戦場百景⑧~マリーの秘策~
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「ヨグってちょっと個性的よね!魔族を殺るだけの事を面倒くさく言い過ぎだわ!リモヌは好き?私は嫌い。酸っぱいし。ヨグにリモヌって何か聞いたら"初恋の象徴。香りに惹かれ、口にした少年少女に現実を知らしめる無慈悲な青春の一側面"みたいな返事が返ってきそう!」
ケラケラと笑いながらマリーは言った。
目だけは真剣に魔軍を睨みつけている。
ヨグは澄ました表情のまま片手で髪を搔きあげた。
彼自身がやや幼い顔立ちのせいか、全くサマになっていない。格好つけたい年頃だから仕方がないのだ。
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エル・カーラ防衛隊からの火力投射は依然として規模を大にして放たれている。
大人達はそれぞれ必死の形相で、まあ中には遊んでる暇があるなら攻撃に参加しろとでも言いたげな目つきの者達もいるが、ともあれ皆マリー達に構ってる暇などはなかった。
ルシアンがぽつりと呟く。
「このまま撃ち合いに終始して犠牲が出なければいいけど、そうはならないんだろうね」
だろうなあ、とドルマが応じる。
「大体、連中は少しずつ前進してきてるしな。剣で切り合いなんて、俺たちの柄じゃないし死人も沢山でそうだ。衛兵の人らも出てきてるが数が足りねえ。それにしたって相手の指揮官は慎重だな。一気に寄せちまえばいいのに。そうしたら俺たちはあっというまに全滅だぜ。罠でも警戒してるのか?」
罠なんかねえのによ、とドルマは皮肉気に笑った。
侵攻時期なりタイミングなりが分かれば罠も張り様があるが、此度の侵攻は余りにも電撃的であった。
空が不気味な色へと変じたかと思えば、都市の目と鼻の先に唐突に軍勢が現れるなどと、そんなものは対応する余裕が無くて当然である。
魔軍の軍勢はじわり、じわりと近づいてきていた。
大きな壁が少しずつ迫りくるような圧力にしかし、マリーは屈しないどころか闘志を燃やす。
確かな殺意を以てにじり寄る魔軍の雲霞に、マリーは恐怖と、それを超える喜びを感得していた。
自身の火の向け先がある事が嬉しかったのだ。
(おじい様は言っていたわ。炎術師は優れていればいるほどに、その末路は悲惨なものになるって。全ての敵を焼き尽くしてしまった後、最後に残った自分自身を焼いてしまうんだって。きっと私には"敵"が必要なのね。だって私は優秀な炎術師なんだもん)
「じゃあ、手筈は大講堂でルシアンとドルマには説明したけど、ヨグ…か、風のヨグにはまだよね。だから確認の意味も兼ねてここで説明するわね」
マリーの言葉にヨグは頷いた。
ちなみになぜマリーが途中で言いなおしたかというと、ヨグと言った瞬間に彼が地面に唾を吐いたからである。
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彼女は自身の内側に狂熱が在る事を自覚しており、その熱の根源はどこにあるのかと考えれば、マリーは血にこそある、と答えるであろう。
マリーの家はレグナム西域帝国の高位貴族だ。
父は戦争で死に、母はマリーを出産時に死んだ。
祖父は帝都ベルンにいる。
祖父に至っては現役の将軍であった。
マリーの祖父も父も高名な炎術師だ。
母は他所の家から嫁いできたが、彼女もまた炎のあしらいを得手としていた。
つまり、マリーという少女は炎術師として生まれるべくして生まれてきたのだ。
優れた炎術師は自身の心に燃えさかる熱を術に継ぎ足し、大きな大きな炎を起こす事が出来る。
自身の内なる炎…それは情緒のない言い方をしてしまえば破壊衝動だが、その強さと炎術師としての業前は比例する。
だが、その破壊衝動は外に向ける事が出来ているうちはいいが、長きに渡りずっと内に閉じ込めてしまえば、いずれそれは自身の正気をも焼きつくしてしまうだろう。
マリーは炎術師として優れた才を持って生まれてきた。
だからこそ、内に秘めた熱はいっそ狂熱とよんでも差し支えない程の危険な代物であった。
マリー・オズボーンは産まれた時に母を焼き殺している。
彼女は才に恵まれているが、そんな彼女でも赤子の頃は自身に宿る炎を制御し得なかったからだ。
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4人は円となって各々の起動具を握り締めた。
マリー、ルシアン、ヨグの3人は短杖だが、ドルマはやたら大きい宝石がはめ込まれた指輪だ。
円の中心に山盛りの、4つに分けられた触媒がある。
マリーの視線がルシアンを捉え、それを受けとめたルシアンは頷いて口を開いた。
詠唱はルシアンのお仕事である。
これはいわば発破作業における点火役だ。
