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第三話 墓穴は掘るもの、ハマる者


魔の世界と書いて魔界。

そんな世界で俺は魔王という管理職を務めている。


魔王っていや、なんていうか、ほら、アレな感じでふんぞり返って、「世界征服するぞ――ッ」と叫びそうなもんだが


…当たり前だが、俺はそんな事をしない。

アレな格好もしないし、ふんぞり返ったりもしない、ていうより出来ない。


なんでだって?そりゃあ…



「って、もう3回目なんだからこの冒頭飛ばしてもいーだろーが!」

「と、いいながら、何をなさっているのでしょうか、魔王様」


盛大な自主ツッコミに、しらとした顔でこちらの行動を尋ねてくる宰相。


「決まっているだろ」


俺は、執務室で最後の荷を確認して紐を縛ると、その布袋を肩に担いで言った。


「アレが来る前に逃げる支度だ!」


きっぱりと言った俺の背後で「アレ」の声が聞こえた。


「ああら、だれから逃げるのかしら」


呆れた目で眺めた宰相の声ではない。

もちろん俺でもない。


しかしそれに気づくのは遅かった。


「ぎゃーーーーっ!!」


稲光が俺の脳天と担いだ袋を直撃させる。


「ぐ、ぐ・・・っ」

「うふふ、まさかこの南東の魔王から逃げようとしているわけでは無いでしょう?まさか、ねぇ?」


悠然と、無数にあるように見える赤いドレスのスリットをたなびかせ、豊かな緑色の髪と胸をゆらして俺を見下ろす女がいつの間にか、いた。

見下ろすというのは、別にこの目の前の女が俺よりでかいとかそういうわけではない。(いや並べば俺のほうが少し低いのだが)

ただ、今は、俺が奴の雷でぶっ倒れた隙に、俺の頭にバカ高いヒールが乗っかっているから必然的に見下ろされているのである。


「さあ、魔王様の個人レッスン始めるわよ、坊や」


南東の魔王の紅い眼が細く、細くゆがめられる。


「ぐ、ぐう…」


俺は、ただ「ぐうの音」くらいしか、出る言葉が見つからなかった。


ああ、そういえば、なんで威張れないのかって話だったな。



ご覧のとおり、



7人の魔王が日夜おれをいびりに来るからである―――。






7人の魔王と魔王な俺


~墓穴は掘るもの、ハマる者~







1.



魔界には、3つの大陸、9つの国が存在する。

9つの国に、9つの魔王。といっても一つは大昔に滅んだきりなので正確には8つの魔王を配している。

俺もその魔王の一人なのだが、じつは成り立てほやほやの新人魔王であったりする。


そんな頼りない俺を見越してなのか、先代である俺の国の魔王は各国の魔王に遺言を託した。


『他の魔王たちよ、この愛しい養い子をたのむ。りっぱな魔王にしてやってくれ』


その魔王であった男の遺言は、いまでも続いている。



2.



執務室の赤いソファに横たわる俺。


「い、いてっ、もちっと優しく治癒魔法かけれねーのか、宰相」

「申し訳ありません」


そういいながらも、治癒を終えると、優秀な宰相はつぶやいた。

「今日は手ひどくやられましたね」

「今日は、じゃない、「今日も」だろ。あの女、ホントに俺のことを目の敵のようにバカバカと雷を人の頭に落としやがって、俺の頭は避雷針じゃないぞ、ったく」


俺はすでに治っている身体ではなく、焦げて穴だらけの衣服を恨めしそうに見る。

一張羅である俺の青い外套は見る影もない。


「良いではないですか、同じ教示頂けるのでしたら、お美しい方のほうが」

「お前…人事だからってよくも。なんなら代わるか、俺と。ていうか代わってくれ」


真顔で言う俺に、宰相はニコリと微笑むと銀縁のめがねを押し上げた。


「お戯れを、私が魔王様の代わりなど務まるはずもありません」


しゃあしゃあと言った。この国一番の魔法の使い手が言ってのけやがったよ、畜生。


「それにしても、どちらの魔王様がいらしても嫌がられるのはいつものことですが、ことさら南東の魔王様を嫌がられているように見えるのです、何か理由があるのですか」


「・・・・・・・・」


オマケに痛いところまで突かれた。


「加えて、今日のように逃げ出すほどの行動に出られるのも、あの方だけの様に思いますが」

「おい宰相、お前、目つきがまるで噂好きの主婦みたいになってるぞ」


時々こいつが本当に優秀なのか疑いたくなることがある。


俺は、未だにいまいち動かしづらい身体をじりじりと動かし、宰相から後退させる。いくら魔王が不死と言っても痛みも傷もできる。重体になればそれなりに回復するのにも時間がかかるものである。

