(あとがき~隠された芸道小説)
『伯爵の釵』は一読して、金沢兼六園名所めぐりといった性質が顕著な作品なので、実際の場所がわかったら聖地巡礼ガイドとして使えるよね――なんていう軽い気持ちで、本文中に登場する伏せられた、あるいは仮名に置きかえられた固有名詞を、実在のそれに置きかえるというリライトを試みたのだけれど……。
じっさいにやってみると、置き換えの基準はケース・バイ・ケースで、調べる手間はともかく一貫した基準を保つのがけっこう難しい。やらなければよかったと、さっそく後悔することになった。
そもそも鏡花が金沢であることを朧化したことには、それなりの理由がある。
まず固有名詞を明記するとお国自慢的な性質が前面に浮きだして、テキストの品格を保ちにくい。これは訳文の、特にその部分の緩み具合をみればあきらかだ。
加えて鏡花には、金沢の風物や洗練された文化、そこでともに暮らした肉親や年上の娘たちの記憶は思慕してやまないが、地方都市特有のかたくなな封建的体質や、それを笠に着て威勢を振るう人々のことは激しく憎んでいる、というアンビバレントな故郷への思いがある(篇中の男爵やその下男、金主、そして群集は、なんと辛辣に戯画化されていることか)。
正直にその気持ちを吐露すれば、結果的に故郷を貶めることになるという自責の念は、大正八(1919)年から十(1921)年にかけて連載された『由縁の女』で、鏡花自身を思わせる主人公が、金沢を汚す「姦通詩人」として非難されるという、自虐的な展開として顕れることになる。
『由縁の女』連載中の大正九(1920)年に書かれた『伯爵の釵』は、金沢が舞台であることがより明白であるにもかかわらず、そうした自虐の入りこむ余地のない他者の物語だから、余計な遠慮にカロリーを割くことがないように、金沢であることが暈かされなければならなかったのだろう。
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さて、原文中に出現した固有名詞を、以下にリストアップしてみた。右側には、この現代語訳で置きかえた、実在の固有名詞を添えている。なかには現代語訳で加えた固有名詞や、書き換えなかった固有名詞も含まれている。
また、次のようなものは除外している。
・登場人物名。
・十章で坊主が唄う長唄と、『義経記』中の語句。
・単純な言い換え……都→東京、房州→安房国、巨頭公→桂太郎宰相、
小町→小野小町、静→静御前。
・当時の呼称か、鏡花が名づけたのかわからないもの……柳の茶屋(二)、
竜の口(七以降)。
・訳文中で勝手につけ加えたもの……蓮池門(六)。
・イギリスにあった施設名……水晶宮(七)。
・言い換えられていないもの……白山、東京。
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原文中の語 訳文中の語
一
① 清き(大川) 犀川
② 美しき(大川) 浅野川
③ 城 城、金沢城
④ 北陸の都 金沢
⑤ 公園 公園、兼六園
三
⑥ 浦安神社 浦安神社
⑦ 霊沢金水 金城霊沢
五
⑧ 緋葉の滝 翠滝、(別称)紅葉の滝
⑨ 蓮池 瓢池
⑩ 滝の四阿 夕顔亭
六
⑪ 邯鄲の石の手水鉢 邯鄲の手水鉢
⑫ 石橋 黄門橋
七
⑬ 大池 霞ヶ池
⑭ 鶴ヶ島 蓬莱島
十一
⑮ 県 石川県
十三
⑯ 万松亭 内橋亭
⑰ 岩窟 鳳凰山の岩窟
⑱ 練兵場 出羽町練兵場
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こうして並べてみると、金沢と明言することをさりげなく避けていただけのようなテキストが、じっさいはかなり作為的にフィクションの世界に置きかえられていることがよくわかる。
犀川を男川、浅野川を女川とした『由縁の女』の叙述を引きずった、①・②の「清きと、美しきと、二筋の大川」という表現や、あいかわらず師匠の名を記すのを遠慮して、紅葉の滝を⑧緋葉の滝と言い換えているのも面白い。
特に注意するべきは、実際にある場所に濃厚な虚構性が加味されたと思われる、以下の四項目だと思われる。
