第8話 ガルクブールへようこそ
「冒険者の皆様、ガルクブールが見えてきましたよ」
そんな声が右耳から左耳へ通り抜けて、視線を御者の方へと向けると立派な外壁が見えてきた。
遠くても見えるくらい、建造物として立派だ。
それだけ都市も広いと思われる。
普通の村巷でもお目に掛かれない、こうまで巨大と聳え立つ壁が、都市へ到着したと思わせ、少しの間だが高揚感に身を任せられた。
(あれがガルクブールか……)
随分と立派な外壁である。
手前には大きな運河が流れており、その運河を渡す橋がガルクブールへと架けられているため、そこで身分証明書を見せたら入れる。
しかし、残念ながら俺には手持ちの身分証明書なるものを持っておらず、このままだと銀貨を支払わされる。
「そう言えば、あんたって身分証が無かったのよね?」
「あぁ」
隣に座っていたホルンから聞かれて、そのまま素直に頷いた。
冒険者ギルドで発行される『ギルドカード』、役所へと行って住民登録すると手に入る『市民証』、商業組合へと登録すると手に入る『通行手形』、主に三つのうちどれかを見せれば通行可能となる。
しかし、勇者パーティーに入ってたのでギルドカードは持ってないし、市民証はその都市にしか働かないのでガルクブールには入れず、商業組合に所属するつもりも今はまだ考えてない。
市民証の場合は、観光目的とかでは他国で滞在期日申請すれば利用できるが、遺跡や迷宮の立入禁止区域探索とかの制限があるため、できるなら冒険者登録はするべきだろう。
「一万ノルド払うか」
銀貨一枚払うのは別に構わない。
料理を提供して稼いだ分の金があるし、影に仕舞ってある大量の金銀財宝に手を出す必要は皆無なのだが、いつまでも身分証明書を持ってない状態というのも不味い。
身分証明書は自分を証明するためのもの、持ってない者は怪しいと疑われてしまう。
「ガルクブールに入ったら冒険者登録するのか?」
「いや、先に宿を探そうかと思ってる」
深夜の夜番中にホルン達から教わった情報の中に、半年前に冒険者登録の方法が変わった、とあったので先に宿を見つけてから登録に赴こうと考えていた。
それに、宿屋での寝泊まりは必須だ。
冒険者ギルドが提携している宿屋だと、ギルドカードを見せれば多少割引してくれるそうだが、俺はその恩恵に与れないため、独自で探す。
金はあるから、高級宿でも構わないが……
普通の宿屋で良いだろう。
金銭的にも一人旅で贅沢する気は無かった。
都市に入る前に馬車の荷物検査、それから身分証明が行われる。
橋の前に人が沢山並んでるかと思ったのだが、どうやら並んでるのは橋の上で、橋の前で検問を受けるかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
前に聞いた話と食い違ってるが、不確かな情報だったようだ。
それか一年前の古い情報とは、変化している部分なのかもしれない。
「可笑しいな、橋の前で検問してると思ったんだが……」
「数年前に、運河から流れてきて橋を攀じ登った人がいたらしく、それ以来、関所の門前に小さな砦を構えて検問を行うようになったそうですよ」
成る程、そんな事情があったのか。
橋の向こう側が砦みたいに堅牢となっており、しかも外壁にくっ付いているので、数年前に起こった出来事が二度と繰り返されないように、上方から監視できるよう対策した結果なのだろう。
どうやって建築したのかは知らないが、多分職業を駆使しての超高速建築に違いない。
「にしても結構人が多いな」
馬車旅の途中で分岐路があったので、その方面から旅行なり観光なり冒険なりと、このガルクブールを訪れた人も大勢いるのだろう。
人が多いので入れるのは恐らく、三十分か四十分くらい後になりそうだ。
