第61話 意識の底で
ここは……何処だろう。
身体が不思議な浮遊感に包まれ、身体を動かそうにも言う事を聞かないようで、全く動けない。
水の中に沈んでいるような感覚に、冷たさも感じ取る事ができた。
(俺は……死んだ、のか?)
身体がどんどんと沈んでいるようだ。
水の中にいて、水面は太陽の光が燦然と輝いて、そして揺らめいている。
手を伸ばそうにも、伸ばせない。
遠くに生き物の姿は見えず、薄暗く、口から気泡が漏れ出て浮上していく。
「……」
誰もいない水中の世界、右左見渡しても遠くは暗く、上は光の世界、下は闇の世界であるのは一目で分かった。
闇の底から俺の殺した骸達が手招きしているようだ。
意識がボンヤリとしている。
朦朧とした俺の頭は、靄掛かってて不透明だ。
『小僧』
一瞬水面が光ったかと思ったら、俺の目の前には暗黒龍がいて、頭に声が響いてくる。
つまり、ここは彼の精神世界なのかもしれない。
だが俺はどうなったのか、先程まで何をしていたのかが思い出せない。
何かしていたような気がする。
『ゼアン……』
目の前では真っ赤な瞳を爛々と輝かせながら、ゼアンが水中を漂っている。
『こうなる事が分かっていながら、竜煌眼を使ったな?』
竜煌眼……そうか、俺は右目を使ったのか。
やはり予感は正しかった。
身体の崩壊を代償とした一時的な戦闘能力向上によって俺は魔神と戦ったんだったか。
しかし、途中からの記憶が無い。
徐々に覚醒していく俺の意識とは別に、身体に力が入らずに闇へと沈み続ける。
『俺は……どうなったんだ?』
『再生と崩壊を繰り返し、危篤状態が続いとるようだ』
そうだ、思い出した。
やはり魔神相手に無茶しすぎたらしいが、それでも勝てなかったようだ。
流石に暗黒龍の力に耐え切れなかったか。
『小僧、貴様は一度肉体も精神も死んだが、精神は我が蘇生させた』
『……どういう事だ?』
『貴様に死なれては我等が困るのでな、そうさせてもらったのだ』
意味が分からない。
俺に死なれては困るという事は、今後何かのために俺が使われるという意味だろう。
何のために俺が選ばれたのかと考える。
単なる偶然なのか、それとも俺の知らぬところで誰かに仕組まれていたのか、もしも後者ならば一体誰が仕組んだのだろうか。
ユスティの能力が運命を引き寄せるのは知ってるが、彼女が仕組んだとは思えない。
(勝手に発動したのか……)
彼女に能力を与えた神様でもいるのかもしれない。
神子の能力について研究とかされていた時期もあったらしいが、詳しくは分からなかったそうだ。
かく言う俺も詳しくは知らない。
能力は千差万別、持っている者は持っている、持ってない者は持ってない、それだけだ。
『意識が朦朧としているようだな、小僧』
『……あぁ、ボンヤリしてるよ』
受け答えはできるし、少しは考えられる。
だが、身体が上手く動かせない以上は、俺は彼との会話を継続する以外何もできない。
何故動けないのだろうかも不明だ。
『俺は……いつ、目覚める?』
『もうすぐで目を覚ますだろう。だが、その前に幾つか聞いておかねばならぬ』
何を確かめようってんだ、この龍は?
『まず一つ、貴様は『霊王眼』の本質を知っているか?』
『……霊王眼? 何だそれ?』
『貴様が心晶眼と称している左目の事だ』
この左目にそんな名前が付けられているとは初耳だ。
右目に名前があるのは知ってたが、左目にもやはり名前があったらしい。
『で、本質って何だよ?』
『貴様は人や物の性質を見抜く力があると思い込んでるようだが、それは使い方を間違えとる』
俺は嘘発見のために魔眼を常時発動させていた。
だが、暗黒龍曰く、それは違うらしい。
『その瞳は全てを見せる。要するに、貴様は副産物を使っていたにすぎん』
『その全てってのは?』
『文字通り全てだ。解析し、それ等全てを得る』
言ってる意味を理解できない。
暗黒龍の魔眼なんて文献に殆ど載ってないし、左目については幾ら探しても見つからなかったくらいだ、理解の範疇を軽々と超過している。
『相手の能力、性質、魔法、戦闘方法、武技、異能、それ等全てを解析する。魔法に関しては自身の糧とできる。幸いな事に、貴様は影以外の魔法を使えんしな』
『何が幸いなんだよ……』
『多くの魔法を会得できるという事だ』
つまり俺の身体は貯蔵が広すぎるという事だろうが、自覚するには大分時間が掛かりそうだ。
そもそも魔眼の性質を見誤っていた。
性質を見極めるものだとばかり思っていたが、更に先まで力を発揮できるものらしい。
『貴様は我の力と相性が良かったという事だ』
『……』
『それに、貴様は我の本来の力を半分も使いこなせておらんぞ』
今まで俺が使っていたのは半分以下だったって言われた気がするが、気のせいだよな?