点火には作法が定められており、無作法に点火しようとすると暴発し、発破対象どころかその場すべての者を巻き込んで木っ端微塵になってしまう。
――万物の根源を形為す四大の御子は膝をつき崩れ落ちた。万象の一、たちまち色を失い斃れ伏さん
――拍動する心臓は熱を失い、巡る命血は濁り淀む
――背を押す風なくして脚は前へと進む事はなく、地が足に牙を突きたてる
――火よ、散れ
マリーの目の前の触媒が激しく燃え上がったかと思えばたちまち炎は勢いを失い、そして触媒は灰と化していく。
金属の触媒もお構いなしに端から灰となっていった。
――水よ、枯れろ
ルシアンの目の前の触媒から水が滲み、そして滲んだそばから気化していった。触媒はその素材がなんであれお構いなしに同時に腐食していく。金属も、紙片も等速で。
――風よ、凪げ
ヨグの目の前の触媒が急速に風食していく。風食とは侵食作用の一種で、岩石などに風が吹きつける事により、次第に削れていく自然現象だ。通常、長い年月をかけてなされるそれが、今この場では時を圧縮加速したかのような速度で触媒に起こっていた。
――地よ、割れよ
ドルマの前の触媒がパキパキと音を立てひび割れ、砕けていく。土の術に適応する触媒の数々は、極めて短時間のうちにもはや砂のような有様となっていた。
――四大よ、交わり絶ちて万象悉く原初の一に為さしめよ
そして、触媒の成れの果てがまるで小さいつむじ風にあおられたかのように、螺旋を描き舞いあがり、中空で一点に収束していく。
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――何か、大きな術が行使されようとしている
ギオルギは凝然と大気に混ざる膨大な魔力に神経を配らせていた。
(魔族が何かを企図しているのだろうか。いや、違う。こちらへの害意がない)
治癒はまだ充分ではないものの、ギオルギは顔を顰めながら南門へと向かっていった。
その脳裏に、先ほど顔を合わせた赤毛の少女の姿はない。
まさかあのような年でこのような大それた…ギオルギをして畏怖を覚えるような術を起動する事などは、ギオルギの想像の埒外の出来事であった。
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――なぁっ!?
ギオルギが見たのは中空に形を為そうとしている巨大な力の塊だ。“巨大な力の塊”とだけ書くと実に曖昧だが、確かな何かが空へ収束しつつあるのは事実であった。
数多の触媒に込められた想念が形を為しては崩れていく。
想念とは何か。
それは一輪の花であったり、背を向ける男の姿であったり、まさにこれから戦場にでも赴こうとでもいうような騎士の姿であったり。
あるいは料理をする女性の姿であったり、女性と男性が抱き合っている姿であったり、赤子が泣く姿であったり。
そういった想念の数々が崩れ、風に似た何かと化し、中空で渦をまき一点に収束し、まるで太陽のような力の集合体となっていた。
そしてギオルギは南門で術を行使する4人の少年少女を見た。その姿はまるで陽炎のように揺らいでいた。
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何もかもを消失させる大魔術に求められる代償。
それは思いの込められた極上の触媒の数々をもってさえあがないきれないものだった。
代償は4人の存在の消失に及ぶ。
しかし…
(あれほどの力の代償。出来るだけ触媒は用意したようだが、それでもまだ及ばぬ。魔軍を消し飛ばし、そしてこのエル・カーラを飲み込んでなお飽き足らぬであろう。未熟なのだ。力を生み出して、その力の重さに潰されようとしている。重いものを持ち上げる事は案外たやすいことだ。難しいのは、それを運び、思い通りの場所へ再び据えてやる事だというのに)
ギオルギはため息をつき、ややあってから笑った。
苦笑めいた笑みであった。
「だが、病で死ぬよりは随分マシといった所か」
独りごち、4人のもとへと歩いていくギオルギの足取りは軽い。
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マリーの、ルシアンの、ドルマの表情は切羽詰ったものだった。なぜなら気を抜けばそのまま意識がどこか遠くへ、そして決して帰ってはこられない場所へとつれていかれそうだったからだ。
誰につれていかれるのか。
それは頭上の、空に輝く巨大な力の塊にである。
消滅の魔術はとりあえずの形を成した。
しかし制御ができていない。
力の塊はまだ消滅の魔術ではなく、消滅の魔術を行使しうるだけの力の塊に過ぎない。
(ち、畜生!!!爪先から感覚が薄れてやがる。そして眠い!でも寝たらもう起きる事はねえだろうな…なんとなくそれが分かる。マリーの秘策は、マリーの秘策はクソだ!!二度と俺はマリーを信じねえぞ!)