前は勇者パーティーだったという条件もあり、特別に身分証無く先に入国させてもらったりしたので、こういう風に何十分も待つ羽目になろうとは、やはり勇者パーティーを抜けて良かったと思った。
こう考えるのも可笑しいが、検問のために待つというのも何だか新鮮だ。
旅をして、こうして入国するために待たされると、俺も旅人になれたのだと、何故かそう思えたのだ。
(それに、実力者も何人かいるようだし……)
魔力が洗練されている者、他を圧倒するような魔力を持つ者、綺麗に循環している者、様々な実力者がガルクブールへとやって来た。
やはり冒険者の多い場所、多くの実力者がウヨウヨといる都市っぽいな。
ここは国と言うよりは都市であるため、都市ながらに立派な外壁に、検問に参列する旅行者達、ガルクブールという場所は人気のある場所なのかもしれない。
だからか、素朴な疑問が浮かんだ。
「なぁ、お前等ってガルクブールに何か用事でもあるのか?」
俺の方は用事を聞かれたが、『特に無い』と答えて眠ってしまった。
強いて言うなら、冒険者ギルドに用事がある。
冒険者登録するためだ。
逆に俺からは踏み込んで聞いてなかったので、どうせ暇なので興味本位で聞いてみようと考え、現在質問するに至っている。
「ガルクブールから西に行くとザラ山脈があるんだが、その更に先には別の都市があってな、そこに行くために立ち寄ったんだ」
ここからでも西に山脈が見える。
魔境を横断しているような大きさの連なった山、あそこには『聖獣』が住んでいるらしい。
噂程度だが、何度か見た人がいるそうだ。
しかし、ここの地理はあまり詳しくないため、その都市へと興味が移っていた。
「都市ってのは?」
「名前は『フラバルド』、超巨大迷宮都市って物騒な名前のとこだ」
ここ周辺の詳細は知らなかったが、有名な都市の名前が出てくるとは思ってなかった。
ハッキリ言って予想外だ。
迷宮ができて、その迷宮の周囲に都市を設立したという経緯がある都市なのだが、その迷宮都市フラバルドにはダンジョンから採れる様々な素材で賑わっている。
そして迷宮素材がガルクブールへと商品として流れ込んできて、更に海を渡って諸外国へと運び込まれていく、そんな流通ルートが存在するのだとか。
他にも経由ルートがあるが、ガルクブールも流通ルートとしての交易場となってるらしい。
それに魔境が邪魔だから、それを迂回するためにも別のルートへと行くための経由地点でもあるのだろう。
「じゃあ、フラバルドが目的地って事か?」
「そうなるな。そこで腕試ししようって皆で話し合って、ここまで来たんだ」
ついでに護衛依頼として、商団の護衛を担っていたようだが、その途中でモンスターに襲われて死に掛けてたところ、俺が現れたという経緯になる。
もし助けなかったら、彼等はフラバルドにまで辿り着けなかったかもしれない。
「フラバルドか、一度は行ってみたい場所だな」
「なら、俺達と来るか?」
「しばらくはガルクブールに滞在するつもりだから、流石にそれは遠慮しとく」
一緒には行かない。
しばらくガルクブールで情報を集めながら冒険者としてランクを上げていき、一ヶ月くらいしたら何処か別のところへと行くつもりだが、行き先はまだ決めてない。
フラバルドは世界的にも迷宮産業で有名な場所で、一度は行ってみたい都市の一つではあるのだが、他にも魅力的な場所、スポットは沢山あるので、また色々と考えてから決めようと思う。
「お、もう次だな」
しばらく話し込んでいると、時間が経過していたのも忘れていたようで、俺達の順番となっていた。
「身分証の提示をお願いします」
兵士の一人に身分証の提示を課せられたが、残念ながら俺は手元に身分証が無いので銀貨一枚払う必要がある旨を兵士に伝えた。
