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ゲルラッハの多忙

 ■


 この日、帝国宰相の地位にあるゲルラッハ・ヴェツェレは、その50年余にも及ぶ人生の中で実に二番目に多忙であった。

 一番目は当然“裏切りの夜”と呼ばれる皇族襲撃の夜である。


 あの日、ゲルラッハは一人の魔族、四人の貴族、そしてその他大勢の裏切り者共に決して癒えぬ死の病を与え、冥界の門の向こう側へと叩き込んだ。


 ・

 ・

 ・


 窓から外を眺めているゲルラッハの表情は、機嫌が良いものとはとても言えない。眉間に皺が寄り、そこを中心に微細な不快の波動が顔全体に広がっている。


「閣下」


 氷の短刀を思わせる声が執務室に響いたかと思うと、まるで夢が現実になったかのように、アイリスがゲルラッハの背後に現れた。

 肩まで伸ばした黒絹のような滑らかな髪に琥珀色の瞳が印象的な彼女には、実の所様々な顔がある。


 一つは侍女としての顔。

 一つは帝国宰相ゲルラッハの補佐官。

 そして最後の一つは…


 ■


「怪しい人物を捕捉しました。部下が確認し、具体的に何が怪しいかははっきり言えないようですが、彼らは本能的に危険を感じたそうです」


 アイリスの表の顔に不穏なものは一切ないが、裏の顔は不穏という言葉では言い表せないほどに不穏なものだった。

 宰相直属の粛清部隊『死腐りの牙』※1、その隊長を務めるのがアイリスだ。アイリスは多くの男性…時には女性をその美貌で惑わせてきたが、その業前で積み上げてきた骸の数はそれ以上に多い。


 “本能的に危険を感じた”などという報告は報告のていを成してはいないように思えるが、『死腐りの牙』の隊員は冒険者で例えると上級斥候にあたり、彼らの勘が“危険だ”と囁いたのならば、その信憑性には一定以上の確度があると思って良いだろう。


 ゲルラッハは彼女の報告を聞き、顎に手を当てて考え込んだ。

 そしてアイリスの腰に手を回し、彼女を引き寄せた。


「中域の鼠である可能性は低い、あちら側にも魔族からの襲撃はあるだろう。帝国へ回す余力はないはずだ。つまり…魔族である可能性は高いな。帝都への入都も笊ではないが、魔族は魔法に長ける。邪悪な精神感応を以て門番の精神を汚染し…という可能性もある。魅了の魔術なりなんなりでたぶらかされた門番は、碌に素性を確かめる事もせずに帝都への入都を許可するだろう。サチコ陛下の帝国全土へ及ぶ忠誠の大魔術…これを精神の内側から破る事は困難を極めるが、精神の外側からならば破る事は容易だ」


 ゲルラッハは太い指でアイリスの尻を揉みしだきながら、なおも思案に耽った。アイリスも慣れたもので、ゲルラッハのセクハラには何の反応も返さない。

 我慢をしているわけでは無く、“こういう事も含めて”アイリスはゲルラッハに仕えているからだ。


「監視を強めよ。といっても貴様ならば既にそうしているだろうが。もし件の人物が魔族の鼠であったなら、この帝都内で始末しろ。だが、手に余ると判断したならば無理をせず『クルワの広場』まで撤退せよ」


 ゲルラッハがそういうと、アイリスはゲルラッハの腰に手を回し、その身体を押し付けながら囁いた。


「ギルドを使うのですね」


『クルワ』の広場は帝都ベルンの中心にある大きな広場だ。

 冒険者ギルドに隣接しており、変事があれば冒険者達が駆けつけるだろう。


「うむ。儂は冒険者ギルドの顧問弁務官を呼び、『クルワの広場』を使った始末の段取りをつける。金等級も一人位は調達できるかも知れん」


 顧問弁務官とは、帝城に出仕している冒険者ギルドの職員の事をいう。ギルドは独立した組織であり、帝国との上下関係は存在しない。しかし両者は協力関係にある。

 ギルドの職員の帝城への出仕は、帝国とギルドが相互に利益を享受するための連携の一環と言える。


 ■


 退室していくアイリスを見送ったゲルラッハは、黒金等級冒険者『禍剣』シド・デイン※2について考えを巡らせていた。シド・デインは特異な存在だ。


 例え死んでも、転生し、再び命を得る疑似的な不死者。

 彼が転生を繰り返すことは一部の者のみが知っている。

 その実力は現代の冒険者と比べても隔絶していた。


 もしシド・デインが魔王暗殺のメンバーとして採用できたなら、その腕前は確かに大きな力となるだろう。しかし現在のシド・デインは転生したてでまだ幼く、その力量は十分なものとは言えない。


 もちろん幼くとも精神的には成人している。

 だが名目上は子供であるため、戦力として引っ張り出すことは困難だ。幼子を戦力として駆り立てることは、帝国臣民の人心を乱すだけでなく、ゲルラッハの上位者である帝国皇帝サチコにも容認されないだろう。


