番外 記憶<メメント・モリ> 1
宰相になりたかった男と魔王になりたかった男の話
なんの冗談だろうか?
呆然と、私はその虚言か妄想かの言葉を聞き、思わず周りを見渡した。
そう狭くはないが広すぎることもない城の応接間に十数名の大臣、将軍たちが雁首を並べて私と同じように呆然としていた。
ただその部屋にいる中で一際異彩を放つ7人だけは静かにそんな私たちを見つめている。
だからだろう、呆然としながらも私は納得した。これは妄想を聞かされているのではない。
その時、祖父の事を思い出した。
古いアルバムだった。
うすぼんやりとした祖父の私室でそれを見つけたことを、私は今でも覚えている。
いや、大抵のことを私は覚えていた。
私は、とても優秀な子供だったのだ。
7人の魔王と魔王な俺 番外
~記憶<メメント・モリ>~
1.
『いつか、いつかこの子が―――になったとき、助けてやりなさい』
祖父は私の頭をなでながら、悲しそうにアルバムを見てそう言った。
『泣いているのを慰めてあげればいいの?』
なでられた手を取り、私は尋ねた。祖父の手は骨ばった手であったが、優しい体温で、私はその手を取るのが好きだった。
そのアルバムに写っているのは少年で、その子はどこかの廊下で地べたに座り込んで、周りにいる給仕たちをおろおろさせていることなどはばかりもせず泣いていた。はじめ、それを見た私の感想を祖父には伝えられずにいた。
(すごく馬鹿そう)
10歳くらいだろうか、私と同じ年の少年が泣いている。その様はわたしにとって馬鹿に見えたのだ。
だから言わなかったし、私は祖父に気に入られるために、答えてほしそうな言葉を口に出した。
だが、祖父はそんな私の言葉を嬉しそうに聞いてくれた。
とても、とても満足そうに。
そのことを私は覚えている。
ただ、日常はときに記憶を埋没させるのである。覚えていようと、なかろうと。
2.
「14歳にして当代随一の天才魔法使い!さらには代々国の宰相家系の時期宰相候補!!おまけに学校の女子にもてもて、なんつーパフェクツな人生よ、そんで何が不満なのさ」
「僕がいつ不服なんて言った」
王都の官学校に在籍していた時、寮の同室でもあり、時に自分に悪い遊びを教え、時にこうして寮でチビチビと酒を飲み交わしていたのは、今はいない親友だった。
………訂正。
今は旅に出て、この国にいない親友の言葉だ。危うく亡き者にしてしまうところであった。
友人は私の向かいに座りこみ、古びた小さな弦楽器をピンと鳴らして、笑っていた。
「言ってはないさ、だが言わないってことに意味があるか?親友なめるな」
友人の言葉に、私はワインの入ったグラスを置くと、銀の縁取りのメガネを押し上げ、つまらなく言った。
「そうか、じゃあ勘違いだよ。僕は今の現状に満足だ」
「…まあ、いいけどね。お前の人生だ、満足じゃなければ生きてちゃいけない道理はないさ」
ポロポロと弦を弾きながら歌うように言う。昔からこの男はこんな風に人を食った言い方をする奴だった。人の図星をさらりと言い抜く。
あきらめてため息をついて呟く。
「最年少の天才魔法使い、次期宰相候補か…」
「およそ、めったに他の魔人にゃ届かない領域だ。うらやましい限りだなー」
「棒読みだよ、うそくさい」
友人は苦笑して、ポロオンとかき鳴らす。
「俺の言葉がうそくさく感じられるのは、やっぱりお前が不満だからだろ。現状に」
「そうだな」
ついと出てしまった。きっと飲みなれない酒のせいだろう。
「それでも一番上にはたどり着けない」
言ってしまった後、友人の表情を見てひどく後悔をした。
さんざん出鱈目にかき鳴らしていた弦を手放し、目を見開いてこちらを呆然と見ている。
「阿呆な顔で見るな。失言だよ、忘れろ」
「いや、だってお前、宰相の上って、一番上って」
「忘れろ」
「王だぞ!?」
こちらが言うなと暗に言っているのにも関わらず率直に言った。
はき出してしまったものはしかたない、そう諦めて私はグラスを置いて友人を睨む。
「どうして驚くんだ?」
「いや、だってだなあ」
後を濁す友人に、私は代わりに言葉を継いでやった。
「誰も、才能や血筋だけで言っている訳じゃない。どんなに努力したって、得られない。そんなことが許せるか?力があればそれだけでどんな者の上に立てる魔界で、どうあがいても、あがいても、何と引き替えにしたところで、王だけがどうやっても手に入らない。逆に、どんなボンクラだって、ひとたび王に選ばれれば王だ。どうしてそうなるんだ?一番強い者が王だ。それでは何故いけない?」
「まあ、言われれば、そうだな。しかし・・・」