それと仮の身分証を作ってくれるそうなので、俺は関所内へと連れて行かれる事になったために、ここで黄昏の光の連中とはお別れとなる。
他にも知り合った奴等とも別れるが、特に寂しいという感情とかは生まれなかった。
結局一、二日程度の付き合いだ。
寂寥感すら感じる暇も要らないという訳だ。
「じゃあな」
「おぅ、またな、ノア!!」
ライオットに元気良く見送られて、俺は関所の扉へと入っていこうとするが、その前に商会長のキースが俺の元へとやってくる。
どうやら、俺が関所内へと連れてかれるのを見ていたらしい。
彼には俺がギルドカードを保持してないのを、まだ言ってなかった。
「ノアさん! ど、どうしたのですか!?」
「あぁ、身分証が無いから、ガルクブール限定の仮の身分証を発行してもらうんだよ。それと銀貨一枚」
「な、成る程、そうでしたか……でしたら、これをお渡ししておきます」
彼から受け取ったのは一枚の羊皮紙、何かしらの封書だった。
封蝋は何かの紋章のようなマークが描かれており、それを受け取って何だろうかと考えていると、追加して説明してくれた。
「それをユグランド商会の受付に見せてくれれば、色々と便宜を図ってもらえます」
成る程、キースなりのお礼、という訳か。
これは謂わばユグランド商会限定の便宜を図ってもらえる手形、プラチナカードのような代物で、中々便利なものを頂いてしまった。
ここまで恩を返されるとは思ってなかったのだが、情けは人の為ならず、見捨てずに助けて良かった。
見返りを貰えたのだから。
「この度は本当にありがとうございました」
「いや、こっちこそ馬車に乗せてもらって助かった。じゃあ、またな」
これ以上、兵士を待たせる訳にもいかないので、このままキースと別れて関所内へと向かっていった。
この関所は、外壁を貫通して小さな小屋が建っている、いや埋まってる状態であり、その小屋の一室で仮登録をするために、俺は必要事項を記入して、仮の身分証カードを手に入れた。
勇者パーティー時代には経験しなかった。
これも一人旅の恩恵か、初めての経験とは何でも新鮮さを帯びているものだ。
「本登録するか冒険者登録したら、ここにカードを返しに来てくれ」
「分かりました」
仮身分証作成をしてくれた図体の大きな強面のおっさんに言われ、俺は仮の身分証をポーチへと入れるフリをして影へと収納しようとした。
これで無くしたりはしない。
それに忘れもしない。
だが、この仮身分証、魔法技術が仕込まれてるそうだ。
身分証には魔法が仕込まれているので、魔力を流すと自分の書いた事項が浮かび上がってくる。
(ちゃんと『ノア』になってるな)
試しに起動させてみると、空中投影されたプロフィールには先程紙に書いた内容がそのまま記載されていたので、後は普通にギルドカードを入手するだけだ。
これで一先ずは、ガルクブールへと入国できるようになったのだ。
「こちらから出られます」
丁寧な口調で話す新人っぽい兵士に案内されて、その扉から外へと出た。
「ようこそ、ガルクブールへ!!」
その言葉を受けて、俺は初めての都市、ガルクブールへと足を踏み入れた。
それは高くなった身長から魅せる、大きな景色。
身長の高さが変化したから、というだけではない。
初めて自分の金で入国し、初めて自分の意思で知らない場所に訪れる。
この雑踏は、今までで一番楽しげに見えた。
街は人で賑わいを見せており、中世のヨーロッパのような街並みをしていて、冒険心を擽ってくれるような外観となっている。
屋台が立ち並び、多くの人が行き交い、とても明るくて雰囲気や治安の良さそうな街である。
地面もしっかり舗装されてるので、森よりも非常に歩きやすい。
(結構賑わってんなぁ)
俺も宿屋を探すために街を練り歩く。
