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番外 回想


「お前、名は」




「わかんない」




「家は」




「わかんない」




「親は」




「…わかんない」






問答だけの会話を長い髪の男は淡々と続けていく。


問われている子供の方も、ただ淡々と静かに返すだけである。




ボロ布のような…、そんな例えがピタリとはまるような子供だった。


フケだらけの髪に、垢と泥まみれの格好は、薄汚れて…と言うのもおこがましい汚い姿だった。


伸ばし放題のぼさぼさの髪の間からのぞく青い瞳に、子供らしい好奇心もなければ、突然目の前に現れた男への不信感も無い。静かに、目の前の状況をひたすら受け入れるだけの瞳である。




対する男の方はその瞳の色そのままの苛烈なまなざしである。


燃ゆる赤。その目でだけで、己の意思を貫ける、強烈な赤い瞳。




それも当然である。


白髪の長い髪に、閃光のような赤い瞳。この男を知らぬものは誰もいない。




「お前…」




男が、王が、魔王が言葉を発する。




「俺と、来るか」




その時、はじめて子供の抑揚の無い目がほんの少しだけ揺らめいた。



それは、まぁ、それだけの話。



1.




「なんだぁ、こりゃ」



久しぶりに訪れた西の魔王が足元で突然現れた自分に驚いている黒髪の子供に気づくと、それに気づいた男が西の魔王が初めてみるような顔で、なんでも無いことのように言った。




「ああ、そういえば報告が遅れてしまったな、紹介しよう、私の息子だ」



「はぁ!?」



それも、まあ、それだけの話…ではなく



「そんなわけにいくか、阿呆」




男と子供と、そんな2人に呆然としていた西の魔王の間にふわり宙へと浮いて現れた姿は、またしても子供だった。



「東の魔王!」


「ふぬ、久しぶりだの2人とも。…200年ぶりか?」



「いや、100年くらいだろ」


「…10年ぶりだ」


2人の魔王に正しい訂正を入れた男は、またしても突然現れた東の魔王に驚いてしがみついてきた子供を抱えると、その頭を撫で付けた。



「ああ、驚いてしまったのか、すまんかった」


「別に、驚いてないよ」


フンと生意気そうにそっぽを向いた子供だったが、その手は男の服を握っていた。


「カシム。私たちは少し込み入った話がある。ちょっと外へ遊びに行っててくれ」


カシムと呼ばれた子供は、少しだけ不安そうに男と、この突然現れた二人の男たちを交互に見たが、しぶしぶ頷くと、その腕からスルリと降り、大きな扉を開けて出て行こうとした。が…


扉へ行く一歩手前の子供がとたん動かなくなる。


「カタン、やめろ」


パタリと倒れた子供、そこにカタンは着地すると、零度の火を思わせる冷たい緋色の瞳で男をみた。


「わしが何のために訪れたか、分かるな、トゥエルブオール」


「人のうちに乗り込んで、息子を連れ去ろうとする奴の理由など知るわけがない、カシムに近寄るな、カタン。私に喧嘩を売るつもりか?」


「勿論ないの。だがことと次第に…ん?ヴィットール?」


2人のやり取りにずかずかと入ってきたのは西の魔王である。

ヴィットールは、カタンの問いかけに答えるまもなく、男の…トゥエルブオールの元に近づくと、胸倉をつかみ上げた。



「ヴィク?」


トゥエルブオールは、逆立った西の魔王の金の短髪がさらに逆立つような気迫に押されるように、いぶかしむ。

ヴィットールは、その彼の息がかかるほどに詰め寄り、問いただす。



「あれは…、あれは魔王なのか!?」




2.




バシャン!



