肉の通路
■
一行はカッスル達が見つけ出した抜け道から城内に入った。
果たして城内と言っていいのだろうかどうか。
一行は内部の血腥さに表情を顰める。平気そうなのは勇者クロウ、術師ケロッパ、術師ヨハン、それと闘都ガルヴァドスの王者、ゴッラくらいのものだ。
術師二名は精神的にちょっとアレだし、ゴッラは生い立ちの事もあってか邪悪だとか冒涜だとか、そういう方面で精神が揺らぐことはない。
南方の生まれであるゴッラは波乱万丈の幼少期を過ごしており、母は人間だが父は人間ではない。"赤角"と呼ばれる大鬼の特殊個体だ。大鬼はゴッラの母を犯し、孕ませ、生まれたのが彼である。元より邪なるモノには耐性があった。
・
・
・
壁を形作るのは蠢く魔肉であった。ぬらぬらとした肉の表面から、赤い液体が滴り落ちる。
「ここは強いて言えば、肛門だな」
ヨハンがおもむろに言う。
「なるほど、肛門。確かに。でも例え方に品がないよ」
ケロッパがそれに応じた。
ヨハンの恋人…妻、ヨルシカはげんなりした様子でヨハンに傍に立ち
「ねえヨハン、その…お尻の…っていうのは私たちが知らなければいけない事かい?もしそうなら、凄く嫌だけどその話を聞く事にするよ」
などというが、ヨハンはかぶりを振る。
「まさか。まあでも簡単に知っておくのもいい。あの穴…抜け道は、充満した魔力の排出口だよ。俺が見るに、この城は外側から内側にむけて強力な呪詛がかけられている。掛けられた呪詛…魔力は城を、あるいは城の何かを蝕み、巡り、あの穴から出ていく。循環さ。出て行った魔力は再び呪詛となってこの城へとふりかかる。永続的な術というものはない。誰かがかけなおさなければ弱まり、そしていつか切れてしまう。それを防ぐ為に術を循環させているのだろう」
「そうそう。ヨハン君の言う通りだ。例え方は下品だけど…そういう術を回帰術式という…ただ、まぁ…そういうものを使う場面というのはかなり限られているのだけどね…。封印の、僅かな弱体化も許されないような存在を封じる時、とか…」
ケロッパがヨハンの後を継ぐと、一同の表情はより濃い暗へと近づいた。それを見て老若術師二名は少し言い過ぎたかと焦る。魔王討伐前にビビってもらっては困るのだ。
「ああ、だが悪い話ばかりでもない…」
ヨハンはそこまで言って、さてどんな出まかせをぶちあげてやる気をださせてやろうかと考えていると、意外な人物が口を挟んだ。
「……余り、ここに長くいない方がいいとおもいます」
クロウである。
■
一行を促し、先頭に立って歩くクロウは物思いに耽っていた。"この感覚"に覚えがあったのだ。
世界そのものが精神を圧してくるような重圧感。心に不可視の何かが染みこみ、重くなった心は肉体に作用し、体の動きも鈍くなる。
視界が狭まったような気がして、目に意識を集中すれば、視界の端に黒い淵が見える。その黒い淵がどんどんと広がっていくのだ。
目が見えなくなるかもしれないという恐怖は精神に冷たい汗をかかせるがしかし、心のどこかで何も見え無くなれば嫌なものを見なくて済むのではないかという益体もない期待が生まれているのを感得する。
まさしく鬱の感覚だ。
──もしかして、封じられているっていうのは魔王の事なのかな
そう思った所で、何かおかしくなってクロウはくすりと笑ってしまった。
「クロウ様?」
すぐ隣を歩くアリクス王国のフラガラッハ公爵家令嬢、ファビオラがクロウの名を呼んだ。
僅かな機会も逃さずに交流の機会を持とう、ファビオラはそう考えていた。
彼女は家名を背負ってこの場にいる。
万物あらゆるものを切り裂き、不治の瑕を与える魔術『フラガラッハ』の使い手である彼女は、勇者による魔王抹殺を十二分に援けるだろう。
だがそれ以上に、彼女には勇者の子を孕むという使命があった。この場合、勇者というのは正統勇者でなくても構わない。要するに、勇者と呼ばれるに相応しい強く勇敢な男の種を得られれば良いのだ。フラガラッハ公爵家は代々その様にして発展してきた家である。
そんな彼女が見るに、クロウという青年は変わり者だが強い。
そして勇敢だ。
つまり、番として合格ということになる。
魔王抹殺後は速やかに既成事実を作らねばならない。だがファビオラとて女の子であった。心通わぬ情交などは出来るだけ避けたい。故に、彼女はこの死地にあってもクロウと少しでもステディな関係になる為に女の努力を重ねるのである。