友人はうなずいたが、今度はこちらをのぞき込むようにみると、人差し指を人の目の前で指した。
「お前、魔王様に目通ったことあるか?」
「いや、ないよ」
その言葉に私は少しひるんだ。そう、無いのである。
私は王に会ったことは無かった。
気まずそうに言った私に、友人の頬は少し緩み、「そーかそーか」と言ってまた再び弦をかき鳴らす。
「お前ン家なら、そのうちお会いすることもあるだろうけどさ、俺は一度だけ、国境平定の戦で見たことがある」
そうして、ポオロンとひと鳴らしして、私を哀れむ様に見た。
「お前は凄いよ、才能もあって、家柄もあって、オマケに類をみない努力家だ。だけどあの方は、俺があの時の戦で見た魔王様は、なんつーのかな、違うんだよ」
「違う?」
「ああ」
そういって友人は楽器を目いっぱい振り回して「こーんな」と言う。
「こーんなにいた魔物をだぜ。長剣で一薙ぎだ。あの時俺は後方で避難してたから傍でみることは叶わなかったが、あんなに群れていた魔物どもが、まるで波が引いていくみたいにスッと消えちまったよ。あんなことが俺たち普通の魔人共や、ましてや魔獣・魔物にできるわけがねぇ。俺たちとは生まれた時から理の違う生き物だよ」
おまけに寿命だ。と、お手上げのポーズをしておどける友人。
「普通魔王様は1000年ほど生きるそうじゃないか、しかもその間は不死。…お前、一体どうやってあの方に挑もうなんて思うよ」
「そんなのは、実際に試してみないとわからないだろ」
訳知り顔で言う友人の言葉が鼻にかかり、私はムキになって言い返したが、
「ま、それもそうだ」
あっさりと、肯定した。
そうして面白そうにこちらを見ると
「そうだな、そうすりゃお前に足りないものも分かるかもな」
足りないもの?
首をかしげて友人に促すが、それきり友人は言葉を続けることはなく。
ただ、不思議な楽器でわけのわからないメロディをかき鳴らすだけだった。
私も、その音色を聴くにつれ、だんだんどうでもいいような気になりそれ以上問いただすことはなかった。
そうして、次の日、私は学舎の寮を後にした。
3.
「お前、だれだ?」
唐突に現れて、唐突に尋ねられた。
私は、寮から最少の荷物だけを持って、友人曰く、代々宰相家の屋敷の庭を門に向かって歩いていただけである。
いうなれば、自分の実家に戻ってきたのにもかかわらず見ず知らずの奴に「誰だ」と声をかけられたのだ。これが唐突でなくてなんであろうか。
「あなたこそ、誰ですか?」
私は銀縁の眼鏡をすこし上げて、声をかけてきた少年を見上げた。
この辺りでは珍しい褐色の肌の少年だった。
褐色の肌は珍しいこともないが、この国では主に国境の付近で見かける種族であり、この首都近郊ではあまり見かけない、つまり『田舎者』ということである。
それでも、この少年にギリギリ敬語を使っているのは、一つ二つではあるが、私より年上だということと、私はまだ私がこの少年の正体を知らないからだ。
そんな私の考えを知りもしない少年は「俺?俺はなあ」と言って私に手を差し出した。
「カシミールだ。よろしくな」
「いえ、名前を聞いたわけでなく素性をですね」
「お前の名前は?」
「………」
どうやら、あまりこちらの話を聞く部類の者ではないらしい。
私はあきらめて、手を取った。
「アゲートです。夏季休暇の為に生家である、この屋敷に帰ってきた者です」
「アゲート?ああ、じっちゃんの言ってたアゲートってお前か」
「じっちゃん?待ってください、それはもしかしてお爺様の事ではないでしょうね」
「お前のじっちゃんてそんなに沢山いるのか?」
「いないから空耳ではないかと聞き返したんです」
祖父は高名で優れた宰相だった。現在41代を築きあげた宰相のなかでも80歳まで勤め上げた宰相は祖父以外他にはいないであろう。
その祖父も2年前、114歳で亡くなった。魔力の高い者はそれだけ、長命であるのである。
その祖父を「じっちゃん」呼ばわりするこの少年は本当に何者なのだ。
「あなたは、一体誰なんですか」
「いや、だからカシミールだって。カシムって呼んでくれていーぞ」
弱ったような顔をする少年の奥、屋敷の扉から駆けて来るものがいた。
「カシミール様!どうして勝手に外へ行かれるのですか」
「げ、バレた。おめーの所為で逃げるの手間取っちまった」
勝手にやってきて勝手に声を掛けてきて、それはないだろう。
憮然としながら、奥の人物を見て、今度は顔が引きつった。
「お、叔父上様」
屋敷の扉から必死で駆けてきた者は、この国の41代目宰相であった。
4.
