道中
◇◇◇
「……ということがあったのです、アリーヤお姉様」
洒落た内装の喫茶室の奥に陣取っている女子2人。
片方はアリーヤ、そしてもう片方はマリーだ。
ここはエル・カーラに最近出来た女性向けの店である。
店主は女性術師。
実験の失敗で右脚を失い、なにやら人生観の様なものが変わり商売をやってみようという事になったらしい。
場合によっては命すら落としていたほどの事故だ。
そういった事故の後に価値観が変わると言う事はままある。
店主は術師だが、店自体は別に術師向けの店と言うわけではない。一般女性にも人気がある。
月の物に劇的な鎮痛・沈静作用のあるハーブティーやら、冷え性に効果を発揮する薬湯やら、美肌効果のある紅茶やら……とにかく、その手の品書きで埋め尽くされている事が理由だろうか。
価格は一般的な店の倍程だが、それでも開店から数日で瞬く間に人気店に成り上がった。
気持ち効果があるだとか、そういう微々たる効果ではなく歴然と、そして明確に効果があるので、下手な薬などを煎じて貰うより余程コストパフォーマンスが良いのだ。
本来は予約しなければとても座席などは取れないのだが、件の店主の右脚は術師ミシルが手ずから作り上げた義足である。
店主もまた元教師であり、ミシルとは交流が盛んだった。
その繋がりでアリーヤ等はこの人気店への優先入店権の如きものを持っている。
なおその義足は日常生活での使用は勿論、触媒を消費してつま先部分から短刀程度の刃渡りの空気刃を生成できる。
粗雑な数打ちの武器程度なら、受け太刀ごと叩き斬る事が出来る程度の鋭さだ。
ミシル曰く、近接戦闘を仕掛けられた際の護身用の機能らしい。
◇◇◇
涙目でマリーがアリーヤへ訴えかける。
アリーヤはそんなマリーのおでこをガンガンと指でついて言った。
「おばか! マリー、貴女はおばか協会所属1等おばか術師ですわ。おばか協会の協会員は2名! 貴女とドルマですわね」
けらけら笑いながら小馬鹿にしてくるアリーヤにマリーは言い募った。
「で、でも教師ヨハンは……あ、ヨハンさんは……」
あのねえ、とアリーヤはやれやれ顔でマリーを諭す。
「術師ヨハンはあくまで手段を選ばない暴漢に対しての心構えだの、実戦を想定した手練を教えていたわけでしょう? 学院の、しかも同窓たる仲間を叩きのめすためにそれを使えといったのかしら? 学院での模擬戦は命のやり取りをする場所では無いの! 例えるならダンスですわね! あちらがこう動いたらこちらはこう動く、逆も然り。相手の見せ場とこちらの見せ場を交互に披露していく。実戦的ではないですけれど、講義で学んだ事を理解出来ているかを確認する為には良いと思いますわよ。お・わ・か・り~?」
うぐぐと唸るマリーは、やがてしょんぼりと俯きながら言った。
「教師コムラードにも同じ事を言われました……」
でしょうよ、と呆れた表情のアリーヤは、やがてニヤニヤしながらマリーへ訊ねた。
「ところでマリー。ルシアンとはどんなカンジですの? チュッチュくらいはしたのでしょうね?」
「まさか! ルシアンはただの友達です!」
マリーはその髪の色と同じ位顔色を真っ赤にして首をぶんぶんと振り否定した。
──その反応を見ればただの友達と思っていない事は歴然なのですけどね
アリーヤは内心ぼそりと呟く。
ちなみにアリーヤには婚約者がいる。2人目だ。
最初の婚約者は浮気をしたので焼いてしまった。
家と家の争いになりかけたのだが、ミシルが仲裁する羽目になって事無きを得た。
