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番外 記憶<メメント・モリ> 3

9.




――― 一日目 <攻防> ―――




コンコン。と軽くドアを叩く音が聞こえる。

私はカシムを閉じ込めた来賓室の扉の外に自室の椅子を持ってきて、夏季休暇に出された課題をこなしていたのだが、そのドアの音に眉をひそめる。

音はその来賓室からだ。



「どうしました」



と私は問う。



「便所」



扉越しに彼は返事を返す。



「我慢してください」


「できるかアホ!」



分かってはいたが、思わずため息が漏れる。

そして、扉を開くとこちらをにらむ青い眼がある。



「…これで何度目ですか。トイレの度に脱走目論まれるこっちの身になってくださいよ」


「って、やっぱお前ついてくんのかよ」


「当たり前でしょう」


「野郎とツレションなんて嫌だ」


「何を訳の分からないことを、女性とツレションする方がどうかしてるでしょう」


「うっ、それはそうか」



そう言いながら、彼が私に足払いを仕掛けた。

もちろん気づいているので後退して避ける。

次に白い塊が飛んできた。おそらくベッドにあった枕だろう。

これも腰をかがめて避ける。

すると、後退して身を屈めた自分の体制が隙だと思ったのだろう。

一歩彼がこちらの方に踏み込んでくるのが分かった。



(…ワンパターンな)



そう思い、その彼の襟首をつかもうとした瞬間だった。



「っ!?」



視界が一気に真っ白になった。

いや、真っ白ではない。羽だ。

恐らく枕の中に詰め込まれていた羽をあらかじめ掘り出して、私への目くらまし投げつけたのだ。



「ちっ」



視界が遮られ、彼の襟首を取ったと思ったそれも空振りする。

しかし、その遮られた視界の隙間で、カシムが笑いながらこちらに舌を出したのが見えた。


それを見た私は――、無表情に、自身の懐から羽ペンを取り出す。

そして、羽にそれを触れさせ、舞い散る羽をすべて炎上させた。



「アチッ、あちぃ、アチッ!!」



燃えて落ちていく羽から移った炎でのたうっているカシムを今度こそ捕まえる。



「さて、用が済みましたなら、部屋に戻りましょうか」


「用が済んでねーんだよ、くそーっ!!」









――― 2日目 <説得> ―――










「よーし、交渉をしよう」


「交渉の余地はないです」



私たちは来賓室に備え付けられたテーブルで向い合せになって座っていた。

護衛対象を前に自分が腰を落ち着ける訳にはいかないと言ったのだが、「ま、ま、ま」と適当な相槌で席に着かされてしまった。そして、その第一声が上のそれである。



「その即答を止めろ!だいたいだな、お前は俺のなんだ?」


「護衛ですよ」



その回答にえらく満足したのか、大きくうなずいて腕を組むカシム。



「つまりだな、お前は俺の護衛なわけだ」


「いや、だからそうだと言いましたけど」


「なのに何故かだ、昨日から、俺はお前からしか痛い目に合っていない!」


「………」



それは、そうかもしれない。

私は、その言葉に軽くうなずき答えた。



「正当防衛ですね」


「どのへんっ!?俺からすれば正当でも防衛でもねぇっ!」


「よくある加害者の言い訳ですね」


「なんでだ!」


「それで、これで交渉とやらは終わりですか?」


「いや、いや、いや、まて、未だ終ってない、というか始ってすらない」



カシムが手であわてて押さえる動作をして、立ち上がりかけた私を制する。



「つまり、お前は俺の護衛をしてるから、俺を閉じこめてる訳だろ」


「閉じこめているとは人聞きの悪い。安全を期すために部屋で待機していただいているだけです」


「…俺は今、ツッコミたい気持ちを押さえている」


「我慢は、よくないですね」


「だーーーっ、そうじゃなくてだな!進まねーんだよ、話が。結論から言うぞ、クビだ。クビ。それだったら、お前は俺の護衛をしなくなる。んで、俺は自由の身、それで万事解決だろ」



