異界相克②
◆◆◆
――廻れ星辰、照らせ明星
――東方より来たりて万物一切を焼灼せよ
エルが高々と掲げた小さな腕が闘争開始の嚆矢となった。
光とは善の、癒しのイメージがあるが、暴力的で攻撃的な光と言うものもある事をその場の者達は知った。
エルの小さな手に集う輝く光の粒子がその輝きを一際強めていく。
◆◆◆
(凄まじい魔力の胎動!やはり欲しい…あの力が)
ギルバートの欲望が刺激される。
しかしどうあれ、今この瞬間の敵は一人だ。
(が、まずは貴様だ。王を見下すとは不遜な奴め!宙から引きずり降ろしてくれる!)
ギルバートは掌をアンドロザギウスへ向け、何かを握り潰す様に拳を握り締めた。
大気が軋み、魔将の胴体…棺がグリップされる。
己の手を神のそれと見立て、範囲内の標的に対し不可視かつ物理的な作用を与える…つまりは強大な念動、それが彼の力であった。
王たる者は己の手を汚さず敵を屠る、その傲慢な意思の具現である。
法術にはこれと同様に一種のサイコキネシスを実現する術があるが、石を浮かせて飛ばすなどがせいぜいで人体より大きなサイズを拘束し、握り潰そうとするなどはとても出来ない。
ギルバートの術も厳密にいえば前述の法術、“聖握”の一種であるが、彼本人の心の在り方が術を埒外に強めていた。
ギルバートが拳を勢い良く下方へ振り下ろすと、宙を浮遊していた黒い棺…アンドロザギウスは大地へ縛り付けられた。
ギルバートの拳にギリギリと力が込められる。
瞬間、エルはアンドロザギウスに向けて手刀を振り下ろす。
「輝星剣!」
エルの叫びと共に人骨が埋まる大地を削り飛ばしながら全長10メートル程の光波がアンドロザギウスへ向かっていった。
星術の弐、光に触れた物を引き裂き爆裂する破壊の術撃である。
炸裂時に発生する小型の小隕石の衝突にも匹敵するエネルギーは外へ発散されず、標的に向かって内へ内へと爆縮していく。
その際に発生する圧倒的破壊の爆光は、さながら天空に座す明けの明星の輝きの如し。
眼前に迫る光の刃を前に、アンドロザギウスの胴体に浮かぶ老人の顔が口を大きく開けた。
その口腔はドス黒い。
老人の口から漏れるのは呻きだ。
それは絶望の呻き。
老いという逃れられぬ衰退を前に、脆弱なる存在はただただ無力な呻きをあげる事しか出来ない。
しかしアンドロザギウスは老いを超越した存在。その呻きには力が宿る。
生物のみならずエネルギーでさえも衰えさせる、まさに呪いの咆哮。
緋金剛ですら破砕する光の刃はアンドロザギウスの呪声圏内にはいるとたちまちに色あせ、やがて光は四散した。
ギルバートが眼を見開き、己の手を見る。
その手には深く皺が刻まれていた。
呪声の影響であった。
しかし彼は束縛を解かない。
それが良くなかった。
ギルバートの握り込んだ指が1本、2本。
左手の人差し指と中指がまるで枯れ枝の様になり、折れて、朽ちた。
流石に束縛を解いたが、ギルバートは自身の朽ちた指に興味なさげな視線を向けるなり、遠隔攻勢法術の準備をする。
「王は屈しない。お前達、投射法術用意。撃て、殺せ」
過激派の、穏健派の聖職者達が投射術式を放っていく。
◆◆◆
ヨハンは聖職達の猛攻を眺めていた。
ただ眺めていたわけではなかったが、まずは多少でも息をつきたかったというのもある。
先んじて放った雷の槍はかなり大きな術であり、それはアンドロザギウスの人としての皮を一撃にして破ったが消耗もまた大きかった。
だがそれ以上に…
◆◆◆
(ヨハン?)
