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血の日⑨

 ■


「ま、待って下さい。では、では法神は…法神教は……」


 その場にいた穏健派の女性聖職者が目を見開き、喘ぐように言葉を紡ごうとする。

 彼女にとって、いや、敬虔な法神教徒にとってそれは酷く残酷な事実であった。


 ――我等の、祈りは…


 慨嘆の雨がその場に降りしきるがしかし、それを冷たい目線で見る者達がいた。


 教皇アンドロザギウス

 過激派の面々

 そして、ヨハン


「ふん、何を嘆いているのだか。神などと言うものは居てもいいし、居なくても良いのにな」


 ヨハンの言葉にキッと目線を向けたのはアイラだ。

 彼女のみならず、穏健派の面々は大なり小なり法神教により救われている。

 ゆえに信仰は堅く、強い。

 だがその堅さと強さは、法神教という土台あってのものであった。

 土台の無い家はすぐに崩れるものだ。

 教皇アンドロザギウスはその様子を皮肉めいた冷笑を浮かべ眺めていた。

 過激派の者達も同様だ。

 しかしヨハンは冷たい目線でこそ見てはいたが、そこに冷笑はなく、その目元にはどちらかといえば憤りの様な物があった。


「我等の祈り?祈りとは何だ!“これ”か!?」


 ヨハンが義手の人差し指と中指を突きたて、宙を一閃する。

 光刃が宙を斬り、光の軌跡が描かれ粒子となって虚空へ消えていく。

 近接攻性法術、神聖刃。


 法術は聖職者ではない者が使う事は出来ないはずだ。

 だがヨハンは聖職者ではない。

 どういう事だ、とその場の視線がヨハンに集中するが、当のヨハンは詳しく説明する事はない。

 ただ一言だけを述べた。


 ――神は空に無く、ただ己の胸の内にある


「ヨルシカ、やるぞ。しんどい戦いになりそうだ。穏健派の連中は頼りにならない。過激派の連中は潜在的な敵とすら言える。味方は君だけだ」


 ヨハンの言葉にヨルシカは微笑でもって答えた。


 ◆◆◆


 ヨルシカの握る飢血剣サングインが妖しい赤光を帯びていくのと同時に、彼女の瞳も血に濡れたそれへと色合いを変える。

 王家の血、神秘から成る長命の血が巡り、サングインは歓喜で吠えた。


 ヨルシカの足元の石床が弾け飛ぶ。

 紅が宙へ残光を刻む。


 ほんの一瞬の何分の一かの刹那でヨルシカは教皇へ迫り、その血刀を振り下ろす…事は無かった。

 そっと空いた方の掌を軽く握りこみ、ゆるりと差し出していく。

 そこには如何なる脅威も無く、ゆえに教皇の結界は脅威なきそれを素通しした。

 また、握手を求める様で手を差し出されるとは教皇も思って居なかった様で、彼はしばしきょとんとした様子でヨルシカの手を眺めていた。


 軽く握った拳が教皇の胸に当てられる。

 同時にドン、と言う鈍い音が響き…周囲の者がみればヨルシカの足元の床が砕けていた。

 教皇が真横に吹き飛び、法の間の石壁へ叩きつけられる。


「あの女、中天の出かな?いや、でも顔の造作が違う…」


 ヨルシカの体術が中天の闘士達の扱うそれと似ていた事に、ジュウロウはなにやら思う所があったらしくぼそりと呟く。

 極東の者は基本的に中天の人間が嫌いである。

 それは個人の思想がどうこうと言うよりは、積み重ねてきた歴史ゆえだ。

 中央教会にも両地域の者達がいるが、教義と言う枷がなければ血が流れていたに違いない。


「まあいいや、エルさん、僕も行っていいですか?ここは共闘する場面だとおもいますけど?」


 ジュウロウがエルへ尋ねると、エルはゆっくりと首を横へ振った。

「貴方は私の護衛のはずです。彼等と共闘するのも認めません。奇しくもあの術師が言った通りです。敵の敵は味方であるとは限らないのです。貴方はそこへ控えていなさい」


 エルの言葉にジュウロウは肩を竦めて構えかけた刀を元の位置に戻した。

 エルの言う通りであった。

 敵の敵は味方ではない。

 ましてや、先程こちらを潜在的な敵であると言ったのはヨハンという黒衣の術師である。

 後ろから撃たれないとは言えなかった。

 過激派の他の者達も同様の様子だったが、ギルバートだけはどうにも違っていた。何かの決断を逡巡している様にジュウロウには見える。


「どうしたんですか、ギルバートさん。心配そうにみていますけど。みてください、彼等は中々やるみたいだ。今にも教皇を倒しちゃいそうですね」


 ジュウロウが気安く話しかけると、ギルバートは厭そうな目でジュウロウを見て口を開いた。

「本当にそう思っているのか?」


 ギルバートが逆に問い返す。

 ジュウロウはケレン味に溢れた笑みを返してそれに答えた。


 ◆◆◆


 ――雷衝・穿

 ――雷衝・穿

 ――雷衝・穿


 ヨハンの義手から三条の閃光が奔り、教皇が吹き飛んだ先へ叩き込まれる。


 触媒となった強度の負荷を受けた水晶が砕け、欠片が散った。

 ヨハンは欠片が宙に散ったその瞬間に空いている方の手を握りこむ。


 ――固まり、凝固せよ


 吹き飛んだ先から一条の光がヨハンを貫かんと迫り来るが、集積し凝固した水晶の破片の塊に当たると光は上へ逸れた。


(“魔法”の連発は消耗が大きい)