「………!!?」


汚れたままのその子供を担いで城に戻ったトゥエルブオールは、さっそく、風呂場にその子を放りこんだ。


「まずは湯に漬かって、汚れを落とさなくてはな」


「いや、熱い、熱いってば!」


「そうか?普通だと思うが」


「お、俺、食べられるのか!?煮込まれるのか!!?」


「何を馬鹿な…、ほら髪を洗うからじっとしているんだ」


暴れる子供の頭を鷲づかみにするトゥエルブオール。


「ぎゃーーっ!つぶれる、つぶされるーっ、俺の頭はリンゴじゃないーーっ」


「おお、少し力を入れすぎたか、すまんかった。むぅ、力の調整がよく分からんな」


「こ、殺される…っ」


「何を馬鹿な…、あ、こら逃げるな」


泡にまみれながら、トゥエルブオールの手をすり抜けた子どもはまさに、命からがらの形相で、彼をにらみつけた。


「な、なんだよ、ここは!?あんた、俺をいったいどうするつもりなんだよっ!」


「何といわれてもな…、ここは城だ。名前でもあればいいが、生憎そういった気の利いたものもない」


同じく泡まみれの魔王は髪にかかったそれを指ではじくと、あっという間に、すべての泡が消え去った。


「うわっ、な、何…っ!?」


そして次に、子供の体が瞬くまに乾き、次の瞬間には、さっぱりとした清潔な服が着せられていた。


「ふん、これでいいだろう」とトゥエルブオールは一人でうなずくと、得心顔で子供のほに向かい、おびえる子供の前にしゃがみこんだ。


「自己紹介が遅れたな、俺はトゥエルブオールという、お前の……むっ」


とたん、気づいたトゥエルブオールは、突然頭を抱えだした。


「ど、どうしたんだよ?」


でかい男が唐突にうずくまったので、驚いて声をかけて近寄ってみると。


「しまった…皆になんて説明すればいいのか、忘れていたな」


うなりながら、そんなことをつぶやいていた。




2.




「ま、魔王様?」


バリバリ書類かなんだか、白い紙に何かを書きまくっている魔王をみて、思わず顔の引きつる宰相。


魔王といっても所詮、魔界と言う世界の国の王である。


とくに別の国を滅ぼしにいったり、無意味に黒いマントをつけて馬鹿笑いするわけでもない。どちらかと言えば書類仕事の方が多いくらいだ。


他国でも武王と名の知れた彼が、机にかじっていたとしても、それもやはり、通常あり得る範囲の話であったが。


(なにを…、紙に書きなぐっているのだろう?)


どちらかと言えば、書き捨てている。


書いては紙をゴミ屑入れに投げ捨てている。とうてい普段の仕事姿であるとはいいがたかった。しかも…


「知り合いの知り合いの友人の預かり子…むぅ、どうもしっくりせんな」


(な、なんの話を…?)


なぜだか、聞くのも恐ろしかったのだが、宰相は自分の仕事を遂行すべく、魔王の方に声をかけた。


「魔王様」


「ん、おお、宰相なんだ?いまは忙しいのだが」


「あ…ああ、忙し…、ああそうでしたか、忙しい…それは失礼しました………、はっ、ではなくて」


「ん?」


「先ほど魔王様が連れていらした子供のことで、お話しがあります」


「な、なにっ、子供がどうかしたのか」


「いえ、今は従士の空き部屋で大人しく…とはいえませんが、とにかく部屋にいます。しかし魔王様、あの子供は一体…」


聞いていいものか悪いものか、そう言った風な顔で宰相が魔王に尋ねた。


「ああ、あれのことは…、お前も分からないか」


「は、いえ、分かるとおっしゃられれても…、その、私は妻一筋ですので…」


「ん?」


「はっ、いやっ、魔王様は独身ですし、私がおこがましく何を言える立場でもありませんが。しかし、やはりこういったことは順序というものも大切と言うか…」


「宰相、お前さっきから何をいっている?」


「ああっ、その、“隠し子”とかそう言ったことであっても、魔王様のお子様であることは間違いないわけで…」


「隠し子っ!?俺のかっ!」


宰相の言葉に、驚くと立ち上がったトゥエルブオール。

周りの紙くずが散乱し、机の上の筆記具が一センチほど飛び上がった。


そして、失言したと青くなる宰相の方を見て。


「そうか、その手があったか」


とかつぶやいたとか。



3.