ヨルシカは傍らのヨハンの様子を窺った。
彼の視線は宙の法神にあった。
「どうしたの?アレが…気になるのかい?確かに不気味だけれど…」
ヨルシカの質問にヨハンは軽く首肯した。
「ああ、少しな。俺も神頼みをしてみようか、なんて思ったのさ。まあいい。俺達も働くか。報酬が出るかどうかは知らないが。タダ働きは勘弁願いたいものだ。先にいってくれるか?少し粘ってほしいんだ。俺は祈ってからいくよ。折角法神と対面できたのだしな。意思無き木偶とはいえ、神は神だ。ところでヨルシカ、俺が思うに奴は人間を舐めていると思う」
ヨルシカは頷き、静かに自前の長剣を抜いた。
サングインは使わない。
あれは身体能力を向上させる。しかし血に酔い、判断力が落ちる。
そして肝心の身体能力向上も長続きしないのでは、サングインの使用は今この場においては余り賢い選択とは言えなかった。
ヨルシカはまるで散歩に行く様な歩調でアンドロザギウスの元へと向かっていった。
その足取りに恐れの様なものは見当たらない。
人間を舐めている、確かにそうだ、とヨルシカは思う。
(あの時、なぜ奴は私の剄を無防備に受けたのだろうか。それは奴が私を舐めていたからだ)
アシャラの民は武に長け、武の習得に貪欲だ。
その理由として地勢的なものが挙げられる。
アシャラは大自然に面している。
そして自然とは恵みもあたえてくれるが試練もまた与えるものなのだ。
アシャラに住まうならば、その自然の与える試練に打ち勝つだけの体と心の強さが必要であった。
剄をはじめとした東方の技術にしても足運びにしても、ヨルシカは独自で学び修めた。
儀礼的な意味合いの強い剣術流派でさえも彼女は自身で実践的なものへと改良した。
サングインの力を行使し、力任せに暴を解き放つというのは確かに強い。
素の彼女と血に酔った彼女が殺しあったならば間違いなく後者が勝つであろう。
しかし、粘れと言うのならば話は別であるという事が最近彼女にはわかった。
あの怪物を斃せる自信は無い。
しかし、簡単に斃される気もヨルシカにはなかった。
術式の爆撃がアンドロザギウスを襲っているのがヨルシカには見える。
しかし彼女には分かる、あの怪物が些かの痛痒も覚えていないことを。
やがて集中攻撃が途切れ、アンドロザギウスが爆撃で煙る中から現れた。それも無傷で。
ギルバートの表情は歪み、エルの眉が顰められ、他の聖職者達もまた警戒を強める。
アンドロザギウスは薄気味悪く笑っていた。
◆◆◆
「やあお嬢さん、綺麗だね。あの男の人とはどういう関係なの?」
ジュウロウがニコニコとアンドロザギウスへ向かっていくヨルシカに声をかけた。
ヨルシカの横を歩き、死線にあるとは思えないような態度であった。
「彼とは特別な関係なんだ。君は極東の人かな?だったら分かるだろう?私の中に彼がいて、彼の中に私がいる事を」
ヨルシカの返事にジュウロウは苦笑を浮かべた。
極東の剣士は気を佳く使う。
これは魔力とは異なるものだ。
「まあ、ね。それでアレの所へ一人でいくの?なら付き合うよ。君の佳い人が何かをしてくれるんだろう?それにしてもおっかない男だ、一体何を飼っているのだか…」
ヨルシカはジュウロウの言葉に助かるよ、とだけ答えて視線はアンドロザギウスへ向けたまま前へ前へと進んでいった。
(顔は好みだけど、怖そうだ。浮気でもしたら●●●を切り落とされかねないな)
ぶるりとジュウロウのタマが震えあがる。
それに、となぜか法神を見あげて法神教式の祈りを捧げているヨハンを見て思う。
――オトコの趣味が悪い
◆◆◆
『次は汝等か。無駄、無駄、無駄な事よ。全てを我に委ねよ、1つは全てに。全ては1つに。汝等も我が身の内で生きるが良い』
ぎゃりん
アンドロザギウスが言い終えるか言い終えないか、その時。
ジュウロウの抜き打ちが子供の顔の側面から襲いかかった。
しかし非音楽的な音と共に刃は弾かれる。
アンドロザギウスを覆う膨大な魔力が強固な物理結界となっているのだ。
同時に、青白い炎弾がいくつも周囲に浮かぶ。
その数は10か、20か。
一発一発が人体などを木っ端微塵に爆砕して余りある威力が込められている事はヨルシカにもジュウロウにも分かる。
だが分かっていても対処できるかどうかは話が別だ。
ジュウロウが回避行動を取ろうと身構える。
