闘将①
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一行が歩みを再開して暫く経つが、肉の回廊はいついつまでも続いていた。
耐えず鼻腔を擽る生臭い匂い。
視界一杯に広がる生々しい肉の色。
術式によって精神に少しずつ負担が蓄積しつつある事を考えても、先を急ぐ必要があった。
しかし
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──同じ所を歩いているわけではない。見ろ、あのドス黒い色合いの肉…病んだ内臓の色の肉はこれまで見てこなかったものだ。確実に進んではいる、が
それにしても気が滅入るな、とヨハンは思う。
ヨハンという男はエル・カーラを騒がせた邪教集団のならずものをてずから"解体"した事からも分かるように、この手の人肉的な光景に強い耐性を持つ。
しかし、精神に余分な荷重がかかっている状況では常の超人的タフさを十全に発揮しえない。
というのも、今この場を歩く者すべての精神…いや、この魔王城というロケーション全域に憂鬱の呪いとも言うべき広域の魔術がかけられているからだ。
──幸いにも心の備え方はよく分かっている。この手の術は俺も…んん?
ヨハンの表情に、僅かに疑問の影が差した。果たして自分は、"この手の術"とやらが得意だったかどうか、という疑問だ。
空いている思考のスペースにこれまでの旅の経験が生き生きと蘇る。
"この手の術"。対象の精神に強度の負荷を与えるもの。それを使ったのは一体いつの事だったか。そう、それは…
──ロイのパーティから抜け、俺は依頼を受けた。護衛依頼だった。道中、野盗が何人も現れて俺たちを襲撃した。俺はそいつらを…そいつらを、どうした?殺したのは間違いない。どうやって殺した…。ナイフだ。ナイフで首を掻っ切ってやった。それだけだ。術などは何も使っていない…と、俺は考えている
それが妙な話だな、とヨハンは思った。何故ならば術など使っていない筈なのに、"この手の術"をどこで使ったのかという記憶を思い出そうとするとそのシーンが思い返されるからだ。
この違和感を例えるならば、一度も食べた事がない筈の料理の味をなぜか知っている…といった所だろうか。
違和感の原因は言うまでもない。
ヨハンがアシャラで顕現させた彼の奥義である。命にも優る大切な記憶は失われ、しかし体だけはそれにまつわる術の骨子を覚えているという状況だ。
かの一戦から暫く経つが、ヨハンには術の後遺症が残り続けている。それで彼が参るという事はないが、思考と思考のふとした間隙にこの様に入り込む事がある。
──まあ、いいさ。恐らくは秘術の絡みだろう。我ながら酷い術を編んでしまったものだが…。とにかく、俺にはもう少し色々な事ができるかもしれないな。体がそう言っている
歩きながらの1秒か、2秒。違和感について吟味していたヨハンの横顔に、ヨルシカが静かな、しかし意味ありげな視線を投げかけていた。
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「……ふぅ、どうやら延々こんな場所を歩かされるわけじゃなさそうだ」
アリクス王国金等級の剣士、"百剣の"ザザが顎を撫でながら言った。
視線の先には扉と思しきものがあった。まるで鉄格子の様な意匠のそれは、ただでさえ強い閉塞感をより強めているようにザザには思えた。
──魔王暗殺か。嫌な仕事だ。だが、この仕事を受けねばルイゼはリリスを殺すだろう。リリスを殺されれば俺はルイゼを殺しにいく。しかし、その場合殺されるのは俺だろう
ザザはその卓絶した剣腕とは裏腹に、酷く俗な男である。金等級という冒険者の上澄みに在りながらいつだって金がない。それは稼いだ金を際限なく風俗に使い込んでしまうからなのだが、彼としてはそういう生き方に一切の恥を感じていない。食いたい時に食い、寝たい時に眠り、抱きたい時に抱く。それこそが幸福な人生だと思っている。そういった人生観の彼からみて、リリスという王都の風俗嬢…実際ははぐれの魔族女は、実にたまらない体をしていた。