ミシルは生徒想いの良い教師だが、一番弟子であるアリーヤには殊更ゲロ甘なのだ。
名前を勝手に使われて、有名店へのコネ入店を黙認する程度には。
◆◇◆
SIDE:ヨルシカ
「それで彼らは想像以上の伸びを見せてね。才能とは恐ろしいものだとつくづく感じたよ。アレでまだまだ伸び代があるのだからな。成熟した時にはどれだけの化け物になるか想像もつかない」
私はヨハンがエル・カーラで教師をしていた時の話や、他の街の話、連盟の話もあらためて聞いていた。
馬車での移動は長く、退屈しそうかなと思っていたのだけどヨハンの旅話が結構面白いので長旅も余り気にならない。
ちなみにヴィリちゃんはあれからふらっと去っていったらしい。ヨハンはまたどこかで会う気がする、と言っていたけれど。
ヨハン曰く、連盟の術師はいつもあちらこちらふらふらしている、との事だった。
「しかし、エル・カーラの話なんだけれどやり過ぎなんじゃないのかい? ……いや、でもどうかな……相手は悪魔崇拝者か。うーん……お行儀は悪そうだしなあ。生徒達の命を考えるなら、君のやり方が……正しいのかも……」
命のやり取りと言う事になるなら、行儀の良い戦い方も行儀の悪い戦い方も両方しっていなければいけないとおもう。
「そうだろ? まあ付け焼刃にも程があったがな……。まあ暴漢共の出来も粗雑だったし、そこには助けられたよ。悪魔っていうのは雑なんだよな、やることなすこと全てが。もう少し仕上がった手下を集められていたら死体が増えていたかもな」
悪魔、か。
幸いにも私は悪魔と相対した事はないけれど、ヨハンが言うには無策で挑めば絶対に勝てない存在らしい。
「ところでさ、悪魔と魔族ってどう違うんだい? あともし悪魔と魔族が戦ったらどっちが勝つんだろう?」
我ながら子供みたいな質問だけれど気になるものは仕方が無い。
ヨハンは腕を組み、うーんと唸っていた。
「少しだけ長くな「構わないよ」……るが構わないかい? よし、構わないな。じゃあ話すぞ」
ちょっと気になってたので、くい気味で返事してしまった。
「そうだなあ、まず悪魔と魔族は全然違うよ。何となく似てる感じはするが犬と猫くらい違う。悪魔は魔界の住人だ。魔界は相が異なる別の世界……そう、異世界だな。異世界の住人なんだ。だがその異世界ではどいつもこいつもちょっとした神に等しい力をもっている……とされている。そして例外なく退屈を嫌っている。連中の趣味は人間界……我々の住むこの世界で好き勝手滅茶苦茶にやることだ。迷惑な話だがな。人間を救う事だってあるよ、奴等は。概ね苦しめたりしているそうだが。基本的には自分が楽しければなんだっていいとおもってるんだ。悪の意味を知っているかい? 悪とは正しくない事を意味しない。悪とは何してもいいと考える事さ。何事にも縛られないのだ。善を為してもいいし、善の逆を為してもいい。どこまでも自分都合でしか考えない事を悪という。連中はそんな存在だ。とはいえ人間界にはタダで顕現できるわけではないから、人間を利用して顕現する事になる。だから悪魔が存在する以上、契約者がどこかにいるんだ。そして、顕現した奴等は仮初の肉体を持つ。本体自体は魔界にあるらしい。だから普通は絶対殺せないんだ。勿論裏技はあるんだけれどな」
そこまで一気に言うと、ヨハンはすーっと息継ぎをした。
記憶についての不安はあるけれど、体調は悪くはなさそうで安心した。長話がいつも通り長い。
──肺活量があがったかな?