『気のせいではない。現に貴様は『半龍化』も『瞬間再生』も『暗黒世界』も、そして何より『擬似召喚』や『天喰らい』も使えんではないか』
『待て待て、急に新しい言葉ぶっ込んでくんなよ。何だそりゃ?』
唐突に新たなワードが出てきたが、最初の二つは分かる。
しかし暗黒世界に擬似召喚、そして天喰らいとは何だろうか。
何かの技なのか?
『暗黒世界は影で創り出す精神世界、擬似召喚は我の肉体を象った暗黒龍を召喚するもの、天喰らいは土地を焦土と化す禁術である。今の貴様にはどれも使えぬ』
『……どうすれば使える?』
『今の貴様には使えぬと言ったであろう。いや、使うべきではないと言ったところか』
口振りから察するに、今の俺には使う事自体は可能なようだ。
しかしながら代償がデカすぎるのだろう。
例えば、使えば蘇生さえできないくらいの寿命を奪われるとか、全ての記憶を失うとかか。
それは御免だな。
が、命を喰らうだけならば使うかもしれない。
『特に天喰らいを使うな。今の貴様では自身の全てだけでは代償を支払い切れんぞ』
『要するに、俺の近くにいた奴や俺に深く関わった奴が死んじまうとかか?』
天喰らいという技か力か、それにどんな能力や代償があると言うのだろう。
聞かされると使いたくなるな。
『一度使えば、国が地図から消える。人も、植物も、建物でさえも、そこにあるもの全てが、貴様の影に喰われて消え去るのだ』
それは、言葉だけでは計り知れない重みというものがあるように聞こえてしまった。
迂闊には使えないな。
代償以前の問題だ。
俺だけが代償を支払うのならば別に躊躇いなく使う事ができるのだが、流石に他人にも同じ代償を背負わせる事はできない。
『他にも、我が以前使っていた力の何割かは覚醒しておらんようだ』
つまり、俺は少ない手札で今まで戦ってきたのか。
だとするなら、何という無知な行為だったのだろうか。
けど、暗黒龍の力の解放の仕方なんて知らないし、俺にできるとは思えない。
肉体的限界があるのだから、暗黒龍の力を完全解放なんて相当な犠牲や代償を支払わなければ、まず無理だ。
『そもそも、本来は竜煌眼でさえ今の貴様には手に余るものだったのだ。自分を犠牲に使いおって……』
『仕方ねぇだろ、そうでもしなきゃ食い止められなかったんだから』
『だが、実際には負けたではないか』
『うっ……』
ぐうの音も出ない正論返しだ。
敗者には何も言う資格は無い。
『俺が倒れた後はどうなったんだ?』
『貴様の身体に我の精神が顕現し、魔神を倒した』
『憑依したって事か?』
『少し違うがな』
影を使えば憑依くらいできるが、ゼアンの精神体も俺が倒れた事で入れるようになったのだろう。
『そんで、他に俺に確かめたい事は?』
これ以上、同じ事について話していても時間が惜しい今は無駄でしかない。
ので、少しだけ先へと進む事にする。
気になってる事は幾つもあるが、それは保留だ。
『今回の出来事について、貴様ももう分かっているはずだ』
『……あぁ』
今回の魔神騒動の発端は、和平を望んでいたはずのシドという魔族十二将星を勇者が殺した事だ。
それによって勇者に復讐を誓う魔族が現れ、そしてグラットポートで出品されたザインの黄金杯、幾つかの奴隷、そしてオークションにやってきたデルストリム国王一家の命を纏めて手に入れるために魔神を召喚した。
もしも今回、ユスティを生け贄に捧げなければ、俺の所有物に手を出さなければ完全に成功していただろう。
『勇者が発端、そう言いたいんだろ?』
『あぁ。我は大昔に何度か勇者と戦った事があるのだが、今代の勇者は弱い上にクズと来たものだ。我が戦うまでもない』
『いや、サクッと殺しちまえよな、面倒臭ぇ。俺も戦わねぇよ?』
しかし暗黒龍からしたら弱い、か。
俺も戦うのは嫌だな、殺してしまったら勇者殺しの烙印を押されるからな。
大多数の人間を敵に回してまで戦うメリットが無い。
『もし貴様の仲間が殺されそうになったらどうする? 因縁の相手だろう?』
『んなの決まってんじゃねぇか』
もしも俺の邪魔をするのならば、俺の害になるのならば容赦はしない。
たとえ昔のパーティーメンバーだったとしても、仲間だったとしても、刃を振るい、殺す。
『ククク……狂気的な笑みだな、貴様は』
自分が笑ってるのかなんて、気付きもしない。
『だが、貴様は自分の心が変化してきてる事に、果たして気付いておるのか?』