だからこその修行だと、あの女は言ったが、どうも俺にはいまだにあの女の単なる嫌がらせのようにしか感じられない。


「・・・ガキの頃から、あの女だけは苦手なんだよ」


ぼそりと、宰相の視線に耐えきれなくなった俺はつぶやいた。

その言葉に思い当たることがあったのか、「ああ」と一つうなずく宰相。


「そう言えば、魔王様は小さい頃から、あの方に虐められていたのでしたね」

「って、おいコラ待て!何でそんなことお前が知ってるんだよ、生まれてねーだろお前」


言っておくが、いくら俺が新人魔王でも普通の魔人と寿命は遙かに違う。30過ぎの宰相に俺の幼少を知られて堪るかという話だ。

すると、宰相はその答えを簡単に返した。


「祖父が」


「ああ、そうだな。そうだった。おめーの親父も、じいちゃんもそのまたじいさんも、宰相職だもんな。そりゃ見て無くても聞いてるか」


俺が肩を落として答えると、42代目宰相は軽くかぶりを振る。


「いえ、祖父の『子育て日記』を拝読して」


「つけてたのかよ日記!」


「どうやら、前魔王様のご命令で」


「聞きたくなかったな!そんな裏話!」


力一杯ツッコミを入れる俺に、宰相はこともなく、一つうなずくと、出入口である執務室の扉を見る。


「そんなことより魔王様」

「そんなことって・・・、え、俺いま、軽く衝撃の事実聞いたんだけど」


ぼりぼりと頭をかいて宰相に突っ込むが返事が無い。ただ、そ知らぬ顔で扉を見ている。


「あの方、今日も泊まっていかれましたね」


そう言って、執務室を見上げる宰相に、釣られるように俺は半眼で天井を見上げた。


「うう…、ほんとになんでだ、あの女、いつもいつもいつもいつも!つーか、親父殿がいるときからずっとだ、事あるごとにここに来ては、あの変てこな部屋に泊まっていきやがる。それで、いっつも親父殿に引っ付きまわってんだ、ったく、なんなんだよホント」


ふと、そんな俺を見て宰相が「ははぁ」と変な頷きをしてきた。


「なんだ、宰相?」


いぶかしんで尋ねる俺。

眉根を潜める俺をよそに、宰相は自分ひとりで得心した顔をして声を出さずに笑みながら言う。


「いえ、あの方が魔王様をいじめるのも、少しだけ分かった気がしたので」

「今のでかっ!?なんだ、教えろ」

「それを教えますと、今度は私の命が危ないので…、そうですね、ヒントを一つ」

「なんでそんな回りくどい」

「まあまあ。実はですね私の家の伝承のなかに、昔、南東の魔王のお名前が出てきたことがあります」


声のトーンを普段より一つ落とし、宰相は俺の側で告げる。


「十数代ほど昔の、当時の宰相がつけた記録です。その記録によれば、あの方がまだ魔王になられる前、ここに、この城に住んでいたという話です」


「え?」


「『魔王の盟約』をご存知ですね、魔王様」


「そりゃ、知ってるよ。二年前に厭ほど聞かされたしな」


「私ではその盟約の意味など知りようもありませんが、数百年前、あの方は先代の王トゥエルブオール様のお力により南東の国を逃れ、後に南東の地で、魔王に就かれるまでの100年をお過ごしになられたということです」


宰相は低い声で俺にそう告げると、指の腹で銀縁のめがねを押し上げた。


「ひ、100年?」


俺は阿呆みたいにおなじことを繰り返す。


「そうです、100年…、どこかで聞いたような話ではないですか?」



3.



魔王には、魔王に就いてすぐに聞かされる話がある。

と言っても、口伝ではない。…いや、口伝なのだろうか?