ヨハンがそんな事をいいながら、再び口を開く。
「対して魔族は我々の世界の住人だよ。人間よりずっと強大な力を持つ異種族さ。だが支配欲が強すぎてね。自分達以外は下等と見做して支配したがるんだ。だから過去の歴史において、人間の生存圏に何度も何度もちょっかいをかけてきた。そこでキレたのが教会連中だが……その辺りは君も知っているだろ? 過去3回の人魔大戦の事さ」
人魔大戦の事を知らないものはいないだろう。
勇者と魔王、血湧き肉躍る冒険物語……
「それぞれの時代の勇者はそれぞれの時代の魔王を全て討伐してきているか、あるいは封じてきている。だから人々は魔族が、魔王が“おっかないけれど人が抗えない存在じゃない”と思っていたりする。しかしね、流石にそれは平和ボケが過ぎるんじゃないかと俺は思うよ。人類よりずっと少ない……10分の1以下の数しかいないのに、過去の人魔大戦では全て人類が半分以上殺されているんだからな。記録ではそうなっている。個体の性能差が違いすぎるんだ」
どちらもはた迷惑だなあ。
私は我知らずため息をついた。
現実に魔族と向かい合った身としては、嫌な予感を強く感じざるを得ない。
「この二者が仮に戦ったならば……うーん、まあ悪魔が勝つんじゃないかな。魔族が強ければ強いほどに悪魔が有利だよ。連中は俺達のような脆弱な人間に敗北を喫するとすぐやる気をなくしたり傷ついたりしてしまうんだが、元から強い種族が相手だったら敗北しても大して堪えないからな。またすぐ顕現して魔族が死ぬまでしつこく付きまとうとおもう」
悪魔は恐ろしい存在らしいけれど、妙にせこいというか……小物感がある……気がする。
私の微妙な表情に気づいたのか、ヨハンが笑いながら言った。
「分かるぞ。まあ庶民感があるというか、セコい……俺もそう思う。ただ、基本的には危険な存在だ。気を許してもいいが、心だけは許すなよ」
許さないとも。
君1人で十分だ。
■
怒り、そして憎悪だ。
外に一切出さなかったのでヨルシカは気付かなかったが、最近説明のしようもない怒りと憎悪を常に感じている。
腕を見る。
俺の腕は片方は造りモノだ。
胸を見る。
秘術で俺は記憶を失ったそうだ。
ヨルシカがいうのはそれは母親のものだそうだ。
母親?
なんだそれは。
意味は知っている。
だが俺にはいない。
いないはずがないだろう、人間なら母親がいるものだ。
記憶に整合性がない。
俺は次は何を失う?
命か?
ヨルシカか?
家族か?
トラブルなど、他に解決できるものがいくらでもいるだろう。
中央教会などその最たるものではないか。
俺自身が首を突っ込んでいるから悪いのか?
友や尊敬する者、家族に手を貸したいと思う事は悪い事か?
何も失いたくないなら、何もかもを手放せって?
何故俺がこんな目に遭う?
毎度、毎度……
運命の神などというものがいるのなら、今すぐぶち殺してやる。
ああ……
でも、そうだよな。
そういうものだ。
俺は納得した。
怒りや憎悪もまた納得し、飲み込もう。
◇◇◇
術に必要なものは、魔力だ。
魔力とは想いであったり、感情であったり、意思であったりする。
術の規模は注ぎ込む魔力の量による。
術の正確性はどれだけ静かな波風が立っていない魔力を注ぎこめるかによる。
そして魔力の多さは思いや意思、感情、根源の強度に比例する。
総括すれば、“強い術”というのは発狂に至る程の強烈な感情で魔力を増幅させ、その発狂に至る程の感情を完全に制御し魔力を安定化させ、それをもって術を行使すればいい。
優秀な術師というのは概ね感情なり意思なり想いなりが豊かで、それでいながらそれらを自分の意思である程度制御できる者が殆どだ。
真に優秀な術師は泣きながら怒り、怒りながら喜び、喜びながら悲しむことが出来る。
はたからみれば狂人そのものではあるが……。
ここまでの境地に至るものはそうはいない。
勿論ヨハンとて、ここまでは極まっていない。
だがこういった前提をもって考えると、切り札を切り、根源を失った術師ヨハンは果たして弱くなったのだろうか。
逆だ。
煩悶し、怒り、憎悪し、悲しみ、それでいてそれらを速やかに制御する事で、彼は以前より術師としての完成度を高めつつあった。
人としては、分からないが。
■
「……ヨハン、どうかした?」
ヨルシカが心配そうに聞いてくる。
もちろんどうかした。
尻だ。
「……いや、揺れだよ。揺れ。尻がね。高い馬車だぞ? 乗賃だけで……黒粉が一瓶買えるっていうのに、震動を抑える装置が貧弱すぎる」
ヨルシカはげんなりした様子で、確かに、とボヤいていた。
乗賃だけで高級娼婦が3人買える、といおうとしてやめた。
嫌な予感がしたからだ。