殺しの行為に、タニアも加担したと思われたくなかった。
「俺は別にダガーを売り飛ばしたり、利用する気はない。ただ、祖父さんが本当に苦しまずに逝けたのか知りたいだけなんだ。」
「……ダガーの血だ。タニアは何もしてない……僕が彼女に頼んで血をもらってお祖父さんに飲ませたんだ。」
「……そうか。」
ヨセフは両手で顔多い、上を向く。
「苦しまずに逝けたんだな……。」
ヨセフが今どんな顔をしているのか分からなかった。キーファはヨセフが話し出すのを待った。
ヨセフはため息をついて言った。
「あいつらがいるのは、街外れの今は使われていない倉庫だ。着いて来い。」
「ごめん、ヨセフ……ありがとう。」
*
男の子を追って辿り着いたのは、街外れにある古い大きな倉庫のようだった。タニアは男の子が入っていった裏口から中に入った。中はコンテナや大きな木の箱が積み上げられている。タニアはそれらに身を隠しながら、男の子を探す。
「おお、帰ったか。」
知らない男の声が聞こえた。
「ちゃんと盗んで来れただろうな。」
「は、はい……。」
男の子はポケットから白い汚れた布袋を取り出して、ガタイのいい大男に渡した。タニアはコンテナの陰からその様子を覗いていた。大男は受け取った布袋の中身を地面に落とした。
「はぁ?何だよ。これっぽっちかよ。」
「ご、ごめんなさい……。」
男の子は身体を震わせて言う。
「謝ってる暇あったら、とっとと戻って金取ってこい‼」
大男はそう言い、男の子の顔を殴った。男の子はその場に倒れ込んだ。
「ご、ごめんなさい……でも僕もう……」
大男は男の子の顔を掴んで、大声で怒鳴る。
「ああ!口答えすんのか‼お前を譲ったやつも言ってたが、お前は本当に役立たずだな。使えねーから、殺してやろうかな。奴隷が死んだって言えば、新しいのを補充してくれるだろう。」
大男は男の子の顔を掴んだ手を振り上げて、地面に叩きつけた。そして、男の子の腹部を何度も蹴りつける。蹴りながら大男は大声を出して笑っていた。しかし、突然、大男は背中に痛みを感じた。振り返ると、フードを被った白髪の少女が自分の背中にナイフを突き刺して立っていた。
「なんなんだ、お前……」
タニアは男を青い目で睨み付けた。男はタニアの目を見て、驚いた表情のまま倒れ込み、静かに死んでいった。タニアの左腕から血が流れていた。男の子は恐怖でタニアから視線を離すことができず、座ったまま後ろに手をついて、腰を引きずるように後退っている。タニアは男の子を見下ろし、ナイフを向けて言った。
「あなたのせいでみんな死んだ。」
男の子はガタガタと震えている。タニアはフードを取った。
「私のこと覚えているわよね?」
「ご、ご、ごめんなさい‼言わないと、僕も僕の友達もみんな殺されてしまうから、だから……はっ……!」
少年はタニアの背後を見て目を見開き、恐怖で声が出せなくなった。タニアが振り返ると、そこの立っていたのは、キーファの家を襲いに来たスーツの男だった。タニアは咄嗟にその男に血の付いたナイフを突きつけた。しかし、ナイフを掴んでいた腕は、その男に捕まれてしまう。振り払おうとしても、男の力は強く、振りほどけない。タニアは男を睨み付ける。男は不気味な笑顔を浮かべてこう言った。
「君から会いに来てくれるなんて嬉しいよ。なぁ、ダガー。」