そう言って何故か名案とでも言うような満足げな顔でこちらを見下ろすカシム。

私はその言葉に、本当に残念に思いながら、回答を出す。



「無理です」


「へ?」



きょとんと不思議そうな顔をする。



「まず一つに、あなたの護衛を私に任じたのは、あなたではなく、宰相閣下です。護衛の任を解けるのは、あなたではない」


「そ、それは」「第二に」



反論を聞く前に、たたみかける。



「例え、私が解任となったとしても……無駄ですよ、すぐに代わりの護衛がやって来て、今の私と同じ事になるでしょうね」


「ぐっ」


「第三に」「未だあるのかよ!」


「あなたが自由になれないのは、私のせいではなく、あなたの言動に問題があるからです」



最期に言った私の言葉に、カシムは押し黙った。



「あなたが無謀な事を言って、逃げさえしなければ、私だって普通に護衛をしましたよ」



ぐっと、うつむいて奥歯を押し噛む音が聞こえた気がした。



「お前だって、そうだろ」



何かを押し殺したように、伏せていた瞳をこちらに向ける。



「お前だって、親父が…宰相が身体の調子がよくないって知ったら、そうしないのか?」



それを聞いて、一瞬なんの事か分からず目をぱちくりさせる。



「だれが、誰の父親ですって?」


「宰相が、お前の、だよ。違うのか?だってお前じっちゃんの孫なんだろ?ってことは、宰相の息子じゃねーか。ここに住んでるし」



その言葉に、私は腹の底から笑い出しそうだった。なんだ、こいつ知らなかったのか。

そう言えば、カシムの前で私はいつも叔父上のことを「宰相閣下」と呼んでいた。いや、一度くらいは呼んだ覚えもあるのだが、全く覚えていないらしい。まあ、それくらいなら、気づかなくても不思議ではない。



「宰相閣下は私の父ではありませんよ。叔父です。ここに住んでいると言っても、今たまたま、夏期休暇で帰省しているだけで、普段は寮暮らしをしているんです」


「え…、じゃあ」



ようやく理解してくれたか、と私はつまらなくため息をついたのだが、次の瞬間小さく彼が呟いた一言を私は聞き逃さなかった。



「お前…、バルドルの息子か」



思いもかけない一言だった。

なぜ、この名前がカシムの口から出るのだ。



「知って、いるのですか。―――父を」


「あ―――…」



しまったと言う風に、口元を押さえて黙るカシム。

ということは、知っているのだ、全部。

気遣うようなそのわざとらしい動作が、いっそ不快だった。


私はメガネを押し上げ、皮肉るように笑うと、今度こそ椅子から立ち上がった。



「ご存知のようですから話は早い。僕の父は40代目宰相だった男です。たった半年で宰相職から逃げ出して、どことも知れない女と辺鄙な村でのたれ死んだ…それはそれは弱い男ですよ」


