帝都の日常③
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「折角帝都に来たんだし、帝都の冒険者ギルドを見てみたいな」
その日の予定は、ヨルシカのその言葉で決まった。
ベルン市街を歩く2人は、細い道を行き来し、街の中心部にある冒険者ギルドへ向かっていた。道行く人々の様子を見ていると、やはり不安感や焦燥感というものも見られなくは無いが、ヨハンが思っていたよりは街は混乱してはいなかった。街から逃げようとする者も居ないわけでないが、そういった者の多くは他所から来た者達であり、元から帝都に住んでいる所謂帝国の臣民というのは比較的平静に思える。
(帝都は何処も“コレ”が覆っているな。噂に聞く皇帝の術か。単体では何も意味を為さない。故に代償は軽い。しかし影響下にある者の精神が特定条件下にあると途端に術は変質する。1つ1つは無害でも、合わせて初めて効果を為す毒というものがあるが…まるで…)
ヨハンは帝国が西域最大版図を誇るその理由の一端に触れた気がした。
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冒険者ギルドに到着すると、中には多くの冒険者たちが集まっていた。その中でも、特に目を引く者達がいる。明らかに他の冒険者達とは一線を画す覇気、意気、妖気を放つ者達だ。
「帝都の金等級だね。でも他の地域から来た冒険者もいるみたいだ。例えばほら、彼だ」
ヨルシカはそういいながら1人の冒険者に向けて顎をしゃくった。
ヨハンが見遣ると、腰に妙な剣を佩いている中年の男が仲間と見られる女性と何かを話していた。
「随分変わった剣だな」
ヨハンが言う。
中年男性は腰にコルク抜きの様な不思議な剣を吊るしていた。
「金等級冒険者『旋孔剣』のカッスル・シナートだ。私は情報通という訳じゃないけれど、あの特徴的な剣を持つ冒険者と言うのは他に聞いた事がない。突きの名手だよ。でも彼は冒険者じゃなくて探索者だと思ってたよ。帝都近くにもちょっとした迷宮はあるそうだけど、そこで仕事してたのかな?」
“探索者”という者達が居る。
彼等もまた冒険者ギルドのメンバーではあるのだが、冒険者が所謂何でも屋であるのに対して、探索者とは文字通り探索を主体とする者たちだ。
彼等は冒険者に比べて調査と狭所での活動に長ける者が多い。
この区別はあくまで内輪での話であり、世間一般的にみれば冒険者も探索者も共に“冒険者”ではある。
「魔族との戦争を稼ぎ時と見てやってきたのかもな。物資の補給、装備類の整備、帝都ならば多少戦況が激化しても問題はないだろうし。迷宮で一攫千金も悪くはないが、帝都を襲う者達の首も高値が付きそうだ。それに他の者達も相応にやり手だな。術師連中も中々大した妖気を醸し出している者がいるじゃないか」
ヨハンが不躾にならない程度に周囲に眼を配ると、西域でも相応に名の通った術師が何人かちらほらと見受けられた。
「悪事が露見していないだけほぼほぼ犯罪者と変わらない者もいるが、この人魔大戦でそういう連中も在庫整理できたらいいな」
ヨハンが皮肉気に言うと、ヨルシカは彼の手をぎゅうっと握り締めた。
「…ちょっと!声が大きいってば。…あ!ほら、もう…」
ヨルシカが首を振った。
ヨハン達を凝視する一対の視線があったからだ。
視線を辿れば、黒衣に身を包んだ1人の女性。
他の冒険者達とは違い、仲間らしき姿は見当たらない。
所謂単独冒険者のようだった。
女性が纏う黒衣は一見すれば一般的な術師の衣に見えるが、良く見れば生地と同じ色で細かい刺繍が入っていたり、脚の部分にはスリットが入っていたりとやや“一般的”からは外れたものであった。
身体の線がよく出ており、これは下世話な言い方をすれば男好きのする身体と言えるだろう。
衣服を抜きにして、単純な容姿はどうかという話でもその女性は抜きん出ていた。
美人が何をもって美人と呼ばれるかは人それぞれの好みにも拠るが、一般的には目鼻口の位置関係が特定の比率でもって配置されている事が第一条件だとされている。