人種族だけでなく、獣人種や亜人種も多数存在しており、多くの種族が街を我が者顔で闊歩している姿は、何だか不思議なものだ。
前世の記憶を取り戻してから、今まで当たり前だった常識が全て非常識的な側面に見えてしまう、だからこそ俺は活気に満ちているガルクブールを堪能していく。
退屈しない街、多くの露店が並ぶ区画に踏み入れ、周囲へと視線を彷徨わせる。
衣服店やアクセサリーショップ、薬品店や古書店、武器屋や変な物を売ってる店まで、様々だ。
見ていて飽きない。
「兄ちゃん、串焼きはどうだい!?」
屋台巡りをしていると、不意に香ばしい香りが漂ってきて、そこで足を止めた。
すると、串焼きの店主に呼び止められた。
「おぉ、美味そうだ。五本くれ」
「あいよ!」
異世界名物の定番、串焼き店で美味しそうな串焼きを五本買って、たっぷりと特製のタレが付いた肉串を、一口頬張ってみた。
その瞬間、肥えた舌が歓喜に咽ぶ。
重低音のように舌に響く、このガツンッとした肉厚と、それを支える味のバランスが絶妙だ。
「おぉ、美味いなこれ……」
「ガハハハ!! そうだろうそうだろう! 何せ、この俺が作った串焼きだからな!!」
甘辛なタレが肉汁と絡んで口の中で弾けていく。
噛む度に溢れ出てくる肉の旨みが舌を喜ばせ、甘辛なタレが良いアクセントとなって、舌を楽しませ、最後に肉汁が一撃をお見舞いする。
と、何故か食レポのような感想が脳裏に浮かぶが、それは言わない方向で胸中に隠しておく。
しかしお世辞無しで美味だ。
本当に美味い、流石はガルクブールだ、屋台の水準も極めて高い。
「なぁおっさん、良い宿知らないか?」
「兄ちゃん、旅人かい?」
「まぁ、そんなとこだな」
背中に背負ってる大きなバックパックを見れば、誰だって俺が旅人だと分かるだろう。
一人旅で、市政からこうして情報収集を怠らない。
「少し高いが『木漏れ日亭』ってとこが良いと思うぜ。あそこは飯もかなり美味いし、清潔感ある宿でな、もし泊まるんならそこにしな」
「へぇ、良い宿そうだな。行ってみるよ」
良さげな名前の宿っぽい。
ここに店を構えているのならば、随分と長くこの都市にいるのだろう、その言葉を確かめるために、木漏れ日亭なる宿屋が何処にあるか、道を聞いて、一度向かってみる事に決めた。
早速行動に移すため、動き出した。
「あんがとな〜、おっちゃん」
「おぅ! また買いに来いよ!!」
串焼きを頬張りながら道を歩いていく。
金は基本、ベルトのアイテムポーチに入ってるのだが、そのポーチはバックパックに隠れているので、掏りとかには遭わない。
奪われたら基本分かるので、追い掛けて捕縛し、憲兵隊に突き出すのだが……
多分ここでは強盗とか、殺人とか、そんな犯罪が起こるような街には見えないし、人は活気に笑顔を絶えさせず、少し物見遊山に興じていると空気で察せる。
この街は、良い都市だ、と。
(広いなぁ、ガルクブール)
広い土地なのは別に良い。
ただ広いというのならばともかく、問題なのは土地勘が無ければ目的地に辿り着くのが困難というところだ。
多くの人間が賑わっているのは結構な話だが、そのせいで自分のいる場所も見失ってしまう場合があり、街中で迷子となってしまう。
「よっ、と」
魔力を行使して身体強化し、路地裏から屋根へと跳躍して高い場所へと着地した。
街中での職業使用は御法度だが、魔力使用は別に制限されてないはずだ。
目的地の宿を探して屋根伝いに飛び回り、木漏れ日亭へと向かう道を見下ろしながら、跳躍を繰り返して屋根の上を走っていく。
広い都市ながらに、宿屋を何軒か過ぎていく。
昼間のガルクブールが賑わいを見せるなら、夜は何を見せてくれるのだろう。
楽しみが一個増える。
冒険者ギルド登録後はしばらく暇だろうし、この都市の観光も一興かもしれない。
(あの宿か?)