今思えばどうやってたどり着いたのか分からないが、魔王に就いてまず向かわされる祠がある。

陰気くさいその祠にまるきり自然と溶け込まない、歪に黒い四角い何かがある。

何かは分からないが、俺は3日3晩その訳の分からないものから駄々漏れてくる『魔王の盟約』とやらを聞かされ続けた。


その中の一つに、ある約束があった。


「次代の王は地同じくする現王と共に在らず。天秤を傾けるべからず」


意味はその言葉だけでは分からなかったが、勝手に頭に流れてくる映像で理解は出来た。

寸劇のような映像。どこの国の話なのかは分からなかったが、まるで喜劇のように滑稽だった。


現王が己の死を恐れ、幼い次代の魔王を死に至らしめる映像。


そして、その映像の中、何度も繰り返される言葉。


『天秤ヲ傾ケルベカラズ』


傾いた天秤という名の国は、跡形もなく朽ちていった。





そして俺は、その時初めて、親父殿の『罪』を知った。




4.




「あー、えーと、うー…」


俺は変な声で唸っては、ある扉の前で行ったり来たりを繰り返す。

ある扉などと曖昧にごまかしたところでバレバレなのは分かっている、つまりはあの女がこの城で勝手に居座ってる部屋だ。

宰相から話を聞かされて、ついついいても立ってもいられずに何とはなしにココまで来てしまった訳ではあるが…


「駄目だ・・・、身体がすでに拒否反応を起こしている」


目の前まで来たものの、長年の苦手意識がどこぞに吹っ飛ぶわけが無い。

重々しく閉じられた真っ赤な扉は、俺にとってはどんな城砦よりも難攻不落である。


改めて冷静に考えて、俺はどうしてこんなところまで来てしまったんだろうと思う。

親父殿に拾われて共に過ごしたことがある。という、少しだけ俺の境遇に似た話を聞いたからと言って、それをあの魔王に話してなんになるのだ。


そんなことを考えながらいまだに壁のソレを見詰め続ける。


(なんとなく、ひっかかるんだよなあ)


宰相から話を聞いたとき、なにか閃いた様な、弾けたような…よく分からない何かがあって、俺はこんなところまで来てしまったわけだが、結局この土壇場に来たってその理由がなんなのか見当がつかない。


「ううん、やっぱ止めよう。そうだ止めよう、ていうか止めよう」


一人で大きな壁に向かって、大きく何度もうなずいて俺はその場に背をむけた。

その時の俺を今思えば、いや、何時思い返したってバカだったのだと思う。


「あら、女の部屋の前まで来てトンズラ?とんだヘタレ坊やだこと」


「ひっ、お、お前っ!!」



背を向けた俺に、何時の間にやら至近距離で俺の耳に囁いたのは当然、


「南東の…っ!」


「いらっしゃい、今日は特別サービスで私の部屋での個人レッスンを追加してあげるわ」


この城は俺の城だ。

そう反論したかったのだが、何せ背後のただならぬ気配に気圧される。


「断らないでしょう?女に恥はかかせるものじゃないわ」


「いや、俺は…っ」


帰らせていただきますっ!

そう言おうとして駆け出そうとした瞬間。


「ひっ、へ、へびーーーーっ!??」


ほんの一瞬の隙に、俺の手足に蛇がまとわりついて離れない。


「お、俺は蛇だけは大嫌いなんだーーっ!」


半ば、半泣きでひくついている俺を容赦なく掴む。


「はあい、一名様ご招たーい」


俺の首根っこをつかみ上げ、部屋までずるずると引きずる南東の魔王。


「なんでいつもこーいうことになるんだーっ!?」



いつものことだが…、いつものように俺は叫んだのだった。




4.




意外というか、なんと言うか。俺が100数余年入れなかった部屋は、なんとも『普通』だった。

あえて、何か言うとすれば、『雑多』という一言だ。


机とベッド、それに壁一面に建てられている本棚。そこにはぎっしり本が詰め込まれ、机の上にも書類がわんさかと積まれていた。

違和感があるとすれば、机の横に並べられているぬいぐるみだけだろうか。

南東の魔王は少しだけ肩をすくめると、「これだけはさせて頂戴」と言って、机の書類に目を通している。


「あんた…、ここで仕事してたのか?」


「そーね」


頭を抱えた。何してんだこいつ、ほんと何してくれてんの?