そういう意味で女性の顔立ち、各パーツの配置は一毫の緩みもないほどに黄金比率を遵守していた。
こういった美人は通常冷たい印象を与えてしまいがちだが、彼女に限ってはそうではない。
頬から顎にかけて優美な曲線が描かれ、美しさと柔和さが見事な塩梅で表出されている。
豊かな髪の毛は艶めいており、日々の手入れを怠っていないようだ。
女性であるヨルシカの目から見てもその女性は美しかった。
美しさにも品があるものとないものがあり、これはどちらが優れているかという話ではなく、適度に品がないほうが異性からの受けが良かったりするものだが、その女性の美しさは上品過ぎず下品すぎずといった塩梅だった。
ゆえにちらりとヨハンの様子を確認するヨルシカの心情を、小娘めいた嫉気と断じるというのはやや早計に過ぎるというものだろう。
しかしヨハンの様子はヨルシカの予想とは大分異なっていた。
ヨハンは鼻の下を伸ばすどころか目つき険しく、要するにメンチを切っていたのである。
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「やはり、始まってしまったのですね…」
ヨルシカはぎょっとする。
なぜなら黒衣の女性が大きな瞳一杯に涙を溜め、流していたからだ。
そして隣からは舌打ち。
ヨハンのものだろう。
「悲しい…わたくしはとても悲しい。嗚呼、神様、なぜこのような試練を与えるのでしょうか…。わたくしは帝都の皆さんを愛しているんです。人魔大戦…恐ろしい…人と魔の争い。そんなものが起きたのならば、わたくしの愛する帝都の人々はどうなってしまうのでしょうか。一体どれ程の被害が出て、どれ程の命が失われるるのか!…聞こえますか?私の心が軋みをあげ、罅割れる音が」
女性は自身の胸に手を当て天…というか天井を仰いだ。
頬を流れる涙が顎にまで伝う。
ここでヨルシカが感得したのは、ギルドでいきなり変な事をしている頭のおかしい狂女への隔意ではなく、むしろ神聖性であった。
周囲の冒険者達も何か尊いものを見たような表情で女性を眺めている。
だが先に話にでたカッスル・シナートなどといった実力者達はむしろ憮然とした表情を浮かべていた。
そして舌打ちがもう一つ。
音の出所はヨハンだ。
「おい、ヨルシカ。気をつけろよ。精神干渉を受けているぞ。敵意、害意は無い一番面倒な奴だ。ある種の理念に基き生きている。その生き様が術と成っている」
言いながらヨハンは義手の方の手でヨルシカの頬へ触れた。
その冷たさはヨルシカの思考を冷やし、術の影響下から脱却させる。
「害意を有する術ではないからな、種を知らない者には通ってしまうか」
あら、とゼラは口元に笑みを浮かべる。
そこには一切の嫌味や悪意はなく、むしろヨハンに対しての尊敬、あるいは賞賛の気配が漂っていた。
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魔術結社“添え月の処女院”の当代院長、金等級『死乙女』のゼラ。
帝都では恐るべき精神感応系魔術の達人として知られている。
とはいえ、周囲に危害を加えるような人格破綻は来たしていない。
むしろ慈愛に溢れていると言っても良い。
帝都の学院に通わせられる経済的余裕を持たない平民達に対して、寺子屋のごとく読み書き算盤を教えたりもしている。
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ちなみに冒険者には院の運営資金を稼ぐ為に報酬目当てで登録をしており、これまで賞金首狩りなどで多くの功績を残してきた事を評価され金等級に至った。
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魔術結社“添え月の処女院”は元はと言えば四代の治世の初期に建てられた修道院である。
先帝ソウイチロウの時代も酷いものだったが、当時の皇帝の時代はさらに酷かった。