少しして、目的地である木漏れ日亭へと到達した。
大通りから少し外れた場所に建立している宿を俯瞰して、あの宿で間違いないかなと思ったため、その宿へと降り立って入店してみる。
「いらっしゃいませ! 木漏れ日亭にようこそ!!」
入店直後、何故か入り口の方から声が聞こえてきたので、背後へと振り向くと小さな女の子が満面の笑みを浮かべて、俺をもてなしてくれた。
茶色い髪をポニーテールにして纏め、活発そうな印象を携える可愛らしい女の子だ。
幼女趣味とかは別に無いので、そう言った邪な目では見ないが、数年後には街一番の女になるのでは、というくらいの可愛らしさがある。
元気良くハキハキと歓迎文句を垂れ、少女は何処か期待に胸を膨らませている。
この宿の看板娘だろうか。
「えっと、部屋は空いてるか?」
「待ってて! お母さ〜ん! お客さんだよ〜!!」
看板娘らしき少女が、母親を呼びに店の奥の方へと消えていってしまった。
まだ十歳前後の子供のように見えたが、そんな子まで働いているのは何だか不思議な感じだ。
労働基準法を完璧に無視しているものの、この世界に労働基準法なんて法律は無く、奴隷制度もあるために日常的に見られる光景の一つでしかない。
その理解もあるが、前世と今世での文明の違いにカルチャーショックを受けている自分がいる。
不思議な感覚だが、当然と言えば当然だ。
唐突に前世の常識を思い出して一年は、魔境で人との接触を殆ど断ってきたのだから。
「は〜い。ごめんなさいね、一名で良かったかい?」
「あ、あぁ」
奥から出てきたのは、看板娘の子が成長したような女性だった。
表現は少し変だが、奥の部屋で進化して出てきたみたいなくらい若々しく感じられ、お世辞抜きで姉と少し年の離れた妹くらいの認識がある。
しかし母親なのだろう。
少女が呼んでたのは母親だし、実年齢と外見年齢が違うのは異世界では稀だ。
「うちは一泊五千ノルド、食事はその都度別途で払ってもらうからね」
「分かった。取り敢えず、一週間泊まりたい」
「あいよ。なら三万五千ノルドだよ」
銀貨三枚に銅貨五枚を先払いして、帳簿に名前が記載される。
そして女将から鍵を手に入れて、女の子に案内してもらい、三階へと上がっていく。
「わたし、ミリア! よろし――うひゃぁ!?」
ニパァッと笑顔になった彼女が自己紹介しようと振り返ったのだが、階段を登っている最中に振り返ろうとして、足を踏み外した。
予想を裏切らない展開だ。
それを咄嗟に受け止めるが、やはり子供の身体は軽く、容易く受け止められ、落下阻止に成功した。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと、お兄ちゃん」
どうやら何処も怪我とかはしていないようで、一安心した。
俺のせいで子供を怪我させるのは流石に申し訳なく思ってしまうので、無事で良かったと考える。
しかし危ないので、少しだけ注意しておく。
「気ぃ付けてな」
「うん!」
再び俺を部屋へと案内していき、そして到着したところは、三階突き当たりの部屋だった。
鍵をドアノブに挿して回し、カチャッと景気の良い音が鳴って中へと入っていく。
「おぉ……」
つい感動してしまった。
木漏れ日亭と言うだけあって、窓からキラキラと太陽光が入ってきて、部屋が輝いているように見え、店名通りの穏やかさが部屋全体を包み込む。
フカフカのベッド、作業机、椅子が一つのみの簡素な場所なのだが、住み心地はとても良さそうだ。
睡眠を取るには申し分ない。
差し込む陽光が、暖かな春を運んでくる。
「何かあったら、言ってね!」
「あぁ、了解した」
ミリアは仕事があるのか、部屋から出て一階へと降りていった。
ベッド付近に大きなバックパックを置いて、伸びをして深呼吸を繰り返す。
