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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あかずきん

作者: PK23

あかずきん


 遥か西の果てに、小さな国がありました。その国の真ん中には、大きな黒い森があり、「迷いの森」と呼ばれていました。いつからか、森の中で、強烈に磁場が狂い始め、どんな人間の道具も役には立たず、まるで方角の無い迷宮のようになってしまいました。昼でも暗い、森の中は、迷い込めば、二度と生きては出られない死の森になったのです。

 ただ、ひとつだけ例外があって、それが、「あかずきん」と呼ばれる配達請負人たちでした。貧しい周辺の農民たちが、彼らがごく幼い頃に、生活に困って森に捨てた子供たちです。かれらは、そこで育ったので、磁石も利かない森の中を、庭のように歩きまわる事が出来ました。ずっと森の中に暮らしている内に、なにか動物のような器官が発達するのかもしれません。森に捨てられた子供たちは、獣面人身の魔物が拾って育てているのだと言われていましたが、本当のところを知っている大人は、一人もいないのでした。子供たちは決して歳を取らないし、また、死にもしないとも言われていましたが、もちろん、それを確かめた人間もいませんでした。彼らは、僅かな手間賃で、森の中を通って届物や手紙の配達を引き受け、ときには案内人として、商隊を導きました。彼らは、目印に、赤い帽子や鉢巻きを身につけていましたので、「赤帽」とか、「赤頭巾」とか呼ばれました。








 そんなある村に、一人の男が住んでいました。男はまだ幼い頃、2ヶ月ばかり弟と共に姿を消した時期がありましたが、やがて彼一人だけが発見されました。二人で遊んでいるうちに、森の中に迷い込み、さまよい歩くうちにはぐれて、男だけが偶然森の外に出たのでしょう。男は自分が行方不明であった間の事は殆ど覚えてはいませんでしたが、やがて成長して、村の中で己のみ、森の奥深くに踏み込んでも、迷わない事に気付きました。さすがに森を横切る程奥まで入り込む事は出来ませんでしたが、森の中で狩りをするくらいのことには困らないでもすみました。恐らく、森の中をさまよい歩くうちに、あの「あかずきん」たちのような、不思議な感覚が身に付いたものと思われます。男は、森の中の小動物を狩って、その皮をなめして毛皮屋に売り、僅かばかりの小遣いを稼ぐ事が出来ました。僅かではありましたが、小さな畑を耕すだけの農家にとって、それは貴重な現金収入でした。

 男は、弟を森の中で失ってしまったことについて、長い間自責の念に捕らわれておりました。弟はそのとき4つ、男が7つでしたから、当然あの日、森の中に迷い込んでしまったのは、自分の責任であったに違いないのでした。両親も、村の人々も、そのことで男を責める人は一人もおりませんでしたし、折に触れて男がそのことを口に出すたびに、心から慰めてもくれるのですが、それでも男の心が晴れる事はありませんでした。皆は男の弟は死んでしまっただろうと考えていました。しかし、男自身は、彼の弟はきっと、「あかずきん」になって生きているに違いないと信じていました。

 貧しい村では、病気にかかった年寄りは簡単に死んでしまいます。老いた両親を流行病で亡くした男は、一人きりになってしまいました。そうこうするうちに、男は、他に誰もいない家に帰るのが嫌なのか、仕事の手が空くと、大抵あかずきんが仕事を貰いに来る酒場や駅に入り浸るようになりました。いつか弟が、訪れるかもしれないと、見張っているのです。親戚は、そんな男に狂気染みたものを感じ、心配して気晴らしをさせようとすすめましたが、男はききませんでした。酒も殆ど飲まないで、一日の大半を、暗い酒場の片隅で過ごすのでした。

「あかずきん」たちは、本当はもっとたくさんいるはずでしたが、地区ごとに担当が決まっているようで、男の村の酒場に現れるのは、限られた数人だけでした。滅多に新顔は現れないし、あかずきんたちは皆愛想が悪く、男が弟の手がかりを得ようと話し掛けても、殆どこちらの目を見る事もありませんでした。








 しかしある日、偶然に、男の弟が村に現れたのでした。少なくとも、男はそう思いました。その少年は、他の村からの手紙を運んで来たのですが、その日は偶々、手紙を受け継ぐべきの相手が、森の中で待機していなかったらしく、自分で、男の村まで降りてきていたのです。灰味がかったグリーンの少年の目は、男のそれとそっくりで、顔には、男の母がまだ若かった頃の、面影があるようでした。

