ヴァラク①、②、③
ヴァラク編を改変中です
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傭兵都市ヴァラクはその名の通り、傭兵業を主産業としている。
各地から傭兵が集まり、周辺諸国へ戦力を提供。報酬などの条件交渉は傭兵ギルドが取り仕切っている。
傭兵と冒険者は似ているが、前者は国家間の戦争にも積極的に干渉している点が後者との違いか。
冒険者ギルドは中立を保ち、戦争に関係する依頼は受けない。ただし、これは人類間の戦争に限るが。
もちろんヴァラクにも冒険者ギルドは存在し、傭兵と冒険者を兼業しているものもいる。
そんなヴァラクへたどり着いたヨハンはやや心が浮き立つのを覚えた。
なぜならこのヴァラクにはとある著名な傭兵団が居て、その団長と言うのがヨハンにとって…というより連盟の術師にとって特別な存在であったからだ。
「まあ、滞在していれば見える事もあるだろう。とりあえずは宿か」
ヨハンはふらりと大通りを行き交う雑踏に混じる。
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ヨハンは手斧と血飛沫亭という宿屋を見つけた。 物騒な名前だが、ヴァラクの民間施設は全て物騒な名称なので問題はない。
例えばだが、この手斧と血飛沫亭の向かいには流血シチュー庵という飯屋がある。トマトシチューが売りなのだが、名称のセンスには普段殺伐としているヨハンも辟易するものがあった。
首尾よく宿屋を見つけ、暫しの滞在料を支払うと、ヨハンは冒険者ギルドへと向かった。
ロビーにはパラパラとまばらに冒険者たちがいる。
余り盛況そうには見えないが、活気がないという感じではなかった。
聞けば、ちょうど大きめの依頼があり皆それを受けて出払っているとのことだった。
ヨハンは受付カウンターに座っている受付嬢にギルド移籍について伝えて手続きを済ませる。
最近は短期間に立てつづけてギルドをうつっているので余計な事を聞かれるかとヨハンは少し懸念していたが、特に問題はなかった。
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ヨハンは依頼票が貼り付けてある大きな木製の掲示板を見上げた。
そこには多くの依頼票があるのだが…
(討伐系ばかりか)
そう。依頼内容は討伐系が多い。というよりそれしかない。
この討伐系の依頼で肉を産出しているというわけだ。魔獣の肉と言うのは加工の仕方に工夫が求められるが、十分食肉として通用する。
ヴァラクの食糧事情はやや特殊で、交易と魔獣の肉、そしてレグナム西域帝国からの支援によって日々の糧を得ている。帝都ベルンとヴァラクは距離的にも遠くなく、帝国中央からしてみればヴァラクは外敵に対しての矛のような存在なのだ。ある程度の自治権をあたえているヴァラクに対して帝都が支援をするというのは、矛を磨く行為に等しいと言える。
ともかく、その魔獣の肉を得る為に大事なアクションの一つが、冒険者ギルドに発注する魔物の食肉を得る為の依頼となっている。ただ今の時期は個人で受けられるものは余りなく、合同討伐形式のものが多い。
合同討伐。
これはそれなりにまとまった数の冒険者を一気に輸送、魔物の群れかなにかをみつけたら狩猟をするという形のものだ。
地脈の関係でヴァラクはすぐ魔獣が湧いてくる。この湧いてくるという表現の解釈には諸説あるのだが、まさに地の底から生えてくるといわんばかりに魔獣が湧いてくるのだ。
ただ、これは常にそうだったわけではない。
ここ10年ほどの話である。
ヨハンはその話を聞いた時、何か嫌な予感のようなものを覚えた。
彼の経験上、魔獣がわらわらと湧いてくるという状況は最終的にろくでもない事に直結するからだ。
ともあれヴァラクの行政府もその状況をまんじりと見ていたばかりではない。
冒険者ギルドへ、そして傭兵ギルドへ、要するにヴァラクの軍事力のリソースを魔獣討伐へ注ぎ込み始めた。
ヨハンはその辺りの事情を冒険者ギルドの日焼けした受付嬢から聞いて、明日辺りから仕事を始めようと決めた。
到着してすぐ魔物狩りというのは彼をしてやや負担が過ぎる。