『心の変化?』
『精神の瓦解、それによる弊害だ。用心しろ、心を保て、さもなくば影に飲み込まれるぞ』
魂の契約をする際に俺の肉体と精神は一度壊れたようなものだ。
それが原因で戦闘欲が俺の心に生まれたのか。
まぁ、何となくは想像してたが。
しかし、影に飲み込まれる可能性があるとは、とんだ契約だな。
『こっちからも質問させろ。何故俺の元から去った?』
『……それは本人に聞け。我は精神だけの存在、もうじき小僧の身体から消える』
会いに行けと言われたが、何処にいるか分からない以上は探しようも無い。
『もう一つ、アンタは何で俺を契約者に選んだ?』
『……本人に、と言おうと思ったが貴様に未来を託すのも余興の一つ、そう思っただけだ』
余興とは一体何なのか、ここに来て更に謎が幾つか深まってしまったではないか。
溜め息を零すが出てくるのは気泡のみ、水の中で自由に動けないためにこうして話をするしかないのだが、いつになったら目覚めるのか。
暇潰しにはなるが、俺は早く現実へと戻りたい。
『後少しだけ付き合え』
『……』
心を読まんで欲しいものだ。
いや、霊王眼なんてものを使えば簡単に俺の心理状態さも読めるのだろう。
だが、抵抗されているのか、俺の力では暗黒龍の心は読めない。
『小僧、これからどうするつもりだ?』
『……ん?』
ゼアンの言葉が抽象的すぎて分からない。
これからどうする、という言葉の返事は受け取り方によって幾重にも変わる。
『これから生きてく中で、暗黒龍の使徒であると勘付かれる可能性も高くなる』
『まぁ、確かに……』
『更に厄介な事に巻き込まれるぞ』
黒龍協会の事か。
面倒、確かにそうだ、面倒だ。
暗黒龍の力を受け継いだ事に関しては問題視していないのだが、俺が黒龍の力を受け継いでしまったのを問題にする奴等がいる。
それが彼等だ。
俺は元々は忌み子、世界から疎まれた存在が彼等の崇める存在となってしまうのが問題なのだ。
俺が黒龍の使徒とバレると崇められ、俺が忌み子だとバレると命を狙われるのは目に見えている。
『貴様は忌み子、もしも秘密が露見したら全世界から命を狙われるかもしれんぞ?』
『かも、って……』
十中八九そうだろう。
まぁ、忌み子の定義は黒髪黒目の人族の事を意味するので、今の俺が忌み子だとバレるかは微妙だ。
俺が黙ってさえいれば良いのだから。
いや違うか、俺は黒龍協会の事を全く理解してないので誰が何を考えているのかを知らないし、何処に目があるのかも何処に耳があるのかも分からん。
壁に耳あり障子に目あり、という事だろう。
宗教ってのは恐ろしいものだ、時には人を盲目にさせ、時には残虐非道な事さえも正当化されてしまう、人の心に付け込む事さえ厭わない。
『だから俺は慕われようと命を狙われようと邪魔するんなら殺すし、邪魔とならないのなら殺さない』
『そうか、ならば良い。余興の最中に協会連中に殺されても適わんしな』
結局はそれか。
『む、そろそろ時間か』
『ゼアン……』
『案ずるな、本体は生きておる。もうすぐ貴様が目を覚ますだろう』
身体から微弱な光を発していたゼアンは徐々に形を崩していく。
消え行く暗黒龍へと手を伸ばそうにも身体が動かない。
そもそも俺がいるここは何処なのか、どうやって俺は帰れば良いのか、分からない事だらけで頭がパンクしそうなのだ。
けど、何もできない。
いや、何もする必要は無いのかもな。
『最後に一つだけ忠告しておいてやろう』
『忠告だと?』
『あぁ、我からの忠こ…く……』
微弱だった光が太陽のように眩しく輝き、言葉にもノイズが走った。
『小ぞ…ザザ……神が…ザザザ………き…をザザ…らザザザ……い………ザザ…………』
『ちょっ、聞こえないんだが!? おい待――』
言葉が途切れ、何を言ってるのか全く分からなかった。
忠告を聞くはずが、殆どノイズ塗れの声だけが俺の耳に残った。
そして暗黒龍の精神体は、俺の目の前で光となって消えてしまった。
ノイズが耳に木霊する。
何が何だか……いや、気にしても仕方あるまい。
旅の目的が一つ増えてしまったような気もするが、今はまず現実へと目覚める必要がある。
『……ゅ…じ……』
またもや誰かの声が聞こえてきた。
辺りは水中で、何処から声が聞こえてくるのかを見渡そうとしたが、首すらも動かない。
『…し……ま…』
誰だ、この声は?
