戦場百景⑨~エル・カーラ防衛戦㊤~
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エル・カーラ西門では激戦が繰り広げられていた。
交戦開始当初は西門に展開した術師達が遠距離攻撃術式を盛んに投射していたが、“尖兵”や“犬”らの機動力、突破力に白兵戦を余儀なくされる。
剣士も術師も魔力を扱うが、剣士は自身の内側に魔力を流す事を得手とし、術師は外側に流す事を得手とする。
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――纏い、力み、隆起せよ
――岩纏鎧
岩の鎧を身に纏った騎士…岩騎士が大地を凄まじい速度で滑走していく。
脚をばたばた動かしているわけではない。
それは正しく滑走であった。
岩騎士は中腰に落とし、体勢を安定させながら高速移動している。この騎士は誰なのか?
魔導協会二等術師コムラードだ。
先の戦いにおいて機動力の不足を実感した彼は、それを術師ミシルに相談した所、接地部分の摩擦を極小にした上で風の術を追い風とし、滑るように移動してはどうかと提案され、それを実行に移したのである。
――聳える岩鱗、烈怒滾りて飛矢と為せ
コムラードが片腕をあげ、魔軍の群れに掌を向ける。
「我輩からの馳走を受け取れィ!」
コムラードの岩の鎧で覆われた腕から、たちまちに岩の棘が伸び、そして弾丸のように発射された。
魔軍に岩の棘弾が次々に着弾し、炸裂していく。
それは火勢を伴う炸裂でこそないが、魔軍に、とくに“犬”のような存在にことさら効果的に作用した。
“犬”は厄介だ。
素早く、ミキサーのような歯で食いつかれれば金属鎧だって引き千切られる。身体全体に不気味な眼があり、この見た目も戦気を挫く要因になる。
しかも眼はかざりではなく、“犬”の視界確保にしっかり貢献しており、馬鹿正直な軌道の攻撃はおろか不意打ちの類も通用しない。
こんなものがウジャウジャいるとくれば、対峙する方としてはもう堪らないだろう。
“犬”を効率的に始末するには点ではなく面の攻撃が必要だ。
回避行動を取ろうとしても間に合わない、そんな密度でまとめて始末してしまえば良い。
コムラードの放った砲弾は炸裂時に広範囲にわたって岩の切片を撒き散らし、これは犬の動体視力をして回避が困難なものであった。
コムラードの雄姿に防衛隊が沸き、士気が大いに向上した。
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勿論コムラードだけが魔軍に立ち向かっているわけではなく、他の術師達も長杖から炎の刃を生成して斬りかかったり、曲芸師のように後転を連発しながら靴に仕込んだ起動具から風の刃を飛ばしたりと奮戦していた。
しかしやはり尖兵や犬といった魔軍の主要な戦力の身体能力は非常に高いもので、拙い体術、剣術を操る術師達は1人、また1人と凶刃に斃れていったのである。
これはもう仕方がない事だ。
コムラードをはじめ、近接戦闘に長ける術師というのはそう多くは無い。
だがこの防衛戦、なぜ都市内に籠らないのか。
近接戦闘が苦手と言うのならば篭城戦をすればいいのではないか、という疑問もある。
答えは簡単だ。
そもそもエル・カーラが大結界ありきの防衛構想で建てられたため、下手に篭城をすると防衛点が増えすぎて守りきれなくなるという致命的な問題があるのだ。
では大防壁なる防壁は何の為にあるのか?
それは近隣の山脈に生息する地竜への備えである。
都市防衛の為のそれではない。
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戦場に生の花が咲き乱れ、咲き誇った花々を死神の鎌が絶え間なく狩っていった。
魔導学院非常勤講師、三等術師スナイデルが両手に氷刃剣を携え、1人の尖兵に躍りかかった。スナイデルは元銀等級上位の冒険者だった四十路の中年男性だ。
長年剣士として生きてきたものの、実は魔術の才のほうが大きかった…という、まるで物語の主人公のような男であった。
対峙する尖兵は勇壮魁偉な体躯の大鬼だ。
新緑色の肌は古傷だらけで、この一点を以っても大鬼が歴戦の勇士である事が窺える。
大鬼の名はバギン。
大鬼種の中の、とある少数部族の族長である。
バギンは人類至上主義が蔓延るこのイム大陸では、もはや氏族の栄達は望めないとして魔族に与した。彼のような亜人種が魔族に与する例は決して珍しくはない。
この人類至上主義という意識は、何も国が率先して掲げているというわけではなく、もう長い事延々と殺し合いを続けていた弊害で無意識に刷り込まれてしまっている意識であった。
――なぜ亜人種を排斥するのか?
――敵だから
人々の意識に定着してしまったこの差別感情を拭い去る事は出来るのだろうか?
この戦争…果たして人類種が善なのか?
魔族のような亜人種は無条件で悪なのか?