「帰ってしろーーーーっ!!つか、なんで俺んとこで仕事してるんだよっ!」


「ここでしたいからよ」


「頼む…、俺に、俺に少しでも分かる言葉で言ってくれ…、本気で意味が分からん」


すると、南東の魔王はため息をついて書類を手放して俺に一瞥をくれると、俺を解放させた。


「せっかちな坊やね、今日はそのお話をしに来たのでしょう?」


「へ?」


首をかしげる俺を無視したように、ソファに腰掛け、くつろぐように手にワイングラスとワインを現わせさせた。


「トゥエルブオールが死んでしまってもう2年ね」


魔王は、その紅い眼でワインを眺めて、一つ口をつけた。

俺は、いぶかしむように其れをみると、「ああ」とうなずく。


2年前、俺を育ててくれた魔王が死んだ。

2年…、俺には『もう』ではなく『まだ』といえる年月だ。


ソファに腰掛けてワインをもてあそぶ魔王の前まで俺は向かい、見下ろすようにして、睨む。

魔王が見上げたが、俺を見たわけではなかった、ただ天井を見て、いや、何かを思い出してクスリと笑う。


「ここはね、あの人がくれた私の部屋。あの、無骨で無愛想で、無神経で、不器用なあの人が私を守る為にと作ってくれた部屋なのよ。だからここはあなたの城であっても違う。まあいわば、異世界のようなものね」


懐かしむように、いつくしむように部屋を見渡し、最期に俺を見た。


「魔王の盟約は覚えている?」


「……ああ」


「私はね、盟約によってこの国にいたわ。南東の現王が滅ぶ、その時まで」


「100年か」


俺は宰相から聞いた事をそのまま返す。しかし、魔王はその言葉を聴くと弾けたように笑う。


「な、なに…?」


「違うわ、100年?ああ可笑しい。そう、今はそうなっているのね」


「どういう・・・」


思いっきり眉根を寄せて困惑している俺を面白そうに見て、赤く引かれた紅を目一杯広げて


「30年よ」


「え」


「たった、30年ぽっち。歴史にどう残されるかなんて知ったことではないけれど、私があの人と一緒にいたのは30年だけだった」


グラスのワインを空にして。懐かしむように空のグラスを透かしてみせる魔王。


「『傲慢』『嫉妬』『憤怒』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』………、私達はこの7の罪と密接に生み出されているわ。ねぇ坊や、この中でもっとも罪深いものは何かしら」


「罪深い?」


「私はね、『嫉妬』が何よりも罪深くて、情けの無いものだと思うわ」


「・・・・・・・・・」


「私の国の魔王はね『嫉妬』に駆られて私を隠したの、誰にも知られないよう、暗くて、寒くて、何も無い場所に、70年間余年」


「な、70年っ!?」


「ええそう。トゥエルブオールが来てくれるまでの70年間、私は閉じ込められて生きてきたのよ」




5.



『滅べばいい』



南東の魔王の言葉は暗く、淀むような、言い様の無い寒気のする言葉を漏らす。


「な、なに?」


俺は唾を嚥下する事も忘れて、南東の魔王を凝視している。

そんな俺に眉尻を下げ、クスリと笑い少しだけ、意気を落とす魔王。


「どこにでもお馬鹿な奴はいるものなのよ。特に70年も閉じ込められていれば余計な事を吹き込む輩もね。ある時、餌を持ってきた男が言ったわ。私は次代の魔王で、死なれては困るって。国の為に死ぬのだけは困るって」


「んなこと…」


「そんな為に生かされるなら、いっそ滅べばいい、そう思ったわ」


「………」


「だけど、あの人が来たの」


「親父殿…?」


南東の魔王は、俺に微笑んだ。その笑顔はいつもの妖艶さは無く。無邪気な笑顔だった。


「あの人は、真っ黒に塗りつぶされた私の心に、白くて眩しい光をくれたのよ」


俺は、思わず南東の魔王から数歩後じさり、気まずさに耐えかねて口を開いた。


「…なんで、今更俺にそんな話するんだよ」


「勘違いしないでほしいから」


「へ…?」


魔王から視線を逸らしていた俺は、後じさりした自分のそばにいつの間に接近していたのにも気づかず、至近の彼女に目を剥いた。


「って、うわぁっ!」


俺は、接近した南東の魔王にすっころばされ、先ほどまで彼女がくつろいでいたソファに仰向けに倒れた。

そして、その俺に覆いかぶさるように見下ろす魔王。

つーか、ちょっと待て、これってひょっとして押し倒されてるのか、俺!?