 男はいつもの席の薄暗がりから身を起こし、店主を相手になにか交渉をしている少年の腕をつかみました。

「何を」

 当然、少年は眉をよせて、不安げな様子をしました。酔っ払いがからんできたのだと思ったでしょう。男は構わず、腕を引いて自分の方に引き寄せました。少年は助けを求めるように周囲を見回しますが、皆、男の事情は知っていますから、興味津々で注目するばかりで、誰も止めようとはしません。

「お前、名前は」

 少年は、答えません。

「歳は」

「さあ」

 少年は男から目をそらし続けていますが、故意に隠そうとしているようなふうではありません。ひょっとしたら、自分の名前も歳も、本当に知らないのかもしれません。そういえば、村の人間は、あかずきんたちがお互いを名前で呼ぶのを聞いた事が無いのでした。もちろん、村人たちも、おかずきんたちを、「あかずきん」という以外の名で呼んだ事はありませんでしたし、その必要も無かったのです。

「名前、無いのか」

 男の問いに、少年はあいまいに頷きました。少年が本当に彼の弟なのならば、自分がまだ家族と一緒に暮らしていた頃の事を、すっかり忘れてしまっているのだろうと、男は考えました。弟は、そのときまだ4つだったのですから、無理も無い事だったでしょう。しかし、弟ならば、彼より2つ3つ年下なだけであるはずなのに、彼はまだ、10歳を1つ2つ出ただけにしか見えません。狂った森は、時間の流れさえ惑わせるのでしょうか。

 男はむきになって1時間ばかり、少年に彼が子供だった頃の事を話して聞かせましたが、少年は思い出す兆しもありませんでした。そのうちに暗くなって、客も増えてきます。大人の男たちが、酒を片手に遠巻きにこちらをうかがいながらひそひそと話をしているのが、余程不安だったのでしょう。少年は目に見えて落ち着かなくなり、早く帰りたそうなそぶりを見せはじめました。しかし男は許しません。ここで逃がせば今度はいつ会えるか全く分からないのです。見かねた店の亭主が、男をなだめようとした隙に、少年は店を逃げ出しました。

 相手が普通の人間ならば、森に向かって逃げ出した時点で、あきらめるはずでした。「あかずきん」以外は、迷いの森の奥深くに踏み込む事は出来ないのです。しかし、男は違いました。彼は幼い頃に迷子になって以来、狩りのために度々森に分け入っているのです。亭主が制する間もなく、猟銃をひっつかんで少年の後を追いました。尋常ならざる男の剣幕に驚いた店の客たちが戸口から外を覗いたときには、男の姿は森の闇に消えていたのです。







 一方、少年は、男に尾けられていようとは思いもよらぬようで、ずんずんと迷い無く昏い森の中を歩いて行きます。子供とも思えぬ速さでした。男はその背中を見失わない様について行くので精一杯です。それになんだか、先程から脳が揺れるような、吐き気に近い不快感を感じていました。足元がふらつきます。

 少年は森深くにまっすぐ踏み込んで行きます。男は、もう自分一人では外の世界まで戻れないだろう事を悟りました。しかも、進めば進むほど気分はどんどん酷くなってくるのです。頭や体が、のぼせたようにしびれます。人間の身にもはっきりと分かるほど磁場がひずんでいるのでしょうか。それとも、なにか、もっと違った、禍禍しい物にあてられてしまったのかも知れません。まっすぐは立っていられないような目眩が彼を襲いました。脂汗とも冷や汗ともつかぬもので背中や首もとがびっしょりと濡れています。

 男は引く事もならず、ただ少年の後をついていくしかありませんでしたが、不快感は頂点に達していました。

 突然、少年がぐんと小走りになり、なにか人間には発音し得ないような奇妙な声をあげましたので、男はぎょっとしました。身を隠し、木の蔭からそっと覗くと、木立が途切れて、ちょうど小さな広場のようになったところに、一匹の奇妙な生き物がうずくまっていました。