樹木のような自然の匂いが部屋全体に溢れており、木造建築で凄く落ち着く場所となっている、串焼きのおっさんには感謝だな。
しばらくは、ここが活動拠点となる。
冒険者登録、観光、食事もそうだが、日本人らしく風呂に入りたい気持ちもある。
精霊術で身体を洗えるので個人としては風呂要らずだが、温かな湯に浸かって心身を癒したいものだ。
「んぅ……はぁ……」
手を組んで裏返し、それを頭上へと振り上げて筋肉を伸ばし解していく。
重たい荷物を長時間持っていたため肩が少し肩を痛めて、こうして伸びをして筋肉を解しており、肩を回したりもして痛みを和らげていった。
超回復が備わってるので、こうした運動でも即座に回復してしまう。
便利な肉体になったものだ。
パキパキと身体の骨が鳴り、心も身体もスッキリして、気持ちを切り替える。
(さて……)
大きな荷物は部屋に置いていき、腰のベルトに付いてるアイテムポーチ、そして影から取り出したショルダーバッグを肩に掛けて、部屋を出て鍵をする。
宿泊場所はすぐに見つかったので、後はギルドに行って冒険者登録すれば完了となるのだが、お昼時となって小腹が空いてしまった。
腹が鳴り、途端に何か食いたくなった。
腹が減っては冒険者登録はできぬ、戦と同じだ、早速飯を食うとしよう。
一階へと降りていくと、何人かの人が席に座って飯を食っていた。
「女将さん、俺も飯をもらえないか?」
「あいよ。千ノルドだよ」
千円が安いのかは分からないが、一週間毎日昼飯食ってたら七千円も取られてしまう。
千円って意外にも高いのかもしれない。
銅貨一枚を取り出して手渡すと、それをポケットに仕舞って奥の厨房へと入っていったため、勝手に空いているカウンター席へと座って待たせてもらう。
「そういや聞いたか?」
「何を?」
「勇者パーティーが魔族十二将星の一人を倒したってよ」
席に座って大人しく待っていると、近くで飯を平らげていた二人組の客が、そんな話を開始していた。
俺にとっては死活問題、耳を澄ませる。
「魔族十二将星? それって誰が殺られたんだ?」
「確か名前は……シド、って名前だったような……」
魔族十二将星、それは魔王の側近十二人の幹部であり、十二人全て倒さないと魔王を倒せないという何とも謎の存在の魔族達らしい。
俺も勇者パーティーにいた頃、二体の将星と出会った経験があるのだが、彼等は総じて強かった。
勇者達は辛うじて勝てたものの、犠牲は甚大だったのを今でも覚えている。
あの時は酷かった。
人間が軽く細切れにされて、死んでいくのだから。
命が軽いというレベルの話ではなく、そもそも命は無価値だと思い知らされる事件だった。
(シド……前には無かった名前だな)
情報が圧倒的に足りていない。
ギルドに行けば聞けるだろうが、逆に嗅ぎ回ってるという事で怪しまれてしまうかもしれない。
そもそも、俺はもう勇者パーティーの一員ではないのだし、魔族十二将星に会う状況なんて万が一にも巡り会わないだろう、そう考えて話の続きを小耳に挟む。
「最近、新しく入った新人が、凄い能力を持ってるって聞いたぜ」
「凄い能力?」
「何でも、圧倒的な隠密術と戦闘術で相手を翻弄して倒すんだとよ」
つまりは暗殺者か。
「それに水に浮いたり、壁に張り付いたりできるとかも聞いたな」
「何の職業だ、そりゃ?」
「さぁ」
暗殺者ではなく、忍者の類いだったか。
水に浮くのも壁に張り付くのも忍者ならできそうで、恐らく火遁や水遁、遁術を操る者のはず、暗殺者寄りの強者という職業持ちか。
東方の国ならば存在しているかもしれないが、情報としては半信半疑だ。
その忍者の男か女か、その人間は俺の後釜、新しく入ったと言ってたので、その情報が正しければ俺の後任を選ぶのに時間が掛かっている。