「え、おいっ、ちょっ…」


俺は起き上がろうともがくが、すでにその両手両足にはヘビが絡み付いて、俺の身動きを押さえつけられていた。


「ひいぃぃぃっっ!」


ざわざわとした鳥肌を立たせながらもがくが、残念すぎるくらい動きなど一つもとれず、俺はヘビと鳥肌と己の恐怖と格闘するはめになる。


「坊やに、勘違いして欲しくないのよ」


「か、勘違い?」


南東の魔王は引きつっている俺に顔を寄せる。にしても、近い!


「坊やは私の話を聞いて何を思ったのかしら」


「えっ、えぇと。その…」


俺はぐるぐると回っている思考のからようやく言葉を見つけるが、眼前にいる魔王を直視することはできず、視線を逸らした。


「あんたは、親父殿が好き…だったんだ」


「そうね」


思いのほか素直な返事が返ってきて、拍子がぬけ、思わず魔王と視線を合わせてしまい、後悔した。

紅い瞳がこちらを覗き込んでいる。

相変わらず俺の身動きを締め付けるヘビはずっと絡みついたままで、俺は身じろぎをし、その絶望的な赤い瞳に息を飲みながら、言った。


「だったら…俺と同じだろ。あんたは俺と同じだ、親父殿が好きで、親父殿が死んで悲しいんだ」


その時をなんと言えばいいんだろう。

 目に見えるわけでは無いが、俺にはそのときだけ、見えた気がした。


 空気が一気に冷えた様が。


 「……ったのに」


 「へっ、なんて…?」


 ゆるりと、ヘビが俺から離れた、俺はほっとするが、其れはつかの間であった。

 南東の魔王が俺の両腕を押さえつけて、離さないでいるからだ。

 至近で俺と魔王が向かい合う。そしてその魔王の瞳の瞳孔が細く、細く、長く伸びていく。


「ま、まさか」


俺は今度こそ必死にもがいてその腕から逃げ出そうとする。


「あんたと同じだなんて思われたくないから、話したのに…っ」


「ひぃぃっ、俺が悪かった、悪かったから、だから離れてくれっ!」


俺を抑えている手が、ひんやりと冷たく冷えていく。長く豊かな南東の魔王の髪がするすると短くなってゆく。

そして、緑の肌が現われる。

眼前の魔王は美しい女性ではなく、ぬるりと湿った、大蛇の姿へと変化した。


「魔王様!」


「さ、宰相っ!」


俺が先ほど入った扉をこじ開けるようにして現われたのは宰相だった。


「何事ですか、この大きなヘビは、まさか」

「まさかも何もあいつに決まってるだろ。いいから助けろっ」


俺は、何時の間にか大蛇に絡みつかれ、締め付けられて息も絶え絶えである。

宰相もそれをいち早く察したのか、俺にはさっぱり理解できない言葉を放つと、宰相が左手に構えていた羽ペンから光が放たれる。

光が拡散し、そして収束する瞬く間に、大蛇は俺から弾かれるように離れる。

俺は必死になりドアの側の宰相まで駆け寄り、ひと時の安心を得ると、どっと脂汗と冷や汗があふれ出してきた。


「アレが、本当に南東の魔王様なのですか?一体、なぜ・・・」

「ああ…そういえば、俺も親父殿ももともと魔人から魔王になったから、宰相たちはあんま知らねーかもしれないが、別に王は人だけがなれるわけじゃない。魔物だろうが魔獣だろうが、どんなやつだって、選ばれればなるんだよ」

「と言うことは、あれが南東の魔王の本性?」

「大蛇の魔物だ。てわけで、何でかしらねーがあいつ怒らしちまったから、逃げるぞ、宰相!」


そう言って、俺は必死になって扉に手をかけ、部屋から出ようとするが。


「いけません」

「なに?」


宰相が背中越しに俺を制止する。

振り向いた俺に、銀縁のめがねを鈍く光らせると、俺をむんずとつかんで大蛇の前に立たせた。


「さ、宰相?これは」

「お止めください。魔王様」


なんだって?


