補完1 ~第一話 赤塚の戦い、信長兄ぃとの対決~
魯鈍の人の作者の牛一
書籍版では、場面ごとの地図がないのでわかり辛いというご意見がありました。
私もそう思いますが、
残念ながら地図を入れることはできませんでした。
こちらのSSで追加しておきます。
魯坊丸と信長がはじめて対決する話です。
信長は今川に寝返った山口親子を叩きにゆきます。
松巨島(笠寺台地)では、反今川方の勢力も残っており、今川の援軍は笠寺に入ります。
山口教継は元居城の桜中村城に入って織田方に備え、息子の教吉を鳴海城に残しました。
鳴海城は鎌倉街道が東に通る重要拠点です。
この鳴海の手前で鎌倉街道は、上ノ道、中ノ道、下ノ道に分かれています。
この内、中ノ道のみ渡河できず、渡し船を使います。
熱田から出発して白毫寺付近に上陸し、熊野三社辺りの丘を越えると桜中村が見えます。
笠寺台地の中央部にある桜八幡社の万葉歌碑には、
『桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る』」(万葉集巻三)
<桜田の方へ鶴が鳴いて飛んでいく。年魚市潟は潮が引いたらしい。鶴が鳴いて飛んでいく>
この『あゆち』がなまって『愛知』になったとか。
この桜中村からまっすぐに東に向かうと、渡し船で野並に行けます。
渡河できるのは下ノ道となり、笠寺まで南下し、そこから海を渡河すると山王山(三王山)の麓に到着します。
この山王山の奥が赤塚山となります。
信長はまず山王山に一度登り、鳴海城から見えるように姿を現し、赤塚山方面へ移動しました。
ここでは、二つの仮設があります。
1.信長が鎌倉街道を封鎖するのを阻止する為に、教吉が鳴海城から討って出てきた説
2.教吉が信長を見つけて数が少ないと読んで討って出てきたから、信長も赤塚山方面へ移動した説です。
大した差はありませんが、小説では1の説を取っております。
その第1話の地図です。