帝国へ⑫
◆
「ヨハン殿はなんというか、術師というよりは詐欺師のようですな…いえ、誹謗するつもりはないのです」
苦笑しながら言うゴ・ドに、ヨハンは胡散臭い笑みを浮かべて応じた。
「魔術は世界の法則を一時的に騙すもの。よって術師自体が詐欺師のようなものでしょうから、あながちそれは間違っていませんね。それに魔術どころか、世の営みすべてが偽りのものではないか…そう考えた事もあります」
というと?というゴ・ド、そして満面の笑顔のザジ。
「ガキの頃の話ですが、当時俺は色々とツイてなかった。路上住まいのガキだったのですがね、ある日、なぜ俺にはこうも都合悪く不幸が訪れるのだろう、と思ったんです。果たして俺は現の存在なのだろうか、誰かの夢の登場人物に過ぎないのではないか、と。ほら、よくあるでしょう。登場人物を必要以上に悲惨な目にあわせて、それを見て悦に浸るような悪趣味な物語が。それを確かめるため、俺は腹を刺しました」
ゴ・ドはヨハンの言葉に眉を上げ、そしてザジは脳が困った奴を見るような目でヨハンを見ながら聞いた。
「…どうでしたか?」
ザジの問いにヨハンは首を横に振り、苦笑を浮かべて答えた。
「危うく死ぬ所でした。放置されていたら間違いなく死んでいましたが、ミーティスという少女に命を救われましてね。まあ彼女が奉仕依頼で街の掃除をしているときに、路上でくたばりかけていた俺をみつけたのです。まあその時は2度目の出会いだったのですがね…。おっと失礼、話が脱線してしまいましたね」
いえいえ、とザジが酒をヨハンの杯に満たした。
ほらほら、とゴ・ドが炒った豆の皿を突き出してきた。
「凄腕の術師殿の幼少時代、是非お聞きしてみたいですなあ」
ゴ・ドの言葉にヨハンは苦笑を浮かべて過去を思い出す…
◆◆◆
「そうなんですね、えっと…よくわからないんですけど、死ぬ気は無いのにお腹を刺したんですか…。それで…その、この世界が本物かどうか確かめるために…?」
少女は困惑気に少年に言った。
少女の名前はミーティス・モルティス。
少年の名前はヨハンと言った。
「文句あンのかよ」
壁によりかかり、無作法な姿勢で座るヨハン少年はまごうことなきチンピラであった。
「いやぁ…ないですけど…あ、お腹。手当てしましたけど、あんまり動かないでくださいね。私、治癒の術は苦手なんです」
疑念に満ちた視線がミーティスを貫く。
全く信じていないという目だった。
ヨハン少年の目から見て、ミーティスはどう見ても聖職者であった。そして、聖職者というものは怪我や病を癒す術というものを使える。それくらいは路地裏のチンピラクソガキのヨハンでも知っていた。
(糞ッ。俺がこんなナリだからちゃんとした術を使いたくねえって事か。でも確かにそうだ!払う金がねえから俺には文句を言う資格はない)
「そうかよ、でも手当てしてくれてありがとう…ございます…ッ」
ギリギリと歯を食いしばるヨハン少年は頭を下げる事によほど抵抗があるようで、そんなヨハン少年の様子にミーティスはなんだかおかしくなってくすりと笑ってしまった。
ちなみにミーティスは本当に治癒が苦手だ。
最低限の法術は使えるが、総じて出力が低い。
彼女が信仰を捧げる神はある特定の分野以外では、こういっては不敬だが神界隈でもポンコツなのだ。
「なんかヨハン君って律儀ですよね。最初に出会った時もそうでした。私が迷っちゃって、それで道の脇で寝ていたヨハン君にたまたま会って。それで話を聞いていたら、悪い人達が2人がきて」
ミーティスは当時の事を思い出す。
不逞の輩を前に、ヨハン少年がおもむろにしゃがみこんで震えだしたのだ。
それを怯えていると勘違いしていた不逞の輩はすっかり油断しきって、ヨハンが唐突に投げつけた投石を目に受けて転がり悶えた。
そして唖然としているもう1人の股間を盛大に蹴り上げたのだった。
「殺さないでやった。助けてやるから金を出せよ。女、あんたは…いいや、俺が勝手に助けた事だもんな」
そんな態度に不器用な公平さを感じたミーティスは、それからなにかとヨハンに会いに路地裏を訪れていた。
◆
頭をあげたヨハン少年は、不意に地面に耳を当てた。
それを最上級の謝罪だと勘違いしたミーティスはあわててヨハン少年を抱き起こそうとする。