「俺、これからどうなるんだろう…」



見知らぬ白髪の男に連れられて、こんなところで呆然と立ち尽くしている自分に、これからの展開がまったく読めず苦悩した。


「城…?お城だって…?俺はただ、飯が食えるかもって思ったからついてきただけなのに、それなのになんで城にいるんだ?」


おまけに、と自分の格好を見てさらに頭を抱えた。


「こんな上等の服まで着させられて…、くそ、いっそ逃げるか?」


思い立ったが吉日。いやすでにこの時点で吉かどうか分からないが、とにかく扉に向かった少年がノブに手をかけると。


「…かぎ、かかってないや」


難なく開いた扉に拍子抜けした。


子供は、そのまま慎重に扉を開けると、その先には、ここと同じような部屋が無数、と永遠とも続くような長い廊下。


「……まぁ、無理だよな、わかってたよ、くそう」


そして、扉を閉めて、諦めてベッドで眠ることにした。


十数年ぶりになる、布団をかぶり。


(木の匂いがしないや)


と、深い森の自分の住処を思い出しながら、眠りに落ちた。




4.



―――なんて忌まわしい。


言われるのはいつものことだった。



初めて言われたのは、母の声だったと思う。


『なんて、忌まわしい子。こんな…こんな子が私の子だと言うの』


生まれて10日で、10歳ほどの子供に成長し、以来そこからピタリと成長しなくなった俺のことを、母はいとも簡単に捨てた。


そのころ、国境付近の地方は細かな内紛が起きていた。この村も巻き込まれていたせいもあるのだろう。


体よく捨てた、とは思いたくなかったけど。


魔人の村から程よく離れた深海の森に、ぽつんと捨てられた。


初めの頃は、その森から飛び出し、人里の方に降りていったこともあったけど、言葉すらろくに覚えていない俺は、少し頭の足りない子か、魔物が変化しているのだと思われて、やはりその里に入れてもらえることはなかった。


ほどなくして降りた里も、俺の故郷だった村の村人も、すっかりこの土地を離れていってしまった。


『厄介な忌み子』


そう呼ばれるのは悲しかったけど、人がいないのは、もっと寂びしかった。


そんなころ、あの男が来た。


見ただけで分かる。きっといいところの家のやつだと。


総白の髪で、年寄りかと思ったら、意外と若い男だった。赤い外套に、白髪が流れて、きっとあの髪は泥や血で汚れたことなんて無いんだ、と思ったらなんだか腹立たしくなった。


訳知り顔で、俺に言葉を教えてくれた魔獣が、都のほうでは、毎日うまいもんが食えて、いつでも微笑んですごせる土地だと、自慢の白毛の尻尾をなびかせながら聞かせてくれた。


きっと、この男もその、都のほうから来たのだろうなと、そう思った。


唖然としたような男は、しばらくして、ようやくわれに返って、俺のほうを見た。


『俺と、くるか?』


俺はうなずいた。




だって、うまいもんが食えるかもしれないじゃないか。



けど、まさかいきなりお湯で茹でられそうになるなんて思っても見なかったけどさ。



5.



穏やかな日差しがねっとりとまとう。

清潔なシーツに、体が半分以上埋まるベッドは、強烈な睡魔に変化して襲ってきた。


「う…ん」


完膚なきまでにそれに敗北した子供は、どれほどか経ってから、うなるように目が覚めた。

そして、ドス低い声が聞こえ、


「おきたか」


「うわぁぁっ!」


飛び起きた少年は、思わずベッドからも這い出した。


が…、


「え、おい、なにする…」


「起きたならちょうどいい、これから、皆にお前のことを紹介しなければならんからな」


そう言って、小脇に少年を抱えたトゥエルブオールはそのままスタスタと大股で、さっき見た馬鹿に長い廊下を突き進んでいった。


「紹介っ!?な、なんでだよ。なんで俺がこの城の奴らに紹介されなきゃならないんだよ!」


じたばたと暴れる子供をものともせず、トゥエルブオールはそのまま歩いていく。


自分の抵抗など蚊ほどにも感じていない男に、ムカッとした子供は、そのまま担いでいた腕を思い切りよくかんだ。


「…なんだ、お前そんなに腹が減ってるのか。あいにく俺の肉はうまくないと思うが」


「ふわえほぅはっへんの?(お前って、どうなってんの?)」


噛んでいたら、こっちのあごが外れそうなので、諦めることになった。


「ともかく、下ろしてくれよ。一人で歩けるからさ」


「逃げないと言うなら、下ろしてもいいが、俺がお前なら、下ろした瞬間に逃げる」


大当たりだった。


「…だったら、説明ぐらいしてくれよ。なんにも説明しないのに無理やりこんなところまで連れて来られて、俺わけわかんねーよ。無茶苦茶ばっかして、あんた何様のつもり、自分を王様だとでも思ってるのかよ!」