──甘いのだ、肌が
当然比喩だが、ザザはリリスの肌をべろんべろん舐め回していると甘露とは一体何かを知識ではなく魂で知れるような気がするのだ。
──幸い、リリスは俺に惚れているように思える。俺はあの女と結婚する気はないが、俺のモノが役立たずになるまで抱き続けたいと思っている。やって、やって、やりまくるのだ。勿論仕事はしない。俺は女遊びをしながら余生を過ごす…その為には金が必要だし、リリスの保護も必要だ。魔王討伐でそれが叶うというのだから、嫌な仕事ではあるがやらざるを得ない
クソのような事を思いつつも、ザザの表情はきりりと勇ましい。引き締まった肉体から剣気がじわりと宙に滲みだしている。
「おお、ザザ、やる気じゃねえか。なんだ…あの扉の向こうに何かがいるってのか?」
法神教の元異神討滅官、槍使いのランサックがザザに尋ねた。
そう、ザザが剣気を滾らせたのは、眼前の扉の向こうに見知った気配を感じたからである。
──鬼気…。"あの"魔族のものだろう
「……オルセン」
扉の前で立ち止まる一行の間に静かな声が響いた。
暗く、覇気に欠け、気だるげな青年の声だ。
特徴がない事が特徴とでもいうような普通の声色だが、その声に込められた気鬱の気配はただ事ではない。
声の主こそ、勇者クロウである。
自分で災厄を呼び込み、その災厄から主を護る為に力を貸す魔剣『コーリング』の主。
勇者でもないのに自分が勇者だと思い込んでいる青年、金等級冒険者"血泪の"クロウ。
「この気配は、オルセン。熊と、カルミラの仇を取らなきゃ…。皆さん、ここは僕に行かせてください。彼も僕に会いたがっている様だし」
オルセンとは、かつてクロウとザザ、そしてランサックの三人でかかってなおも斃す事が叶わなかった魔軍の将に他ならない。
カルミラとはオルセンの部下だったが、クロウに殺害された。熊…正確には魔物化した熊なのだが、これもまたクロウに殺害されている。クロウは仇を取ると言っているが、殺したのは彼だ。
ともかくも、クロウはゆっくり剣を引き抜いた。当たり前の話だが、その心に油断はひとかけらもない。
いや、それどころか濃密な死の予感すらしていた。
クロウとザザが感じとった気配は、かつて対峙したオルセンとは比較にならない。
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ヨハンは脳内で圧縮した時間の中で思う。
楽な戦いにはならないだろう、と。
扉の向こうからビリビリと伝わってくる魔力の波動は、その主が尋常ならざる存在だと雄弁に告げていた。
──やり場のない怒り、悲しみ。狂気が凶気と化して、手がつけられなさそうだ。あるいはあのアンドロザギウスより、厄いかもしれんな
ヨハンの目がぎらりと凶悪に輝く。
ここは僕に行かせてください、とクロウは言った。
しかしヨハンはそんな事は知った事ではないと思っている。
扉が開かれ、敵手の注意がクロウへ集中したその瞬間、こんな場所へ赴かざるを得ない様に運命を編んだ神だか何かへの募る怨みを込めて、致死の呪いをぶち込んでやる積りであった。
リリス:Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~の登場人物。ザザのお気に入りの風俗嬢。『閑話:ザザ、魔王討伐』あたりにザザの独白のエピソードあり
オルセン、カルミラ:Memento Mori~希死念慮冒険者の死に場所探し~の登場人物。『2章・第11話:依頼受領』あたりから先でクロウ達と戦闘する。
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コミカライズ連載が既に開始されています。
ニコニコ漫画とかコミックウォーカーあたりをみてください~。なんかちょっとベルセルク味のする絵柄です。漫画家さんは『終の人』の清水 俊先生です。