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ヨハンが街をうろつき、店を見分すること暫し。
良さげな店をいくつかみつける。
ヴァラクほどの規模の街となると、案内を生業とする者がいるものだ。
例えばスラムの孤児などである。
とはいえヴァラクはその辺は行政が手を入れているらしく、飢えた子供などは見当たらない。
と言うのも、ヴァラクは傭兵都市であり、女であろうと男であろうと捨て子などはどこかしらの傭兵団が拾いあげ、戦力として鍛え上げてしまうからだ。
まあこれはどうしても捨て駒だとか肉の壁だとかを連想してしまうものの、ヴァラクの上位…要するにレグナム西域帝国の国是としてそういった阿漕な真似は許可されていない。
一昔前は非常に殺伐としたレグナム西域帝国であったが、今上帝サチコの代となってからは非道さはナリを潜めるようになった。
今上帝サチコはまだ幼いが、宰相である帝国宰相ゲルラッハが佳く補佐しているのだろう。
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ヨハンは1つの立て看板に目を留めた。
そこにはこうある。
≪魔狼肉大量入荷≫
全く飾り気がないその文言の言わんとするところは明らかであった。
「魔狼肉か。癖も強いが俺は嫌いじゃないな。ここにするか」
ヨハンは孤児の出であるので食には貪欲だが味にはうるさくはない。なんだったら道端に落ちた肉もぺんぺんとはたいて食える程である。
更に言えば、生肉だってまあいけなくはない。
以前、ヨハンがロイ達のパーティに所属していた時、森で猿の魔物に組み付かれた事があった。
普段はそこまで接近を許すヨハンではないのだが、その時はガストンを庇ったのだ。
組み付かれたヨハンと魔猿の戦いは一瞬で終わった。ヨハンが魔猿の首筋に食いつき、首元の肉を食い千切ったのである。
モニュモニュと肉を咀嚼し、血飛沫と共にもだえ苦しむ魔猿の顔面へそれをふき掛け、手にした短刀で首を引き裂いた。
そうして口の中に残った猿の肉を噛み、飲み下したのであった。
その後ヨハンはガストンに盛大に説教を始め、冒険者たるものは魔物の肉だろうが貪り食えるほどに全身、内臓も含め鍛えねばならないと懇々と諭した。
まあ話がずれたが、ヨハンはその程度には野蛮で好き嫌いがない正しい冒険者なのだった。
それに、ヨハン自身肉は好きだ。
魔狼の肉は独特の風味があるが、この風味をエールで胃の腑へ落とし込むというのがヨハンのお気に入りの食い方である。
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その肉料理が今、ヨハンの足元にぶちまけられていた。エールも零れている。
シュワシュワという炭酸の音が耳を擽る。
ヨハンの耳にはそれは天に座すナントカとかいう神がこの有様の原因を凄惨にぶち殺す事を許可しているかの様な神託に聞こえていた。
(嗚呼。師よ。ルイゼ・シャルトル・フル・エボン。貴方はこんな時、俺に何をしろと教えてくれたのでしたか)
ヨハンが心で師に問うと、心の中の師は薄い笑みを浮かべつつヨハンに答えた。
――購わせるか。あるいは殺しなさい。ただし、殺すに足る理由を相手に作らせた上で
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「てめぇ! この野郎! 何しやがる!」
ヨハンの足元に転がってきた男が立ち上がり店の奥に向かって凄む。
男の仲間らしき者も2名。怒りの表情を浮かべている。
ヨハンに向けてではない。
それは彼の真正面、店の奥に佇む誰かに向かってへの怒りであった。
『ふふ、馴れ馴れしい野良犬を撫でてやっただけだ。撫でただけで吹き飛ぶとは、鍛え方が足りないんじゃないか?』
その姿かたちが、というより雰囲気がまるで一本の鋭い刀剣の如くきりりと引き締まっていた。
凛としているといえばいいのか、少なくともなよなよしい雰囲気は微塵も感じられない。
ヨハンはその女性に柔軟でありながら、確実に敵を突き殺す突剣の意思を見た。
(が、鍛え方が足りているはずの貴様は何故周囲に配慮しない?)