ドルマは歯を食いしばって、致命的な崩壊に繋がる“何か”を耐えていた。マリーもルシアンもヨグも同様だ。
ヨグだけは無表情のままだが。
無表情のまま大量の脂汗を垂らしている。
4人は必死に意識をもっていこうとする引力に抵抗していた。
だがもはや限界だ。
「るし、アン。ドルマ、ヨグ…ごめんね」
マリーがか細く謝り、三人ははぁっとため息をついた。
ため息に込められているのは諦念だ。
そして赦し。
「マリーの話に乗らなくたって、魔族に踏み潰されていたんじゃないかな。遅かれ早かれの話だった気がする。いいよ、僕は。そしてマリーの事が好きだよ」
ルシアンがいい、マリーは苦笑しながら“知ってる”と答えた。ヨグが薄い笑みを浮かべながら言った。
「僕は死ぬわけじゃあない。風になるのさ。さて、次はどこへ吹かれていこうか…」
ドルマはそんなヨグを珍獣を見る目で見ている。
「…まあいいか…よくねえけど!つうかヨグはしらねーけど、マリーとルシアンはダチだしな。魔族に殺されたりするよりは、景気よく自爆でもしたほうがマシか…」
じゃあいっせーのーせで、とマリーが言って、三人は頷き、最後の気力を込めて術を完成させる覚悟を決める。
四人は既に両の足の感覚がない。
消滅したわけではないが、この感覚が全身に広がったその時が最後だと何となく分かっていた。
マリーが口を開いた。
「いっせーの…」
――戯けがッッッッッッ!!!!
怒声が響き、電撃を帯びた平手打ちがマリーの、ルシアンの、ドルマの、ヨグの頬を打擲する。
ギオルギであった。
気付けにしてはやや激しいが、一応気付けと、そしてちょっとしたお仕置きの意味も兼ねた平手である。
西域では口でいって分からないものはぶん殴ってわからせるという教育が主流だ。
人は痛くなくてはモノを覚えない。
「こんなことをやらかすなら大人に相談しなさい!大莫迦者め!だがよくやった。アレは私が貰って行こう。戦場で気になる女性に出逢ってね。贈り物をしたいのだ」
ギオルギはニヤリと笑い、片手を天に掲げる。
「もう少し遅ければ危なかったな。アレはまだ形になっていない。純粋な力の塊。魔力の塊。そして、空を舞う僅かな触媒…あれらと、そして君達の心と体、つまり命を代償に発動に至っただろう。まだまだ君達では扱うのは早い術だ。5、60年は精進しなさい」
螺旋を描き空へ舞いあがり、収束していった力の塊は、まるで時をまきもどすかのようにギオルギが掲げた掌へ吸い込まれていく。
力は膨大で、ギオルギは全身が破裂するかのような感覚を覚えた。彼をして十全に扱いきれる代物ではない。
水袋に際限なく水を注げばどうなるか?
水袋は破裂する。
だがギオルギにとっては問題はなかった。
――制御などするつもりはない。よって問題なし
ギオルギは唖然とする四人を尻目に、口の端に垂れる赤黒い液体をローブの袖で拭き、なにやらふわふわとした足取りで魔軍の方へ歩いていった。
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余り長く歩くだけの体力はないかもしれない、とギオルギは一瞬不安になったが、魔軍もまた都市へ迫ってきていたため、これは杞憂であった。
迫り来る魔軍の戦闘には1人の見覚えのある将がいる。
ギオルギは片手をあげて、彼女に挨拶をした。
「やあ、ギマ嬢」
「あらァ。情けなく逃げ帰った劣等…貴様、腹に何を吞んでいる?」
ギマは最初、ギオルギを侮蔑するような表情を浮かべていたが、その表情は瞬時に警戒混じりの敵意へと変じ、そして害意へと変わっていった。
ギオルギはギマの詰問には答えず、代わりに全然関係のない話を口に出した。
「昔、一時の過ちで情を交わした人がいてね。ジーナは彼女の娘なんだ」
ギオルギは口端についた血をぺろりと舐めると、悪戯めいた表情を浮かべて言った。
ギマはそれを黙って聞いている。
聞く義理はないのだが、ギオルギの全身から放射される不穏な熱を帯びた気配が彼女を“見”にまわらせていた。
「その人とはただの一晩過ごしたきりだ。だがある時、雨の夜。私の家を訪ねてくる者がいてね。その女性だった。子供を抱えていた。彼女の本来の相手との間に出来た子供だよ。私は彼女を一目みるだけで分かった、ああもう長くはないなと。今にも死ぬな、と」
「あらァ…劣等同士のそのような話を聞きたくはありませんが、一応聞いておきましょうか、その後どうされたので?」
ここへきてギマはようやく足をじりじりと前へと進めていった。殺傷圏内に入ったその瞬間に、頭を吹き飛ばしてやるつもりだった。
