戦場百景⑩~エル・カーラ防衛戦㊥~
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「運気とはね。そういう事を言う様には見えないがね。ま、良い。それで…2人同時に来るかね?」
ユルゼンの視線の先には彼を睨みつけるアリーヤの姿がある。
犬歯をむき出しにして、まるで理性を失った雌魔狼のようであった。
ぽたり、ぽたりと音がする。
ミシルの水筒から水が垂れているのだ。
それをちらりと見たミシルは水筒を手にもったままアリーヤのほうを振り返って言った。
「アリーヤ、ここから離れなさい」
「嫌ですわ!」
即答であった。
ミシルの眉はたちまちへにょりとハの字になり、その様子を見たアリーヤはぷっと吹き出してしまう。
「申し訳ありません。でも逃げ出すことは致しませんわ。というよりどこへ逃げればいいのでしょう?下手に離れたらあの気持ち悪い犬っぽい怪物にガブリってやられてしまいそうですわ。やはり…」
アリーヤはそこで言葉を切ってユルゼンに目をやる。
その視線からは恐怖でもなく不安でもない何かが香っていた。
正体不明の香りだ。
しかし危険な香りだ。
「やはり…隙がなくては…。私は遅いですし…お師匠様がどうにかして下さいますの?」
ミシルはその香りを嗅ぎ取った。
そして“確かに”…と頷き、ちらりとユルゼンを見遣って言った。
「弟子を巻き込みたくないのですが、何か良い案はありますか?」
ユルゼンは眉を上げ、私に聞くのかね、と少々呆れている様子であった。
「その辺に待たせておけばいいのではないかね?君が死んだら次はお弟子さんの番だ。先ほども言ったが、2人同時に来たまえよ」
ミシルは首を振った。
「それでは貴方が彼女を狙うでしょう?それをされたくないから私は尋ねているのです」
ユルゼンは呆れたように首を振り…ハッと表情を変えるなり、素早くその場から飛びのいた。
すると、それまで彼が立っていた場所に同時に鋭い氷の杭が何本も飛び出してきた。
こういった術は水気を生みだし、それを凍てつかせ…という手順を要するが、ミシルは水気を生み出す手順を省いた。手に携えていた水筒はそれなりに容量があるが既に空っぽだ。ミシルは水筒の水を地面に吸わせ、それをユルゼンの足元まで導き氷杭を生成した。
――炎戟の華、熾烈を髣髴とさせし烈風
――燃ゆる刻よ、鮮やかなる炎を秘めて
アリーヤが長杖の先端を地面に向け、密やかに詠唱を謳いあげるとそこから爆発的な推進力を生み出す炎が噴出し、アリーヤを前方に吹き飛ばした。
爆炎を利用した高速移動の術である。
「顕れなさいましッ!」
そして後段の詠唱によって長杖の先端から吹き出ていた一条の炎が刃の形に収束し、アリーヤはそれを横薙ぎに振り切った。
紅い軌跡が真一文字に宙に描かれ、唖然とした様子のユルゼンの胴体は真一文字に切り裂かれる。
「てごたえがありませんわね!ド畜生!」
ある程度殺しに慣れた者ならば、自分の攻撃が相手の命に届いたかそうでないか位は分かるものである。
この時点のアリーヤはそれが分かる程度には実戦経験を積んでいる。
アリーヤは毒づき、石火のような早さでその場を飛びのいた。脳裏に死神が手を差し出して自身の襟首を掴もうとしている姿が想起されたからだ。
要するに厭な予感、というやつである。
予感は過たず、両断されたはずのユルゼンの上半身と下半身が何事もなく再接合され、そればかりか身体の至る所から切れ味鋭い水の刃が放散された。
迫る水刃をかわす余裕はない。
5、60セントもの刃は一撃でも受ければ致命傷になりかねない。
アリーヤは先ほど形成した炎刃を見るが、それはすっかり勢いを失っている。
(これでは撃ち落せませんわね。でも…)
アリーヤの背後から氷柱が何本も飛来し、正確無比に水刃を狙い撃った。ミシルの術だ。
水刃は氷柱を切断するも、砕けちった氷柱の氷片が水刃に混じり、ユルゼンの魔法は構成を崩してその場に落下した。
魔法だろうと魔術だろうと、相対する二つの事象がカチあえばどちらが事象を制御するかで鬩ぎ合い、結句、どちらかがどちらかの制御を奪うか、あるいは相殺して双方の事象が消滅する。
◆
「甘い事を言ってるかと思えば堂々と騙し討ち。私は嫌いではないよ、君達のような者は。精々殺り合おうじゃないか。しかし皮肉なものだ。我々を倒そうと考えているようだが、我々がいなくなればどうなるか分からないとは…」
ユルゼンの口調はどこか投げやりだった。
まるで望んで戦場に立っているわけではないような、そんな気配がする。
「……?どういうことですか?あなた方魔族は人類種を滅ぼし、この大陸を自らの物としたいのでしょう?私達が貴方達を倒そうとするのは当然の理屈では?」
ミシルが問うと、ユルゼンは皮肉気に嗤って答えた。
「ああ、君達は“アレ”を知らないか。いい気なものだ。ところでなぜ我々が君達を劣等と誹謗するか分かるかね?生物としての格の差を以って言っているわけではない。“アレ”を我々に押し付け、自身らは繁栄を享受し、そして我々を悪と断じる道化っぷりを嗤っているのさ。我々を滅ぼしてどうなるのか、考えた事があるかい?誰があんなモノらと対峙して、それを抑えているのか。それは我々だ。我々がいなくなれば世界は“アレ”の眷属で満たされるだろうよ」
ミシルはユルゼンの瞳に確かに恐怖に似た何かが過ぎるのを見た。強大にして傲慢、人間を劣等と見下す残虐無比。
それが魔族。
それが通説。
(或いは私達は何か思い違いをしているのかもしれません)
ミシルは内に湧いた懸念を抑え、杖を構えた。
アリーヤも既に臨戦態勢だ。
ユルゼンはそんな2人に笑みを投げ、両の腕を大きく広げた。
「我々は大陸に戻らなければならない。果ての大陸は…あの地は神を降ろすには余りにも穢れすぎている。母なるあの大陸で我等が神に再び降臨願い、“アレ”を打ち倒さねばならない。穢れが世界へ広がる前に!…君等は私がなんと言っているか分からないだろうがね。…さて、少し語りすぎたか。そろそろ……」
ユルゼンが言葉を切る。
すると、見る見る内にその体が霧と化し、周囲に拡散していった。
モンハンやってる人なら分かるとおもいますけど、アリーヤのアレはガンランスみたいなかんじです。