ヨハンは首を傾げた。
『それと私の名前は野郎ではない。ヨルシカと呼べ』
ヨルシカと名乗る剣士はツカツカと男へ近寄り、その股間を蹴り上げた。
「ぐぇっ……!!! ぐ、う……て、めぇ……」
「お前! どうなるかわかってるんだろうな!?」
「冒険者がデカい顔しやがって!」
三人組がそろってキャンキャン吠えるも、麗人殿は動じていない様子。
酒場の他の客は皆ヨルシカと男達を見つめていた。だがヨハンだけは俯いて零れた飯を見つめている。ローブの裾。酒がかかり、濡れていた。
そこに怒りはない。悲しみも失望もない。
疑問だけがあった。
(この三人組も、ヨルシカと名乗る女剣士もなぜ俺を無視するんだろう。すまない、だとか、この金で新しいものを頼んでくれ、とかないのか?だが興奮状態で俺に気付いていない可能性もある……ならばしっかり状況を、俺の気持ち、提案を伝えなければな。 気持ちは伝えてこそだ、黙っていて察してもらおうなんて都合がよすぎる。そうだ、伝えるのだ)
ヨハンはヨルシカと男達の間に割って入り、正当な要求をした。
「なあ、取込み中すまない。初めまして、俺の名はヨハン。旅の術師だ。ところで見てくれ。俺の飯が床にぶちまけられてしまった。酒もだ。そこの男がぶつかってきたからこぼれてしまったんだ。だがそいつをふっとばしたのは彼女だろう? 個人的には両方悪いとおもう。食事代は銅貨26枚だ。とりあえずどちらかが支払ってくれないか? どちらも支払ってくれないとかなら双方に13枚ずつ支払ってもらうが。それもいやだというなら無理やり支払わせる。無理矢理だから恐らく諍いになるだろう。ひ弱な術師1人どうとでもなると思わないほうがいいぞ。俺は術師だが研究畑ではなく戦闘畑を佳く学んでいる。先日、依頼中に野盗が出たが、呪いで動けなくしたあと一人ずつ首を掻っ切った。正当な殺人なら忌避感を覚えないタイプなんだ。だから諍いが度を越し、武器を抜かれたら多分殺すと思う」
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ヨルシカは闖入者にぎょっとした。
そしてしまった、と思った。
そういう手合いだったか、と。
状況はこうだ。
傭兵の一人が、ヨルシカが冒険者だというのを見下してタカろうとしてきた。
だからヨルシカはそれを拒否し、男がつかみかかってきたから跳ねのけた。
吹き飛んだ先に店の客…ヨハンがいて、彼の食べていた料理が床へ落ちてしまった。
ヨルシカもどちらかといえば短気であるせいか、男達の無礼にカッとなってしまい、ヨハンへの対応が遅れてしまったのだ。
ヨハンの言う事が脅しではない事は、ヨルシカならば目を見れば分かる。
彼女はこう見えて手練だ。
ヨハンの目には感情がこもっていなかった。
ただ事実だけを言っている目だ。
たかが銅貨払いの料理で、ともヨルシカは思うが、ヨハンにとっては額などどうでもいい事なのだろう事は彼女にも分かる。
(接し方を間違えると危険だ。たかが銅貨26枚だ。私が全部支払ってもいい。というかそうしたい。彼は理由があれば人を殺しても良いと思ってる。人を殺しても仕方がない、ではなくて、良いと思ってるのだ。だから理由を作らせたくない。だが、このまま私が全て支払うと傭兵は頭に乗って私を舐めるだろう。コイツ1人に舐められる分には我慢できるかもしれないが、与し易しと思われたらとことんまで絡まれる。弱みにとことんつけこむ。仕事柄なのだろうな、傭兵とはそういう連中なのだ。だからこの傭兵が13枚の銅貨を支払ってくれればいいのだが……そうすれば私も支払い、丸く収まる。幾ら私でもこんな小銭で命までは賭けたくはない……)
ヨルシカは悩みに悩んだ。
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だがヨルシカの悩みは一瞬で解決した。
悪い方へ、だが。
「あァ? なんだコイツ。お前も冒険者か?」