ボトッ。


怒鳴っていた途中でいきなり男の腕から離され、顔面から落ちた子供。


「ぃてーーーっ!!下ろすなら下ろすって…、てか落とすなよ!」


「あ…、ああ、すまん」


自分が子供を落としたことに、気づいたトゥエルブオールは即座に顔面をさすっている子供を立ち上げさせると、


「そうか…、お前も分からんか」


「……?何を?」


意味が分からなくて尋ねた子供の言葉に、答えることはなかった。


「いや、なんでもない。さあ、行くぞ」


そう言って、手を伸ばすと…子供は、一歩その場から引いた。


「やだ、行かない。俺はもう帰る」


トゥエルブオールをにらみつけた。

深い海のような濃い青の瞳。

子供の黒髪に良く似合ったものだと、トゥエルブオールは見当違いなことを考えていた。


「帰る?どこへだ」


「森だよ、たしかにあそこは、こんないいとこじゃないけど、友達が俺のこと待ってるんだ!」


「友達?あそこには他に人はいないはずだが」


「人じゃない、魔獣だよ。俺の友達だ」


ヒステリックに、少年は怒鳴った。


「帰るんだ!俺、友達を置いてきたんだ。うまいもん持ってきて、絶対戻るって約束したんだ」


「あそこには、お前一人だっただろう」


「うそだっ!」


「あそこには、お前のそばに、魔獣の死体が一つ転がっていただけだ」


「うそつきっ!」



うわあああああぁぁぁっっん!!


涙の粒をボロボロこぼして、子供はわき目も振らず泣き出した。


「お、おいっ、どうした」


突然泣き出した子供にあわてたのは、トゥエルブオールだった。


彼には、子供が泣き出した理由がさっぱり分からなかったのだ。


「どうしたんだ、どうすれば泣き止んでくれるんだ」


「あんたが…あんたが悪いんだ!俺をこんなところに連れてくるから。“しっぽ”は俺とずっと一緒にいるって約束したんだ。俺と一緒にずっとって、忌わしいって言わなかったんだっ、俺のこと忌わしいって…、なのに、昨日俺を遊びで狩りに来た奴らに弓矢に、うたっ、撃たれて…っ。でも、大丈夫って言ったんだ、全然平気だって…、だから俺うまい物もって行って、“しっぽ”に元気になって…、ひと…っ一人ぼっちになった。もう寂しいのはやだぁ…っ!」


ますます、涙はとめどなく流れて、新しくなった服の裾はすでにぐしょぐしょにぬれてしまっていた。


「森に帰りたい。…だって“しっぽ”が待ってる。俺、約束したんだよ、嘘じゃない、嘘じゃない」


「わかった、わかった、嘘じゃない。だから泣くな、俺はどうすればいいのか分からなくなる」


「森に返して!」


「それは…」


言い淀むトゥエルブオール。


「それは…無理だ」


「どうして!?どうして帰れないんだよ!俺またどっかに捨てられんのか?俺が忌み子だから!?」


小さな拳が彼の胸をたたいた。


「違う、そうじゃない、そんなわけが無い、お前は…」


どうしてと叫ぶ子供に、トゥエルブオールはついに答えることが出来なかった。


帰りたい。そういい続ける子供の声にトゥエルブオールは、小難しくしていた顔を解いて、子供を今度は自分の胸に抱き上げた。




「わかった、森に俺と戻ろう」


そうすると、トンと廊下を蹴った。

するとたちまち、彼の5倍ほど高さのある廊下の天井がすぐ傍まで近づく。


「うわっ」


おもわず驚いて、涙の引っ込んだ子供。それをみて、顔には出さずトゥエルブオールはほっとした。


しかし、


「魔王様!」


その足元には、先ほど話をしていた宰相の姿。


「魔王様…っ、その子供は、まさか」


「聞かれていたか」


「聞こえますとも、あんな大声を出されては!」



軽く舌打ちした。察しのよい宰相なら遅かれ早かれ気づかれるとも思っていたが、コレは予想外だった。


「早くその子供からお離れください、魔王様。次代の王と現王が接触を持つなど、他国に知れれば戦になるやもしれません」


「ならば、誰がこの子を拾ってやれたのだ」


“次代の王と元王は、例外なく接触を禁ず”