「こういう時に戦力として使えんとは…。永い時を生きたせいで頭がおかしくなったとはいえ業腹だわい…」


 ゲルラッハはボヤく。その力を活用できれば、戦局を大きく変えることができるかもしれない。しかし、シドには性格に難がある。

 彼は最初はまともな男だったのだが、延々と繰り返される人生の果てに精神は変容し、大分こじれてしまったのだ。


 シドの精神は不感症を患い、刺激を求めるようになった。

 刺激といっても悪行を為すようになったとかそういうわけではない。


 自身を慕う者を全身と全霊で救い、助け、その目の前で自身の身を犠牲にするような形で死ぬようになったのだ。


 例えば親しくなった仲間を安全な場所に逃がして、自分は魔物の群れと戦い、そして死んだり


 例えば呪いの毒に侵された令嬢がいたとして、その令嬢にかけられた呪いを解くために自分の身体を犠牲にするとか


 例えば、例えば、例えば…と枚挙に暇がない。


 自身を想い流される絶望と悲嘆の涙こそがシドの心を刺激し、シドはその時だけ生の実感を味わう。

 シドは十分に満足するために、自殺のようなナニカを実行に移すまでに誠心誠意で被害者へ尽くすから余計に質が悪い。


 そしてシドは死に、転生をする。

 そのサイクルは短く、死んだ翌月にはおぎゃあと産まれてくる。

 この第四次人魔大戦において、彼がまだ幼子であるというのは人類勢力にとっては不運であった。

 もしシドが成人していたならば、喜んで魔王を殺す為に果ての大陸へ赴いただろう。


「黒金等級冒険者は残り二人。あの魔女めと小娘…魔女は東域で魔軍に対応しているからいいものの、小娘はどこで何をしているのか…誰もあの小娘の居場所を知らぬとは」


 ゲルラッハは大きくため息を吐く。

 冒険王ル・ブラン直系の子孫である彼女は、真の意味での冒険者といっても過言ではない。


 世俗にはかかわらず、ただひたすら世界に広がる未知を既知とすべく冒険をしているのだ。

 天空都市、海底都市、地底都市、果ては天の最果て…星界。

 この世のすべてを知るために世界中を飛び回っており、とても助力を得られるとはゲルラッハには思えなかった。


 ■


 刻を告げる鐘の音が鳴る。

 それを聞いたゲルラッハは、そろそろか、とごちた。


 この日、ゲルラッハは弟子から相談がある為話がしたいと言われていたのだ。


 僅かな遅れもなく帝国宰相ゲルラッハの執務室に、再びノックが響く。はいれ、とゲルラッハが言うと、彼の弟子であるレナード・キュンメルが入ってくる。


 レナードは恭しくゲルラッハに一礼をした。


「良い。それで、相談とは?」


 ゲルラッハが短く問うと、レナードは真剣な目をして答えた。


「閣下、私はヨハンとヨルシカという二人の冒険者を魔王暗殺の一員として推薦したいと考えております」


 続けろ、とゲルラッハが促す。


「彼らはヴァラクで出現した強大な魔獣の討伐に成功し、エル・カーラを混乱に陥れた悪魔も討伐しました。さらに、アシャラの危機を救い、法神教の壊滅にも深く関与しています。帝国の諜報部がこれらを確認しています」


 帝国と法神教は折り合いが悪い。

 これは帝国の統治の基本方針として、皇帝への忠誠を最上とすべしというものがあり、例え神であろうともその序列に割り込むことは許されないという事情も関係している。


「法神教については儂も聞き及んでおる。にわかには信じ難い内容であったが。是非本人らから直接聞いてみたいものだ」


 ゲルラッハが言うと、レナードは同意した。


「全くです。帝国占星院が言う所の“凶星”…教皇アンドロザギウスの存在ゆえに、帝国は法神教を完全に締め出す事ができませんでしたが…聞き及んだ所よれば、魔術師ヨハンは“連盟”の魔術師だという事です」


 ほう、とゲルラッハが言い、ふと“魔女”の事が頭をよぎった。


「ヨハン…ヨハン…ああ、あの魔女から聞いたことがあるな。連盟の新人だったか。魔女の弟子だろう?」


 ゲルラッハは魔導協会の一級術師であり、"連盟"のことをよく知っていた。なぜなら、連盟の術師であるルイゼ・シャルトル・フル・エボンは協会にも所属しており、ゲルラッハと面識があったからだ。また、ルイゼには弟子がいると話に聞いており、それがヨハンだと思い至った。


「ヨルシカというのは知らんが…いや、待て。アシャラ王の庶子だったか」


 ゲルラッハは毛抜きで鼻毛を抜きながら呟いた。

 太い毛がぱらぱらと豪奢な絨毯に舞い落ちる。

 それを見て見ないふりをしながら頷くレナード。


「なるほど、その二人を魔王暗殺に加えることにしよう。段取りは任せる。それとアイリスには手筈を整えるよう伝えたが、あるいは帝都で戦闘が発生するかもしれん。貴族共を焚きつけておけよ。明日の夜までには選出した者達を東域へ送り込む。余り時間はないぞ、急げよ」


 ゲルラッハがレナードに命じると、レナードは恭しく一礼をして退室していった。


(時間との勝負だ。帝都は遅かれ早かれ襲撃を受ける。いや、アイリスの報告からすれば、既に鼠は入り込んでいるのだろう。だが、襲撃が本格化する前に戦力を東域へ送る必要がある。そして残された我々は彼らが帰る場所を守る…戦力の配分が難しいな)


 やれやれ、とゲルラッハは禿頭に滲んだ汗を手ぬぐいでふき取り、この日何度目かの大きなため息をついた。

※1

第113部分『★血の日①』:参照


※2

曇らせ剣士シドシリーズ(https://ncode.syosetu.com/s2800h/)

を参照

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まだまだ沢山書いてますので作者ページからぜひよろしくお願いします。
― 新着の感想 ―
[一言] クルワの広場か 初代様があの人だからねぇ
[良い点] 更新ありがたい。続き待ってます。
[一言] 更新うれしく〜♪  ゲルラッハ閣下もすこ♪
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