「ああ。最近ヴァラクへ来たばかりだ」
吹き飛ばされた男の仲間と思しき一人がヨハンへ尋ね、ヨハンは頷いてそれを肯定した。
すると男達の表情に侮蔑の気配がちらつく。
「なぜ傭兵をやらない? それとも両履きか?」
両履きとは、傭兵と冒険者の二足の草鞋を取るものである。とはいえヴァラクに限らず、こういう形をとる者は珍しくはない。
〇〇兼冒険者、のような。
冒険者一本でやっていくというのはやはり不安定が過ぎるのだ。
「冒険者が性に合っているんだ」
ヨハンはそれだけを答えるに留めた。
「つまり根性なしってことか?」
男はそんなことをヨハンに言う。
それを見ていたヨルシカはの表情がやや青褪める。彼女とて修羅場の1つや2つは潜ってきた。その彼女の本能が警鐘をガンガンと鳴らしている。
「自分ではわからないな……それで支払ってくれるんだよな? ろくに口をつけないままこの有様だから腹が減ったんだ」
いまや男達はヨルシカには目もくれずに、ヨハンの方をみてニヤニヤしていた。
「根性なしに金を払うと思ってるのか? どうしても金が欲しいなら力づくでやってみたらどうだ?」
今度は吹き飛んできた男が、口元に笑みを浮かべながらヨハンにそう言ってきた。
「割りに合わないだろう、そんな事は……。俺は何か無理なことをいったか? 台無しにした飯に使った金を返してくれと言っているだけだろう」
ヨハンは心底疑問であった。
大金が絡む話でもなし、なぜこのようなイザコザへ発展してしまっているのか、彼にはわからなかったからだ。
まあそれはヨハンが殺すだのなんだのとのたまったからというのもあるのだが、彼は性格が殺伐しているため自身の言動が敵意を誘発するものである事に気付いていない。
「お前そんなに金がないのか?確か術師だったな。貧乏術師殿、飯代にも事欠く様でかわいそうだなァおい!」
男は木ジョッキについだ酒をもって、ツカツカとやってきて、それをヨハンの頭に注いだ。
「どうだ。銅貨50枚の酒だ。うまいだろ? これでいいか?」
ヨハンは唇まで滴ってきた酒を舌で舐めとる。
確かにこれまで飲んでいた酒より味がいいかもな、とヨハンは思うが同時に疑問が更に1つ。2つ。3つ。
――なぜ俺の頭に?
なぜ?
なぜ?
なぜ?
ヨハンは自問を続けるが、答えは得られない。
なあ、とヨハンは男達に問いかけた。
「挑発しているんだよなきっと。でもわからん。なぜこんなことになっているのだろう。俺は完全な被害者じゃあないのか? なのになぜ一方的に被害をうけてそれを我慢しなければいけないのだろう。俺に落ち度があったということか? 吹き飛んできたお前をかわせなかったからいけないというのか? それとも俺が冒険者だからか? だが俺が冒険者ということでお前達になにか迷惑をかけただろうか。かけていないはずだ。俺はこの街にきたばかりだし、お前達とであったのも今日が初めてだ。なのに飯をぶちまけられ、挑発……侮辱され、我慢しろというのか? 本当に分からん、なぜこんな事になっているのか……。たかが銅貨26枚だ。はした金と言える。なのに、そんな事が理由で今俺はお前達を殺してやりたいとおもってる。なあ。剣を抜いてくれないか? お前達が先に剣を抜いて俺を殺そうとするなら、俺はお前達を殺していいということになるだろ?? 飯を台無しにされた、頭に酒をかけられた。これでお前達を殺すのは理由としては弱いんだ。過剰防衛になってしまう。それは駄目だ。物事は公平につりあっていなくてはならない。罪には正しき罰の総量というものが定められている。だから剣を抜いてくれ。抜いた瞬間、全員まとめて」
━━縊り殺してやる
ヨハンは懐に手を差し入れ手帳を取り出し、ぱらりと頁を捲り、そこに押してある首吊り花の花弁を一枚千切りとった。
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━━もはやこれまで!