そこに何か意味でもあるのか。
単に仲間集めをしなかったのか。
その真偽は俺には不明瞭で、情報を一切集めてないせいで勇者達の置かれている状況も、依然と覚束無かった。
しかしパーティーメンバーに抜擢されるくらいの実力者ならば、是非とも戦ってみたい。
現在の俺の実力が如何程か、確認しておきたい。
俺が何処まで高みに登ったのか、自身の認知も大事だからこそ、強者との戦闘を望んでいる。
「でも、知り合いがさ、勇者が街を破壊したって言っててよぉ」
「何だそれ、冗談じゃね〜の?」
「いや、それが案外冗談じゃなくて、魔族との戦闘を街中でしてたらしく、街は破壊、死傷者も大勢出たとよ」
「それが本当ならひでぇ話だな……」
恐らく真実なのだろう。
アルバートは魔族絶対悪と考え、魔族を滅ぼすためならば何でもして良いと思っている。
時には街を破壊したり、時には湖を枯らしたり、時には人にまで被害が及ぶなんてのもしばしば、その度に俺が仲裁していたのを思い出して、苦労したなと考えた。
しかし死傷者を大量に出したところで、奴は有象無象なんて気にも留めないだろう。
他人が死んでも、自分の利益を考える。
自分本位のクズ、それが今代の勇者アルバートという人間である。
「はいよ、お待たせ。今日のメニューは、ミノのステーキ定食さ!!」
「ミノ?」
「ミノタウロスの略称さ、熱いうちに食いな」
客の話に耳を傾けていると、完成した料理が席に運ばれてきた。
女将によって運搬された定食料理へと視線を移すと、大きな鉄板プレートにボリューム満点の肉がジュワジュワ音を奏でながら、芳醇な香りを漂わせて、弾ける油が猛烈に食欲を唆ってくる。
他には野菜スープに漬け物、それから黒くて硬い黒パンが置かれた。
安い硬い不味い、三拍子がグダグダのパンは、平民達が食べる普通のものだが、そのままでは食えない。
先に歯が逝く。
「いただきます」
その食へと感謝を込めて、両手を合わせて祈りを捧げる。
合唱を済ませ、飯を食おうとする。
しかし女将に止められた。
「待ちな。お祈りしてないじゃないか」
「お祈り?」
「『豊穣と天恵を司る女神ルヴィス』様に祈るものさ」
あぁ、そんなのもあったな。
前世の記憶を思い出してから、俺は女神に祈るのではなく、普通に食へと感謝しているのだ。
豊穣と天恵を司る女神ルヴィス様に感謝の祈りを捧げます、そう言ってから食べるのが、この異世界での普通の習わしではあるのだが、俺にとって神という存在がどういうものかも知らないし、何なら無教徒なので、今は眼前に展開される命に感謝を捧げている。
神様は俺に何もしなかった。
むしろ、神には見放されているだろう。
祈っても願っても神様は傍観を貫くから、俺は決して神には祈らない。
「俺は……何もしてくれない神様よりも、目の前の命に感謝を捧げ、その命を喰らって生きる。だから俺は、絶対に神には祈らない」
「……そうかい。なら好きにしな」
女将が不機嫌になっているのは、多分敬虔な信者だからかもしれない。
神の存在自体は信じる。
それでも俺は神には祈らない、祈ったところで結局はどうしようも無いからだ。
「分厚いな……」
ミノのステーキを口へと運んで咀嚼すると、途端にミノの弾力ある肉から旨味成分が口一杯に広がって、舌を楽しませてくれる。
ミノタウロス、二足歩行の牛の魔物だ。
牛ステーキの旨味が舌鼓を打って、黒パンをスープに浸して食を進めていく。
やはり、この宿を選んで良かった。
そう思いながら、ナイフとフォークで切り分けた牛肉を口へと運んでいき、一人静かに昼食を済ませた。
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