⑥ 浦安神社→(おそらく架空の名称なので訳文にそのまま流用)
⑦ 霊沢金水→金城霊沢
⑧ 緋葉の滝→翠滝、紅葉の滝
⑯ 岩窟→鳳凰山の岩窟
緋葉の滝(実際の翠滝)については六章で、
▶滝は、旱にしかく骨なりといえども、巌には苔蒸し、壺は森を被かついで蒼い。しかも巌がくれの裏に、どうどうと落ちたぎる水の音の凄じく響くのは、大樋を伏せて二重に城の用水を引いた、敵に対する要害で、地下を城の内濠に灌ぐと聞く、戦国の余残だそうである。◀
……と、水は涸れているけれど、戦国時代に施された二重の滝の仕掛けによって水音がどうどうと鳴っている、という不思議な記述がある。実際にそうだったのかは調べてもわからなかったが、おそらくは十章で劇的な水音を響かせるための、鏡花の創作なのだろう。
しかも、滝の水路は(『神鑿』で城内の堀と離れた池が通じていたように)金沢城の内堀と地下でつながるのだというし、八、九章では滝で伯爵の釵を呑んだ鯉が、霞ヶ池の竜の口から飛び出してくる。霞ヶ池に身を投げた紫玉は、おそらくは兼六園外の金沢神社内にある金城霊沢を抜けて、その傍らにある鳳凰山の岩窟に運ばれる。近辺すべての水口が、地下水路や水脈によって通底しているというのである。
さらに複雑な役目を負っているのが浦安神社で、金沢に浦安という名の神社は実在していないようだ。
作中に書かれた位置からすると、石浦神社がそれにあたるのだが、石浦神社は水神を祀る神社ではない。境内の描写からすると、金沢駅近くにある安江八幡宮(金沢水天宮)に似ているし、作り物の神馬が飾ってあるのは白山市にある白山比咩神社である。
どうやら、兼六園に近い、水神を祀る、白山と関わりが深い、という三つの要素が合成されて創作されたのが浦安神社のようだ。
『伯爵の釵』が、金沢を舞台とすることを隠さなければならなかったもう一つの理由は、こうした、物語に適したものに窯変させた要素を、矛盾なく成立させるためだった、ともいえる。
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それにしても現代の読者を当惑させるのは、十章で長々と引用される長唄や『義経記』の章句だろう。
なんだか古い歌の歌詞が……とうんざりするのだが、章の最初と最後で坊主が歌う長唄『島の千歳』が作られたのは明治三十八年(1905)年だとのことで、作詞者は大槻如電、国語辞典『言海』を編んだ大槻文彦の兄……というと、小説の時代設定からしてそれほど古くない流行歌なのである。
ただし鏡花が引用した部分は、作詞者が中世歌謡の歌詞から採ったもので、続いて引かれる静御前の雨乞いの描写の、素直なイントロ、アウトロになっている。
『義経記』の引用は、雨乞いという唐突な行為にヒロインを追いこむための、坊主が採った戦略的な、サブリミナル効果をもたらすBGMとして使われるのだろう。坊主は、この『義経記』の本文を、琵琶法師が『平家物語』を、なかば唄い、なかば語るようにするのと同様に、三味線を弾きながらの唄にしているのだろうか。
なぜことさら『義経記』なのか、という疑問には、柳田國男の『山の人生』(大正十四(1925)年)にそのヒントが示されている。
▶室町時代の中ごろには、若狭の国から年齢八百歳という尼が京都へ出てきた。また江戸期の終りに近くなってからも、筑前の海岸に生まれた女で長命して二十幾人の亭主を取替えたという者が津軽方面に出現した。その長命に証人はなかったが、両人ながら古い事を知ってよく語ったので、聴く人はこれを疑うことができなかった。ただしその話は申合せたように源平の合戦、義経・弁慶の行動などの外には出なかった。それからまた常陸坊海尊の仙人になったのだという人が、東北の各地には住んでいた。もちろん義経の事蹟、ことに屋島・壇の浦・高館等、『義経記』や『盛衰記』に書いてあることを、あの書をそらで読む程度に知っていたので、まったくそのために当時彼が真の常陸坊なることを一人として信用せざる者はなかったのである。……(中略)