ヨルシカは察する。
ヨハンが取り出した花、その花弁。
術の触媒だろう。
こんな場所で殺傷力のある術を起動させるなどイカれていると言う他はないが、事ここにいたってはプライドは捨てようと腹を据えた。
ヨルシカは銭入れを取り出し青年に突き出した。小銭をかぞえている時間はない。
馬鹿が何かやらかす前に行動しなければならないと彼女は考える。
(あの馬鹿の分まで払いを持つのは癪だが、彼のいう全員まとめて、の全員の部分に私もはいっているのだろうから仕方あるまい)
青年はきょとんとヨルシカの顔と袋をみつめている。
「すまないな、詫びが遅れてしまった。私も興奮していてな。銅貨26枚だったか? それ以上はいっているとおもう。被害を与えてしまった私がかぞえるのも信用できまい。君の手で気の済む額を取って行きなよ。ああ、これはまだ使っていない布だ。よければその頭も拭くといい」
そういって新品の布切れを取り出し差し出すと、青年は、ヨハンはヨルシカに礼をいって頭を拭っていた。
傭兵の男達はヨハンの異様に吞まれていたようだったが、我にかえったようでまたぞろ余計な事を言おうとその口を開きかける……だが、何かを口に出す前にその後頭部にジョッキが叩きつけられた。
木製のジョッキは鈍い音と共に割れ、乾いた音をたてながら床に落ちる。
男の後ろに、周囲の者と比べても一際大柄な男が立っていた。
その両隣には黒髪の男女。
「げぇッ…ラドゥ傭兵団の…ダッカドッカだッ」
「左剣のジョシュアに右剣のレイアまでいやがる…討伐任務から帰ってきたのか…」
「そういえば奴等、ラドゥ傭兵団の新入りだったか…終わったな」
周囲からざわめきが起こる。
ヨハンは“ラドゥ”という言葉を聞いて、何かを得心したように頷いた。
その名の持ち主には1度会ってみたかったからだ。
だが、とりあえず殺意は収めてラドゥ傭兵団の者達に話を聞いてみようとヨハンが声をかけようとするが、その試みは失敗に終わる。
なぜなら大男…ダッカドッカが怒りの大音声で不埒な男達を打ち据えたからである。
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「誰かれ構わず噛みついてンじゃあねェ!!! てめェは野良犬か? あァ? 部下から報告をうけて飛んできたら何してやがる!!」
「いつも兄貴から言われてるよなァ!?」
大男の蹴りが倒れた男の腹を蹴り上げる。
━━ガァッ……! ぐっ……う……
「ラドゥ傭兵団の!!!」
呻く男の口元に蹴りがはいる。白いものが飛んだ。歯だ。
━━うぎっ! あ、ガ……歯、俺の……
「団員として恥ずかしくないように!! 常に紳士たれってよォ! 礼節と忠義を大切に!! 品行方正であれってよォ!」
大男が男を踏みつける。何度も何度も踏みつける。
━━ぐっ……! ……っ……! …………
「なァ! 言ってるよなァ!? てめェの行いは紳士的なのか、アァ!?」
大男はかがみ込み、男の髪の毛を掴んで床へたたきつけ始めた。
…………
先ほど狂気的な威容を見せていたヨハンもポカンと大男を見ている。
「ラドゥの兄貴の話を!! 聞いてなかったのかテメェ!! 紳士になれねェなら!! 死ね!! 死ね!!! 死ね!!!」
大男の血走った目が他の2人にも向けられ、大きな拳が怯える男達の鼻っつらを叩き潰す。
「危害を加えていいのは敵だけだ!!! 敵は殺せ!! 奪え!! そして俺達の敵を決めるのはラドゥの兄貴だけだ!! だがてめぇらは!! 誰に断わって!! ラドゥの兄貴に泥を塗るンじゃねェ!!」
振るわれる拳、蹴り上げられる脚。
男達がぴくりともしなくなり、それでもダッカドッカは振り上げた足を勢いよく倒れた男の腹へ叩き込もうとした。