 それは、本当に醜い、奇怪な姿をしていました。大きさは、農夫が臼を引かすために飼う牛ほどで、人間の様な形をしていましたが、軟体動物のように何処かぐたりと崩れて見え、全身が、汚い獣毛に覆われていました。顔は一見人間に似て見えましたが、微妙にゆがんで見えます。唇がやけに赤くめくれあがって、いやらしいのでした。男は、少年がその生物に駆け寄るのをぞっとする思いで見つめました。これが噂に聞く、「森の中の魔物」なのでしょうか。予想以上に醜く、思いもつかぬほどおぞましい姿でした。そうして、男の嘔吐感はますます酷いのです。この気分の悪さは、どう考えても、この醜怪な生き物が発する何かが原因だと思われました。特に悪臭がするというのではありませんが、胸がむかつくような不快感は如何ともし難いのです。男はなにをどう考えていいのかわからず、ただ、少年が嬉しそうにその醜悪な化物によりそうのを、なにか許し難い、冒涜的なことだと感じていました。男が薮の蔭で必死に吐き気をこらえているうちに、何処からともなく大勢の「あかずきん」たちが集まってきました。やはり、この魔物が、子供たちを統括しているようなのでした。子供たちがその魔物によりそう姿は、仲の良い家族が団欒する姿のようにも見えましたが、やはり何か歪みを感じさせるのです。男はがくがくする膝を手で押さえて、猟銃を支えになんとか足を踏みしめました。頭蓋の内がびりびりとしびれます。空気がたらないような、奇妙な圧迫感を胸に感じて、男は喘ぎました。男は、弟を取り返したいと思いましたし、弟を捕らえているのがこの魔物であるということも良く分かっていましたけれど、次に起こした行動は、それとは全く関係の無い、生理的嫌悪からの衝動でした。

 身を起こし、身に馴染んだ動作のはずなのに、思いがけないほど苦労しながらのろのろと猟銃を構え。獲物の頭部を狙いました。――子供たちの体にあたらぬようにと、気遣うくらいの理性はそれでも残っていたのです。

 そして引き金を、引きました。

 森の澱んだ空気を引き破るようなその音は、撃った本人がたじろぐ程大きく響きました。その破壊力は、通常の威力を遥かに上回ったように見え、魔物の首は衝撃でちぎれて、ぽーんと弧を描いて宙を飛びました。あかずきんたちが一斉に悲鳴を上げました。奇妙な、人間の物とも思われない声は、まるで歌っているようにも聞こえました。子供たちの目の前で、首を飛ばされた傷口からは生臭い、濁った色をした体液が勢い良く吹き出し、彼らの顔を染め上げました。辺りに、今度ははっきりと分かる悪臭がむっと立ち込めました。その刺激臭で、男は目も開けられないほどでしたが、それでも、魔物の死体を両腕に抱きかかえて金切り声を上げている少年の姿をみつけました。彼らは皆、何が起こったかも理解してはいないようで、ただ、目の前で起こっている出来事に対する底知れぬ恐怖と怒りに、悲鳴を上げていたのです。男も魔物の死体を見下ろして、自分の目を疑いました。生命を奪われた体と頭部は、傷口から急速に腐れていくように、ずぶずぶと崩れて行き、地面には毛一筋すら残らなかったのです。

 しかし、男はぐずぐずしてはいませんでした。素早く目当ての少年を探し当てると、横抱きにかかえて全速力でその場を離れました。遥か後方に遠ざかって行く子供たちの悲痛な叫びは、けれどまるで酔っ払いが調子の外れた歌をがなっているかのように、滑稽に聞こえたのでした。








 男は少年をそのまま家に連れ帰りました。密かに恐れていたように、彼が泥のように溶けて流れて行ってしまう事も無ければ、煙のように消え失せる事もありませんでした。あいかわらず言葉は喋りませんでしたが、男と同じようなものを食べ、同じように眠り、時々は彼の仕事を手伝おうとする事もありました。男はそれを良い傾向だと思い、喜んで受け容れました。

 あの場に残された、ほかのあかずきんたちがどうなったかは、男は知りません。他の誰も知らないのでした。

 あの出来事以来、森の中がすっかり見通しが利くようになり、磁場の狂いも、人を惑わせていた魔力の様なものも消え失せ、普通の人間でも用心深くすれば、森の中を行き来する事が出来るようになったのです。その理由を知っているのは、男だけでしたが、村人たちも、次第に状況を受け容れ始め、あかずきんに用を頼む者も減っていきました。それでも始めのうちは、雑用を請け負うために里に降りてきている姿がちらほらと見受けられましたが、そのうち森の中にも居場所を見失ったのか、次第に見なくなりました。

 今、男は少年と暮らしています。心配はといえば、少年がいつまで経っても年相応に成長する様子を見せない事と、段々眠り勝ちになってきている事です。ときには一日中うつらうつらとしている事さえあります。それに、なんだか最近、彼の輪郭がぶれて奇妙に歪み、ぼやけて見えるようなのです。







おわり







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