帝都の日常②
◆
四人はしこたま飲んだ後、店で解散した。
日は沈んではいないが、すっかり傾いてしまっている。
店を出たヨルシカとヨハンはやや頬を赤くしていた。
頬が熱しているのがきになるのか、自分の頬をぺたぺたと触りながらヨルシカが言った。
「結局結構吞んじゃったね」
ヨルシカの言にヨハンは再び頭を下げた。
「済まなかったな。少し話が弾みすぎてしまったよ。俺はこれから買出しにいく。先に屋敷に戻るか?」
ヨハンがそういうと、ヨルシカは首を振った。
「いいよ、一緒に行こう。あ、私が買った分は屋敷に置いてあるから」
ヨハンはうんと頷き、空を見上げた。
厭な感じはするが、霊感に訴えかけてくるほどでもない気配にほんの僅かな安堵を覚える。
これまで以上の危険な戦い…自分かヨルシカが、あるいは両方が死んでしまうかもしれない、そういう戦いなど関わりたくは無い。
無いが、逃げてもどこに逃げれば良いというのか?
大陸そのものから脱してしまうか。
それもいいかもしれない、とヨハンは思う。
思うが。
「ヨハンは少し変わったからね」
ヨルシカがそんな事を言った。
「以前の君なら、失う事を恐れて臆したりはしなかったと思う。進むにせよ退くにせよ、きっぱり割り切っていたはずだ。でも、今の君は違うね。私を失う事を恐れている。友人にも至らない、ちょっとした知人の命を惜しんでいる。その変化に君自身が気付いている。そして君はそれを弱さだって思ってる。だからそんな不安そうにしてるんだ。弱くなった自分で魔族とどこまでやれるのかってね」
ヨハンは苦笑した。
その通りだったからだ。
「でも以前のヨハンより今のヨハンのほうが出来る事は多くなってるはずだよ。私も魔力を扱うからよくわかる。君から感じる力は以前より遥かに大きい。だったら君が感じている弱さっていうのは心の問題だ。因みに私は君が弱くなったとは思っていないよ」
そうだな、とヨハンは頷く。
「一応聞いておくけどヨハンには今失いたくないものがいくつもある…その一番は私だ。そうだね?」
妙に圧のある笑顔に、ヨハンはレッド・カウのように頷いた。普段とは逆の構図である。
なお、レッドカウとは赤い体毛が特徴的な牛に似た魔獣だ。
まるで頷くように首を上げ下げしつづけるという奇癖を持つ。
この魔獣は本来イム大陸には生息していないのだが、暫く前に外界交商船が番いを連れてきて、イム大陸で繁殖を試み、現在ではそこそこの個体数が存在する。
外界交商船というのはいわゆるイム大陸の外、例えば極東の国々やあるいは更に遠方の国との商取引を行う為に運用している巨大商船である。
レグナム西域帝国が資金援助しており、安全な航路が確立すれば世界はもっと広がるかもしれない。
「それならいいんだ。でも魔王が生きている限り、世界は魔族の脅威に晒され、私達の生きていける場所はどんどん狭くなっていってしまうかもしれない。逃げ回る人生なんて私達らしくない。だからこうする事に決めた。以前君は私の為に神様を殺してくれたね。私はそれを手伝った」
ああ、とヨハンは応じた。
「なら今度は私が君の為に魔王を殺してあげる。私の業はあの怪物の命にも届いたんだから、魔王にだって届くだろう。ヨハン、君はそれを手伝ってよ。…あ、あのお店だね。よかった、まだ開いてるみたいだ」
ヨルシカが店に向かっていく。
その背を見るヨハンの心中は何か不可解な思いで占められていた。
――俺の為に、か
ヨハンは他人の為に、目的の為に自身の命を賭け金とした事は何度となくあった。しかしヨハン個人の為に命をかけようとしたものは居なかった。
ヨハンの使う魔術や戦術が自身を代償にするものが多いのは、彼が抱える自暴自棄めいた何かのせいなのかもしれない。
“公平さ”を求めるヨハンだからこそ自身が身を切る事の多さに自棄になった。ならば切る身がなくなるまで切ってやろうじゃないか、というような。
それはある意味で浅ましいのかもしれない。
正当な見返りを求めたがるというのはいかにも俗だ。
しかしヨルシカの言葉はヨハンに妙な感慨を齎した。
なにか、自分が求めていたものを与えられたような気がしたのだ。
「ねえ、なんで突っ立ってるのさ! 早くきなよ!」
ヨルシカが店の前で叫んだ。
ヨハンは軽く駆け出す。
妙な不安、懸念。
ヨハンの中からそういったものはすっかりと消えていた。
東から訪れるという勇者とやらを人間爆弾に変えてでも魔王を始末する、そう腹を括ったのである。
yell out secretがヨルシカの名前の由来です