「そこまでです、義父さん…じゃない、副団長。死んでしまいます」
ダッカドッカの振り下ろした足の下に黒い鞘が当てられている。
差し出しているのは黒髪の女性であった。
いつのまにかダッカドッカの横に佇んでいたのはラドゥ傭兵団、切り込み隊長の右剣のレイアである。
勢いよく振り下ろされた足の勢いを、片手で差し出した鞘で完全に吸収した。
これは術によるものではなく、剣の技術によるものだ。
右剣のレイアの剣術は技巧の極みにある。
彼女に一刀両断にされた野盗がその体を半分にしながらも、自身の死に気付かずそのまま歩こうとしたという話はヴァラクでは有名だ。
その野盗は体が半分になっているため歩行は侭ならず、そのまま崩れ落ち、その時初めて彼は自身の死に気付いたという。
「…レイアッ!だがよう!こいつらは!」
ダッカドッカが表情を歪ませるが、レイアは黙って顔を振った。
“否”である。
「ジョシュアァ!なんとか言ってくれ!俺ぁ、こいつらを鍛えあげなきゃなんねぇんだ…」
ダッカドッカが黒髪長髪の青年に泣きつくが、青年もまた首を横にふった。
「僕は姉さんの味方だよ、副団長。知ってるでしょう?」
右剣のレイアの剣が技の極みであるなら、その双子の弟である左剣のジョシュアの剣は力の極みといえる。
身体強化の術に長けるジョシュアはその出力を身体全体ではなく、身体の一部位に集中させるという技術を得意としていた。
そんな彼の振るう剛剣の出力は、比喩抜きに建築物を真っ二つにする程である。
まあその2人を同時に相手にして、なおも完勝するのがダッカドッカという男であるのだが、彼はどうにもこの双子には弱い。
と言うのも、ヴァラクに捨てられていた双子の赤子を育て上げ、可愛がってきたのはダッカドッカだからである。
妻と子を流行り病で一気になくし、生きる気力すらもなくしかけていた彼に捨て双子の養育を任せたラドゥは何かを見通していたのだろうか?
ともあれダッカドッカの再起は叶い、双子は彼の教育、指導の元強力極まる剣士へと育った。
ちなみに彼の所属するラドゥ傭兵団はヴァラクでもかなり大きい規模の傭兵団である。
団長のラドゥは亡国の元騎士であった。
オルド王国。
いまはすでにないその国では、騎士道精神の十全な体現者を紳士と呼んだそうだ。
いずれにしても彼らは常備軍顔負けの練度を誇り、周辺諸国で戦争となれば真っ先に声がかかるような連中だ。
やがてダッカドッカは荒い息をはきながらヨルシカ達の方を向いた。
血まみれの拳。革鎧にも赤黒いものが飛び散っている。
思わずヨルシカは身構えてしまったが、ダッカドッカは凄い勢いで頭を下げた。
レイアとジョシュアもぺこりと頭を下げる。
「すまねェ!! うちの若いモンが迷惑を掛けた……やつら最近入団した連中でよォ……まだ教育が足りてなかったみてェだ。この後しっかりケジメを入れておくからよ、ここは預けてくれねぇか? そこの兄さんもよ、おっかねえ気配を出していたが、なんとかここは俺の顔を立ててくれねえか?」
大男は懐に手をいれ、銭入れから何か取り出すと、ヨルシカ達の前でその大きな手を開いた。その手のひらには銀貨が10枚のっている。
「これで詫びになるかわからねェが、おさめてくれねェか?」
ヨハンとヨルシカは目が合い、お互い何の合図もしていないのになんとなく気持ちを共有した。
ヨハンは頷き、その銀貨をうけとると一枚ずつ数えて5枚を私に差し出してくる。
「受取ってくれ。ヨルシカだったか? あなたも彼らに迷惑をかけられていただろう。この金はその分の詫び金だ。俺の分は十分受取ったから問題ない」
状況の激変に気疲れしたヨルシカは特に何を言うこともなくそれを受取り、手にもっていた自分の銭入れも懐へ仕舞う。