俺は幻聴でも聞いたのか、ありえないと言う顔をして、こちらを威嚇し続ける大蛇と宰相を見比べた。


「南東の魔王がこの空間で暴れている間は結構です。ここは特殊な空間。しかし、ここから貴方が一歩でも出てしまえば、大蛇は貴方を追いかけ、城に出現してしまいます。それは…とても危険です」


「いやいやいやいや!俺は!?俺は危険じゃないの!??」


「さすが魔王様。大蛇を御すなど、魔王として冥利のお仕事ではないですか」


「いや、んなバカな…」


そう問い詰めようとした俺に向かって大蛇は容赦なく俺に突進する。


「ぎゃあっ!」


俺は扉の横にある書棚の脇に滑り込み、滑空してきた大蛇から間一髪身をよける。


「ほら魔王様、ファイト!」

「余裕だよなっ、宰相!!」


宰相は器用に大蛇とその尾をよけている。本気で余裕に見えるのは俺だけだろうか。


「くそう、止めるっていったって、どうすりゃいいんだ。俺は喧嘩も魔法もろくにできねーのに」


加えて言えば魔力に至っては以前かろうじて『ある』と分かったくらいで使えるなんて大それたものでもない。そんな俺にできることなんて…。


「なもん、説得しかないじゃないかっ」


俺は半泣きで叫び、再び書棚から離れた。大蛇がこちらに向かってくるからである。

必死になって俺は駆け出したが、足元に散らばった書類に足を取られて滑った。

ひっくり返った俺の目の前に、びっしりと何かが書かれている書類たちが舞い上がる。


「魔王様っ!!」


宰相の声が届いたが、その時にはすでに遅かった。

ひっくり返った俺をからめ捕り、蛇の胴が俺を締め付けながら、俺の体ごと己の顔に運んでいく。


「ぐっ…、な、南東の…、いや、アイゼン」


息のしにくい肺から、無理に呼吸を分捕り、俺は南東の名前を呼びかけた。

その名を呼んだことに腹立てたのか、シャーと大きな牙をのぞかせて俺を威嚇する南東の魔王。締め付け方が一段ときつくなる。だが、反応したのは大きな成果だ。


「な、なあ、聞けよアイゼン。お前、俺と同じだと思われんのがいやだって言っただろ。なあ、言ったよな、………どうしてだ?」


シャアと、蛇はまた一声吠えた。


「俺は、昔からあんたによく苛められてたよな。おかげで蛇嫌いになったのもあんたのせいだぞ。どうしてくれ…あ、いや、それは今関係ねーか。とにかく、あんたは昔から俺が嫌いだったよな、なんでだ?」