「そ…」



弱り切った顔で、カシムが何かを口にしようとしたが、これ以上聞いていたくもなかった。



「同情は結構です。あなたにされる筋合いもない。ですので、貴方の言う『父親の為に何かをしたい』なんて感情を私に期待しないでください」



そう言い残して立ち去ろうとした。いや、とりあえずこの部屋を出ようとした、つもりだった。



「待てよ」



扉にカシムが立ちはだかる。



「とうせんぼ、ですか?いつもと逆ですね。ですが、そういうのはですね、ご自身の力量を自覚されてからの方がいいですよ」



彼が前で塞いでいるにもかかわらず、私は気にもかけずに扉に進む。

至近で見下ろす彼と目が合う。



「そんでもお前は俺の護衛だろ。無茶はできねーもんな」


「………」


「一つだけ、聞かせてくれよ」



カシムは悲しそうにこちらを見る。私にはその表情がたまらなく腹立たしい。

こんな、自分を守ることも出来ない弱い相手に、私は同情されているのだ。



「バルドルのことどう思ってるんだ」



乾いた笑いが漏れた。何を言うかと思えば、自分の自由にするための交渉ではなく、私の父の話だ。この少年と同じ、



「弱い方でした。そして、その弱さを受け入れる度量もない臆病者で、逃げ出した卑怯者です。あんな者にだけは、僕はなりたくないですね」


「てめぇ」



カシムが私の胸ぐらをつかむ。避けることも出来たのだが、私はされるままにしていた。



「それでも親父に言うことか」


「あなたに何が分かる」



怒るカシムに、同情よりはるかにましだと思いながら、私の声は無感情に放つ。



「宰相という重責を担いながら、逃げ出した臆病者。逃げ出した者の事なんてどうでもいい。残された家族が、私と母がどんな扱いを受けたと思いますか。表では惨めなほど憐れまれて、陰で嫌がらせを受け、母は心を病み、そしてそのまま、何も救われないまま死にました。僕は叔父に引き取られてようやくまっとうに今を暮らしている。僕にとっては父親なんていうのは疫病神以外何者でもない。そしてあなたにそれをどうこう言われる筋合いはない」



言った後、しばらくして胸ぐらを掴む手から力が抜けた。

爪先立ちになっていた自分の足がすとんと地に着く。

乱れた襟を整えて、カシムを見れば、うつむいて、その表情は読み取ることができない。



「ごめん」


「あなたに謝ってもらうことも必要もありません」


「でも、ごめんな」



そうしてこちらに手を伸ばすカシム。また胸ぐらを掴むつもりなのかと、あきらめていると。



ポン。



頭に手が乗せられていた。



「お前、ちっちぇのに、結構頑張ってたんだな」


「ちっちゃ…、僕は言っときますが、14です」


「俺にとっては、まだまだちっちぇーよ」



そのまま髪をぐちゃぐちゃにかき回された。



「あのですね」


「ははっ」



そう言って、今度はポンポンと自分の頭をなでるようにする。

私はその時抵抗するなり逃げるなりできたはずなのに、そのままされるがままになっていた。

誰かに、頭をなでてもらうなんてことは、もう随分昔の記憶しかなかった。



「ほんとは俺に言われる筋合いなんて無いんだろうけどさ」



カシムは私の頭をなでながら、どこか懐かしそうに語る。



「バルドルは弱くなかった」


「その話は」


「うん、ごめん。これきりにするから聞いてくれよ」


「………」


「俺の知ってるバルドルは弱くなかった。つらい時でもいつでも笑ってるすげー奴だった。俺思うんだ。どんな時でも笑っていられるのって、すごい力がいるんじゃねーかな。あいつは弱くなんてなかったと思うよ。ただ、ただ優しすぎたんだ。それだけだったんだと思うんだ」


「それが、逃げ出した免罪符になると?」


「わかんねぇ。でも、俺はバルドルのこと好きだったよ」


「あなたの感情なんてどうでもいいんですよ」


「そうだな」



すんなりとその言葉を受け入れたカシムに、なぜだか私の方が意地を張っている気分になる。



(きっと、この手の所為だ)