戦乱帝とも称されるかの皇帝の治世下に於いて、男達は次々に軍に取られ、そして死んでいった。
結果としてレグナム西域帝国の寡婦の比率は爆発的に増加する。
そして、女性が独り身のままでいるというのはいつの時代もトラブルの元になるのだ。
ましてや戦乱の時代であるならば。
そんな時代に魔術結社“添え月の処女院”の前身である修道院は力無き女性の保護を名目として建てられた。
これは例えて言うならば駆け込み寺である。
その初代院長マグダレナは院の運営をしていく内に、当然のように壁に突き当たった。
それはいくら修道院が女性達を保護しようとしても悪意には限りがなく、無力な女性を食い物にしようとする邪な手が無限を思わせる際限なさで修道院に伸びてきたことである。
悪意に反発しようとすれば、その反発に対して対策を施したさらなる悪意に晒される。
そこでマグダレナは考えた。
であるならば悪意を反転させ、好意、善意へと変えてしまえばいいのだと。
マグダレナは真っ当な人であったから、薬を盛ったり悪党の家族を人質に取ったりはしなかった。
逆に女性を攫おうとしたり修道院に侵入してくる不埒者を捕縛し、マグダレナの溺れるほどの慈愛で包み込んだのである。性根から悪に染まりきって生まれてくるものなどはいないという信念に基いて、マグダレナは次々に悪党達を監禁溺愛していった。
どうしても逃げようとする者は脚を切断するなどして対処し、日常生活の全てを支えた。
好意を、善意をもって相手に接すれば、相手もまた好意、善意を返して当然だというマグダレナの強い想いはやがて時を経て術へと昇華した。
悪意なき好意は敵対者の精神を汚染し、こちらへ危害を与えようという意思を挫かせる。
この術を破るには意ではなく理をもって危害を加えなければならない。
もしくは術者の慈愛を以ってしても好意を抱けぬほどの外道、鬼畜に成り下がるか。
そして修道院は先帝ソウイチロウの治世の初期、魔術結社“添え月の処女院”として形を変え現在に至る。
なぜ修道院が魔術結社としてあり方を変えたのかといえば、これは帝国からの支援・保護を受けるためだ。
先帝ソウイチロウの時代もやはり帝国は戦乱に明け暮れていたのだが、ソウイチロウは魔術の持つポテンシャルを大きく買っていた。よって術師達はその業前を帝国の発展の為に役立てる代わりに、経済的な支援などを受けてきた。
当時の院長も帝国の魔術への姿勢を理解しており、またその頃には自身らが扱う不可思議な力が魔術によるものだという事も解していた。
院に継承されてきた術は強力だが完璧なものでは無い。
だから当時の院長はか弱き女性達を護るため、帝国からの魔術研究の支援、経済的支援を受ける事をきめ、魔術結社として再出発したのである。
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そうだ、という声が横合いから飛んでくる。
ヨハン達が目を遣ると、そこには先ほど話に出た金等級冒険者のカッスルが立っていた。
「彼女は『死乙女』のゼラ。好意双反響の秘術を攻撃的なものへと変質させた異端者だ。彼女は勝手に愛しては対象が害されると勝手に悲嘆し、愛の復讐者と化す。余計なお世話の権化と言っていい。一応忠告しておくが、この帝都で気に食わない奴がいても、彼女の前では殺したりするなよ。見られると襲ってくるぞ」
ゼラはカッスルに華やぐような笑顔を向けて言った。
「冷たい事を言いながらもカッスル様はこの危機にあって助力の為に馳せ参じてくださいました。貴方様こそまさに愛の剣士ですわ」
それを聞いたカッスルの表情はまるで大油虫を生きたまま飲み込んだような表情であった。
※大油虫※
イム大陸全域に亘って広く分布している体は平らで細長い昆虫。一般的には茶褐色で、脚や触角は長く、生息環境に応じて体型や大きさが異なるが、一般には1.5〜3セント程度の大きさ。素早く這い回り、残飯などを漁る。見た目は悪いが、佳く増える上に焼いて食べれば美味しい為に緊急時の非常食となる事もある。