ますます蛇の力が強まる。正直言って息をするのですら難しいのに、しゃべるのなんてこれ以上できるのだろうか。


「ぐぅ…、なあ、アイゼン。分かったよ、あんただって分かってたんだろ?あんたが俺を嫌いなのも、俺が…あんたを苦手だってのも」


俺は口の端から血が滴る。いろんなところがつぶれているのかもしれない。

しかし、魔王は不死だ、例えどんな風になったとしても死ぬことはない。幸か不幸か。


「俺は親父殿が好きだった。大好きだったよ。あんたも好きだといったよな、なあ……」


蛇は俺の顔めがけて咢を広げる。俺の口を塞ぐために頭から食らう気かもしれない。

俺は生唾を飲み込んで、言った。


「結局あんたも前王と同じだ、嫉妬してたんだ、俺に。だから、俺とあんたが同じだと認めたくなかったんだ!」


大蛇は俺の体めがけて勢いよく齧り付き、俺はとっさに目を閉じた。

だが、しかし、


「あれ?」


痛みは訪れず、なぜかパチクリさせた俺の目の前には宰相の背中があった。


「私は、止めてくださいと言いましたが、挑発しろとは言っていませんよ」


珍しいこともあるもんだ。冷や汗らしき汗を見せて、息を切らせている宰相を見る。

俺はそんな宰相に苦笑して、安堵と、そして、再び気合を入れるために大きく息を吸いこみ、宰相の背中に手を乗せる。


「悪いな。ついでにもうちっと頑張ってくれ」


「………はい」


あと一息のところで獲物を捕らえ損ねた大蛇の魔物は怒りが抑えきれないという風に、巨大な体をうねらせ、体から雷を放電させている。


「アイゼン、聞けよアイゼン!」


蛇は俺の姿を捕らえると再びすごい勢いでこちらに迫るが、一歩のところで何かに隔たれているかのように進んでこない。宰相のおかげだろう。


「俺が憎いって、憎くて憎くてたまんねーのは分かったよ、あんたと俺は似た境遇で、だから親父殿のそばにいた俺が、あんたは憎くてたまんなかったんだ」


「チガウ!!」


「!?」


初めて大蛇から言葉が聞こえて、俺は目を見開いた。


「オナジジャナイ、オナジジャナイ!」


「アイゼン…」


蛇の顔だけが変貌し、いつもの美しい女の顔になり、恐ろしく悲しい目をして俺をにらみつけて、言った。


「同じじゃないわよ、同じじゃあないから憎いのよ。私を救ってくれたのはあの人だけど、あれは必然だった、決められた則りにあの人が従って、私を救った。けど、坊やのは偶然。偶然をあの人が必然に作り出した」


豊かな緑の髪が広がり揺蕩う、赤いドレスを纏った肢体が浮き出す。


「坊やは知らないでしょう?あの人があなたを背負うと決めたとき、どんなに他国の王たちから責められたか。ただ偶然、あなたを見つけた、それだけだったはずなのに」


「それは」


「確かに、始まりは似ているのかもしれないわ、でも違う。ねえ、どうして違うの?坊やが選んでもらえて私は選ばれなかった。何が違うの?同じっていうなら答えてよ」


「あんたは、他国の王だ、ここにずっといられる訳ないだろ」


「そう、で、坊やは次代の王だった。トゥエルブオールは禁忌を破って、坊やを置いた」


「知らなかったんだ」


南東の魔王は笑った。

すっかり元の姿に戻った魔王は、甲高い声を上げて笑ったのだ。


「ああ、素敵ね。無知って本当に何でも許される魔法の言葉みたいだわ」


「……到底、許しているように見えないよ」


俺は一歩、南東の魔王に近づいた。


「魔王様!?」


驚いた声は宰相だが、実のところ俺だって驚いている。

俺は口についた血を拭い、ゆっくりと一歩づつ魔王に近づく、今この時、あの女性の姿から大蛇に変じ、自分の首に喰らいつかれるかもしれないなどと、一瞬でも考えれば、気が遠のきそうである。


しかし魔王が姿を変える様子はなかった。それどころか、拳一つ小さい俺を侮蔑するように見下ろしている。


「俺は、変えない。あんたと俺は同じだ」

「どうやら、擂り刻まれたいようね」


ビリとした静電気が彼女を覆っている。

うかつなことをこれ以上言おうものなら本当に蛇に代わりそうである。

それが分かっているのか、背後に控える宰相の気配に妙な焦りがある。


俺は…、俺はといえば、これから自分のすることに今の己の顔が引きつってはいまいかと考えるばかりだ。


足を一つ、俺は進めて、飛びついた。


「へ?」


ビビりまくっていた俺の突飛な行動によほど不意を突かれたのか、間抜けな声を上げて南東の魔王は、俺に腕の中にいた。


「な、なにす…」

「俺と同じだ…、アイゼン、あんたは結局俺と同じで親父殿が死んだのが悲しいんだろ」


そう言って、俺は恐る恐る腕を緩め、抱えたアイゼンの頭を上げさせて、目を合わせる。


「俺はさ、あの時ギャーギャーさんざん泣いたけど、そう言えばあんたも、ほかの魔王もちっとも泣いてなかったよな。そん時はなんて冷たい奴らだって思ったけど、最近ちょっとずつなんか、違うって思うようになってきた。……今日のあんただってそうだ」


俺と目を合わせている緋色の瞳に先ほどまでの攻撃性は見いだせない。


「あんたはさっきから俺と違うとか、一緒じゃないとかいうけど、けどやっぱ、そういうことじゃないだろ、結局あんたもまだ悲しいんだ。親父殿がいなくなって寂しいんだろ。俺と同じで」