全然似ていないはずなのに、カシムの手が、好きだった祖父の手と重なって感じた。

父のことは憎んでいる、今だって嫌悪している。しかし、どこかで思っていたのだ。



「カシム」


「ん?」



私は彼の腕を頭から退かせて、ほんの少しだけ、頭を垂れた。




「ありがとう」




どこかで、思っていたのだ。





それでも、父を弱くなかったと言ってくれる人が、だれかが、言ってくれるのではないかと。






―――願っていたのだ。










―――3日目<扮装>―――







「少し疲れているみたいだな」



護衛の任じてから3日目。

早朝、叔父上の呼び出しで私は叔父上の私室を訪ねた。



「帰ってくるのが遅くなってすまなかったな。城での会議が長引いていてなかなか帰れなかったのだよ」


「いえ…」



叔父上はソファに腰を落ち着けると、すこし疲れたようにため息を吐いた。



「叔父上…」



「それより、カシミール様はどうされている?」



様子がおかしいのを訪ねたかったのだが、先に問われてしまい、私は肩をすくめて答えた。



「相変わらずです。ニーズヘグへ向かうために、いろいろとやらかしてくれます」


「そうか…、まあ生きておられるなら、それでいい」


「?」



ひっかかる言い方だった。いや、それより、気になることがあったので、私は叔父上に尋ねた。



「叔父上様」


「なんだね?」



叔父上は少し持たれていたソファから身を起こし、私に視線を合わせる。



「カシミール様のお父上の容体は本当に思わしくないのですか」


「………」



答えは返ってこない。


ということは、これも前に問うた時と同様、答えられない部類の質問だったということだったらしい。

叔父上は私と対面するように腰を掛けていたソファから立ち上がると、私に表情を見せないためか、窓に顔を向けた。



「カシミール様がそう言ったのならば、そうなのかもしれぬな」



カシムは、一体何者だというのだろうか。


これまでに何度も彼とは話をする機会はあったが、どれも叔父上が頭を垂れるほどの者には見えなかった。



「なぜ…」



私はそこまで口をついて出てきそうだったが、寸でのところで飲み込んだ。どのみち答えの帰らない質問をするほどむなしいものはない。



「彼は、ニーズヘグに来るためにここへ来たのですか」



代わりに別の問いを投げかけた。

叔父上は静かに首を振った。



「違う。本来は別の為だったのだが、だが、確かに今回は妙に大人しくおいでいただいたと思ってはいたのだ。ニーズヘグは王都よりもここからの方がはるかに近い。まさか、そのようなことを考えていらしたとは」


「無茶苦茶です」



よりにもよって、童話にでも出てくるような夢幻の実を探しに行くなど、本当に無茶苦茶だ。



「それほどまでに、カシミール様にとって切実なのだろうな」


「だからと言って…」


「だが、そんなことはどうでもよいのだ」



(どうでも、いい?)



何か変だった。さっきからずっと感じている違和感だ。



「要は、生きてさえいらっしゃればいいのだ。後はどうでもいいのだよ」


「どういう、意味ですか?」



私の声が余程不審そうな声音だったのだろう。

叔父上は私を見て、眉間に皺を寄せた。



「アゲート、あの方に下手な情をもたぬほうがいい。ただ守ればいいのだ、死なないようにな」


「僕は」



情などかけていない。ただ、叔父上の言葉はまるで、



「こう思えばお前も楽だろう、アゲート。あの方は『道具』だ」


「ど、道具?」



道具?カシムが?

叔父上は、何を言っているのだ。



「そうだ。だが、道具は『使うその時』までに、壊れてしまっては意味がない。だから壊れないように管理するし、使いこなすために大事に扱ってやらねばならない。分かるだろう?」


「わ―――…」



分からない。と、思わず言いそうになった。



「お前もあの方のわがままに付き合わされて、少し疲れているみたいだからな。こう思えば少しは気が楽だろう」



叔父上にとって、カシムの感情や意志はすでに存在していないのだ。

だから、モノなのであり、ただ自分に都合のいい道具なのだ。



(じゃあ僕はモノに慰められたのか)



モノに怒って、モノに父を語られ、モノの手を祖父と重ねたのだろうか。



「アゲート」



叔父上の声で我に返ると、そこには心配げにこちらを見る叔父上の表情があった。



「お前は、誑かされてくれるなよ」



(誰と、比べられた―――?)



分からなかった。だが、どの道私の選択など一つしかないのだ。



「お前には期待しているぞ、アゲート」



そっと、私の肩に手を置く叔父上。

私に道など一つしかなかった。



(僕は、もっとずっと上に行く。誰からも認められる存在まで上に)



そのためには、自分の感情などどうでもいい。

私は、叔父上の前で膝をつく。




「かしこまりました、叔父上様」






目的の為に、とうの昔に感情は捨てる覚悟をしてきたのだから。

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