二
二
公園の入り口あたりに生い茂る樹林を背戸にたとえれば、前方に見える蓮池は、庭の眺めということになる。そうした立地に、柳、藤、桜、山吹などの名がつけられた茶店が、飛び飛びに並んでいる。
紫玉がいま腰掛けているのは、柳の茶屋という店だった。紅い襷を掛けた色白の娘が運んできた煎茶と煙草盆を脇に置いてはいたが、煙草はもともと、それほど嗜むというわけでもない彼女は、伊達に携えている煙草入れを手にしながら、
「……あれは女の児だったのかしら。それとも男の児だったのかしらね」
――と、先ほど見かけた小さな子どものことを思い出していたのである。
あまり馴れない、ちょっとおぼつかない手つきをしながら、華奢な造りの黄金煙管で、持ち手のついた青磁色の瀬戸火鉢から火をつけようと探りながら、
「……帽子をかぶっていたら男の児だろうけれど、いいえ、青いはちまきを巻いていた気がする。……麦わら帽子に巻いた布が青かったのかしら。それとも、青いリボンをつけていたのだったか。色ははっきり覚えているけど……ちょっと待って――どんな感じだったかしら……」
煙草の吸い方は取って付けたようで、大げさに思えるほどに身を傾けながら一服すると、
「……歳は、そうね、七歳か六歳くらいな、色の白い上品な……男の子にしてはちょっと綺麗すぎるから、女の子……とすれば、やっぱりリボンだったのね。――青いリボン。……幼い女の子だから赤いリボンだって、決まってるわけでもないし。じゃあ、やっぱり女の児かしら。それにしては麦わら帽子をかぶっていた印象が強いのはなぜかしら……おさげに結っていれば、かぶっていてもおかしくはないんだけど……でも、そこまでは覚えていない……」
大通りは一本道だけれど、わざと道に迷ってみるのも悪くない。どこへ行こうと決めたわけでもなく裏道に紛れこんで、低い土塀から瓜や茄子の畠が垣間見える、荒れて寂れた屋敷町を一人で通っても、まるっきり人と会わなかった。白熱した日射しのなかで、よくも羽が焦げないと思うような白い蝶々が、不意にスッと目の前に飛び出して、ひらひらとすれ違うのを、びっくりした顔で見送って……そしてにっこりとしたり……そんなときは象牙骨の扇でちょっと招いてみたものだった。……土塀の崩れた屋根の上に覆いかぶさる百日紅の木の、血のように紅い花が咲き満ちた枝を日傘の先でくすぐってみると、やめられなくなって、ついつい、ぶるぶるゆさゆさとやりすぎて、「ごめんなさい」と言ってみたり。石垣に生えた雑草から立ちのぼる、むっとする熱気のなかに棄てられた瓜の皮が、化けて脚が生えてむくむくと動き出しそうなのを見て、「きゃっ」と飛びのいたり。そんな、気まぐれな戯れの数々も、彼女ほどの人気女優の挙動となれば、旅先の逸話として伝えられることだろう。
高々と木立が茂って、まるで低い山のように思えた公園の下まで下ると、坂の上り口に神社があった。
社殿も大きく、境内も広い。崖になってそびえる鬱蒼とした公園の森を拝殿の裏に背負いながらも、まるで砂浜に鳥居を立てたように見えるのは、天頂にある太陽に照らされて、神前の庭は一面に小石の影一つなく、ただ白い紙を敷きつめたような光景を見せていたからだった。まぶしい日射しにやや黄ばんで見える、とりとめなく広がるかのような神社の庭には、どこから散ったのか、百日紅の紅い花が二つ、三つ落ちている。
……境内を覗いてみると、静まりかえった正面の階のかたわらに、紅の手綱と朱の鞍で飾られた、つくりものの白い神馬がひっそりと佇んでいる。横手にある坂を先まで見通してみると、そこを上れば、いくつもある公園の入り口の一つに至るのだとわかったから、安心した紫玉はこの神社に寄り道してみることにした。日傘を差したままスッと鳥居を抜けると、鳥居に映った姿もまた、着物の色の影となって通り過ぎていく。……見ると屋根囲がされた大きな石の御手洗があって、青銅の龍頭の口から流れ落ちた水は手水鉢を満たすばかりか、玉のような飛沫を間断なく、勢いよく散らしながら、梁から垂れた簾にまで降りかかっている。その手水鉢のすぐそばに、例の小さな子どもはいたのだった。
この炎天下で、人影も絶えている。おそらくは神官の父母が昼寝をしているうちに戸外に迷い出た子であろうと紫玉は考えた。御手洗の周囲をしきりにうろつくその子の姿が、ちらちらとあちこちに見え隠れする。
手水鉢は背が高く、子どもは小さいので、鉢の縁より下を伝いながら周囲を回る姿が、まるで、石に刻まれたなにかの形が、吹き溢れる水の影に誘われて、それもまた間断なく動き回っているように見えてくる。……そのうちに子どもはしきりに伸びあがっては、小さくて可愛らしい手を上に伸ばし、伸びあがってはまた、手を上に伸ばしている。――
紫玉が構わず近くに寄ったから、子どもはもう日傘の陰のなかに入っていた。
「ちょっと、何をしているの?」
「水が欲しいの」
とあどけない声で答える。
ああ、そのために、あちらこちらの足場を探りながら、手を伸ばしていたのか、それでも、つま先立っても、青いリボンで髪を飾ったその子どもの丈は、「筒井つの井筒にかけしまろがたけ……」と古歌に詠まれた、振分髪の少女の丈にも足らず、筒井筒の半ばにも届かないようだ。