それらの疑問を快刀乱麻を断つが如き答えなどはない。
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右の手に巨大な戦斧を携えており、全身に重厚な黒光りする鎧を着こんでいるバギンは自身に挑みかかってくる矮躯の戦士に不敵な笑みを向けた。
スナイデルが振り下ろした左剣がバギンの掲げた戦斧に防がれ、氷剣が砕け散る。
にやりと笑うバギンに、スナイデルもまた不敵な笑みを浴びせた。
交差する視線に憎悪と敵意はなく、むしろ友情めいた何かがそこにはある。
ただし、折角の友情もただちに訪れるどちらかの死を以って終焉を迎えるが。
「舞い、穿て!」
砕けて宙空を舞う氷片がたちまち静止し、鋭い切っ先をバギンに向け襲い掛かった。
同時にスナイデルの右剣が弧を描いてバギンの首元を狙う。
スナイデルが得意とする二段構えの殺技だ。
バギンの片目を氷片が穿った。
堪らず体勢を崩し、しかし戦斧は手離さない。
だがそんな僅かな隙が戦場では命取りだ。
もはやバギンには、スナイデルの一撃を回避する時間的余裕は無かった。
バギンは自身の首に迫る刃に必殺の気迫が込められている事を認め、最期に自身を打ち倒すであろう猛者の姿をその眼に焼き付けようとする。
だがバギンの視界に映ったのは、“犬”により脇腹を食いちぎられたスナイデルの姿であった。
“犬”の口内は不規則に生えた乱杭牙でまるでミキサーのようになっている。
獲物に食いついた“犬”は全身を回転させ、死を描く。
重要臓器を損傷したスナイデルは倒れ伏し、一言で言えば死にかけていた。
ここは戦場であり、決闘などというものは本人同士の自己満足に過ぎない。
それはバギンにも分かってはいることだが、感情を理屈で説明する事は愚の骨頂である。
激発したバギンは“犬”の首根っこを握り締め、その顔面を食い千切った。
死にかけているスナイデルとバギンの視線が交錯し、両者の間には目に見えない会話が交わされる。
スナイデルから不可視の何かを受取ったバギンは、強敵に対する尊敬と、決闘を邪魔された事に対する慙愧の念を両眼に滲ませ、そして戦斧を横薙ぎに振り切った。
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――逝きましたか、術師スナイデル
スナイデルに戦斧が振り下ろされる所を見てしまったミシルが、その無表情を装う仮面に僅かな哀切を滲ませる。
ミシルはスナイデルとは顔見知り程度だが、それでも同胞であり、同僚である。
その死を防ぐためならば杖を振る事を厭う積もりは無かった。
しかしそれが出来ない理由がある。
「アリーヤ、自身の身のみを護りなさい。私は彼の相手を致しましょう」
ミシルの絶対零度の視線の先には1人の魔族が立っていた。
ガウンを纏った男だ。
蒼い肌、そして血の色の瞳。
異様な口元だった。
唇がない。
歯が外気に触れている。
何十本もの、とても正常とはいえない本数の歯が口元に並んでいた。
余りにも悍ましい姿、しかしその声は明朗で、快活さすら滲んでいる。
「話は終わったかね、お嬢さん。お弟子さんは逃すと良いさ」
――どうせ、逃げ場なんてないのだから
魔族の呟きが風に紛れ、消えた。
“指”の一指、魔将ユルゼン。
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ミシルが懐から筒のようなものを取り出した。
飲料水を詰めた小さい水筒だ。
蓋を開け、携えたまま静かにユルゼンを見つめている。
その瞳には何の感情も浮かんではいなかった。
ユルゼンは“何をしているのか”などと阿呆な質問を投げる事はなく、代わりに右手の2本の指を立て、左肩の位置まで引き上げてそれを横薙ぎに振った。
水鞭が生成され、急襲する。
いや、それは鞭というには余りに殺傷力が高すぎた。
水鞭が唸りをあげ瞬時に殺戮の円環を戦場に描く。
彼我の距離は12、3歩の距離でしかないが、その倍の更に倍する範囲の尖兵、犬、そして防衛隊の術師達の胴体が両断された。
水鞭はミシルの細い身体に詰まった内臓をぶちまけようと迫り、そしてその構成を崩して地に垂れ落ちる。
ユルゼンが眼を細めミシルを見た。
ミシルは水筒の水を水鞭にぶちまけたのだ。
水鞭に自身の支配下にある水をぶちまけることで、ユルゼンの制御権を一時的に奪い、水鞭の構成を崩して無効化した。
「仲間もお構いなく、ですか」
この時初めてミシルがユルゼンに言葉を投げかけた。
ミシルの視界の端々にはユルゼンに殺された術師達、尖兵ら、犬の姿が映っている。
「甘い事を言うね。戦場は初めてかな、お嬢さん」
ユルゼンの言にミシルは答えない。
代わりに瞳に宿る冷気が強まった。
「私は研究肌なんです。戦いは好きではなくって…。でも、貴方のような方なら、早めに取り除いてしまうほうが宜しいのでしょうね。最近は研究も失敗が続いています。このあたりで徳を積んでおきましょう。少しは運気も良くなるかもしれません」