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戦場百景~ヴァラク防衛戦~カナタ⑤

 ◆


「ぼ、僕は…僕は…」


 どもるカナタを黙ってみつめていたレイゲンは、やがてため息をつき、ついてきなさい、と一言残して屋敷の玄関に向かって行った。


 メイサに逢わせてくれるのだろうか?というカナタの希望は叶えられる。


 ◆


「明かりをつけよう」


 レイゲンがランプを点ける。

 カナタは失礼だと思いながらも周囲を見渡した。


 ファラッド邸には何度か来た事があるが、隅から隅までピカピカに磨き上げられている…という印象だった。それが今はどうだ、そこかしこに埃が積もり、屋敷そのものが一気に老け込んでしまったかのように見える。


「使用人をほとんど帰してしまってね」


 振り返ったレイゲンを見て、カナタは思わず声をあげそうになってしまった。


 カナタの記憶にあるレイゲンは細身で精悍な色男であったが、それが見る影もなかった。

 髪は脂ぎっており、目は落ち窪んでいる。

 無精ひげを見るにもう何日も髭をそっていないようだ。


 月明かりでは良く分からなかったが、ランプの明りに照らされたレイゲンは、控えめにいっても死期が間近にせまった浮浪者に見える。


 レイゲンは二階への階段までカナタを案内すると、洒脱な手振りで二階を指し示した。


「二階に上がれば、私の気持ちがよくわかるはずだ。私は君が娘に会うのを止めないよ。なぜなら気持ちをね…共有したいからさ。娘を、メイサを思う者と傷を舐めあいたいんだ。酷い大人だと自分でも思う。ふ、ふふふ」


 行けば後悔をするのだろう、とカナタは思った。

 しかしカナタの両脚は既にカナタの制御下を離れていた。

 ふわりふわり、そんな擬音が合うほどにカナタは頼りない気持ちで二階へとあがっていった。


 ぎし、ぎし、と。


 軋む階段の音がまるで怪物の笑い声にカナタには聞こえた。


 ◆


 メイサの部屋の前に立ち尽くしたカナタは、意を決してその扉を開く。


 果たして部屋に居たのは、寝台に横たわっていたのは骨と皮の如き姿に変わり果てていたメイサであった。


 胸が僅かに上下している。

 眠っているようだ。

 とりあえず生きているという事に、カナタは安堵し、その安堵は直ちに不安に覆い隠された。

 なぜなら医学に明るくないカナタであってもその姿は死ぬ半歩手前であったからだ。


 ごとり。

 音がした。


 カナタが振り向くと、そこにはレイゲンが立っていた。


「もう食事も受け付けないんだ。食べさせても吐き出してしまう。ドロドロになるまで調理してもね。あんな姿になるまであっという間だったよ。彼女を蝕む病魔は生きる力を食い荒らす。弱った者には殊更獰猛に。薬が必要だ。しかし荘の薬師に調合を断わられた。彼女が悪魔の子だからだそうだ。愚かな話だよ、しかし力ずくで言う事を聞かせる事も出来ない。あの薬師の背後には中央教会がいる。もし教会を敵に回せばどうなるか知ってるかい?ふ、ふふ。知らない方がいい。眠れなくなるだろうから」


 カナタは黙ってレイゲンの話を聞いていた。

 そしてメイサを起こさないように、その横に跪いてじっとメイサの顔を見つめる。


 やがてカナタは黙ってその場を離れ、レイゲンに頭をさげるなり部屋を出て、階段を降りて行った。


 ◆


 サルモン荘の薬師は複数いるが、その全員に中央教会の息がかかっている。


 別にそれ自体が悪い事ではない。

 平民でも支払えるだけの金銭で医療に従じてくれるのだから。むしろ流れの治癒師などよりはよほど庶民にとっては歓迎されるべき存在であった。


 だが問題が何もないわけではない。

 法神教の教義に反する存在に対しての治癒、治療を一切拒むという姿勢がしばしばトラブルを呼び込んでいた。


 教会によらない薬師というのも市井にはいなくもないのだが、そういう者は不思議な事に何かに追い立てられるようにして荘を去ってしまうのだ。


 ・

 ・

 ・


 薬師達の最上位者とも言うべき老人、グレゴリはその日も荘民達の治療を終え、寝室で休んでいた。


(私も年かな。流石に連日これでは体がもたぬ…荘廻りは弟子に任せるか。しかし領主からの反感を強く買ってしまったのはよくなかった。ただ、悪魔の子を助ける事だけは罷りならぬ。奇なる姿は魔の民の証よ…ん?)


 今何か部屋の隅から音がしなかっただろうか?

 グレゴリが暗闇に目を向け、凝らしてみれば…


「なっ!」


 そこには1人の少年が立っていた。

 しかもその手には短刀が握られている。


 グレゴリは人を呼ぼうと息を吸い込む。

 そこに少年が、カナタが頭から突っ込んできた。


 カナタは少年だ。10を3つ、4つ過ぎた頃だろうか?だがグレゴリは70を過ぎようとする老人であり、これはどちらの膂力が上かという話になると甲乙つけがたい。


 グレゴリに身体を強化できる程度の魔力があれば話は別だが、それが出来ないから薬師なのだ。

 魔力を扱い傷病を癒せるほどの者は癒師と呼ばれ、その数は少ない。


 ましてやカナタには凶器が握られていた。


 両者の力の拮抗は、短刀の凶悪な輝きがために一瞬でカナタの方へ天秤が振れ、グレゴリは己のノド元に突きつけられた短刀を戦慄と共に見つめる。


 武器を使ったただの脅しであるならグレゴリとて矜持を盾に気丈でいられたかもしれない。


 しかし、グレゴリは見てしまった。

 カナタの両の眼を。


 真っ暗な穴のような2つの目からは燃え盛る憎悪の波動が放射され、その激しさはレイゲンの見せたそれを上回っているようにすら見えた。


 それも当然だろう。レイゲンの憎悪なり怒りなりは確かに激しいが、そこには多分に不純物が含まれていた。


 大人の事情といっては何だが、荘園の民の将来、自身に連なる者達の身の安全、レグナム西域帝国の貴族として、中央教会と事を構える政治的な問題…要するにその手の利益不利益に連なる不純物が含まれていたのだ。


 対してカナタのそれはまじりっけなしの純粋な憎悪である。子供特有の純粋さは周囲の環境次第で容易に白にも黒にも変わるものだが、今カナタが染まるその色は黒を黒で塗りつぶし、その上から更に黒を塗ってなお飽き足らない程のペンタブラックであった。


「何が望みだ」


 グレゴリは自身の声が震えていない事に安堵した。70を超え、法神に信仰を捧げた身で子供の脅迫に屈したという事実はグレゴリの自尊心を木っ端微塵に打ち砕いた。


 グレゴリは自身に最後に残った矜持らしきものが、表面上平静を装うことで辛うじて守られた事に安堵したのだ。


「メイサの、治療をお願いします」


 ――さもなければ殺す


 グレゴリの耳はカナタが発していない音までもを拾った。カナタは殺すなどという事は一言も口に出していない。しかし、口に出さなくとも伝わる言葉というものは確かにある。


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まだまだ沢山書いてますので作者ページからぜひよろしくお願いします。
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