知っていた。王と定められてからまず初めに教えられた言葉だった。


この国に限らずどの国でも教えられる言葉だ。


「宰相、お前も、この子も、誰も気づかなかったから、私が動いたのだ」


「あなたが告げてくだされば…私どもが動きました!」


「そうだな、すまん。揚げ足を取るわけじゃなかった。ただ、これは本当に偶然だったのだ」


見下ろして宰相に言うと、それから子供を見た。

そう、単なる偶然だったのだ。

あの森に彼が訪れたのは。

誰一人、気づかなかったのだ。

あの森にあの少年がいることを。


彼ですら。


あまりに魔力の弱い、この幼い次代の王を見出したのは、彼があの森に入ってまもなくの事だったのだ。


子供は、そのトゥエルブオールの視線の意味も、宰相の言葉も意味も分からず、キョンとこちらを見返して、ただただ、故郷の森に帰れるのかを不安に感じていた。




「魔王様!」


子供から再び視線を下ろしたトゥエルブオールは、



「すまない」


そう言って、宰相の前からかき消えた。



6.



深海の森は、国境の最北であるオーロラリールという村のさらに北にある森だった。

何もない森だった。とくに、肥えた土地でもなく、動物もほとんどいない。

野生化した魔獣がすみつくような、人が決して入れる森ではなかった。


「だから帰れ、って初めは言われたんだ」



湿地に足を湿らせながら、子供は一人ごちた。


「ここは危ないから、帰れって“しっぽ”は言ってくれたんだ。でも俺、そんな言葉も全然知らなくて、ずっと“しっぽ”について回ってたんだ」


どこか疲れたように話す子供の傍らに“しっぽ”の姿はない。“しっぽ”と同じ白い毛の、でかい男がいるだけである。


彼らの降り立った地にはすでに、“しっぽ”は愚か、森の姿すら見ることはなかった。

あるのは、ただ木々の残骸と、燃え残った獣の骨のみ。

その焦げた木々の香りに混じって魔物の腐臭を感じ、トゥエルブオールは顔をしかめる。


「魔物らめ、獣を狩ったな」


おそらく昨日、子供の言う“しっぽ”を襲った連中が魔物らなのだろう。強い力を持つ一部の魔物は変幻自在に姿を変えることも出来る。

人のいない国境で魔物が食うのは獣である。おそらく、食事をした後は、適当に暴れて弾みで火をつけただけなのだろう。


ただの焼け野原と化した森で、子供は泣くこともなく、ただ淡々とそこにいた。


「俺、とうとう帰るところも無くなったのかぁ」


新しく着せてもらった服は、すでに炭と泥でぐしゃぐしゃだった。

みすぼらしくなった姿に、子供はこれが本来の自分だと、一人うなずいた。

また一人と思えば、寂しくて今にも涙がこぼれそうだったが、これ以上、この男の前で泣くのもなんだか口惜しかったので、賢明にこらえた。


「あーあ、また一人かぁ」



「一人が寂しいか、カシミール」


うつむいて顔を見せない子供に、トゥエルブオールは屈みこんでその目を覗き込んだ。


「かしみぃる?なんだよ、それ」


心底、不思議そうな顔をする。


「お前の名だ、カシミール」


「なんで?俺の名前?」


「名が無くば不便だろう、気に入らんかったか?」


そう聞いて、トゥエルブオールが言った名前をもごもごと子供が繰り返すのを見て、彼は満足そうに頷いた。そして、


「カシミール、お前がもし一人が寂しいというのなら…その、なんだ、俺と…」


そこまで言うと、とたんに言いよどむ、なかなか次の言葉が出ない。


“次代の王と元王は…”


(分かっている、俺がいま言おうとしていることは、無謀なことだ。他国の魔王たちも、民も、おそらく知れば許してはくれないだろう)



それでも。


「俺と…一緒にくるか」




子供の瞳がわずかに動いた。


まだあどけない面影を残した子供に、トゥエルブオールは辛抱強く言い聞かせるように言う。


「お前は、一人が寂しいと言ったな、カシミール。だがいつか、遠くない日に、お前はこれからもっと多くの孤独を味わうことになるだろう。お前は他とは違う時間の道を歩み、多くのものを見送り、多くのものの命を背負わなければならない時がくる」


