戦場百景④~マリーの秘策~
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白髪の女魔将ギマはエル・カーラ大結界が悲鳴をあげているのを感じ取っていた。
目と口元が弧を描き、ギマの瞳に嗜虐の波が揺れる。
――長くは持ちませぬなァ?どうされますか、劣等の皆様…
エル・カーラの周囲には既に尖兵が半包囲の態勢にあり、思い思いに魔法をぶつけたり、知能が低いものは大結界に挑みかかりその身を爆散させたりしている。
尖兵とは何か。
これは魔族に与する魔獣や亜人種、もしくは人間種の裏切り者を指す。
いずれも果ての大陸の瘴気の為に異形へと変じてしまっており、多くの場合、個体性能では元の姿のそれを凌駕する。
なぜ亜人などが魔族に与するのかという話だが、人類社会に根強い異形への忌避感があるためだ。
しかしこれは仕方ないことでもあるだろう。
何度も何度も何度も人魔大戦などという戦争が起きていては、異形への敵意が醸成されてしまうのも当然と言える。
人間種の裏切り者達も同様だ。
彼等の多くは肉体かその経歴に非常に大きな瑕疵があり、人間社会で暮らしていく事が出来ない者達がばかりだ。
魔族は実力至上主義社会で、ある意味人間社会よりも過酷ではあるが、手柄を立てれば魔王より褒美を賜り、より強靭な肉体を得る事ができる。
魔族社会は強さこそが正義というような部分がある。まあそれは人間社会も余り変わらないのだが、人間社会は魔族社会のそれよりはまだもう少しマイルドなものだ。
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エル・カーラの東西南北。
この内、東は大湖に面しており、北は山脈が背にある。
魔軍といえども泳いで攻めかかるというのは手間であろう。そして北の山脈には地竜デルミッドがいる。これはこれで人類に友好的な存在かといえば疑問だが。
ゆえにエル・カーラの防衛を考えるならば南と西に防衛隊を配置すれば良いという事になる。
「南へは私が行こう。ジーナ、あとは君が割り振ってくれたまえ」
ギオルギはそういい残し、深い瞑想に入ってしまった。彼がジーナを傍に置くのは、ジーナの才能がどうこうという訳ではなく、何かと便利に頼めて、頼んだ事を概ね上手くこなしてくれるからである。
それにギオルギは老いに加えて、体を病んでいる。本来なら戦場に出ても良い状態ではない。
雑事というのはそれだけで神経を使うため、ジーナの存在はギオルギにとってかけがえの無いものとなっていた。主に道具として。
ちなみに、ジーナの事情だが…若い身空で三等術師というのは才能がなければなれない身分でもあるが、ここ最近のジーナは“私って都合のいい女なのかも”と思い悩むようになってきた。
とはいえ、ギオルギはしっかりお手当てをくれるし、もう30年彼が若かったら結婚してやってもいいのになぁくらいには整った顔立ちであったので否やはない。
魔導協会3等術師ジーナはいつものようにハイハイと頷きながら、んん?っと疑問が湧いてきて、ハッと気付いた。
(もしかして私、沢山の人の命に関わる重大な事を丸投げされたんでしょうか…っ!)
ひええっと慌てふためいた女性術師はドタドタとその場を去っていく。
別に逃げたわけではなく、仕事をしにいったのだ。
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「これだけあれば十分ね!」
マリーがグッと握りこぶしを作った。
意味は多種多様にわたり、大体どんな場面でも使われる。
軍では進軍だとか陣形構築だとか、その手の号令に使われ、民間ならありがとうだとかよくやったとか、とにかく前向きな意味で使われる場合が多い。
その時、大講堂のドアが開け放たれて1人の講師がやってきた。
中年然とした男性講師で、魔術歴史学を教える3等術師ナベッチだ。顔の半分が焼け爛れているが、これは戦傷…古傷らしいと生徒達は聞いていた。
ナベッチは大講堂中からの視線にやや怯み、そして深刻な顔をしながら近付いてきた。
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「忸怩たる思いだが…志願兵を募ります。講師陣、エルカーラの街の大人達は既に防衛隊に組み込まれています。大結界は遠からず破れるでしょう。しかし戦力が足りない…戦時総指揮官である一等術師ギオルギは生徒達の動員を求めました。まずは志願兵から、そして戦況不利が続くならば強制的に徴用します」
どよめく生徒達の前でナベッチはなおも続けた。
「…ここからは独り言になりますが、どうしても嫌だという者がいれば…この状況です、逃げ出したとしても探す余裕はないでしょうな…」
だがナベッチは想像していただろうか?
