魔将の追手⑤
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ヨハンは木に刺し貫かれ悶える魔将の追手を見ながら、ヨルシカの身体に手を這わせていく。
腕、腹、胸、脚、とにかく全てだ。
その様子を見ていたミカ=ルカはやや頬を赤らめ、なにやら非常に背徳的な何かを見せられている気がしていた。
ヨルシカを刺し貫く木枝の槍はヨハンの手に触れると急速に朽ちていく。
そして刺し貫かれた拍子でヨルシカが取り落としたサングインを拾うと、眼をつむり苦しそうにしているヨルシカの手にしっかりと握らせ、刃で自身の手を薄っすらと切りつけた。
ヨハンの血がサングインの刃に染み込んでいく。
ヨルシカの血が特別製であるなら、ヨハンの血もまた特別製だ。
その血に王家由来の…だとか、長命種の…などといったバックボーンは無いが、これまでの多くの力ある存在を“溶かし込んで”きたヨハンの血は呪詛と力に満ちている。
かつてヨハンは赤魔狼に腐血の術を仕込んだ己の腕を食わせ、傍目からはそれが打倒の要となったようには見えたが、たかが人間の腕一本分程度に流れる血が多少腐っていたからといって、あんな化物をあそこまで損なわせる事などできようはずがない。
樹神、そして魔王の分け身を自身の魂へ溶かし込んでしまうその前に、過去に2度、ヨハンは同様の秘術を行使してきた。
土壌の状態が木や花の植生に大きく影響する様に、ヨハンが取り込んだ存在は彼の心身を良くも悪くも変容させる。
その血を悪性に歪めれば、月狼の出来の悪い模造品を内部より破壊する事などは容易い。
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サングインの賦活効果がヨルシカの身体を癒していく。
そしてその身に食い込んでいた紫色の操心の呪鎖がぶちぶちと千切れていった。
粘着質で執着心に溢れ、凶暴で狂っているヨハンの魔力は赤の他人にとって猛毒に等しい。
だが懐に入ってしまえば甘く、どこかちょろい彼の魔力は身内にとっては神薬に等しい。
「…う…。ヨハン、何となく君が何をするかは分かってはいたけど…あ…はぁ…ふらふらする…」
ヨルシカはまるで酒に酔ったかの様な酩酊感を覚えていた。
魔合に至る程に親和性が高い相手の体液を取り込めば大体はこうなる。
相手の唾液を飲み込む事すら、自身の性感帯を撫でられるかの様な快感を得られるというのは、ドラッグの中毒になる事よりも恐ろしい。
ふあふあふあふあと周囲に桃色の何かが広がっていき、ミカ=ルカは助けられた身である事を自覚しながらも戦いの場で一体ナニをしようとしているのか、と愕然していたが…そんな気持ちは木槍に貫かれた魔将の追手を見たら吹き飛んでしまった。
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魔将の追手は最後に残っていた生命力を文字通り抉り取られ、急速に崩壊していく。
漆黒の身体がまるで灰を吹き散らしたかの様に宙へ散っていく。
だが、その塵は見る間に渦巻き、集塵し、空中に1つの巨大な瞳を形作った。
上魔将マギウスの遠隔視の魔眼だ。
勿論そんな事は知らないヨハンとヨルシカ、そしてミカ=ルカであったが瞳の纏う忌まわしさは十分理解していた。
ヨルシカもミカ=ルカも人間を超越した悍ましき魔の気配に畏怖を禁じえない。
だがヨハンは違った。
ヨハンは知っている。より悍ましい魔を。
かつて家族の愛を永遠のものにしたいと願った男がいた。
男は永遠とは不死であると断じ、リッチと化した。
そして連盟の禁忌に手を染めた。
リッチと化した事ではない。
家族の魂を食い散らし、自身の内に取り込んでいったのだ。
不死たる自身の内でならば愛する“家族”もまた不死であろう、と。
彼は、ラカニシュは自身の行いを心の底から善であるものと考えていた。
ヨハンは常々思う。
真に悍ましい邪悪は悪の中には居ないと。
自称善人の中にこそ真に悍ましい邪悪がいるのだと。
ヨハンの目と口が不気味な弧を描いた。
突き出たままの木の槍がゾワゾワと蠢く。
滲み出る殺意の魔力に呼応しているのだ。
主の敵の肉体を刺し貫き、その血を啜りたいと邪悪に啼いている。
「忌まわしい気配だ。魔王に連なる邪悪な気配。お前がわざわざそんな演出をするのは俺たちを恐怖させたいからだろう?恐怖はお前みたいな存在にとって糧となる。だが俺は恐れない。俺はお前よりずっと悍ましい魔を知っているからな。……次はお前が直接来い。お前の頭蓋骨を酒盃に加工し、連盟への、家族達への土産としよう」
宙に黒い塵で描かれた巨大な瞳はヨハンに視線を合わせ、ほんの僅かに殺気とも言えない何か不穏な気配を撒き散らすと、今度こそ風に吹き散らされ消えていった。
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(あ、あなたの方が忌まわしそうだし、邪悪にみえるんですけれど…)
ミカ=ルカは心の中で慄いた。