 魔法は触媒を必要とせず、起動も素早い。威力も十分だ。

 だが連発は出来ない。


 ゆえに術で対応する。

 ただし、術と言うのはやはり魔法より起動がワンテンポ遅れるし、触媒が枯渇すれば使えなくなる。

 そしてこれは致命的且つ初級の失敗なのだが、触媒を間違えてしまった場合が非常に不味い。

 術は不発し、切羽詰った戦況でそれをやらかすと大体死ぬ。

 だから術師というのは所持品の整理をそれこそ神経質なほど丁寧にやる者が多いのだ。

 この点、ヨハンの術腕は良い。

 触媒を格納し、その起動にあたっては術腕に刻まれた術式が行ってくれる。


 ところで話はそれるが、ヨハンの様な虚を突くタイプの者…それが剣士に限らず術師に限らず、そういった者達は性交と拷問の技術に秀でている。なぜなら他者がやってほしいこと、やられたら嫌な事が良く分かるからだ。

 そういう彼から見て、教皇アンドロザギウスは好ましからざる相手であった。

 なぜなら…


(さっきから俺達ばかりが手を使わされている。奴は結局盗み出した力ばかりを使って居て、奴自身の固有の力というものを使っていない。ミカ=ルカもまさか逃げたわけじゃあないだろう。ならばチマチマとした業は止めだ)


 ――ヨルシカ、命掛けで足止めしてくれ


 ヨハンは強い意思を込めてヨルシカに声無き声を掛ける。

 言語化されたそれではないが、ヨルシカは正確にヨハンの意図を察した。

 魔合を為した2人であるからこそ可能な精神感応である。


 ◆◆◆


 教皇アンドロザギウスを壁に叩きつけたヨルシカの後背から三条の雷光が奔り、追撃する。

 激しく何かを打擲する様な音は雷矢が正確に教皇へ直撃した証左であろう。

 だが…


 薄笑いを浮かべ立ち上がる教皇アンドロザギウス。

 衣服に汚れ、破れは見られるものの、2人の連携が教皇の命をわずかなりとも削り得たとはとても見えない。


(気を徹し、雷を浴びた。それなのに奴に巡るどす黒い精気に衰えは見えない)


 なるほどヨハンの言う通りしんどい戦いになりそうだ、とヨルシカは腹を括る。

 その時ヨルシカは自身の内臓を直接愛撫されているかの様な、得も知れぬ快感が滲んでいく不思議な感覚を自覚した。


 ヨルシカは1つ頷き、手に握るサングインを見つめた。


 剣は無機物だ、意思はない。

 勿論魔剣だの聖剣だのといったモノの中には意思を持つ剣もある。

 しかしサングインはそうではない。

 術師ミシルが造りだした人造魔剣である。

 だが自らの命の源泉を吸わせている為かどうかは知らないが、ヨルシカにはサングインがただの道具である様には思えなかった。

 払ったモノに相応しい力を与えてくれる、そして調子に乗ったら失血死する。

 何も払わなければ使いづらい刃物だ。

 そのあり方はどこかの誰かに似ていないだろうか?

 ヨルシカは己の内ににわかに活力が漲ってくるのを感じた。


(私は単純な女だ。剣に生きると決めたのはいつだっただろう)

 そんな事を考えながらヨルシカは棒立ちしている教皇にすたすたと歩いていく。

 その体から紅い靄が立ち昇っていた。


 ――五光縛鎖


 教皇の五指から金色の鎖が射出される。

 拘束系でも相当に強靭な法術だが、教皇のそれは束縛、拘束などという甘なモノではない。

 一度体にふれれば最後、高速度の鎖の衝突により人間の体などは爆発四散してしまうだろう。

 縛鎖の射出速度は秒速400メトル。

 これは普通の人間であるなら目で見てかわせる速度ではない。

 銃撃を目で見てよける様なものだからだ。


 だが目で見てかわせないなら見なければいいのだ。

 鎖の先端がヨルシカの肉体から立ち昇る紅い靄に触れた瞬間には既に彼女は身を回避行動に入っていた。

 計5撃の回避を、ヨルシカは頬への軽い傷のみで購った。

 だが教皇の懐に入った瞬間、教皇の体から閃光が迸る。


 ヨルシカは咄嗟に頭部を庇うが、首から下はいくつもの穴が穿たれていた。

 穴の周囲は焼け焦げている。


 どうみても重要臓器がいくつか貫かれており、致命傷は免れ得ないだろう。

 だがそれはヨルシカ以外の者が受ければ、という条件がつく。

 サングインは血を使い、傷を癒すからだ。


(……どういう形であれ、私は親に捨てられたと思っている。父王は私より国の安定を取ったんだ)