「なんだよ、なんだよそれっ!どうしてそんなこと言うんだよ!!なんで…っ」


「それまで…っ」


吐くような言葉は、カシミールの口を閉ざすには十分だった。


「それまでは、俺がいてやる」


おもわず、きょとんとなる、カシミール。


「それって、どのくらい?」


カシミールの言葉に、トゥエルブオールはウッと息を詰まらせると。



「…そうだな、……100年ほどか」


「100年!!」


甲高い声を上げて、カシミールが叫んだ。どこかうれしそうに。


「100年経ったら普通死んじゃうだろ、それって、死ぬまでってこと?」


トゥエルブオールは、驚いて目を見開くと、彼にはめったにない、大笑いをした。


「な、なんだよ、俺、なんか変なことを言ったか?」


すると、トゥエルブオールは首を振って応えると、カシミールの頭をクシャクシャにしながら、笑って言った。


「そうだな、俺が死ぬまで傍にいてやるよ」



7.




「ヴィットール様、魔王様からお手を離しください」


「俺も魔王だ」


「我が、王のことです」



下手を打てば、一触即発。

そのわずかな隙間に現れたのは、宰相だった。


「そうか…、おんしもグルだったのか」


「何のことでしょう。私は私の王を害そうとするものに、注進しているだけですが」


「よせ、宰相。無茶をするな、これは私とこいつたちの問題だ」


やんわりとヴィットールの腕をほどき、カタンの傍で倒れているカシミールを抱き上げた。


それを見て、ようやく宰相はうなずくと下がった。


ギリ…、と歯のきしむ音が聞こえてきそうなほど、歯を食いしばるヴィットールは、うなりながらトゥエルブオールをにらむと。


「答えろ、エル。そのガキが魔王なんだな」


「やはり、お前たちは分かるんだな」


「分かるわ!馬鹿にしてんのか!?」


怒鳴るヴィットールに、トゥエルブオールはただ見返すのみだった。


「もうよい、ヴィットール。単細胞のおんしが分かったのだ。いまさら隠し立ても出来まい」


「おいっ、ドサクサまぎれで俺のこと単細胞言うな!!」


「トゥエルブオール、賢明なおんしのことだ、まさか、知らんわけではあるまい。八つ国で交わした掟を」


ヴィットールの抗議の声をあっさり無視して、子供の背丈しかないカタンは空へ浮くと、背の高いトゥエルブオールの目線まで昇った。



「知っている」



と、トゥエルブオールはそれに逸らすことなく、答えた。


「だったら、それをわしによこせ。おんしはこの国をあの南の第九国のようにしたいのか!」




8.




かつて、魔界には9つの国と9つの魔王が存在していた。


魔王は不死であるが、不老ではない。


いつかは死に、いつかは老いる――。


しかし、王とてただの個人に過ぎない、今は無き9つ目の国の魔王は、己の死を恐れたのである。


己の寿命を。



9.




「恐れた阿呆が、次代の王を殺したのだ。次代が死ねば生きれると思ったのだな。そして、次代の王は居らぬようになり、現王も寿命を終えて息絶えおった。そしてその国はあっけなく滅んだのだ。分かるだろう、トゥエルブオール。次代と現王は共にいてはなん。魔王は不死だ。しかし、戴冠を終えておらん次代の王は不死ではない、魔王ではないのだからな」


だからこその掟だと、カタンはそう言った。


「あんな馬鹿馬鹿しい過ちを繰り返さんために、わしらは絶対に次代の王に会うことも無いよう掟で誓ったのだ。それを、おんし破るつもりか」


「ああ、そうだ。と言えばどうする。私とやり合うか?武王と呼ばれる私と、智王のお前ではお前に勝ち目はあるまい、不死だからといって、死なぬと言うだけだ、勝敗を決せずとも、お前に勝ち目はないだろう」