ヨルシカは手に持つ長剣をぽいと宙へ投げ上げた。
瞬間、炎弾が唸りをあげ2人に襲い掛かる。
ヨルシカの脚が美しい半月の軌跡を宙に描き、炎弾を幾つか蹴り飛ばした。
掌が、肘が、膝が宙を乱打する。
炎弾のすべてはヨルシカに弾き飛ばされ、先ほど投げ上げた長剣を乾いた音と共に受取り、大気よ裂けろといわんばかりに横一閃の美しい斬撃を見舞った。
激しいスパーク。
ヨルシカの剣撃がアンドロザギウスの物理結界に干渉した。
呆気にとられるジュウロウに、ヨルシカは小悪魔めいた笑みを向けた。
「気だよ、気。君も使えるだろう」
ヨルシカの脳裏をあの時の戦いが過ぎる。
魔族の放った蒼い炎弾がヨハンに襲いかかった時、遥か高空へ蹴り飛ばしたときのあの時の記憶が。
触れれば爆裂する魔法に物理で干渉する事は難しい。
なんといっても触れれば爆発するのだから。
しかし気を用いれば話は別である。
(そうはいってもね、気っていうのは要するに命だ。命を込めるっていうのは簡単な事じゃない。技術的にも、他の意味でも)
ジュウロウは内心呆れながらボヤく。
仮に自身が同じ事をやるとすれば…失われる寿命はどれほどの物か。
それにあの程度なら体術だけでもかわしきる自信はあった。
命をかけるほどの場面ではない。
だが、それでも。
あれ程精緻な気の制御を為すとは。
そんなジュウロウのボヤきは無理もない。
気とはすなわち命である。
枯渇すれば、死ぬ。
しかしヨルシカの気が枯渇する心配は今の所はないだろう。
よほど無茶な使い方をしなければ。
ヨルシカはヨハンの魔力を、精を、命を啜っている。
どちらかの破滅がもう片方の破滅ともなりかねない危険な繋がりがヨハンとヨルシカの間にはあった。
(が、無傷とはいかないか)
ジュウロウの視線がヨルシカの手足に向かう。
ヨルシカの拳は焼け爛れていた。足もだ。
2度同じ事が出来るか?
(厳しいか。援護が欲しい。エルの嬢ちゃんが大技の支度をしているけど時間がかかるかもな。銀髪の嬢ちゃんのオトコは…まだ祈っている。何をするかしらないけど急いで欲しいものだ、それともただの現実逃避か…?)
ジュウロウの足元がふらふらと怪しく揺れる。
(ともあれ、時間稼ぎか)
ジュウロウが体ごとゆらゆらと揺れ、足元は複雑なステップを刻んだ。
ステップは時に早く、時に遅く。
その緩急はジュウロウの肉体がまるで分身したかの様に見せる。
数人に分裂したジュウロウは四方八方からアンドロザギウスに迫り、アンドロザギウスもまた迎撃の術を編んだ。
足元に埋まる人骨がバキバキとその形状を変え、骨の槍となりジュウロウの足元から突き出される。
2人のジュウロウが槍に貫かれ消え去った。
消えた、つまりは分身。
残りは3人。
アンドロザギウスの青年の顔の眼が見開かれる。
回転する光輪が宙にいくつも生成され、一人のジュウロウへ向かい、それを切り裂いた。
残り2人。
アンドロザギウスの赤子の顔が邪悪に歪む。
体ごと背後を振り向き、赤子の口が一杯に開かれた。
口中に光が収束していく。
これもまた故アゼルの光の術式である。もっとも彼は口から槍など投擲しなかったが。
光熱の投槍は刺さった傷跡から敵手を熱で焼きつくす。
だがそれが放たれることはなかった。
アンドロザギウスが振り向いた瞬間に極々自然と、ゆるりとした動きで刀の切っ先が赤子の眼に突き刺さったからだ。
――秘剣・迷踏死行
身体強化をこまめにオンオフし、さらに緩急をつけたステップは術者の肉体をあたかも分身した様にみせかける。
そしてそのまま襲いかかることで敵手に多くの迎撃の選択肢を与えるが、実はそれは術者により行動を制限された結果でしかないのだ。結局敵は自身の選択を重ねた結果、死にむかって歩みゆくことになる。
これは剣術というより心理術といっても過言ではない技である。
これは余談だが、はるか東域、アリクス王国の極東剣士は自身から能動的に動き敵を屠る技を得意としている。
自身から能動的に動くのか、敵手の動きを誘発するのかは好みにもよるが、ジュウロウは後者の様な惑わしの剣技を得意としていた。人を食った様な彼の性格に似つかわしいとも言える。
極東剣士はザザのことです。
拙作のZAZA記参照。
本作は拙作内で色々クロスオーバーしています