聞き覚えのある透き通るような声だ。
何処か心地良く、何処か美しく、それでいて芯の通っているような力強さを誇っているように聞こえてきた。
(誰だ……)
ノイズは聞こえず、しかし声が途切れている。
その声に引っ張られていくように、少しずつ沈んでいた俺の身体が水面へと浮き上がっていく。
暖かな黄金色の光が見える。
水面が揺れてキラキラと反射しているようで、この光景がとても美しいと思った。
『ご……さ……』
さっきの暗黒龍の言葉も謎だが、どうやら俺はそろそろ目覚めるらしい。
身体が崩壊していたと言ってたが……
「ご主人様!!」
その声がハッキリと聞こえたと同時に、俺は水面へと消えていった。
震わせた瞼を持ち上げた。
見えるのは複数人の顔と、見知らぬ天井の照明だった。
「ここ、は……」
「東に位置する治療院です、ご主人様」
身体を起こそうとしているのを察して、声を張り上げていた張本人が俺の背中を支えて、身体を起こしてくれた。
白い髪に柔和な笑みと目尻に涙を溜めていた美少女ユスティ、どうやら生きてたらしい。
「ユスティ……それにリヒト達も……」
「うっ………ぐすっ……にいぢゃん……」
「よがっだよぉ……」
何故かキースのとこに預けてた餓鬼、リヒトと彼の兄妹二人が一緒に泣いていた。
周囲を見渡してみるとここは個室なようで、患者は俺しかいないのが分かったが、身体を見てみると包帯が血に染まっている。
身体に激痛が走り、顔が少しばかり歪んだ。
「ご主人様!?」
「……気にするな、大丈夫だ」
左目を駆使して身体の様子を見てみるが、右目を使った影響なのか、それとも影を酷使しすぎたのか、身体の骨全部に罅が入っており、身体を動かしてはならないくらいの重傷を負っていた。
それに包帯の上からでも分かるが、俺の身体にある傷はそのままに、更に傷が増えてる。
身体機能も停止していたようで、超回復にも問題が起こっていたらしい。
だがまぁ、何とか生き残れたか。
「リノはどうした?」
「リノさんなら……」
彼女が指差した先に、頭と腕に包帯を巻いて骨折患者のように布で固定されてるリノが、ソファで眠っていた。
目には隈、ずっと看病でもしてたってか?
