魔将の追手
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魔族の将級というのは上魔将、そして下魔将の二種に分かれる。
だが過去3度に渡って繰り広げられた人魔大戦により、多くの将級魔族が滅ぼされた。
勿論その何倍、何十倍と言う数のヒト種の勇士、英雄達の死と引き換えだが。
上魔将マギウスは第一次人魔大戦から現在に至るまでに滅ぼされなかった数少ない魔族の古兵である。
歴代最強と謳われた初代勇者と直接対決をしてなお生き残った実力は並々ならぬものがある。
また、マギウスとの戦いで多大な消耗をしたからこそ初代勇者は当時の魔王を滅ぼすには至らず、中途半端な封印をするだけに留まったのであろう。
ではこのマギウスという魔族はどの様な力があるのか。
ただ魔力が強い、膂力が強い、死に難い、というだけでは初代勇者に伍す事は出来ない。
かの勇者はヒトにしてヒトに非ず。
法神と言う機構がそのリソースを後先考えずにつぎ込んだまさに現人神とも言うべき存在であったからだ。
上魔将マギウスは個にして個に非ず。
上魔将マギウスはその身を4つ身に分ける。
その根幹にして核である死……そして病、傷、老を司る分け身へと。
マギウスを討つにはまず病、傷、老を司る三体のマギウスを討たねばならない。
死に纏わる三要因を司る化身を全て滅ぼしたその時に初めて本体たるマギウスの命に手をかける事が出来るのだ。
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「聖都にはどれ位で着くんだい? 一応地理的な位置関係は分かるのだけれど、如何せん実際に行った事があるわけじゃないんだよね」
ヨルシカはヨハンの指に自らのそれを絡め合わせながら尋ねた。
「先ず今日、日が暮れるまでには宿場町トルンにたどり着くだろう。そこから馬車を乗り継いで、白道を真っ直ぐ東進すればすぐ聖都だ。余談だが、聖都から裏の山脈を強行するか、あるいは迂回し砂漠を越えれば東域にでる。東域最大の国家、アリクス王国などは東域のほぼほぼ中央に位置している。アリクス王国からも行商人がやってくるが、彼等はみな砂漠経由のルートでやってくるんだ。距離的には山脈を強行した方が短いのだが、かなりの難所なんだ」
ヨルシカはヨハンのやや顰められた眉を見ながら、彼がこんな表情で言うなら控えめに言っても死人がドカドカでるような難所なんだろうななどと思い、バッと何かに気付いた様に馬車の外を見た。
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ミカ=ルカはその魔力を全て身体強化に回し必死で駆けていた。視る者が視れば彼女の小さい体の目一杯に大容量の空色の魔力がうねり狂っている光景が見えたであろう。
無理矢理に過ぎる身体強化は彼女の目に見えない大事な何かをギシギシと締め上げ、その影響は喘息にも似た症状を彼女に齎していた。
それでもなおミカ=ルカは脚をとめようとはしない。
染み1つない白皙の肌から汲めども尽きぬ勢いで汗が吹き出るが、ミカ=ルカは走り続けた。
何故か?
脚を止めたら死ぬからだ。
あの恐ろしい魔族の眷属が自分を追っている。
肉を引き裂き、魂を喰らおうと付け狙っている。
馬で逃げようとしたが何かに怯える様で全く使い物にならなかった。
無理もない、とミカ=ルカは思う。
それなりに距離を稼いでいる筈なのに、その背をチリチリとした殺気が焼く。
ミカ=ルカは21と言う年齢に比しては余りに幼い外見だが、外見はともかくとしてその精神は歴戦の異端審問官に相応しいモノであった。
故にあの魔族と愛する師たるアゼル、両者の戦力比較をしたならば前者が勝るであろう事は理解出来ていた。
とはいえ、理解できても納得できるかどうかは話が別である。今にも爆発しそうなヒステリックな恐慌を無理矢理に押さえ込み、ミカ=ルカは走り続け……
(あ、あれは馬車!?)
ミカ=ルカの視界に疾走する豪奢な馬車が飛び込んできた。馬車からは1人の女性がこちらを見ている。
ミカ=ルカは瞬時にその女性が達人であると看破した。
あるいは手を貸しては貰えないか、そんな思いが頭を過ぎったその時、背後から迫る悍ましい殺気が膨れ上がった。
■
「ヨハン!」
ヨルシカが叫んだその時、既にヨハンは立ち上がり、親指と中指で摘んだ一枚の葉を床に落とした。
「鼻腔を擽るは朝の気配。香れ、冷たき三つ葉」
落ちる葉が馬車の床に触れると同時に目が覚める様な清涼な何かが広がった。
それは匂いなのか、あるいは気配か?
だが、その何かに触れたヨルシカ、そして馬車を走らせていた馬、御者は頭が透き通る様な感を覚え、迫り来る悍ましい何かの気配に掻き毟られていた精神がたちまちに沈静化した。
「御者、馬車を停めてくれ。そして馬を連れてあの一本木の所で待っていろ。問題が発生した。対処する。ヨルシカ、降りるぞ。あの服装は中央教会の審問服、つまり穏健派の者だ。助けて恩を売る」
ヨハンはヨルシカと共に馬車を降りると、銀貨を御者に向かって指で弾き飛ばした。
青年御者はそれを受取り、何かを考える様な素振りをしたが頷き、去っていく。
そして、仁王立ちとなったヨハンは両の掌と腕を広げ、ゆっくりと掌で何かを押し潰す様に組み合わせ、“魔法”を唱えた。
「פיצוץ, התכווצות」
こちらへ向かい走ってくる少女の背後に光が収束していく。ギラギラと白く輝く暴力的な光は正しく爆発の光。
破壊の光が外へ放散せずに内へと収束しつつあるのだ。
破壊の光が収束の臨界に達する前、ヨハンはちらりとヨルシカを見た。魔合により二人の心は通じ合っていると言っても過言ではない。
ヨルシカはサングインの刃で自身の手の甲を薄く切り、剣に血を吸わせると次の瞬間には既に少女を抱え、ヨハンの元へと走り出していた。
そして破壊の光が全方位からの灼熱の破滅的圧力と化し、少女を追ってきていた黒い靄に包まれた何かを押し潰していく。
が。
「……そう簡単にはいかないか」
ぽつりとヨハンが忌々しげに呟いた。
視線の先には女の様なナニカが立っている。
ただし真っ当なヒト種の女ではない。
全身に墨をぶちまけたかの如き真っ黒な姿、そしてその全身に眼球がついていた。
眼球の多くは潰れていたが、残った眼はぎょろぎょろと動き回りなんとも不気味である。