それを見ていたダッカドッカは、近くにいた彼の部下らしきものに倒れている三人組を運び出すように指示をした。そして再びヨルシカのほうを向くと自己紹介を始めた。
「俺はダッカドッカだ。ラドゥ傭兵団の副団長をやっている」
「私はレイアと言います。ラドゥ傭兵団の切り込み隊長です」
「僕はジョシュア。姉さんの弟だ」
1人自己紹介がおかしい者がいるが、ヨルシカとヨハンは取り合わず、自分達も名を告げた。
「私はヨルシカ。冒険者だ。アシャラ都市国家同盟から来た」
ヨルシカはちらりヨハンを見る。
ヨハンはヨルシカへ視線を返し、口を開いた。
「ヨハン。連盟の術師。旅をしながら冒険者をしている。ウルビス、イスカと移動をしてきた」
「おお、そうか! アシャラもイスカも行った事があるぜ!ウルビスは行った事がないけどな! ヴァラクも良い街だ。それにしても旅か、旅人ってェのはなかなかいいな! ラドゥの兄貴も諸国を遊歴したそうだ。俺も引退したらあちこちまわってみてもいいかもなァ!」
「ラドゥか。それは俺の知っている男でいいのかな? 重い波のラドゥ。北方の雄、オルド王国の騎士だ。オルドはもうないが、各地に散ったオルド王国の元騎士達はみな精鋭だったという」
ヨルシカもラドゥの名は知っていた。
というより西域、あるいは東域に散っていった旧オルドの騎士達は皆各所で勇名を轟かせている。
「む!? 兄貴をしっているのか? そうだ! そのラドゥで間違いない!」
「連盟の術師なら皆知っているだろうな。死人穢しの大罪人、『パワーリッチ』ラカニシュを殺したのは彼とその隊だ。ラカニシュは連盟の恥晒し。連盟は当時彼にどういった恩賞で報いるべきかと紛糾していたよ」
それを聞いたダッカドッカはご機嫌よろしく、マスターに酒を頼むとヨハン達に勧めた。
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翌朝、ヨハンは全身から漂う酒精の匂いに顔をしかめながら、それはそれは素晴らしい気分で目覚めた。
「法を犯さず、また、俺達が報復感情を抱かない手段で俺達を殺害しようというのなら、ダッカドッカの採った策は上策といわざるを得ない。傭兵も侮れないな、そう思いませんか?」
宿屋の女将にヨハンが話しかける。
女将は頭のおかしい人間を見る目でヨハンを見ながらも、黙って水の入った木盃を手渡してきた。
「ありがとう。…ああ、クソ、あの大男…ヴィリと相性が良さそうだな。アイツも酒が好きだった」
ヨハンは礼を言いながら生ぬるい水を一気に飲み干す。
「…ヴィリ?」
女将の短い問いに、ヨハンは空の木盃を返してから答えた。
「ええ、妹みたいなものです。血は繋がっていませんが」
あら、と女将がこぼす。
そこでようやく目の前の変な事を言う青年も、自分と同じ人間だという事に気づいたような様子だった。
「妹さんはお酒が強いんですね」
ヨハンは頷き、その目に僅かに優しさと懐郷の念のようなものが宿る。家族を想う目つきだ、と女将は思い、“妹は元気かしら。今度エル・カーラまで行ってみようかしらね”などと考えた。
「離れてくらしているんですか?」
女将のそんな質問に、ヨハンは何か妙な勘違いをされているなと思いつつも肯定した。
「ええ。まあ居場所も分からないんですが。最後に会った時はいつだったか…手頃な邪教徒を見つけたから始末してくる、とは言われたのですが。まあヴィリの事だから元気でやっているでしょう」
ヨハンがそういうと、女将は“あ、やっぱり変な人だった”と思い生ぬるい視線をヨハンに注ぐのだった。