「いえ、なんていうか魔王でさえも鬱病には弱いんだなっておもうと、ちょっと面白くなってしまって。心療内科に通う魔王、なんてね」
クロウはそんな事をいって、なにやら愛おしげに肉の壁を撫でる。それを見たファビオラはあわてて手ぬぐいを取り出してクロウの手を拭ってやった。
■
一行の眼前に肉の通路が伸びている。奥は暗がりで見えない。
「…ここの通路だ、この先にさっき言った肉の壁が…」
カッスルがそこまでいうと、ゴッラが口元を抑えて言った。
「ぐ、く、くせぇ。くさった、においだ。おで、これは、すきじゃない」
ゴッラは半身に魔物の血が流れており、五感が優れる。新鮮な、といっては変な話だが、血腥いだけなら問題はないのだ。しかし腐った肉は好みではないようだった。
一行は慎重に肉の通路の奥へと進んでいく。
幸いにもカッスル達がでくわした肉の壁には遭遇しない…いや、遭遇しないのも当然であった。
一行の眼前に鎮座しているのは腐り、ただれた肉の塊であった。それも大量にあるどころか、通路一杯にみっちりと詰まっている。肉塊は茶色く変色した植物の蔦にからみつかれ、腐敗臭を発しており、少し長く見ていると目も痛み出すといった有様であった。
それを見たヨハンはカッスルとカプラに視線をやり、一つ二つ頷くと壁際まで退いた。どういうことかと困惑を浮かべる二人をヨハンはなおも見る。見続ける。
その奇妙な空気に耐えかねたのか、カッスルが口を開いた。
「な、なんだ。何がいいたい?」
カッスルの言葉にヨハンが肉塊を指さし、答えた。
「コレを、どけてくれないか。自分でやった事だからな…自分で始末しないと。じゃないとここを通れない。ほら、その剣で…穴を開けたりできそうじゃないか。カプラもだ。隠し玉があるんだろう?今が使い時では?術を使うのは…まあ節約したいんだ、触媒を。ケロッパ師も消耗しているしな」
ヨハンは何も意地悪で言っているわけではない。"貫き"の名手であるカッスルの手を借りたいと本気で思っていた。
だがカッスルとカプラは目を見開き、助けを求めるように辺りを見回す。しかし誰もが目をあわせない。だれだって悪臭を放つ腐った肉塊に触れたくないのだ。
「な、仲間じゃねえのか」
カッスルが慄きながらもようやくそれだけ口にだすと、ヨハンはクロウへ視線を向けた。
クロウは頷き、鞘からコーリングを引き抜こうとするが…
「……抜けません。嫌がってます」
それを聞いてヨハンは沈痛な表情を浮かべた。
「仲間だが…それはそれ、これはこ…」
れ、とヨハンが言った所で、巨きな気配に気付く。
「み、みんな。どいて、くれ」
ゴッラである。
ビシビシという音と共に、ゴッラの右腕が岩のような様子へ変じていく。硬化の魔術である。魔術としては単純で低級なものだが、くだらないというわけではない。くだるかくだらないかは、結局は使い手次第なのだ。
何かとてつもなく重い物を抱えているかのような足取りでゴッラは歩みを進め、肉塊の傍までよると野獣の様に歯を食いしばる。
硬化の魔術はゴッラの"体質"に合致していた。
彼の父親…勇者クロウが殺害した"赤角"も、魔力によって身体の部位を異常硬化させる能力を有していたが、果たしてかの大鬼の遺伝子ゆえか、ゴッラの"硬化"は他とは異なる。
本来の硬化はせいぜい皮膚を岩肌に変える程度だが、ゴッラの場合は金属のそれへと変じさせるのだ。しかも硬くなるばかりではなく、重くなる。
むん、というくぐもった声と共に何かが壁際に寄った一行の眼前を通り過ぎ、肉塊をぶちぬく。岩の如き巨拳に一点集中した破壊のエネルギーは膨大で、肉塊如きは一瞬たりとも抗えない。
・
・
・
「おお…ぶっとんだなぁ…」
ランサックが感心したように言う。
そう、肉の塊は僅かな肉片だけ残して吹き飛んでいた。
直撃すれば帝都ベルンの堅牢な城壁にも穴をブチあける事ができるだろう。圧倒的な重量を持つ物体が圧倒的な速度で衝突した場合、直撃を受けたモノは誇張抜きで消し飛ぶのだ。
実際一行は大いにゴッラに助けられたといえる。
ヨハンもケロッパも節約を優先したい、ラグランジュの"銀糸"、ザザの剣技、ランサックの雷撃を纏う槍技、タイランの"気"を使った拳法、ヨルシカの剣技、手刀を魔剣と化すファビオラはものすごく嫌そうな顔をしていると来ている。クロウもコーリングが嫌がって駄目。
となればカッスルが"うねりの魔剣"でぶち抜くしかなかった。あるいはカプラが自爆するか。