「そ、そこまでしないでください!だめですよ!男の子なんだからっ」
そんなミーティスに、ヨハンはシッと口に指をあて黙るように指示をした。
「…糞ッ!なんだかしらねえけど沢山人が来る!おい、急いでココを離れるぞ!」
ヨハンがミーティスの腕を引いてその場を離れようとするが、暗がりから複数の薄汚い男達が、しかもヨハン少年とミーティスの逃げ場を塞ぐように二手に分かれて現れたのだ。
男達は実に6人居た。
中には刃物を持った者もいる。
「おいおい、どうした?急ぎの用事でもあるのか?クソガキ」
男の人がヨハン少年達に話しかける。
その声色には敵意という名の苦いシロップが多分に塗られていた。
ヨハン少年はちらりとミーティスを見た。
目線を動かす僅かな時間に、ヨハンはミーティスを見捨てて逃げるかどうかを検討していた。
6人には勝てない、ましてや凶器なども持たれていては。
しかし見捨てて逃げるのならばわざわざ顔を見る必要などはない。
例えば処刑人などは、処刑される者に情を抱かないために袋を被せてからその首を断つという。
それと同じだ。
直ぐに死ぬ者、どうあっても助ける事が出来ない者の顔を見る意味はない。
結局、ヨハン少年は本心ではミーティスを見捨てたくないのだ。だから見捨てない理由を探す為に顔を見たのである。
ところがミーティスの表情は無表情…いや、虚無と言ってもいいほどに感情が浮かんでいなかった。
――諦めてるのかコイツ?
ミーティスの無反応を諦念と勘違いしたヨハン少年は、にわかに怒りが湧いてきた。
――どうせ俺がお前を見捨てるとでも思ってるんだろう
――だからそんなツラしてるんだな
――俺がそんな弱く見えるかよ…トサカに来たぜッ!
ヨハン少年の腹がかたまる。
◆
「おい、クソガキ。てめぇがイカれた野郎だって事はしってる。だがよ、俺はてめぇを買ってるんだ。光物だしてもビビらねえ奴は中々いねえよ。腹が据わってやがる。だからよ、ここは見逃してやるからそこの女置いてけ。俺らの邪魔ァするな。いいな?てめぇも俺達6人をどうこうできるなんて思ってねぇだろ?」
ヨハン少年は俯いた。
怒りで歪んだ表情を隠すためだ。
――どいつもこいつも俺を舐めやがって
顔を俯かせる瞬間、ヨハン少年は周囲をさっと見渡した。
武器になるものがないか探したのだ。
しかし、都合の悪い事にそんなものは見当たらない。
じゃあどうするか、とヨハンが策にもならない策をどうにかこうにか形にしようとしていた時、その場に清廉な声が響き渡った。
ミーティスだ。
ミーティスは無表情のまま、凪いだ声色で言葉を紡いだ。
「いいですよ、ヨハン君。私を差し出してください。ヨハン君は脅迫されたんです。だからそれは悪い事ではありません。でも……」
――貴方達は、違いますよね
◆
「貴方達は悪い事をしていますよ…?このままじゃ、神様のバチがあたっちゃいます…すぐに、悔い改めて欲しい、です…けど…」
ミーティスの言葉は噴飯物だった。
少なくともその場の、ヨハン少年と彼女以外のすべての者にとって。
ヨハン少年は背筋になにか冷たいものを突っ込まれたような、そんな気持ちが抑えきれない。
あるいは大人の男達6人を打倒できるだけの術が使えるのだろうか?
しかしヨハン少年はその考えを打ち消した。
癒しの術が苦手な聖職者など、未熟も良い所だ。
6人の男達は呵呵大笑し、その内の1人がつかつかとミーティスの眼前に立ち、その頬をかるく叩いた。
ぱぁん、という乾いた音。
途端にヨハン少年は駆け出し、姿勢を低くしてその男の脚に組み付いてたくみに自身の足をひっかけて押し倒した。
だがそこまでだ。
たちまち周囲の男達に引き剥がされ、殴る蹴るといったリンチを受ける。
万全でもこの人数差では話にならないのに、まだ腹が痛む状況では結果はいわずもがなであった。
男達の暴力は苛烈に過ぎた。
ガキ1人痛めつけるのにここまでの暴力は必要はない。
だが男達は手を止める事ができなかった。
なぜなら…
(このガキ!なんて、なんて眼をしやがるっ…!)
少しでも殴打の手と足を止めれば、たちまち喉に食いついてきそうな野蛮な殺意がヨハン少年の眼から放射されていたからだ。断じて子供がしていい眼ではない。
(いっそ、このまま蹴り殺してやる!)
