お前たちは死ぬ!!!
◆
東方に、とザザが突然呟いた。
虚ろな瞳であった。いや、何か悟りを開いたような超然とした風情すら漂わせる。アリクス王国冒険者ギルド所属、金等級 "百剣" のザザといえばその名の通り百もの剣技を使いこなし、血と暴、そして色(風俗依存症)に染まった怪人だ。しかしこの時ばかりはそのザザも、まるで百年を生きた老人のような心身の脱色ぶりを見せた。
「東方に、なによ?」
タイランが尋ねる。
タイランはザザがちょっと気になっているのだ。
不死のタイラン……中域出身の武人である。自身の心と肉体の性が一致せず、それは中域最大版図の大国の皇帝である龍帝の治世方針に反するものであった。故に彼は国を抜けて逃げてきたのだ。
中域では同性愛は処刑の対象となっている。ちなみに西域では良い目では見られないが違法行為ではなく、東域では迷惑をかけないならば好きにしろというスタンスで、極東に於いては権力者が積極的に同性を抱いている。
タイランの逞しすぎる肉体には毛の一本も生えていない。それは彼がかつて、修行のためと称して油を被って体に火をつけたからだ。しかし全身を炎が舐め回しても彼はしななかった。体内を巡る膨大な内勁により、彼は異常な再生力を有するのだ。
「東方に、花玉というものがある。火粉を詰め込んで、空に打ち上げ花を咲かせる。あれは、それに似ているなと。ただそう思っただけだ」
タイランはザザの言葉を聞いて空を見上げた。
不気味だとか不吉だとかを通り越している様な悍ましい赤黒い空であった。タイランはこの果ての大陸に転移してきてからというもの、朝もなければ昼もない、そして夜もない、そんな空間に放り出されてしまった様な気がしてならない。
ザザの言う花玉というものはタイランも知っている。
元はといえば中域の文化であり、それが極東に流れたものなのだとか。だから中域でも花玉の原型となったものは存在していた。
「ああ、あれはいいわねえ。空に咲く大輪の花を見ながら、お酒でも呑んじゃったりして……」
こんな辛気臭い場所でよくそんな事が言えるな、とザザはタイランを無視し、改めてクロウを見た。
ザザの眼にはクロウはもはや人の皮を被った化け物にしか見えない。強さ云々の話ではなく、その精神構造が理解しがたいのだ。そう思っているのはザザだけではないようで、みればラグランジュやカッスル、カプラ、ランサックあたりも同じように感じているようであった。西域の術師と剣士の二人組……特に剣士ヨルシカはクロウに何か思う所があるようだ。
──だが、術師連中やあの女は別か
ザザは視線をヨハン、ケロッパ、ファビオラへ向け、"あれくらい肝が据わってないと魔王討伐なんぞはできないか"と何となく諦念めいた思いを抱く。
「クロウ様ッ! わたくしはクロウ様が死んでしまったらとても悲しいです。わたくしたちは知り合ったばかりですけれど、この様な経験を通して命を預けあう事で心の距離はぐっと縮まりましたわ! ええ、死なせませんとも。心優しきクロウ様のお手をこれ以上汚すことはあってはなりませんわね。ここより先はわたくしがクロウ様の剣となり、あ!? 痛い! 痛い!? 耳が! 甲高い音がわたくしの耳を貫きますわ!」
ごろごろと地面を転がり、ひんひんと鼻をすすりながらクロウの足に抱き着くファビオラを見て、ヨハンはパチパチと目をしばたたかせた。
「随分とまぁ豪胆な騎士殿だ。いや、貴族令嬢だったか。敵首魁の眼前で色ボケる度胸があるとは。ロイとマイアを思い出すよ」
「あれは?」
ヨルシカが極北の冷たさを瞳に宿しつつもヨハンに尋ねる。
尋ねながらも、冷たい目でファビオラを見下ろしていた。別に怒っていたり軽蔑したりしているわけではない。"よくやるよ"という呆れた思いがついつい態度に出てしまっただけである。ここまで連戦、命の危機が何度も続き、ヨルシカとしてもやや心がささくれだっていた。というより、"仕方ない事だった"とはいえ、追憶の荒野で彼女がヨハンを負傷させたことはヨルシカにとって大きなストレスとなっていた。しかし同じ場面に遭遇すれば彼女は再びヨハンの肉親の幻影を惨殺し、ヨハンの唇を噛み切るであろう。
ちなみに彼女の"あれは? "という質問は、ファビオラの醜態について尋ねたものではなくて、彼女の耳を痛めつけた不可視の力を尋ねている。
「あれは、そうだな。聖剣……あれを聖剣といっていいのか甚だ疑問だが、剣の……精霊というか、いや、あれは剣自体が意思を持っているのだろうな。剣に何かが宿っているわけではない……」