自分の身体を心配すべきだ。
「俺がどうなったのか、聞いても良いか?」
「はい。ご主人様が倒れられた後、即座に治療院に運ばれまして、一日掛けて治療回復が行われました」
一日掛けたって事は少なくとも一日は経過してしまっているという事だろう。
最悪だな、また長時間眠ってたのか。
「それで?」
「一日治療して何とかギリギリ生還できたのは良かったのですが、それから四日間ずっと眠ってましたよ」
「つまり五日間寝てたって訳か……」
何て事だ。
奴隷を買ってから一日しか経過してなかったのに、気が付いたら五日間経過してましたよ、って……寝すぎだろ、マジで。
その間にも復興作業でも進んでいるのか、窓の外には多くの人達が作業していた。
「情けないな……グッ」
「動いちゃ駄目ですよ!? 安静にしててください!」
ベッドから出ようとしたのだが、ユスティに止められてしまった。
超回復が作用していない。
これも代償か。
しばらくは大人しくしてた方が良いのかもしれないが、事件はどう収束したのかも知りたかったので、再度ユスティへと問い掛けた。
「なぁ、ナトラ商会はどうなったんだ?」
「それは――」
「儂から答えるとしよう」
俺達の会話に割って入ってきたのは、俺の知らない人間だった。
いや、体型や耳の尖った形からしてドワーフか。
筋骨隆々とした体格に、強者の風格を纏わせている。
立派な髭を生やし、横に広がった体型ではあるが、結構な強さだな、この爺さん。
焦茶色の髪を逆立ててバンダナをしている、まさにドワーフっぽいな。
「アンタは?」
「儂はグラットポートの臨時ギルドマスター、アダマンド=クルージーってもんだ」
鍛冶場にでもいそうな親方然とした佇まいに、何だか場違い感を覚えてしまう。
しかし、ギルドマスターが俺に何の用件だろうか。
「俺に何の用だ?」
そう問い掛けた俺に反応するように、突然頭を低くして謝礼の言葉を述べた。
「この度はグラットポートにおける魔神騒動を鎮圧に導いてくれた事、誠に感謝する!」
鎮圧に導いた、それはつまり魔族を倒して同時に魔神を倒した事を言ってるのだろうが、感謝されても全然嬉しくない。
感謝なんてものは一銭にもならないからな。
「感謝なんて必要無ぇ。俺が欲しいのは報酬だけだ」
「現金な野郎だなぁ……まぁ、良い。こっちとしても国に掛け合ってな、報酬を用意してもらう事になってんだ」
それは嬉しい、と思ったのだが、正直言ってそこまで嬉しくないな。
俺が欲しい物は幾つかあるのだが、もしも今回貰えるのならばアレが良い。
「なぁ、ナトラ商会の私物がどうなるか教えてくれ」
「そりゃ、ギルドが管理する事になるだろうよ」
「なら、『リブロの隠し倉庫』もギルドが管理するって事なのか?」
「あぁ、まぁな。いらねぇ物は他に売っぱらっちまうが、あれは異空間魔法のアイテムだからな、中身の整理ができてねぇんだ」
俺が欲しいのは、あの四番倉庫にある薬品の数々だ。
あれはどんな宝よりも喉から手が出る程に欲しい品々ばかりだったからな、是非とも手に入れたい。
「売っ払うって、何処に?」
「私に、ですよ、ノアさん」
まるで話を聞いていたかのように、ユグランド商会会長キースが部屋へと入ってくる。
リヒト達がいたから予測してたが、やはり現れたか。
「って、頭に包帯なんざ巻いて、どうした?」
「いやはや、逃げてる途中に瓦礫が降ってきましてねぇ、幸い大した事なかったのですが、念の為、と」
「キースの旦那に色々と買い取ってもらうつもりでな、グラットポートの英雄の知り合いって言うから、特別だ」
それならば話は早い。
「なら報酬として四番倉庫、薬品庫の中身が欲しい」
錬金術の実験にもなるし、それに珍しい薬品類も多数存在していた。
俺に作れない薬品は無いのだが、作る過程で長時間ハーブを乾燥させたり、特殊な薬草を塩水に十時間以上浸したりする、長い過程が必要な薬品も多かった。
なので、現物があるのなら手っ取り早い。
それが欲しい。
「それは無理だ」
「何で?」
「危険指定の薬品ばっかだったろうが。あんなの何に使うんだよ?」
錬金術の実験……とは言わないでおこう。
ますます面倒な事になりかねない。
「北地区の戦闘に当たらせた斥候達から話は聞いてる。魔族と口だけのバケモン相手に一人で戦ってくれたんだろ? ありがとう」
「だから感謝はいらねぇって……」
「他にも報酬は沢山ある。それと欲しい物があったらできる限りは要望に答えてやる」
随分と上から目線だが、ギルドマスターなのだから舐められないようにしているのかもしれない。
とは言っても、リブロの隠し倉庫にあった薬品類以外にはそこまで興味無いし、後報酬と言ったら……あ、一つ思い付いた。