男達は自身でも分からない何かに急かされるように、1秒でも早くヨハン少年の命の火を消してしまおうとし…そして不意にその暴力を止めた。
…てください
…めて、ください
そんなか細い声が2度響き、それは小さい声であるはずなのに不思議とその場の者達の聴覚神経の隅々にまで浸透してきたからだ。
ヨハン少年は、男達はミーティスに視線を向けざるを得なかった。視線を向けなければいけない、そんな気持ちにさせられていた。
「貴方達は、悪い人だと思います…だから……神様に聞いてみましょう」
ミーティスは小さい両の手を組み、そして離し。
呟いた。
◆
――神威
――顕現
◆
全てが終わった時、ヨハン少年は彼にしてみれば珍しくぽかんと口をあけていた。
ヨハン少年の服は血塗れだ。
腹部分こそは彼の血だが、その他の部分は返り血である。
男達の血だ。
目の前に立つミーティスの傍に“何か”が佇んでいる。
それがなにかはヨハン少年には分からない。
しかし、人知を超えた何かである事は分かる。
男達の姿はどこにもない。
“何か”が突然現れ、そして男達を物言わぬ血肉にしてしまった。
ヨハン少年はミーティスにかけるべき言葉を見つける事が出来ないまま、ただただ馬鹿みたいにミーティスを見つめていた。
そのミーティスはぽつりと何かを呟き、“何か”が頭から光の粒となり空へ昇っていく。
そして、ミーティスはヨハン少年の方を振り向き、悲しそうに笑っていた。
◆
「大丈夫ですか?…ごめんなさい。怖がらせてしまいましたよね。あの方は…私の神様で…私を守ってくれるんです…いえ、なんといったらいいのかな…えっと…」
ミーティスはしどろもどろだ。
彼女は折角出来た友達、ヨハン少年が自身を恐れ、逃げていくことを確信していた。
なぜならこれまでずっとそうだったからだ。
それは悲しい事だが、ミーティスは慣れている…つもりだった。なぜだか彼女はこの少年には嫌われたくない、怖がられたくない、と考えていた。
霊感の導きだ、と術師ならば言うであろう。
だが彼女の予想は覆された。
◆
「アレが出せるから…治癒が下手糞なのか。それはなんていうか、整っているっていうか…なんていうんだろうな、公平…なのかな、そんな感じがする。何でもかんでも出来る奴なんていないもんな。それと…糞ッ」
ヨハン少年は毒づいて、先般と同じようにギリギリと歯を食いしばって頭をさげた。
「ありがとう、ございまスッ…!…あとさ。俺も、ああいう事、できねえのかな。力が欲しいって思ってる。これまで碌な事がなかった。だからよ、少しはいい事があったっていいんじゃねえかな…」
ミーティスはそんなヨハンを眼をぱちくりさせながら見て、なんだか少し嬉しくなってしまった。
しかし…
(でも…力は…私じゃ…)
ミーティスは俯いた。
彼女は殺す事はできても、その力を分け与える事はできない。それが出来るのは…
――悪くない…むしろ、佳いですね
声が響く。
男の声だ。
あっというミーティスの声がし、ヨハンはあたりを見回した。新手かとおもったのだ。
そして、ヨハンの視線の先には…禿頭の、なんとも胡散臭い中年の男性がいた。
「私はマルケェス・アモン。連盟の術師。…やあミーティス、壮健そうだ。しかし君はまだ幼い。しっかり食べて、しっかり眠るように…ところで君。そう、そこの少年。君は力が欲しい、そういいましたね。力が得られるかどうかは君次第ですが…君の心を私にさらけだす勇気はありますか?」
マルケェスと名乗った男に、ヨハンは言った。
「心ってどうやってみせたらいい。心臓を見せればいいのか。ナイフをくれ」
◆◆◆
「と、まあそんな感じで色々ありましてね…」
ヨハンはザジとゴ・ドに言う。
2人は笑顔を浮かべている。
「ほうほうほう!なかなか骨が太い幼少時代をすごされましたね。それからは修行三昧ですか?」
ザジの言葉にヨハンは頷いた。やや表情が暗い。
「俺に諸々を仕込んだ女…師のような者がね、どうにも厳しくて、俺はもう二度と彼女の教導は受けたくありませんね…」
ゴ・ドとザジは笑い、ヨハンは“笑い事ではないのです”と真顔で抗議をした。
れびゅ感想、ブクマ評価いいねありがとぐおあいますー。
一杯ください!一杯!一杯!