逃げ出すどころか、自分達を、エル・カーラに牙をむいた外敵をぶち殺す為に自身の覚悟を完了させていた者達が居るという事など。
「望むところです、講師ナベッチ!」
一際大きい声で宣言する少女の名はマリー。
「魔軍は私達の燃え盛る情熱に炙られて、鉄板の上で悶え苦しむ独楽鼠の如く焼け死ぬでしょう!」
ナベッチは少女の瞳を視た。
無理をしているのではないか、本当は怖くて泣き喚きたいのではないか、と思ったからだ。
しかしそれは杞憂であった。
ナベッチは少女の中に恒星の卵を見た。
空に輝く太陽、その卵だ。
いまはまだ小さいが、やがて関わるものを全て焼き尽くす大炎塊のような素晴らしい炎術師になるに違いない…そう考えたナベッチは深く頷き、右手の甲を掲げ、万力を込めて握り締めた。
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「ルシアン、俺おもうんだけどさ、なんかみんなおかしいよな。頭とかが」
ドルマが首をかしげてルシアンに訊ねる。
ルシアンはちょっと苦笑を浮かべるが何も答えなかった。
――分かってはいるけど、君も同類だよ
そんな事をいったらドルマは怒るだろうなと思ったからだ。
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硝子で作られた塔を巨大なハンマーで叩き潰せばこのような音が出るに違いない。
凄まじい破砕音と共に大結界が崩壊し、大結界の触媒となっていた石像は砂となった。
魔将ギマがほくそ笑む。
さあ、全軍でかかれと指示を出そうとした時…
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瞑想を解いた魔導協会一等術師『雷伯』ギオルギは、執務室からバルコニーへ場所を移し、おもむろにローブを脱ぎ捨てた。
痩せ衰えた上半身を外気に晒し、両の手を組み上方へ掲げる。
――神鳴る者よ 空に轟きの轍を刻み、再び我の元へ訪れ給え
――我は汝が朋友、汝を受け入れるは我が血肉
――巡れ、雷血
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空に暗がりが広がり、暗雲がたち込めた。
雷雲だ。
魔将ギマは怪訝そうに空を見上げた。
――転移雲が生み出された事で周囲の空は陛下の大転移術の影響が残ってるのではないか?少なくとも自然に雷雲が発生する筈が…
その時、一際凄まじい轟音が鳴り響き、極大の雷条がエル・カーラの都市に落ちた。
そう、雷はバルコニーに立ちつくす、ギオルギに落ちたのだ。
そしてギオルギの姿が光の中より現れる。その肉体は痩せ衰えるどころか、全身が筋肉で膨れ上がったまさに歴戦の戦士というものであった。
背にはバリバリと電撃が流れている。
よくよくみれば彼の背には電紋が刻まれている事に気付くだろう。
電紋とは落雷を受けた人間にしばしば刻まれる電撃傷の事で、樹枝状に分岐した赤色或いは赤紫色の模様が一般的だ。
幼少時、ギオルギは落雷を受け、奇跡的にも助かり、しかしその身に電紋が刻まれてしまった。
幼い彼はこれを雷神の啓示だと受取り、爾来魔術の道に足を踏み入れたのである。
ギオルギは雷神を自身の内に呼び込むことによって、雷の持つ莫大なエネルギーを操る事が出来るのだ。肉体の一時的な若返り作用…というかパンプアップは、神の力を取り込んだていなのだから、これくらいは強靭になっていて当然だろうというギオルギの妄想が形となった結果である。
肉体を筋肉で膨れ上がらせたギオルギは、バルコニーから魔軍を睨みつけ、拳を握り締めて天に掲げる。
そして振り下ろした。
エル・カーラを取り巻く魔軍のそこかしこに雷が落ち、閃光が迸る。