魔将の追手③
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ミカ=ルカが師たるアゼルから託された使命は重要だ。
勇者が既に魔将に殺されてしまっていた事。
聖剣は失われた事。
そしてアゼルもまた殺された可能性が高い事。
それらの凶行を為した魔将は圧倒的な力を持つ恐るべき存在であった事。
これらを聖都へ報告する事だ。
どれもこれも重要度は高く、正しく情報が伝わらねばあるいは今後勃発するであろう第4次人魔大戦においてヒトは敗北するだろう。
よって、ミカ=ルカがすべきは自身の代わりに魔将の追手と戦ってくれているヨハンやヨルシカを放って速やかに聖都へ向かう事だ。
でも、とミカ=ルカは思う。
仮にこの二人が敗北を喫した場合、再度自分は追われるだろうが逃げ切れると言えるだろうか?
自身の魔力は底が見えてきている。
見た所優勢には見える。
見えるが、結局の所何が起こるか分からないではないか、とミカ=ルカは歯噛みと共に遠ざかるアゼルの背を思い出した。アゼルは紛れも無く強者だった。それなのに…
ならば自身も参戦するか?
そう考えたミカ=ルカは即座にその考えを否定する。
ミカ=ルカが見る所、あの連携は極めて精密な意思の疎通の元に成り立っている様に見える。
そういう状況で下手に手を出せばあるいは連携を崩してしまいかねない。
様々な選択肢がミカ=ルカの前に広がっている。
そして選択肢を間違えれば死ぬ。
結局、ミカ=ルカが選んだ選択肢は傍観であった。
彼女としても命を助けてくれた相手を捨て駒だの囮だのとする事は心苦しかったと言うのも傍観の理由としては大きい。
■
ヨハンが敵対者に対し魔法を行使したのはこれが初めてだ。
だがヨハンは自身が行使しうる魔法の業の数々を理解していた。
しかしなぜこれまで一度も魔法を扱った事が無いのにその業が理解できるのか、と言う事になるとヨハンはそれを理解出来ない。
こういった違和感が余りにも積み重なると、やがて人は自身の存在自体に疑念を抱くのだ。
強力な術師が自身の存在を疑えば、末路はどうなるかは言うに及ばない。
だからこそ連盟の“家族”はヨハンが秘術を使う事を問題視していた。
今のヨハンは努めてこの矛盾を考えない様にしている。
これは気にしない、と言う意味ではない。
自身が違和感に気付かないように強烈な自己暗示の様なモノをかけていると考えて良い。
常人の精神力ではそんな事は出来ないが、今のヨハンにはもはや造作も無い事だ。
心を切り分け、それぞれに役割を持たせ、統御する。
だが…仮にこの世界に少数存在する異世界転生者がこういった在り方を見れば思うであろう。
まるでコンピューターの様だ、と。
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魔将の追手は運が悪い。
この眷属は本来ならば全身の邪眼を以てして様々な呪いを行使するのだが、開幕の問答無用の爆縮魔法でいくつかの致命的な呪いの邪眼を潰されてしまったし、相手が強力であれば強力である程に効果を発揮する反響の呪いはヨルシカが無理繰りに突破してしまった。
これは格云々の話ではなく、純粋に相性の問題だ。
超接近戦に於いて術師が剣士に勝つ事は難しいように、迂遠な絡め手を多用してくるタイプの敵手ではヨハンとヨルシカを破る事は難しい。
彼等を破りうるとすれば、高水準のタフネス、そして高水準の戦闘技術に任せた力押しである。
例えばヨルシカなどは出血させずに頭部を強打すれば戦闘不能に陥れる事は容易いであろう。
■
「ヨルシカ、相手の視界に留まるな!」
そう叫ぶとヨハンは嫌がらせを開始した。
魔法は使わない。
消耗が激しいからだ。
「暗夜に細道を行く心の仄暗さ。目に入る枝垂れ女の頬白よ。振り向くお前を見つめるは」
ヨハンは矢の材料にも使われる木切れをぽとりと地面に落とした。
その瞬間、魔将の追手の目は一斉にその木切れを見る。
ヨハンやヨルシカ、ミカ=ルカの目にはただの木切れにしか見えない。
だが魔将の追手にはそこに女が立っているのが見えるのだ。
それは不気味な女だった。
白い装束を身に纏い、恨みがましい目でこちらを睨みつけている。
何故か腕を前へ突き出し、垂れる指の先からは不吉な何かを感じさせる。
追手から見た女は余りにも怪しい雰囲気を全身から放っていた。
これを放っておけば何かとてつもなく不穏な事が起こりそうな…そんな予感があった。
堪らず魔将の追手は金縛りの邪眼を木切れに向けた。
だが魔将の追手の精神性は人のそれとはかけ離れてはいるが、それでもなお彼女はぎょっとする事になる。
金縛りの邪眼を最大出力で放っても不気味な女は全く堪えず、不気味な視線でこちらを見つめていたからだ。
当然だ。
それはただの木切れなのだから金縛りもなにも、という話である。
そして、そんな魔将の追手を前に当然ヨルシカは大振りの、全力を込めた一刀を追手の脳天に見舞った。
「通った!」
思わずヨルシカが叫ぶ。
魔力での防護もなにもない無防備な急所へ打ち込まれた一撃は、その頭部から真っ黒い血に似た何かを噴出させる。