 ヨルシカは腹に空いた穴に手をあて、自身の血を拭い取りサングインの剣身に塗布する。


(庶子は国を乱すと…。私にとっては唯一の親であっても、父王にとっては私は唯一の子供ではなかった)

 血濡れの刃を十字に振ると、宙に描かれた血の軌跡が勢いよく教皇へ向かって行った。


 ――光盾

 十字の血閃が教皇の張り巡らせた結界へ叩き付けられ、金属と金属を衝突させたかの様な甲高い音が響き渡った。


(ヴァラクで私は危険だと知りながらも街に残らなかった。自分の命を、親にすら必要とされなかった命だと軽く見ていたからだ)

 ヨルシカは脚を思い切り踏み出す。


 震脚。


 力強い震脚は地面からの強烈な反発力を生み、ヨルシカの骨盤から胸部、そして剣を振る腕へと伝導し、十字の血閃の衝突した場所へ振り下ろされた剣撃が教皇の結界を破壊した。

 結界とは基本的には強固であればあるほどに再構築には時間がかかる。

 ヨハンの目が見開かれた。


 懐から取り出したのは小さく可愛らしい白い花がついた樹の枝である。

 オークの樹だ。


 オークの花の開花の時期は落雷の被害が増すと言う。

 これは気象学的な理由なのだが、古の民はこの白い花こそが雷を呼び込んでいるのだと考えていた。

 美しく無垢な白花を愛でたいと思った天空神が神鳴りを響かせ、落とし、花を摘もうとしているのだそうだ。

 また、オークという樹木は木々の王として知られている。

 力強く、粘りがあり、硬質な材質は重用されている。


「不屈不撓たる森の王は未来への道程を指し示す。民草は歓喜し、光の道を歩み往くだろう。光の前に魔は焼かれ、邪は貫かれんことを。王光よ。遍く照らし破邪を為せ」


 ヨハンが枝の先端で教皇を指し示した。

 それを見たヨルシカは全力で横っ飛びに避ける。


 ――神雷


 枝の先端から長大な雷の槍が迸った。

 白い閃光が法の間を満たし、光は教皇を飲み込んだ。

 ヨハンの漆黒の髪の一房が白く染まっていた。

 触媒に比して引き出す力が大きすぎたのだ。

 だがそれでいいとヨハンは思う。

 大きな力には大きな代償がつき物だからだ。



 喚び出された光は激しく、清浄で、だが優しい。


(嗚呼、ヨハン。貴方に必要とされている限り、私は)

 光に魅入られていたヨルシカは、その光の奥からボロボロになりながら歩みよってきた教皇に気付くのが遅れた。

 全身は所々焼け焦げ、青い血が滲んでいるがまだ健在だ。

 教皇の手は光を纏い、ヨルシカの胸に吸い込まれている。

 人の体など容易く切り裂く魔刀はしかし、それを振るわんとした教皇ごと後方へ弾き飛ばされる。


 青白い星気を身に纏うのはエル・ケセドゥ・アステール。

 万物を寄せ付けぬ星の斥力がヨルシカを護ったのだ。


「結局手を貸すんじゃないですか」

 ジュウロウが呆れた様に言うが、その顔は戦意に溢れている。


 エルはそんなジュウロウを無表情で見つめるが、やがて口を開いた。


「ギルバート、ジュウロウ、そして同士たる皆様方。あの魔族は我等をも贄としたいようです。私はアステール王国最終王統として、最後に貴方達と覇を競い争い、殺されるとしても力なき者の定めとして受け入れる覚悟はありますが、魔族の餌として朽ちたくはありません。ここは結束し、これまでの人魔大戦でなぜ魔族が敗れてきたかを彼に教えてやるべきではないでしょうか」


 それはまごう事無き本音である。

 それに今でもヨハン達の事は危険な存在であるとエルは思っている。

 穏健派の者達ともこれが終わったら殺し合いが再開してもおかしくは無い。


 とはいえ、命を張って戦っていた戦士達の姿を見て、少なくともあの2人は後ろから撃つ真似はしないだろうとエルは思った。

 殺し合うならば正面からやってくるだろう。


(それならばそれで良し。王として挑戦を受けるまで)


 エルの視線はジュウロウから前方へ向けられる。

 感じるのは邪気。


 ――やってみろ、下賎


 瓦礫の奥から低い声が聞こえてくる。

 殺意と憎悪に溢れた邪悪な声だ。


「お前達、防性法術の準備。範囲術式に備えろ」


 ギルバートの声が法の間に響いた。


 その声には些かの怯えも含まれていない。

 野心の塊にして俗物代表のギルバートは、それでもレグナム西域帝国の皇配として選ばれた事を忘れてはいけない。

 己こそがこの地上で最も貴しと思い込んでる彼には、魔族につく膝などはないのだ。



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