「なら、コイツの分のギルドカード、作ってくれよ」
「わ、私ですか!?」
「あの魔神を倒すのに一役買ってくれたんだ。それくらいなら良いだろ?」
彼女には身分証明となる物は職業鑑定書くらいしかないので、ギルドカードを発行してくれるのならば、他の報酬を諦めても構わない。
そう俺はアダマンドの爺さんに伝えた。
少し考えるような仕草をした爺さんだったが、溜め息と半眼の表情を浮かべ、ニカっと笑みを繕った。
「少し報酬としては物足りない気もするが、お前さんがそれで良いってんなら、こっちも文句は無い」
「い、良いんですか? 奴隷は冒険者になれないと聞いたのですが……」
奴隷には人権というものが無い。
そのため、人間ではない家畜が冒険者になれるかよ、という事で発行してもらう事はできない。
だからこそ、こんな形でしか頼めないのだ。
「んなもん気にすんじゃねぇよ嬢ちゃん。報酬なんだ、貰っとけ」
「は、はぁ……」
奴隷でありながら冒険者ギルドへと自分を登録する事になろうとは思ってなかった、なんて面をしている。
「って、前の二人が奴隷にギルドカードの発行を依頼したもんでな、書類はここにあるんだ」
「前の二人?」
「鬼人族の男と槍使いの男だ」
どちらも見た事があり、片方はシグマという名前だったなと思い出した。
同じ思考回路をしていたか、何か癪だな。
ともかく、これで全ての決着が着いた……訳でもない。
「儂は英雄が目覚めたって国の奴等に伝えてくるぜ〜」
そう言いながら、ユスティに書類を渡して部屋を出ていってしまった。
「英雄ってなぁ……」
「まぁまぁ、この国の皆さん、ご主人様の快復を深くお祈りしてましたので、お目覚めになられて歓喜の声を上げると思いますよ」
「恥ずかしいんだが?」
「我慢してください」
英雄になりたくてなった訳ではないし、俺は沢山の人を見殺しにしてきたのだ、そう呼ばれるのは嬉しくない。
自分の心が拒絶しているみたいだ。
英雄に祭り上げられるという事に、憤りを感じてさえいるらしい。
「ノア……の、兄ちゃん」
「おう、急に畏まって何だ、リヒト?」
「ごめんなさい!!」
いや、何で?
「俺……ダイトの兄ちゃんに『ノアが逃げた』って言われてさ、それを信じちゃったんだ」
あぁ、それで謝ったんだなと、合点がいった。
逃げようとした、なら合ってる。
逃げる事ができなかったってだけの話で、コイツが俺に謝る必要性は一切無い。
「顔を上げろ」
「兄ちゃん……」
「逃げるのも勇気だ。勇気と蛮勇は表裏一体、無闇に突っ込むより、逃げる方が何倍も賢い選択だと俺は思う。だからリヒト、逃げる事は恥じゃない。逃げて抗い、抗って戦い、そして強くなれ。それがお前の生きた証になる」
逃げて、生き延びて、強くなって、また挑む、それが強い人間というものではないだろうか。
諦めなければ、誰にだって成し遂げられる。
戦いに身を置く者は皆、必死に足掻いて、泥を被り、土埃に塗れても這いずりながら前へと進む、生きるってのはそういう泥臭い所業だ。
進んでいく道に足跡を残して、時には道にも迷うだろうし時には途切れた道もあるだろう。
それでも、俺達は生きていかなければならない。
「生きるために、大切な物を守るために、貪欲であれ」
「に、ぃちゃ…ん」
「だから、泣くな」
つい子供には加担したくなる。
いや、昔の俺の二の舞にさせないようにするため、自己満足のためなのかもしれないが、俺はそれに気付かないフリをして窓の外へと視線を向けた。
鴉が鳴き、茜色の空が見える。
(もう夕方だったのか……丸五日、か)
今日でもう二十三日だ。
もう少し身体を休めるべきだろうが、目が冴えているせいで眠る事はできない。
ユスティの目の下には隈ができてるが、彼女も寝てないのかもしれない。
「俺は少し休むとしよう。お前等も、看病は良いからサッサと寝ろ。身体を壊すぞ」
よく見ると、リヒト達も目の下が黒くなっているが、普通に寝不足だな。
俺も目を閉じて、昨日……じゃなかった、五日前に起こった事を思い出す。
ユスティの職業選別の儀式後、ナトラの刺客と戦い、ウルックと戦い、悪魔を凍らせ、元凶の魔族達と戦い、そして魔神と戦った。
濃い一日、だったな。
(……後の事は明日考えるとしよう)
気になっている事があったのだが、流石にこの身体で動くのはキツい。
なので、しばらくは安静にしていようと思って一日の出来事を思い出しながら、感慨に浸る事にしたのだった。
本作を執筆する上で、評価は大変なモチベーションとなります。
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