「違う」


「違わねーだろ」


そして、再び抱きしめた。


「そういう時はさ、俺なんか苛めてねーで、泣けばいーんだよ、泣けば。ったく、何百年も生きてるくせになんで分かんねーのかな」


南東の魔王は、しばらくなすがままにじっとしていた、が、次第に小刻みに震えだした。


「アイゼン…」


俺は今度こそ離れるべく力を緩めると、声が漏れ聞こえてきた。


「う…、くくっ……もうダメ…」


「あ?」


「ひひひ、あーははははっ!」


屈みこんで震えていた魔王は、勢いよくのけぞって大笑いしていた。


「な、な、な…な?」


思わず後ずさりして、呆然となるが、すぐにハッと閃いた。

そして、にやりと笑う南東の魔王。

俺はとっさに背後の宰相を見た。

宰相は真顔で首を横に振った。


「さすがに私も、途中から本気なのだと思っていました」



「最初の時点でお前もグルかーーっ!!」



俺は、今まで押さえつけていた恐怖と怒りで腰が抜けたのだった。

南東の魔王はそんな俺を見て、さらい笑い出し、なにがなんだか、もう、どうにでもしてくれという心境だ。


「ふふっ、あー久しぶりに笑ったかしら、笑いすぎて涙まで出ちゃったわ」


いまだ肩を震わせて、目じりを拭う魔王。


「まあまあいい男になったんじゃない?とりあえず及第点くらいはあげられそうよ」

「……結局、俺はいつも通り試されてたんだな」


ぶすくれて、いじけて、地面に“のの”字を書きながらうずくまって、恨めしそうに二人をみた。


「あら?いつものようなスパルタのほうがよかったのかしら?」

「いや変わらん、俺の体の傷み具合は全然変わってないから」


俺はあばらと、痛めた肺をさすりながらぼやく。

くすくすと笑いながら、ひょいひょいと手際よく魔法を使って、散らばった家具や書類を元に戻していく魔王に、俺はいまだ腑に落ちず、問う。


「どこまでが、本気だったんだ?」


「全部、本気だったわ」


即答で返され意を突かれる。


「坊やのことが嫌いなのも、私の過去も、トゥエルブオールに救われたことも、坊やに嫉妬していたことも…全部」


部屋は、まるで今までのことが何もなかったように、綺麗に元のままに戻った。


「人の憎しみにも慣れなさい。それから、受け入れることも。誰もが坊やみたいに悲しければ泣いてしまえる人ばかりではないのよ」


南東の魔王は、元に戻った部屋で、不自然に置かれたぬいぐるみを撫で、寂しそうにそう言った。


「なんでだ」


「え?」


「俺のことが嫌いなのに、なんでそうやって俺を鍛えたり、教えてくれるんだ?そりゃやり方はむちゃくちゃだけど、けど俺が嫌いなら、別にここに来る必要はないだろ」


どうしても聞きたくて、俺は聞いた。

7人の魔王たちは、確かに親父殿から俺を託された。

だが、本当に俺を嫌っているなら無視することもできたはずなのだ。なのに、こうして俺を嫌っている南東の魔王は今でも、こうして俺を訪ねては、無茶苦茶やっていくが、俺に何かを教えようとしている。


それがどうしても、理解できなかったのだ。


するとそんな俺の表情を察してか、「ばかね」と南東の魔王は笑った。

それは、何十年と苛められてきた俺が見ても、綺麗な笑顔だった。


「あの人が最期に私に託した願いよ。こればっかりは坊やにだってゆずってやるものですか」


本当に幸せそうに笑った魔王がひどく羨ましかった。


俺は結局、親父殿の願いどおりの王となっているのだろうか。

答えが、見つからなくて、俺はただ南東の魔王から目をそらすようにうつむいて呟いた。


「………俺、絶対あんたたちを超える魔王になるよ、絶対に」


その時、アイゼンはどんな顔をしていたのか、うつむいていた俺には知ることはできなかったが。



「ええ、楽しみにしているわ」



そう答えた声は、妙にくすぐったく柔らかいものだったように聞こえた。


その声に不意と顔を上げた俺。

そこにはニンマリとさせた南東の魔王の笑顔。


「それじゃあまずは、半殺しコース100本、いってみる?」



「そこは揺るがねーのな!」


結局のところ、やっぱりこいつら魔王と俺の戦いは、続くらしいのであった。





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