「私は子が出来ない。体質だ。まあそれは良い。その女性は夫を事故で亡くしてねぇ、生活の為にと体を売り、結果として女性もまた病んでしまったそうだ。だが子供を道連れに、というのはやはり嫌だそうでね、昔関係をもった者達の下へ、子供の世話を…とここまで言えば分かるだろう?ジーナは血が繋がっていない、私の娘同然の子なんだ」
そもそもジーナとは誰だかわからないギマではあるが、目的はギオルギの話をきくことではなく、話をきいてるふりをして距離をつめる事である。
配下にやらせるわけにはいかなかった。
なぜなら迂闊に刺激すればどんな蛇が藪から飛び出してくるかわからないからだ。
相手が何かをたくらんでいようとも、それを実行に移す前に殺す…ギマはそう考えていた。
「それはそれは…で?それがこの状況で何の関係があるので?」
――あと3歩
「ジーナには母親と私の事は話していないんだよ。路地裏に捨てられていたのを協会のものが見つけ、そして優秀そうだから私が使っている…そういう話になってるんだ。だのに、彼女はなんというか、“そういう仕事”を嫌っていてね、なんでだろうね」
――あと2歩
「あるいは、赤子の頃を覚えているのかもしれない。彼女は記憶力が良いから。あの年で三等術師は将来そら恐ろしいとすら言える。親バカだとおもうかね?」
――あと1歩
「帝国の未来は明るいな。先ほど四人の生徒達がとんでもないことをやらかそうとしていて、間に合わないかとヒヤヒヤしたものだ。あんな事は君、大人の術師だって早々できないよ。よほど覚悟が決まってるか、イカれてなければね」
聞くに堪えない戯言の数々に、ギマは苛立ちながら聞いた。
既に殺傷圏内。殺す前になぜそんな話をべらべらと話したのか、その意図を聞いてみたかったのだ。
「劣等…貴方は先ほどから自分の話ばかりしていますねェ、結局、その話が今のこの状況に何の関係があるのです?」
まともな答えは返ってこないだろうと思いながらも、ギマは疑問を口にした。
だが予想外にもギオルギの返答は、ギマにとっては疑問の解となるものであった。
「大切な娘を貴様等魔族の手にかけてなるものか、と言っている。死ね」
――消滅
太陽よりも明るい光が大地を照らした。
そこに音はなく、破壊もない。
光は術者であるギオルギの意思を汲み、その対象だけを分子分解させた。
ぽかんと口をあけたギマ。
“指”でも上位にはいる屈指の業前を持つ魔将は、間抜けな表情のまま光に飲まれて意識と肉体を虚空に散したのである。
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消滅の術式に限らず、術というのは発現させるだけではなく、その矛先が必要である。
矛先というのは対象を決める、という事だけではやや不足だ。それは単なる選択でしかない。
強い想いが術を形作り、強い意思が術の矛先を定める。
これが魔術の基本的なあり方であり、そういう意味でマリー達にはこの意思がいまいち足りていなかったといえる。
ギオルギにはそれがあった。
娘を殺そうと、帝国を穢そうとする外敵への憎悪、敵意が。
そしてマリー達が生み出し、ギオルギが矛を向けた消滅の術式は、ギオルギやギマ、そして南門一帯に広がる魔軍全てを飲み込んだ。
波紋が広がるように消滅の光は拡散していき、しかしその術式顕現の爆心地から離れるに従って純度を落としていく。
とはいえ威力が減衰したとかそういう話ではなく、質が変化したのだ。
消滅ではなく、破壊の力に。
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南門付近の術師達は目を剥いて驚愕した。
明らかにヤバい光が魔軍先頭部で輝いたかとおもうと、その光がじわじわと都市部まで広がっていくではないか。
光に吞まれた樹木や岩などが砕け散る様子からして、あれに人が飲み込まれればただでは済まない事は明白だった。
術師とは基本的に大なり小なり“アンテナが高い”者達ばかりだが、その彼等の神経弦を、毒塗れの危険な指が激しくかき鳴らしている…そんな塩梅であった。
「に、逃げろ!!」
「退避!退避!都市内へ逃げ込め!」
「そこの倒れてる子供達もひろっていけ!ちなみに俺はこいつらが犯人な気がする!」
光がエル・カーラの防壁にまで及ぶ頃になると流石に威力を減衰していたようだが、それでも防壁は酷く痛んだ。
家屋も古いものはいくつか倒壊した。
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「マリーの秘策だ、間違いない」
「多分マリーのせいだよ」
「マリーだ!あいつは解体予定の家を燃やして喜んでた事がある!だから今回もマリーのせいだ!」
マリー達と同じように、生徒達は戦力として徴収されていたが、その生徒達が逃げまどう最中に漏らしていた愚痴である。
しかし今回ばかりはマリーだけのせいではない。