いずれにしても『平家物語』や『義経記』の非常な普及が、始めて普通人に年代の知識と、回顧趣味とを鼓吹したのはこの時代だから、比丘尼の昔語りは諸国巡歴のために、大なる武器であったことと思う。ただ自分たちの想像では、単なる作り事ではこれまでに人は欺きえない。或いは尼自身も特殊の心理から、自分がそのような古い嫗であることを信じ、まのあたり義経・弁慶一行の北国通過を、見ていたようにも感じていた故に、その言うことが強い印象となったのではなかろうか。◀
つまり『義経記』の内容を語ることが仙人であることの証明であった時代があって、ゆえに『義経記』は坊主が聖者であることを納得させ、紫玉を幻惑するための、最善のツールなのだった。
親しみやすいイントロ、アウトロを配して、最適な洗脳詩句を聞かせた上で「貴女、雨乞をなさるが可い」と切り出すのだから、この坊主の場面演出、交渉手腕の巧みさには、ただならぬものがある。
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また、『伯爵の釵』は白山の女神が登場することから、『夜叉ヶ池』の姉妹篇というか、外伝でもある、という性格もそなえている。紫玉が受けた受難は、頭を叩かれて機嫌を損ねた白山の女神のきまぐれな悪戯心がなさせたものであった、というのが、この物語のオチなのだった(終わり近くで、「われらの手品はどうじゃろう」と、坊主は「われら」と言っているが、この「ら」は謙遜の「ら」なのか。複数の「ら」だと取ると、幻術は坊主個人の意思ではなく隠世の側の総意で、つまりは女神の意思で使われたということになる)。
『天守物語』を読むと、日本各地の天守や水場を司る妖怪姫どうしは交流を持っているようだし、『眉かくしの霊』や『きぬぎぬ川』では、悲恋に苦しんだ女性が女神に昇格する、女神生成システムのようなものの存在が暗示されていた。
どうやら鏡花小説においては、これらの女たちの物語は一種の神話大系をなしているようなのである。その一方で、神仙の力を得て白山の水脈を自在に往来する彼女らに対して、なかには桃源郷の女神になりそこなう女たちもいて、『きぬぎぬ川』の巳代や、本作の紫玉がそれにあたる。彼女らには共通して悲恋のパワーが不足して、かつ、現世への執着が残っている。
それぞれが、つらい浮世の巷での女神になることを選ばざるを得なかったとはいえ、巳代の場合は遊女になって後悔しか残らなかった。紫玉の場合はこの物語の一件でますますの名声を得た人気女優なのだから、より前向きな現世の女神ではあるのだろうけれど。
最終章で、
▶「ぬしにもなって、この、この田舎のものども。」◀
と、霞ヶ池の主になって復讐することを志望して紫玉は入水するのだが、坊主によって命を助けられたのは、主になる資格を満たせずに拒否されたということでもある。
面白いのは、そんな女神落第生の紫玉に対して、坊主が最後に女優道のありかたを訓受することだ。真意を解しにくい部分ではあるが、ここに『伯爵の釵』という小説の、隠されたテーマがあるではないか、と思っている。
以下、岩屋のなかで意識を取り戻した紫玉に対して、坊主がかけたことばを自己流に解釈すると、
▶「いや、辺境のものは気が狭い。貴方が余り目覚しい人気ゆえに、恥入るか、もの嫉みをして、前芸をちょっと遣った。……さて時に承わるが太夫、貴女はそれだけの御身分、それだけの芸の力で、人が雨乞をせよ、と言わば、すぐに優伎の舞台に出て、小町も静も勤めるのかな。」
紫玉は巌に俯向いた。
「それで通るか、いや、さて、都は気が広い。――われらの手品はどうじゃろう。」
「ええ、」
と仰いで顔を視た時、紫玉はゾッと身に沁みた、腐れた坊主に不思議な恋を知ったのである。
「貴方なら、貴方なら――なぜ、さすろうておいで遊ばす。」
坊主は両手で顔を圧えた。
「面目ない、われら、ここに、高い貴い処に恋人がおわしてな、雲霧を隔てても、その御足許は動かれぬ。や!」◀
霞ヶ池に身を投げた紫玉は、おそらくは地下水脈をたどって金城霊沢から助け出されたのだろうから、それをわざわざ湧水の傍らに作られた鳳凰山の岩窟に運んだのも坊主の仕業なのだろう(あるいは、岩窟のなかにも水脈に通じる井戸があったのか)。