ヨハンの眼は小さい指でザクザクとファビオラの耳の穴に指を突っ込んでいる黒衣の少女の姿が視えている。ケロッパもそうだ。怪訝そうな表情でファビオラを、いや、ファビオラを虐待しているコーリングを視ている。
「う~ん……? 彼女は罪を赦し魔を断つと言われる聖剣アフェシスの剣霊なのだろうか……だが、浄罪の聖剣アフェシスはその身に白き光を宿すという。所持者……つまり、勇者が無垢であればあるほどに力を増すというその特性……当代勇者であるクロウ君の気質とは相性がいいだろう。僕が見る限りクロウ君はまあ、純粋というか、無垢? な気がするし。しかし彼が佩く剣は、なんかちょっと、魔剣というか。ねぇ、君たちはどう思う?」
ケロッパが困った様子で周囲の者を見回した。
だが殆どの者がケロッパの視線を避ける様に顔を逸らす。
ラグランジュ、カッスル、カプラは単にクロウが苦手な為。
勇者クロウは魔王討伐のための重要人物であることにはかわりはないが、キワモノ過ぎて余り関わりたくないというのが本音なのだ。死にたいだとか殺すだとかブツブツ呟いて、よくわからない妖術というか魔術を放つ者に積極的にかかわろうとする者と関わりたいと思う者はいない。
ゴッラやタイランなどは門外漢である為。
彼等は魔剣だとか聖剣だとかはよくわからないし興味もない。
ヨルシカはなんだか近寄りがたいオーラを発しているし、ヨハンにもよくわからないようだ。
だが……
「前々から思っていたが、あの剣は故郷の妖刀に似ているな。妖刀 "眞" だったか。眞とは完全を意味する。その刃に断てぬモノ無し……だが、心の底から相手の死を願い斬りかからねば、その刃は使い手を傷つけるという。つまり牽制だの崩しだの、そういう目的で剣を振ってはならんという事だ。あの剣、コーリングからはそれと同じ気配がする。以前からもしていたが、急激に気配が濃厚になった」
極東出身の剣士、ザザが言う。
それを聞いていたランサックは確かに、と頷く。
「俺はよ、まだ法神教にいた頃、強力な憑きものを滅ぼすみたいな任務を何度か受けた事がある。それに似た何かを感じるっていうのかな、この世界にあっちゃあならねえ、邪悪な……そう、忌むべきモノ……そんな気配をあの剣から感じるぜ」
§§§
散々な言われようだな、と思いつつ、クロウはコーリングの柄頭を撫でた。その辺にしておきなよ、という戒めの意も込めて。
すると、すぐファビオラは生気を取り戻すというか、虐めから解放されたいじめられっ子のような心地となった。
コーリングとしては人間の男女としてクロウとどうこうなろうと、それは全く知った事ではないが、剣云々のセリフは看過できなかったのだ。
かつてのコーリングならば間違いなくファビオラを呪い殺していた程の大罪である。だがコーリングはそうはしなかった。耳の穴をガンガンほじくりまわすだけで済ませた。
というのも、ここ最近クロウから流れ込んでくる魔力が増え、コーリングも相応に余裕が出てきたという事である。
それに、とコーリングは僅かに震えた。
有象無象の木っ端に力を使う余裕はないだろうという予感が彼女の剣身を巡る。
その身に宿る権能の全てをクロウの守護に回す必要がある、そうコーリングは考えていた。
◆
一行は暫く休憩を取り、ゆっくりと魔王城へ歩を進めていった。だが勿論正面からではない。大きく迂回して裏口なりがないかどうかを調べるのだ。
「俺たちが先行して調べる」
カプラとカッスルが申し出た。
ただの二人で敵首魁がいるとみられる本拠地へ接近……非常に危険だが、それが二人に求められている役割であり、これを止める者はいない。
そんな二人を睨みつけるように見つめているのはヨハンであった。敵意すら滲んでいるようなその様子に、緊張の度合が高まっていく。
「なんだ?」
カッスルが短くヨハンに言う。
腰は軽く落とし、いつでも飛びかかれる体勢だ。
カッスルはヨハンの様子に一種の危機感を覚えた。
彼は迷宮専門の冒険者……探索者であり、迷宮には様々な罠が張り巡らされている。迷宮の罠は悪辣だ。踏めばどこぞとも知れぬ空間に転移し、転移先が壁の中ということもままある。そうなれば全滅は不可避だ。自分という存在は石壁であると再定義されてしまうため、優れた術も業も振るえなくなる。
──ここは一種の迷宮みたいなもんだ。俺が知る"外の世界"じゃあねえ。だからどんな罠があるか分かったもんじゃねえ
カッスルはとある狂気ガスを想像した。僅かでも吸い込めば発狂して仲間達に襲い掛かるという悪辣な罠だ。
見ればヨルシカもヨハンの服の裾を掴んでおり、表情には緊張と若干の不安が見える。