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ギルドに到着したヨハンは依頼掲示板を見た。
やはり討伐、討伐、討伐である。さまざまなモンスターが記載されているが、中でも魔狼討伐依頼が特に目立っている。
これは合同討伐形式のものだ。50名まで参加ができ、そこから小隊単位に分割。それを周辺の魔狼群へぶつけ、各個撃破するというものだ。報酬は出来高でその額は悪くはない。
──だが、魔狼か。高機動、高火力、連携も抜群だ
ヨハンは迷う。小隊単位といっても、その中身はパーティの寄せ集めみたいなものだろう。1人きりで参加するものは少ないと思われる。そういう場でソロというのは、場合によっては囮のように扱われることもある…と、ヨハンの心は既に魔狼討伐を敬遠していた。
他に何かないものかな、とヨハンが掲示板を精査すると、“火喰い蜥蜴の生態について”という実に平和な依頼を見つけた。
火喰い蜥蜴はヴァラクの近くの荒野に生息する爬虫類だ。
大人でも体長1メートルぐらいで、赤褐色の鱗に覆われている。
火を食べて生活している…と言われているが、実際は違う。
ただ鱗が赤っぽいだけだ。
しかしなぜか火を食うと誤解されており、火喰い蜥蜴が火を食うか食わないかで論争が起きたこともある。
「どれ…なるほど。火喰い蜥蜴が実際に火を食う姿を確認してほしい…、か。そもそも火は食わないはずだから成功する見込みはないのだが、失敗したらしたでそれでも報酬は出る…これだな」
ヨハンは依頼票を剥がそうとしたが、いやまてよ、と思いとどまった。荒野で活動するという事は、魔狼との遭遇もありうるという事だからだ。
「魔狼討伐を避け、火喰い蜥蜴の生態調査の依頼を受け。単独で荒野にノコノコ行った俺は、運悪く魔狼の群れと遭遇し、触媒をいくつか使ってこれを撃退する…という阿呆な未来が待っていると俺の霊感が告げている…どう思う?ヨルシカ」
ヨハンはいきなり後ろを向いた。
目をまん丸く見開いたヨルシカが立っている。
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「…なるほどね、確かにそれは君らしくないと思うよヨハン。君は素行は悪いけど頭は悪くないように思えるんだ。良く依頼を受ける前に気づけたね、偉いっ」
ヨルシカの賞賛をヨハンは黙殺するが、二人の関係は良好だ。
先だってのダッカドッカ開催の飲み会で親しくなった…というほどでもないが、ヨハンもヨルシカも酒で潰された仲であるので、そのあたりの経験が二人の間にちょっとした気安さを生んでいた。
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「なあヨハン。君がどうしても蜥蜴を眺める事が好きでたまらないというわけではないのなら、私と組んで魔狼討伐ツアーに参加してみないかい? 報酬は折半にしよう。もちろん触媒にかかる費用を差し引いた額を折半でいい。…これは笑わないで聞いてほしいのだけど、このヴァラクに来てからなんだかソワソワしちゃってさ。厭な事が起きる気がしてならないんだ。私は…うん、ちょっと特殊な生まれで、少し勘が働くんだよ」
どこか不安そうなヨルシカに、ヨハンは頷いて言った。
「構わない」
即答だ。
いいのかい?と聞いてくるヨルシカにヨハンは再度頷く。
「君と組む分には問題なさそうだ。剣士と術師、バランスも良い。実力も問題はないだろう。銀等級の上澄みか、それ以上か…それに…」
それに?とヨルシカが促すと、ヨハンはやや情けない表情を浮かべて苦々しく言った。
「互いのゲロを見た仲だ。同じ依頼を受けるくらい何だというんだ」
ヨハンの言葉に、ヨルシカも“うん…”と元気なく頷いた。