事実だった、だが、


「2対1ぞ、トゥエルブオール」


「かまわん、私は譲る気はない」




胸のなかですやすやと寝息を立てている我が子を肩に抱き、トゥエルブオールはカタンとヴィットールの2人に対峙する。


しかし、


「んなことは、どうでもいいんだろうがっ!」


2人の緊張をばっさりと切るように、ヴィットールは怒鳴ると、はじめに東の魔王に詰め寄った。


「カタン、おめーはエルが本気で、んなばかなことするなんて考えてんじゃないだろうが」


「むぅ、それは…」


「エルっ!おめーもだ!なんで、言わなかったんだ、俺たちが…俺が、んなことで反対するなんて思ってたのかっ!」


「いや、普通は思うものだと思うが」


「思わねーよ!堅物のおめえが掟を破るんだ、よっぽど腹をくくったから、あのガキがいるんだろう。だったら俺たちが何か言ったところで聞く耳なんて持ちやしねえだろうが、お前は昔っからそんなやつだろ」


「…そこまで、いわれると心外も甚だしいが」


「700年の付き合いだろう、このくらい言わせろ。ちくしょう、なんだよ、おめえはもうちっと長生きすると思ってたのによ、なんだよ早く言えよ、んな大事なこと、ばれなきゃ言わずにいるつもりだったのかよ」


「……すまん」


「馬鹿やろう!すまんの一言で済ませる気かっ!!謝れ、もっとへりくだって謝りやがれっ!カタンだってあんなこと、本気で言ってるんじゃないからな、おめえがそんなだから、俺もあいつも怒ってるんだ」


「……悪かった」


「だーかーらーなーっ!!」


「もうよい、ヴィットール」


なんだか、本気で喧嘩になりそうな2人を、ため息を吐いてとめたのはカタンだった。


「おんしの馬鹿声を聞いとると、だんだん馬鹿馬鹿しくなるわ。だが、あながち間違ってはおらんがな」


そうして、ついと、子供のそばまで来たカタンは、気持ちよさそうにトゥエルブオールの肩で眠る子供を見下ろした。


「ふん、これがおんしの国の次代の魔王か。なんとまぁ、いじめがいがありそうだの。…本気で気は変わらんのか」




最後通牒の言葉、しかし、トゥエルブオールの決意は変わらなかった。




「約束をした。100年共にいると」


「たった100年!その程度共にいることが、なんになるというのだ。つまらぬ未練を増やすだけだぞ」



魔王の寿命はそれぞれであるが800年から千数百年にわたる。


たしかに、そう比べてしまえば取るに足らない年月なのだろう。


「だが、カタン。それが一生なのだ、民にとって100年はそれほどのものなのだ。私はカシムに気づかされたよ」


この騒動の中、眉一つ動かさず正しく呼吸を繰り返す子を抱いて、その髪をクシャクシャになでた。








「私はカシムと一生を生きようと決めた。どうか魔王たちよ、私の一生で一度きりの願いを叶えて欲しい」




2人ともそれ以上は、もうなにも言わなかった。





10.



カァ―――ン、カァ―――ン…



空は青く、弔いの鐘はどこまでも続いた。



どこまでも



どこまでも



どこまでも



鐘が鳴り止んだ後も、それでも鐘は俺の中でやむことは無かった。


目を固く閉じたまま、俺はその音だけに耳を澄ませた。



蒼天の空。今の俺の瞳の色とは、まるで正反対のカシミール・ブルー。


同色の外套が、俺の頬にかかった。



泣くことも、喚くことも許されない。


眼下にある、幾百、幾千の民が一心に俺を見続けているのが分かる。




この国のすべての魔人が、魔獣が、魔物が、俺の言葉を待っていた。


俺は、いまだ閉じたままの瞳で、ようやく言葉を発した―――




「まずは、祈りを。お初にお目にかかる、前王トゥエルブオール」






すでに、ここにはいない王にささげる言葉は、空々しくて、


俺は、宰相に渡されたカンペに、ムカつきを抑えるのに必死だった。


「長きに渡るあなたの治世を称え敬い、その意思を貫き、ここに我が命続く限り、国家と共に統治の道を歩むことを誓おう」




大儀そうに開けた目に、たちどころに歓声とも呼べる声が蒼天に響き渡った。




「我が名はカシミール。―――新しい魔王だ」




緋色の瞳に一粒の涙が伝い落ちた。



けれど、それに気づくものは誰もいない。




過ぎた100年は瞬く間で


それでも2人のすごした日々はけして色あせることはない




この空の色のように――――





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