その当のヨハンは両眼を強く瞑り、やがて何かを重い決断をするような風情で懐へ手を差し入れた。すわ凶器かと緊張が最高潮に達し、だがヨハンが取り出したものは凶器ではなかった。
「ならばこれを持っていけ」
連盟術師ヨハンが懐から何かを取り出し、二人へ手渡す。
それは2体の小さい木彫りの人形であった。
「な、なに、この気持ち悪い人形……」
無口なカプラが慄きながら言った。
彼女の言も無理はない。
それは酷く気持ち悪い人形であった。呪いの人形、と言えば想像しやすいだろうか。ぎょろりと剥かれた目、あんぐりあけられた口、粗雑な造りだが、しかしその雑さが一種の呪術的な異様を醸し出していた。
「護りの人形だ。お前たちの身を護るだろう。しかし何も起こらなければ必ずその人形は捨てろよ。破壊した上で燃やせ」
「そんなものがあるなら、どうしてこれまで使わなかったんだ? それと、破壊しろってのは……」
カッスルが当然の疑問を発する。
「長くなるがいいか?」
ヨハンが逆に質問した。
命にかかわる、そして不気味な人形の詳細……これは知っておかねばならないとカッスルは感じた。カプラも同様の様で、二人は無言で頷いた。
ヨルシカは"あっ……"というような表情をしている。
「こんな話がある。ある所に美しき木精がいた。だがその木精は死にかけていた。なぜなら絞め殺しの蔦……植物に寄生する蔦に本体である樹木を締め付けられていたからだ。絞め殺しの蔦は特に樹木へ寄生し、栄養分を奪い取る。寄生された樹木は徐々に干からびて死ぬのさ。……だが、そんな樹木を見て、一人の狩人が樹木にまとわりついた蔦を取り払った。その狩人は優れた狩人であり、優れた狩人はその感覚によって幽玄の存在を看破する。特に、木精といった植物にまつわる精などを見極めたりということは珍しくない。本来そういう存在は術師のような特別な眼を持つ者にしか見定める事ができないものではあるが。その狩人には死にかけていた木精が視えたのだ。だから助けた。木精は狩人の心優しき振る舞いに感謝し、狩人に恩を返すべく彼の狩猟を佳く助けるようになった……しかし!!!! 絞め殺しの蔦は果たして悪の存在か? 美しく義理がたい木精を絞め殺そうとした蔦は邪悪な存在か? 否! そんな事はない。絞め殺しの蔦の所業は残酷に思えるかもしれない。しかしそれは自然の営みの一部だ。善もなければ悪もないのだ。蔦にだって命はある。己の命を維持し、護る為に樹木にとりついたのだ。樹木が自身の力……つまり、例えば蔦にとって毒となる樹液を出したりする事によって蔦から逃れるというのは良いだろう、だが狩人がそこに介入してくるというのは自然の摂理を捻じ曲げる行いだと俺は思う。狩人に取り払われた蔦がどうなったのか、カッスル、カプラ、お前たちは想像したことがあるか? ないだろう。植物にも微弱ながら意思があるという事を知れ。蔦は怒っていた、蔦は悲しんでいた、蔦は苦しんでいたのだ。しかしそれを汲んでくれる者は誰もいない。俺以外には。だが俺は酷い男だ。残酷な男だ。蔦の怒りと悲しみを利用しようとしている。この術は木片を木精と見立て、内部に蔦の種を埋め込む。そして所持者の血を木片に刷り込ませる事で、所持者を木精と誤認させる。嘆きと怒りに総身を満たした蔦の復讐対象と誤認させるという事だ。その上で所持者に攻撃を仕掛ける者がいたとしたらどうなると思う? その者は蔦の怒りに触れるだろう。復讐するは我にあり、と攻撃者に襲い掛かるだろう。だが欠点もある。攻撃をされなかった場合、暫く経つとこの術は所持者に襲い掛かる。なぜならば所持者は木精であり、木精は蔦の獲物であるからだ……。確実に襲われる。たかが蔦と侮るなよ。殺傷力は非常に高い。それも命の危険があると確信できねばこの術は使えない。だが今、俺の霊感はお前たち二人の死を予見した。このままだとまず死ぬ! だからやや危険な術だが、これを以て備えようというのだ。安心しろ。俺がこの術を使うと決断したからか、お前たちに死の影は視えない。まあ確実ではないし、もしかしたら普通に死ぬかもしれないが、それはその時だ。割り切ろう。では最後だ。この術は俺の詠唱を以て完成する」
──忌み蔦よ。お前はただ生きる事さえも許されない。然らば嘆き、狂え。生きられないならば死ぬがいい。だが殺せ。復讐すべき者はお前の傍らに
「よし、さあ、カッスル、カプラ。手を出してくれ。一滴でいい。血が必要だ」
額にやや汗を滲ませ、口端には笑みさえも浮かべながら、連盟術師ヨハンはカッスルとカプラに手を差し伸べた。皆沈痛な様子で、特にカッスルとカプラに至っては蒼褪めている。
長いセリフについては改行できません