「護衛…ですか」
「アゲート。やる気のなさが表情に出とるぞ」
その後、引きずられるようにして連れて行かれるカシミールと私は、叔父上の私室で私一人呼び出され無茶難題を吹っかけられていた。
「いくつか質問を?」
「構わん、答えれるものは答えよう」
大きなソファに身をうずめる叔父上に、向かい合う形でソファに浅く腰掛け、質問を投げかけた。
「私は夏季休暇で帰ってきたばかりなのですが」
「そうだな、まさにちょうどよかった」
「…私はまだ学生です。護衛なら素人より玄人でしょう」
「似たような年の子供なら護衛と疑われることも少なかろう、優秀なのだと聞いているぞ。それに、来春からは軍に入るらしいな、いい経験だ。それに、期間は5日間。そう長い間ではない」
「5日・・・」
確かに短い間ではある。が―――
「………最後に、あの少年は何者ですか」
「答えられんな。ただ、私たちにとって、とても大事な方だということだ」
「?」
妙な言い方だった。普通この場合「大事な方の子息」であろう。まるで、あの少年の親というより、あの少年そのものが重要とでも言っているようだ。
それにしては、言動というか、格好というか、なんだろう。にじみ出る高貴という雰囲気がかけらもない少年だった。
「どうだ、他に質問がなければお主にこの一件を・・・」
「いえ、ちょ、ちょっと」
何か、何か他に言わなければ。そう思っているうちに。
ポンといつの間にかこちら側に来た叔父上が私の肩に手を置いていた。
「頼むぞ、アゲート」
「……はい」
私は力なく返事した。
5.
(どうしたものか)
叔父上の私室を退出後、回廊を歩きながら私は頭を悩ませていた。
その護衛対象者のもとへ行くか、このまま休暇を満喫するか。
その2択を考えたとき、私は盛大なため息をついた。
(分かり切った選択だった)
私は叔父上から聞いていた来賓室へ足を向けて歩いていく。
もとより、悩めるような選択肢ではなかった。宰相である叔父上が頼まれたことに「いいえ」と言えるわけがないのだ。
それでも、先ほど会った少年と5日間とはいえ、顔をつきあわせるのは、想像を上回る疲労が予想できて、憂鬱この上なかったのである。
(諦めろ、これは仕事。仕事と割り切れ)
未だ学生だけど。その葛藤にいくらか時間がかかっていたのだろう、気づけば私は来賓室に辿り着いていた。
さすがに、この場に来てまで迷うのも馬鹿馬鹿しい。そう思い、扉ノックする。
「………」
反応がない。
もう一度試みた。今度は少し強く。
「………」
反応は、無かった。
「ま、まさか…」
私は預かっていた合い鍵で扉を開け放った。
「やっぱり、いない」
がらんどうの来賓室を見て、さすがに私も口の端を引きつらせた。
そもそも、私と初めて会ったときもあれはここから逃げ出してきたのだろうから、今ここにいなくても不思議ではない。
「ったく」
そう悪態をついて、何か手がかりは無いかと来賓室に足を踏みいれたとき、真上に気配を感じた。
「なんだ、アゲートか」
「何を、なさっているのですか。カシミール様」
天井の縁に張り付いているであろうカシミールに私は視線を向けずに問いかけた。
すると、ずるずると、扉から伝って、降りてきたカシミールが私の前までやって来た。
「いや、この間からずっとここに閉じこめられてるし、外へ出れば出たで、護衛とか言って変なオッサンついてくるし…だから、またそんな奴だと思って、こう逃げる準備をだな…」
身振り手振りで説明をするその姿に、やはり、どう見てもとても重鎮という扱いは出来そうになかった。
「で、アゲートはどうしてここに来たんだ?俺に用か?」
「まあ、用があると言えば有るのですが」
私はそこで不思議そうに尋ねる少年に、一応改めて居住まいを正し、一礼をした。
「本日付でカシミール様の護衛を任されました。アゲートです。5日間ですが、よろしくお願いいたします」
「なにぃっ!?」
目の前の護衛対象は大層驚いてこちらを見返していた。