戦場百景③~マリーの秘策~
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「生成触媒に亀裂。もって十鐘でしょう」
つまりは20時間。
エル・カーラを覆う大結界は無からエネルギーを取り出しているわけではなく、当然触媒を必要とする。
それも普通の触媒ではなく、有事の為に用意された特別な触媒だ。
昔、魔物の大群から身を呈して街を護った剣士の胸像を岩から削りだし、その街に住む者の直系の子孫の血液、骨粉を原材料とした塗料で塗装してある。
逸話に由来する触媒を人工的に作り出したのだ。
この触媒を使用した大結界は街へ害を為そうという存在をかたく拒む。
しかし恒久的に結界を張り続けられるわけではない。術式モデルとなった剣士とて最終的に命を落としたのだ。大結界も耐久の閾値を越えれば触媒となっている胸像は粉々に砕け、結界は解除される。
結界術式は採用する逸話や伝承、もしくはめちゃくちゃな解釈を元に様々存在するが、街1つを丸々防衛出来るほどの術式というのは。ゴミ屋敷のような協会の術式表を隅から隅まで見渡しても数が少ない。
エル・カーラに採用されている大結界はその数少ない1つである。
協会の女性術師から憂鬱な報告をきいた『雷伯』ギオルギはそうか、とだけ答えた。
低く渋い声は協会の女性魔術師から人気だが、当然の事ながらこの状況では女性術師も顔を赤らめたりはしない。
「ギオルギ師、首都からの援軍はどれ程で来るのでしょうか?」
女性術師の不安そうな声にギオルギは“少なくともあと十鐘じゃあこないだろう”とは答えず、ただ無言を以って応えとした。
真実が心の慰めとならない事はままある。
「……ですよね、ああ、私達…死んじゃうんでしょうか。私まだ彼氏もいないんです。魔術漬けの日々でした…。恋愛の1つくらいしたかったですよう…」
「首都からの援軍は間に合わないだろう。我々が戦陣に立ち、時間を稼ぐ必要がある。恐らくは3、4日程。犠牲は出るだろうが、そこを持ちこたえれば援軍が間に合うはずだ。犠牲は出るだろうがね」
ギオルギは“犠牲が出る”と2回も言った。
嫌がらせのためである。
ついでに言えば、この期に及んで色ボケしている女術師には別に遠慮しないでいいなとおもったからである。
更に言うなら、こいつには心の慰めなんて不要だな、と思ったからでもある。
「ええええぇ~!?あれだけの大群を前に3、4日って!死にます!絶対死にますよ!ギオルギ師!どうにかしてくださいよう!天下の一等術師様じゃないですかぁ!それにもうおじいちゃんなんだし!」
「私は年寄りだからどうせ老い先短いし、無理してでもなんとかしてこい、ということかね?」
ギオルギが女性術師に問うが返事は返って来ない。真実が心の慰めとならない事はままある。
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「マリーの秘策は一分の隙もない完璧なものだとおもう。ただ、僕はそれをもう少し高める努力をしてもいいんじゃないかとおもうんだ」
マリーの秘策を聞いたルシアンがそんな事をいった。
「術っていうのはさ、他の学問とは違って曖昧な部分が多すぎるんだよね。例えば火球の術にしたって、僕が使うものとマリーが使うものでは威力に差がありすぎる。なら僕とマリーの間に実力差があるのかといえばそうじゃない」
マリーとドルマは頷いた。
氷術を使わせればマリーは虫けら以下だが、ルシアンが放つそれは粗雑な造りならば金属製の盾をぶち抜く氷槍を生成する事も可能だ。
「要するに想いだ。込められた想い、感情で術の威力や精度は大きく上下する。それは術そのものじゃなくて触媒にも言えるでしょう?触媒が良いものなら術の威力は上がる、精度も高まる」
大講堂に集まった生徒達は全員術師だ。
術師である以上、触媒を所持している。
だが、術師という性質上、奥の手というものも当然のように所持している。
奥の手とは追い詰められて万事休すと言う時、最期に頼る最後の手段の事だ。
とはいえ、術師はそのあり方を考えれば多種多様な術を自在に扱えるというものは少なく、多くの場合は手札に限りがある。
だから最後の手段といってもそれは概ね触媒の事を指す。普段じゃ絶対に使えない高級な触媒を使った術というのは同じ術であっても大人と子供のパンチほどの差がでる。
その最後の手段を供出させてしまい、マリーの秘策の触媒としようとルシアンは言っているのだ。
正直にいってそれは難しい事だ。
このような状況だからこそ、最後に頼れる手段は自身の懐にのんで置きたい所だし、それをマリーのような滅茶苦茶な女に託すというのは、多くの生徒にとって酷く抵抗感があるであろう。
◆
「大丈夫だ、マリーの秘策は確かにポンコツだ。でも俺がいる事を思い出せ。俺には秘策がある。マリーの駄策を秘策へと変える事ができるんだ。なぁに、俺はよ、こんな所でくたばる男じゃねえよ。商会を継いで奴隷君を沢山仕入れてよ、人件費をうかせてくたばるまで働かせるんだ。黄金で敷き詰められた道が俺の前に伸び、広がっている。お前も俺に賭けてみろ。マリーじゃなくてこの俺によ。…みろ。この短杖。そうだ、ジョルジオ・ラ・バッジオの最新商品だ。金貨20枚近い最高級品だ。柄の艶はまるで上質の琥珀のようじゃないか?これは親父にねだったわけじゃねえ、俺が、俺の才覚で稼いだ金で買ったものだ。分かるだろ?俺の有能さがよ。だからお前も出せよ、ただの触媒じゃねえ。思いいれのある触媒だ。お前が最後の最期で頼る奥の手ってやつだ。隠し持ってるだろ?それをだしな。俺はお前が協力した事実を忘れねえからよ。俺達が何とかするんじゃねえ、俺達全員でなんとかするんだ。俺達は術を使うが、ただの触媒じゃだめだ。失敗する。お前達が俺達を信じ、そしてお前達の想いがたっぷりこめられた触媒を出す。エル・カーラ魔導学院の生徒全員で一発ぶちかますんだよ。卒業旅行ってやつだ!ただし、旅行にいくのは魔物共だし、行く場所はあの世だけどな!ウワハハハハハ!!!」
このような調子でドルマは大講堂の者達から触媒をかき集めた。
マリー、ルシアン、ドルマの三人組は腕自体は頭1つ2つ抜けている。
しかしマリーもルシアンも頭がちょっとおかしい。ドルマは悪い奴だが話せば分かる合理的な男だ…それが他の生徒から見る3人の印象である。
だから合理的なドルマがこうして協力を募れば、あるいは、とか、もしかして、とか皆が思うのも無理はない事であった。
それに、ドルマの悪ぶった態度は対する相手に妙な自信を感じさせる。
その辺りが物資の徴収の役に立った事は言うまでもない。
当初はマリーの秘策に懐疑的であったドルマが、それなりにやる気を出した理由はルシアンにある。
ルシアンはマリーが大好きなので、できるかぎり彼女の突拍子もない考えに合理性を持たせようとする。それがルシアンの優秀さが為にそれなりに形となってしまい、合理主義者のドルマに刺さるのだ。
マリーが思いつき、ルシアンが絵図を描き、ドルマが微修正を加えつつ実行案に落とし込む…
このサイクルは彼等が長じてからも続く事になる。