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 表を閉ざしているわけではないが、奥に人がいて住んでいるとも思えない。それとも日暮れになって、白塗りの女が顔を出せば少しは客が寄りつくといった店なのか。店いっぱいにひな壇のような台を置いて、ただでさえ店内は暗いのに、奥にも左右にも黒布を張りめぐらせている。ひな壇のそれぞれの段の根元に、流れ星の残骸(ざんがい)や干からびた()のような形のものを点々と並べていて、それが(まと)である。地方の盛り場にときおり見かける、吹き矢の機関(からくり)だというのは、ひと目見て紫玉(しぎょく)にもわかった。

 実際のところ、この店は吹き矢の射的場、それも化け物吹き矢といって、矢が的に当たると、幽霊が(ひさし)の蔭から逆さまにぶら下がり、仕掛けの穴から見越し入道がヌッとでる。しつらえた黒塀には雪女がうっすらと立ち、産女鳥(うぶめどり)は石地蔵と並んでしょんぼりと(たたず)む。一つ目小僧の豆腐買いは、流潅頂(ながれかんちょう)供養(くよう)がある野川の岸辺を、うつむけに大笠をかぶって、裸足でちょこちょこと巧みに歩くといった仕掛けになっている。……さらにいかがわしいのは、生霊(いきりょう)と書かれた札が立った、とりわけ小さな的に吹き当てたときだ。がらりと床板がひっくり返って、紅いふんどしをしめて大松茸(おおまつたけ)を抱いたおかめが、とんぼ返りでにっこりしながら飛び出してくる。とたんに四方に張った綱が揺れて、鐘と太鼓がいっせいにどよめき、ガラガラ、ドンドンと景気よく鳴るという仕掛けが人気を集めた。……といった店ではあったが、今では一つ目小僧が伝い歩く波の背景も破れ放題で、笹藪(ささやぶ)の大道具もぶっ倒れ、飾りの石地蔵も仰向けにひっくり返って、見るからに、哀れを誘うほどに(さび)れている。

 ――店の軒下(のきした)の土間に、背後(うしろ)向きにしゃがんだ僧服の姿があった。坊主であろう。墨染めの麻の法衣(ころも)はぼろぼろで、もともとは鬱金(うこん)色であったろう袈裟(けさ)も、汚れた鼠色(ねずみいろ)になっている。かつて盲目の琵琶法師がしていたように、一挺(いっちょう)の三味線を背中に斜め背負いしていることから、漂泊(ひょうはく)門附(かどづけ)のたぐいであろうことはすぐにわかった。

 そこで何をしているのか。人目を避けて、うずくまって、(しらみ)(つぶ)しているのか、(かさ)()いているのか、何か食べているのだとしても、ごみ捨て場で見つけた干し魚の骨をしゃぶるといったほどのものだろう。乞食(こじき)のように薄汚い。

 紫玉は落ちぶれ果てた芸人の姿と、荒れ果てた見世物を見るにつけ、深いため息をもらした。憐れむと同時に、()まわしく思ったのである。

 煙草盆の灰吹きに軽く(つば)を吐いた。

 人気絶頂にまで登りつめて、思い上がったこの美しい女優は、樹々の緑や蝉の声が降りそそぐ日影に、それら忌まわしきものとの段差の高みに座ることも当然だというように、濡れ濡れとした色艶(いろつや)の際だつ、たわわに咲いた紫陽花(あじさい)のような姿を見せながら、翡翠(ひすい)、ルビー、真珠などの指輪を三つ、四つはめた白い指をふと挙げて、(びん)の後れ毛を掻きあげたついでに、白く輝く鸚鵡(おうむ)が高浮き彫りされたプラチナ製の(かんざし)を抜いた。鸚鵡の翼にはダイヤモンドがちりばめられ、目にはブラッドストーン、(くちばし)と爪にエメラルドが象嵌(ぞうがん)されている。人々はそれが、某伯爵(はくしゃく)からの心をこめた贈り物であると知っていたから、「伯爵」と呼んでいた。

 その伯爵の釵を逆さまに持ち替えた紫玉は、上端の尖った部分を使って、煙草を吸った煙管(きせる)火皿(ひざら)(やに)を取り除いた。……伊達(だて)で煙管を持つ者は、煙を吸うことよりも、そういった手慰(てなぐさ)みのしぐさにばかり()るものである。

 三味線を背負った乞食坊主は、袈裟にこすりつけて掻くようにもぞもぞと肩を揺すると、片目が(めし)いた青ぶくれの、見える方の目を向けた(かお)を斜めにしながら、じっと紫玉の様子を()ていたのだが、やがて首もとから突き出した杖の先を胸のあたりに引っ込ませると前屈みになって、よたりと立ち上がった。

 支えにした杖を小径(こみち)に突き立てながら、たどたどしく木下闇(このしたやみ)(うごめ)くように下りて行くから、城のほうへ去るのかと思ったのだが、のろのろと後ずさりをしながら、茶店に向かって立ちつくすと、ほっと一息吐いた。

 紫玉は(まゆ)(ひそ)めた。その坊主はまだ十(メートル)ほどは離れていたが、早くもその場所からこちらに向けて、腰を折るように深々とおじぎをした。

 知らない振りをして紫玉は目をそらせると、手にした釵に視線を落とした。けれどもそうしているうちに、彼女の濃い睫毛(まつげ)に照り返しの影を落とすほど、坊主は近づいていたのである。

太夫(たゆう)様」

 ハッと顔を上げると、坊主はすでに敷居を越えて、目の前の土間に両膝を()いていた。

「…………」

「お願いでござります。……お慈悲じゃ、お慈悲、お慈悲」

 とりあえず身近に置いていた日傘が、坊主のぼろ法衣(ごろも)の袖に触れそうなので、そっと手もとへ引きよせた紫玉は、

「何ですか」

 と坊主のほうは見ずに、茶屋の父娘(おやこ)に目を()った。

 けれども父も娘も、立ち上がって声をかけて追おうとせず、静かに見ているだけである。


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