なぜそこで彼女を目覚めさせたのか。日本の芸能の始原である天岩戸になぞらえた場所に身を置かせて熟考を促すという、これも坊主の巧みな演出なのではないか。
そこで坊主は紫玉に対して、「人が雨乞をせよ、と言わば、すぐに優伎の舞台に出て、小町も静も勤めるのかな」と問う。小野小町も静御前も和歌や歌舞で雨乞いをした伝説をもつ女性である。近代人の複雑な内面を表現する新劇の名女優であるはずのあなたが、そんな実利的な要望に応える、単純で原始的な役回りに満足していいのか、と問い詰めている。
さらに含みを考えれば、武士の妾となることで地位を得た白拍子と同様に、紫玉はパトロンの愛人となって興業を続けている。近代演劇の女優として、そのあり方は正しいのか、その不都合を露呈するために、われらは「手品」を仕組んだのだと言っている。
返答に窮した紫玉を見て、そんなものが通用するとは、東京だと威張ってはいてもガバガバな価値観だなと皮肉を浴びせるのだが、すぐに紫玉は、あなただって漂泊の門附芸人に甘んじてるじゃないですか、と反論する。
これはしてやられたと、顔を覆った坊主は、これからの芸道の最たる動機は、社会的な役割うんぬんではなく、何者かに向けた愛の信仰心でなければならないのではないかという、新しい価値観を提示する。以後、紫玉にとっては、この坊主こそが、愛の信仰の対象、つまり芸道の神になるのだろう。
――こういうことではないか。表立って書かれてはいないが(あたかも宗教改革に危機感を募らせてカトリック教会が打ち出した対抗宗教改革のような)、新時代に対応した芸道小説として読めてしまう。
白山の女神に使える妖怪坊主が、芸術至上主義や浪曼思想に基づいた新興演劇の未来を説くというのはかなりちぐはぐな事態なのだが、坊主の言説は、いつのまにか演劇の未来に寄せる鏡花自身の期待の吐露にすり替わっているのである。
一読すると、鏡花流ファンタジーの一典型にすぎないと思える『伯爵の釵』なのだけれど、実際のところは鏡花小説の他作品も巻きこんだ重層的な仕掛けを含んでいるのだし、あるいは近年のハリウッドのセクハラ告発運動「#Me too」にも通じる、エンタメ業界への大胆な問題提起に通じるものも隠されている……とまで言えば、ちょっと言い過ぎかもしれないけれど。
とはいえ、魅力的なヒロインが活躍する、古風で伝奇的な物語のなかに、意表を突く仕掛けや機知に富んだレトリックがちりばめられて、さらには芸道に対する崇敬や真摯な期待も見え隠れする、鏡花小説の逸品の一つであることは間違いない。
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追記メモ
もし原文と照らし合わせながら読む方がいらっしゃったら、なぜそんな訳になるのか不審に思われるかもしれない箇所についてのメモ。
一章の終わり近く、
▶わずかに畳の縁ばかりの、日影を選んで辿るのも、人は目を睜って、鯨に乗って人魚が通ると見たであろう。◀
現代語訳:(日盛りには、わずかに畳の縁ほどの濃い影が落ちているにすぎないが、影になった黒塀と白く輝く路面が対比する際を選んで歩く姿は鮮やかなもので、これを見た人々は鯨に乗って人魚が通ると、驚きの目を向けたことであろう。)
→まず原文の「鯨に乗って人魚が通る」という表現が突飛なのだけれど、これは、鶴屋南北の「鯨のだんまり」を念頭に置いた表現なんだろうな、と考えました。背景として張った黒幕を鯨の横腹に見立てて、舞台をはみ出すほどの巨大さで横たわった鯨を想像させるという趣向です。ならば、「わずかに畳の縁ばかりの、日影」という箇所からは、落ちた影そのものではなく、黒い影になった塀を想像しなければならないのではないか。白く輝く路面は鯨の下腹部ということになります。
また、いうまでもなく人魚は美しいものの比喩ですが、同時に蛇身(竜神と同じく水の精)を連想させ、霞ヶ池から金城霊沢までの地下水脈を潜ることになる彼女の運命を暗示することばにもなっています。




